忘却の魔女『アステラ』
あるところにアステラという魔女がいた。その年若い魔女は陰気で気が回らなく、迫害を受けていつも一人ぼっちだった。
ある時、魔女は一冊の魔法の本と出会った。それは──禁術書だった。その魔法の本には様々な魔法の使い方が載っていたけれど、中でもアステラの目を惹いたのは『人に愛される魔法』だった。
正しくは自分を良い印象で覚えてもらう魔法であったが、周りの人たちが自分のことで頭がいっぱいになればきっと愛されるに違いない。そう思った魔女アステラは、自分のことを覚えてもらう魔法を使った。すこしでも自分を知覚している人たちの記憶を自分で満たしていく魔法だ。魔法の発動には悪魔と契約が必要であり、魔女はその魔法を使う対価に自分の残りの寿命の半分を差し出した。
人生の大半を不毛に生きるぐらいなら太く短く生きてやろうと思った魔女に迷いなどなく、悪魔との契約は容易く履行された。
それから魔女の人生は一変した。皆が彼女に夢中になり、魔女はすっかりそれを喜んだ。
嬉しい。人に愛されるとはこんなにも満たされるものなのか。わたしは今、皆に認められ、確かに生きているんだ、と生を実感させた。
その魔法は、魔女に確かな愛をもたらし、人生を幾許か豊かにしていった。
声をかければ自分が世界の中心となった。愛はここにあると、心も体も歌い踊った。
──しかし、魔女は途中からある変化に気づいた。魔法を使ってひと月も経たない頃だ。
魔法をかけられた者が、軒並み日常生活に支障をきたしはじめたのだ。
人が覚えられる事には限界がある。魔女の事で頭がいっぱいになってしまった者達は言葉を忘れ、食べることを忘れ、眠ることも忘れ、用を足す事すらもできなくなってしまった。全ての者が無気力になり、ただアステラの名を形骸的に呼ぶだけの廃人になっていった。
魔女は、この魔法が禁術である理由をようやく理解した。
そうして魔女はいよいよ苦渋の選択を強いられた。
周りの人たちに不幸になって欲しかったわけじゃなかった。
一緒に幸せになりたかったのだ。
──でも、それも叶わないと知った。
このままでは自分の勝手で周りを不幸にしてしまう。それどころか、どんどん廃人を生み出してしまい、きっと最後には手を下さずして殺してしまうだろう。
急いで魔法を解呪しなければならなかった。
しかし、けれど、それはもう一度あの孤独を選ぶという事だ。あの独りぼっちの寂しさを、もう一度味合わなければならないという事だ。
後悔しないかと問われれば魔女は口を閉ざしただろう。だがそれは人の幸せを蔑ろにしていい理由にならないという事も、彼女は知っていた。
魔女は捨て置いた本の山から禁術書を掘り出した。
しかし今の魔女の手元には、悪魔に払える対価がなかった。
悪魔は言った。お前の人生の半分をもうもらった。さらにその半分の寿命の半分となれば、その対価に価値などほとんどない。他の対価を差し出せ、と。
魔女は悩みに悩んで、人生で二度と魔法を使えないという制約を条件として、魔法を行使する権利を得た。
使用するのは当然禁術だ。初めてこの魔法の説明を目にした時、アステラはこの魔法が何のために存在するのか理解できなかった。魔女は著者が何故この魔法を後世に遺したのかに思いを馳せ、胸を締め付けられた。
同時に、孤独が癒やされた。時代を超えて同じ思いを持つ者がいることに幸せを感じた。……魔女は、最後の魔法を使った。
全ての人から自分を忘れさせる忘却の魔法。術者は友人や恋人、父や母でさえも。魔女は、全ての者から忘れ去られた。
──それから何年か経った頃の話だ。魔法学校に新しく教師が就任した。その魔女は魔法は一つも使えないけれど、明るくて優しい気配り上手な先生で、みんなから愛されていた。その魔女の名前はアステラ。魔法を後世へ遺す素晴らしさに感銘し、今度は自分がと思ったのが教師を目指したキッカケだった。