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第1章「祖父の手紙と町の記憶」(00)

 風の音が、書斎の障子をやわらかく揺らした。木造の古びた家に特有の、どこか懐かしい木の匂いが鼻をかすめる。匠真は、埃をかぶった本棚の前でそっと膝をついた。祖父がこの家で最後の数年を過ごしていたというのに、まるで時間が止まってしまったような静けさがそこにはあった。

「……なんで、こんなに物が多いんだよ……」

 呟きながら、積み重なった書類の山をゆっくりと崩していく。経年で黄ばみかけた紙、万年筆で書かれた手紙の束、読みかけの文庫本、町の地図、古い祭りのポスター――。

 まるで町そのものが、祖父の記憶の中にそのまま眠っているようだった。

 春休みに入ったばかりで、大学の課題も終わり、特に予定もなかった。久しぶりの帰省。母から「じいちゃんの書斎、そろそろ整理しておいて」と頼まれ、何気なく引き受けたものの、その意味を匠真はまだ完全には理解していなかった。

 机の引き出しを一つひとつ開けていく。その中に、封筒がひとつだけ、丁寧に置かれていた。

「……これは?」

 手に取ると、封はされていない。中には一枚の便箋。丁寧な文字で、まっすぐに想いが綴られていた。


「ありがとうを形にする町にしたかった」


 それだけだった。文末の署名に、「春光町文化交流会 創設代表 匠 真一」とある。祖父の名だ。

 匠真は手を止め、息を呑んだ。

「ありがとうを……形に?」

 誰に、何に対してか、まるで明かされていないその一文。だがその短さゆえに、かえって重みを感じた。

 祖父は春光町で生まれ、ここで暮らし、そして文化イベント――「春光フェスティバル」を始めた人だったと、母から聞いたことがあった。町に人が集まり、子どもも大人も、年に一度のその日を心待ちにしていたという。だが、十五年前、予算や人手の問題で中止され、それっきり復活することはなかった。

「じいちゃん……」

 匠真は立ち上がり、書斎の障子を開けた。外の庭には、風にそよぐ若葉と、まだ咲き残っていた桜の花が、やわらかな陽射しの中で揺れていた。

 春光町の春の終わりは、こうして静かに、しかし確かに訪れている。

 祖父の手紙を胸に、匠真は、ある想いにとらわれていた。

「ありがとうを……形にする町。そんなの、できるのかな」

 だが、次の瞬間、不意に笑った。

「――でも、見てみたい気もするな。それが、どんな町になるのか」

 その呟きが、この町と、彼自身の運命を、少しずつ動かし始めていた。


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