地獄トマト
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
地獄トマトを赤身で満たし、ともに夜更かししてみたい。
先輩はこの文句、ご存じですか? 私の地元だと、小さいころから家族やまわりの皆から教えられるものなんですよ。
地獄トマト。字面からして、なかなか物騒な気配がしますよね。
しかし、宗教で教わる地獄の類とはちょっと異なります。地元では土より芽を出す植物、作物たち全般を、「地の獄にとらわれている」と表現するんです。
いわく、彼らは根っこなくして命をつなぐことはできず、根っこより十分な命のもとを得られるか否かは、土の状態にかかっている。人でいえば衣食住のすべてを握られているようなもの。
逃れようのない場所として、あたかも獄につながれているとたとえたのだとか。
獄といったら、つきものなのが真っ赤な血。命のもとたる赤に近しいものといえば、トマトの赤が連想され、そこから血につながれたトマト。地獄トマトの表現があらわれたわけです。
永く大気に包まれて、進化をとげてきた動物がいるならば、土をよるべにしてきた植物たちもまたしかり。奇妙な彼らに、奇妙な付き合いをしているのが我々地元民だったのですね。
先輩も地獄トマトをめぐる話、聞いてみませんか?
トマトといいましたが、厳密にはトマトと違うこともあるのが、地獄トマトをややこしいものにしています。
というのも、トマトの苗に生えるものとも限らないんですよ。土より芽を出し、茎を伸ばすすべての植物に対し、この地獄トマトは実る可能性を秘めています。
見た目にはプチトマトに似ていますが、判別の仕方は容易でしょうね。なにせ、地べたにくっつく位置にポッコリと、茎にできたホクロのごとく膨らんで、横たわるのですから。
これらの地獄トマト。自分の家の田畑はもちろん、路上などで見かけたときでも、極力回収をするよう呼びかけられています。
放置していた場合の地獄トマトの傷みは早く、その鼻をつまみたくなる刺激臭をまき散らして腐敗を訴えます。まさに、ふてくされりといえましょう。
おそらく、名前の本当の由来を知らない人でも、この香りを嗅いだならば地獄の名に恥じないものと判断すると思います。
ひとたび鼻腔へ飛び込ませたら、おのずと涙を流させるほどの激痛を顔の内側へ充満させる羽目になりますから。
首尾よく回収ができた地獄トマトをどうするか。放っておくと、やはり致命的な悪臭が家の中を席巻します。
それを防ぐために行うのが、赤身にひたすことなんですね。つまり、赤い液体の中へ地獄トマトを沈めるんです。
染料や血液などでも代わりになるといいますが、一番良いのは果肉。ほかのトマトや、スイカの中身をたっぷり溶かし込んだものが最上。なければ他の野菜や果物を裂き、先の染めるものたちで代用します。
この赤身以外に沈めた場合も、地獄トマトは激臭を発してしまうので、赤くしていくことは絶対条件。そのトマトを沈めたならば、最低でも12時間はそこへ漬けておいたうえで、頻繁に様子をうかがわねばなりません。
トマトがいつ、どのようにして機嫌を損なうかも読めませんからね。常に予備の赤身を用意したうえで、例の臭いがかすかにでも立ち上ってくる気配がしたら、つぎ足して満足させねばなりません。
いかに臭いがきついとはいえ、どうしてここまで地獄トマトの面倒をみてあげるのか。
それはこの地獄トマト。赤身に浸っている間にぐずぐずに溶けて、やがて形を失ってしまうのですが、その際にそばにある「毒気」を一緒に吸い込んでくれるといわれているんですね。
吐き気、めまい、胸のむかつき……本人にしか分からない苦しさを持つ不調が、地獄トマトを沈めたところの近くにいると、ぐんぐん良くなっていくんですね。
体調の良化は、そばにいる時間が長ければ長いほど顕著になります。齢を重ねて、自らの衰えを嫌でも実感させられるようになってくると、よりありがたさが身にしみるというものなんですね。
しかしそれは、寝ていて体が休まっていると存分に効果を発揮しない。
どうも起きていて、身体のうちで活発な動きがあるからこそ、地獄トマトの効力は真価を見せるのだと、経験上から学んだそうですね。
――ん? そんなにすごいものだったら、臭いのリスクに目をつむって、直接食べてしまったほうがいいんじゃないか?
いやあ、そう都合よくはいかないんですね。
過ぎたるはなお及ばざるがごとし、といいますか。人間にはあくまで、一緒に夜更かしするくらいがちょうどいい付き合い方みたいなんです。
過去、地獄トマトを食べた者は何人かいましたが、いずれもよい目には会っていないんですよ。
あるケースでは身体中の骨がもろくなり、寝転んでいる間も勝手に骨が折れていく痛みを味わいました。
あるケースでは痛覚が極端に鈍り、痛みに悩まされることがなくなって喜ぶのもつかの間、残りの五感すべてを奪われて不自由極まりない余生を送ることになりました。
そして、あるケースではこれまでのその人とは比べ物にならない頭脳と運動神経を授かり、超人じみた貢献を数年続けたのちに急逝してしまいました。
その最期は、自分の体の穴という穴から、形を保てなくなった脳しょうを垂れ流すというもので。亡くなられたその人の頭蓋の中に、脳は残っていなかったそうなんですよ。
地獄トマトの激臭も、長くさらされたなら近しい症状をもたらす恐れもあるそうで。
手遅れなものでも、誰かしらは嫌な顔をして処分をしなくてはならないものなんです。