出会いイベント①
見上げれば雲一つない晴れ渡った青空にはひらひらと桜の花びらが散っている。
学院へ続く一本道の両脇には今日のこの日を祝福するかのように桜が咲き乱れ、その中をたくさんの生徒が歩いていた。おそらく新入生ばかりだろう。皆一様にピカピカの制服を身につけ、胸には青いバラのコサージュをつけている。
緊張しているのかいささかぎこちない動きで歩いている者、誇らしげな顔の者、楽しそうに両親と会話している者。
それでも見た限り、誰もがこれからの輝かしい未来を信じて疑わない目をしていた。
その中を私はゆっくりと歩いていく。
一歩一歩前に進むたび、どんどん足が重たくなっていく気がする。お腹の底で、グラグラと煮えたぎったマグマでも渦巻いているような心地で、胃もキリキリする。せっかくの入学式にも関わらず最悪の気分だ。
結局この1ヶ月、入学の準備でてんやわんやしていたのもあり、良い解決策は思い浮かばなかった。ゲームのプロローグ当日を迎えてしまったにも関わらず、である。
ふがいなさといたたまれなさで、だんだんとうなだれてしまう。
でも、それでも、この1か月全く何もしなかったわけではない。
今の私はきっと、絶望と希望を宿した目をしているのだろう。
***
「以上を持ちまして、入学式を終わります。1年生の皆さんは――」
その言葉を皮切りに、静かだった会場がどっと騒がしくなった。先生がまだしゃべっているようだが、全く何も聞こえない。まあこの後の流れは事前に説明を受けているため問題はないだろうけど。
何をそんなにしゃべっているのか気になって、教室に移動しがてら少し耳をそばだててみると様々な話声が聞こえてきた。
「カリオン殿下かっこよかったですわね。初めてお姿を拝見しましたけれど、すっとした立ち姿も凛と通ったお声もほれぼれしましたわ。はぁ、わたくしを皇太子妃にして頂けないかしら。そうそう、実はお話されているときにばっちりと目が合いましたのよ。こちらに向かってにこりと――」
前半部分は同感だけど、後半は気のせいじゃないのか。
たしかにカリオン殿下はすごくすごーくかっこよかった。そりゃ攻略対象キャラだし、あの容姿で文武両道で紳士的なんて反則過ぎる。
(でもあんな遠くの壇上から下で聞いてる人の顔なんて見えるわけないじゃん。
ほら隣の子も反応困ってるし)
などと考えていると、今度は獣人族と思しき二人組の話し声が聞こえてきた。
「なんで今日カリオン殿がしゃべってたんだ?主席だっけ?」
「いや、アイラ・フォン・ランカスターじゃなかったか?ほら、牙狼族の天才児って噂の」
「ああ、そういえばそうだった。じゃ、なんでだ?まさか寝坊―—」
そういえば確かになぜ殿下が新入生代表挨拶をしていたのか。魔道学院では基本的に主席合格者が挨拶を行うことになっている。ゲームでも毎回カリオン殿下だったが、聖属性のアイラが目立たないようにという学院側の配慮だろうか。
また別のところでは
「今の方見ました?なんて素敵なのかしら。猛禽族特有の鋭い目つきにどこか退廃的な雰囲気と綺麗な尾羽。毛づくろいして差し上げたいわ。」
などと、みんな好き好きしゃべっている。中には今日の晩御飯予想なんて入学式に全く関係のないものもあって少し楽しくなってきた。そうしているとあっという間に教室についた。
中を覗くと、1クラス80人なだけあって想像以上に広かった。高校の教室を想像していたものだからちょっとびっくりしてしまう。壇上の正面には横長の机が4つずつ扇状に設置されており、1つの机には5人ほど座れる。それぞれの列には段差があり後ろに行くほど高くなる仕組みで、教室というよりも講義室とか講堂のようだった。
まだ説明会までには20分以上あるためか人はまばらで、片手で数えるほどしかいなかった。受付で配られた資料によると攻略対象キャラは全員同じクラスのはずだったが、だれもまだ来ていない。あまり目立たないように前から8列目ぐらいの窓際に座っておいた。
外を眺めるとちょうど中庭だったようで、たくさんの生徒たちが和気あいあいとしている。コサージュをつけていないからおそらく在校生だろう。画面越しで何度も見た景色が寸分たがわず広がっていた。懐かしい見知らぬ景色を眺めていると、突然声をかけられた。
「すみません。お隣いいですか?」
少し高めのかわいらしい声だ。
突然のことにビクッとし、あわてて令嬢の皮をかぶりなおす。
「ええ、どうぞ。」
彼女の方を向くと、またもや仰天させられた。肩までのフワフワのストロベリーブロンドに真っ白な大きな耳。クリリとした大きな瞳はキラキラと輝いている。
まごうことなきメインキャラのシェラ・ラビ・ハウェイだった。
「え……」
思わず声が零れ落ちる。そんな私の困惑など知ってか知らずか、彼女はとなりに腰かけるとお構いなしにしゃべり続ける。
「ありがとうございます。実は私高等学院からの入学で。知り合いもいないものだから心細かったんです。実はさっきの入学式で2つ後ろに座ってたんですよ。すごくきれいな人だなって思ってて、ぜひお友達になりたかったんです。実はすごく緊張してたんですけどお話しできてうれしいです。
今まで一族の里からあまり出たことなくて知らなかったんですけど流道国はすごいですね。魔汽車とか魔車とか初めて乗りました。ボゥグルもすごく人が多くて建物とかもきれいで感動しました。私知らなかったんですけど、ボゥグルのホテルでは無属性魔法をかけて部屋を拡張してるんですね。ぱっと見それほど大きくないのに中はすごく広くて豪奢なのでもうびっくりしたんです。それではしゃいでたら、私ちょっと方向音痴なものだからホテルの中で迷子になっちゃって。どうしようって困ってたらスタッフさんが大丈夫ですかって聞いてくださったんです。もう感動してしまって。流道国の人はみんな優しんですね。私の一族では世の中は弱肉強食よ、あなたも独り立ちできるようになりなさいって言って迷子になっても全然助けてくれないんです。兎族の気質なのか獣人族の気質なのかはわからないですけど冷たいですよね。困ったときはお互い様って言葉があるぐらいなんだから助けてくれてもいいと思うんですけど。それで――」
何かめちゃくちゃしゃべってるけど驚きすぎて全く頭に入ってこなかった。ゲームにこんな展開あっただろうか。そもそもローズマリーとシェラ・ラビ・ハウェイはそこまで仲が良くなかったはずだ。高圧的なローズマリーにシェラ・ラビ・ハウェイがおびえているというのがよく見る構図だったはずだが、一体何が起こっているのか。頭が真っ白になって何も反応できない。
私が固まっていると、ようやくこちらの様子に気が付いたのか彼女が顔を覗き込んできた。
「大丈夫ですか?ごめんなさい、急にたくさんしゃべってしまって、私の悪い癖なんです」
申し訳なさそうに大きな耳がしゅんと垂れた。
(え、かわいい!さすが攻略対象キャラ)
場違いな感想を抱きながら、頭がようやく再起動し始めた。
「こちらこそごめんなさい。初日ですぐにお友達ができるとは思ってなくて感動してしまって。
名乗り遅れましたがローズマリ―・ライガードです。気軽にロージーと読んでください。」
そう言うと、一瞬びっくりしたような顔をした後、花がほころぶような笑顔で言った。
「シェラ・ラビ・ハウェイです。ご存じかもしれないですけど、シェラが名前でラビが一族名、ハウェイが家名です。シェラって呼んでください。」
そう言うとシェラはキラキラした眼差しを向けてきた。本当に小動物みたいだ。
「ありがとう、シェラ。それからため口でも大丈夫ですわ。クラスメイトですもの。」
シェラはまたもやびっくりしたような顔をすると、目をウルウルとさせてガバリとこちらに抱き着いてきた。
「ありがとう、ロージ~」
なんだか周りに見られている気がしなくもないが、シェラがかわいいので良しとする。そのままニコニコしながらシェラの頭をなでていると、ガラリという音と共に先生と思しき男性が教室に入ってきた。
気が付くともう説明会が始まる時間になっていたらしい。
さすがにこのままではまずいと思いシェラの肩をトントンと叩いて前を指さすと、シェラは少し残念そうにしながら席に着いた。
壇上の男性はぐるりと全体を一瞥すると、ゆったりとした落ち着いた声で話し始めた。
「私は今日から君たちDクラスの担任をすることになったラサール・ラサラサーレだ。よろしく。
主に魔導工学の魔導物質分野について研究している。君たちの授業では魔導工学理論などを受け持つことになる。クラスでの活動は――」
ラサラサーレ先生はブラウンの落ち着いた色合いの髪と瞳で、眼鏡をかけている。身長は少し高めで背筋をピシッと伸ばしている。黒地のズボンに白シャツがよく似合う先生だ。おそらく年齢はまだ30代程度。この若さで魔道学院で教鞭をとっているとなると相当優秀な人材なのだろう。
その後30分ほど説明は続き、昼休憩となった。
説明会では授業外での決闘や乱闘は停学・退学処分になると再三注意を受けたが、特に目新しい情報もなく、ほとんどゲームで知っている内容だった。
さてこれからどうするか。
昼休憩が終われば学院の案内があり、その後は特に何もない。昨日と今日が入寮日であるため忙しい者もいるだろうという学院側の配慮だった。私は昨日のうちにすべて終わらせてしまったため特にすることはない。学院の案内もそれほど時間はかからないそうだから、14時ごろからおそらくフリーだ。
ただし、私も別にやることがないわけではない。
何と言っても今日は、ヒロインとそれぞれの主要キャラとの出会いイベントがあるのだ。
バッドエンドを回避方法は思い浮かばなかったけど、情報がなければ対策を立てることもできないと思うことにして、まずは出会いイベントを観察することにした。準備はばっちり。
何せあのアイラのことだから近くでのぞき見するとバレる恐れがある。そのため少し遠くから観察できるようにわざわざ魔導眼鏡と音声伝達イヤリングを買いそろえた。
この魔導眼鏡はふつうの眼鏡よりもさらに遠くのものを見ることができ、倍率を自由に変えることもできる。音声伝達イヤリングはトランシーバーのようなもので送受信を同時には行えないが、今回は会話を聞くだけだから問題はない。しかも人の声以外のノイズをカットすることのできる機能までついている優れモノだ。幸いなことにイベントは全て屋外のはずだから。イヤリングを隠す場所はいっぱいあって、昨日のうちに下見も済ませて出会いイベントが起こる各場所に設置してある。あとは自分のイヤリングのチャンネルを切り替えれば会話を盗聴することができるという算段だ。
ストーカーのようでなんだか申し訳ないが、こればっかりは許してほしい。
お昼にもいかずに席にずっと座ったまま考え込んでいると、シェラが駆け寄ってきた。
「ローズ~、一緒にお昼にっ」
そしてべしゃっと盛大にこけた。
何もないところでこけるとはさすがシェラだ。顔面からこけたように見えたけど大丈夫だろうか。心配になって声をかけようとしたとき、シェラはガバっと飛び起きた。
「あはは、またやっちゃった。ロージー、一緒にお昼行かない?」
幸い特にけがはなさそうだった。ええ、一緒に行きましょうと言って食堂に向かった。
どうやらシェラは怒涛のようにしゃべるのが癖らしい。ゲームのシェラ・ラビ・ハウェイはこんなにしゃべるキャラだったろうかと不思議に思ったが、私の解釈違いか記憶違いだったのかもしれない。
シェラの感情豊かな語りは聞いていてとても楽しかった。
「それでね、私はずっと自分が無属性だと思ってたんだよ。家族みんな無属性だったし。そしたら入学試験で最適性は土属性だって出てね。家族みんな"えっ"てなって、本当にもうびっくりだったの。帰ってから試しに土属性の魔法を使ってみたら簡単に使えてびっくりしたよ~。無属性魔法の練習してた時は全然魔法がうまく発動しなくて大変だったの。めちゃくちゃ人生損した気分だった。そういえばロージーはたしか火属性?」
「ええ、そうですわ」
「いいなー、火属性。すごく花があって綺麗だよね。
ロージーはどんな魔法使えるの?」
「私は――」
そんなこんなでその後の学院案内も一緒に行動し、終了後もシェラに誘われていろいろな場所を見回った。楽しくてつい夢中になっていると、何か大事なことを忘れているような気がした。
なんだかもやもやする。
ハッと気がついて時計を見やると、出会いイベントがすぐそこにまで迫っていた。
「ごめんなさいシェラ、この後実は予定があって一緒に回れそうにないの。」
私が申し訳なさそうにそういうと、そういうとシェラはにこりと笑って言った。
「そうなんだ。私は大丈夫だよ。明日も明後日もあるし、時間のあるときにまた周ろう!」
ありがとうとお礼をいって、また明日と挨拶をすると、私は急いで予定していた場所に向かった。
(やばい、急がないと)
慌てていた私には、シェラのぼそりとしたつぶやきは届かなかった。
「ローズマリーってあんなキャラだったかな……」