斬るわよ!
「後ろ!」
身千以が叫ぶ。
「身千以、助けてー!」
同時に士鏡たちの背後から別の少女の悲鳴が聞こえた。
振り返ると視界に全速力で走る美少女の姿が飛び込んできた。
獣に追われているようだ。
彼女の着物は桜色。
髪は茶髪のショートヘアで頭上の左右で二つのお団子にまとめている。
背丈は女の子の平均よりもやや低い。
顔立ちは、身千以をクール系の顔立ちの美少女とすると、この子は可愛いらしい系の顔立ちの美少女だった。
「あの子、追われているのね、あれは魔獣【シルバーミツアシライオン】。強敵ね」
身千以の言葉に士鏡は焦る。
「俺には戦いづらい環境だ」
士鏡が吸血鬼化すればあの女の子を助けることはたやすかった。
だが、吸血鬼化したらライオン型の魔獣は倒せるが、その後【身千以とあの女の子】を【捕食対象】と認識して全裸にした上で吸血してしまうかもしれない。
そんなのは人間らしくない。自分も獣になってしまう、と士鏡は思う。
「俺はちゃんとした人間ではないが、それでも俺は獣になり下がりたくはない」
「よくわからないけど、大丈夫よ。あの魔獣は私が倒すわ」
身千以の言葉に志鏡は安心してうなずいた。
「任せる」
桜色の着物を着た美少女の背後からは立派なたてがみを生やした、前足が3本もついた獰猛な雄の魔獣が迫って来ている。
体毛の色こそシルバーだがその体型は明らかにライオンそのものだった。
ただし体格は動物園で見たものの3倍ほどの大きさだ。
追うものと追われるもの。両者の走る速度はライオン型の魔獣の方が速い。
両者が士鏡たちのいる場所にどんどん迫って来る。
「身千以、この魔獣に忍術はあまり効かないわ!」
追われている美少女は身千以と知り合いのようだ。
「わかった。知識が豊富なあなたの忍術が効かないなんて、今回の魔獣は強敵ね」
身千以は落ち着いた声でそう返し、スラリと腰の鞘から白銀に煌めく刀身を抜き放った。
その仕草はとてもクールだった。
身千以の身体中から殺気が迸る。
異能力を使わず、まさか生身の人間が刀一本で強化版ライオンと戦うのか?
と思いつつ、士鏡は息を呑んで様子を見守る。
ダンッ。
身千以が下駄で地面を強く蹴った。
――身千以の姿はもうそこにはなかった。
圧倒的な加速で身千以はライオン型の魔獣に急接近する。
遠ざかる彼女の後ろ姿はまるで精強な女剣豪のようだった。
右手に持った身千以の日本刀が夕日を反射してキラリと光る。
ライオンまでの距離はあと5メートルほどだ。
ライオンが凶暴な雄たけびをあげた。
「ヴおおおお」
「小都香跳んで!」
身千以が鋭く叫んだ。
「オーケイよ!」
小都香と呼ばれた追われている下駄娘は急停止して真上に高く跳んだ。
驚異的な跳躍力だった。伸長の3倍の高さは跳んでいた。
上空を舞う小都香は懐から二本のクナイを取り出して両手で握っている。
そして彼女は黒光りするクナイを、力一杯両腕で振り抜いた。
放たれた両のクナイが一息にライオンに向かって飛ぶ。
クナイは綺麗な流線を描いていた。
グサッ。グサッ。
二本のクナイは続けざまにライオンの右前足に刺さった。
ライオンがひるんむ。
ちょうどそこへ刀を水平に構えた身千以が走り込んだ。
「斬るわよ!」
ライオン型の魔獣は俊敏に反応する。
鋭い爪の付いた右足を勢いよく振り上げる。
そして今まさにそれが身千以の身体に向かって振り下ろされた。
ライオン型の魔獣の爪は身千以の胸を貫こうと真っすぐ進む。
しかしそれよりも先に身千以の日本刀がライオン型の魔獣の前足を切断していた。
ライオン型の魔獣は三本の前足のうち、右足と中央の足を失った。
ドゴッ。
鈍い音とともにライオン型の魔獣の2本の前足は目的を果たすことなく豪快に地面に落下する。
地面が鮮血で赤く染まる。
ライオンは後ろの足と合わせても今や全部で三本足だ。
バランスを崩して倒れても不思議ではない。
「ヴぉおお」
しかしライオン型の魔獣は倒れない。
それどころかバランスさえも崩さない。
ライオン型の魔獣は左前足と後ろ足だけで自重を支え続けている。
「そんな! 倒れてよ!」
ライオン型の魔獣の足を薙ぐ形で刀を振り払っていた身千以の身体には一瞬の隙が生まれていた。
その隙を野生の本能は逃さなかった。
無防備な身千以の首筋を狙い、ライオン型の魔獣の大口がたちまち開かれる。
鋭い牙が身千以の色白の首筋に迫る。
「やめろー!」
士鏡が叫んだそのとき、突然前方で強烈な『紫』の光が見えた。
光源は身千以の足元だった。
一瞬の出来事だった。
紫の光が見えると同時にたちまちライオン型の魔獣の姿は蒸発した。
ドサドサドサ。
光が消えた跡にはライオン型の魔獣の骨だけが、その場所に魔獣がいた証として地表に残った。
身千以が鋭い目つきで振り返る。
「巨大な力を感じたわ、士鏡、あなた一体何をしようとしたの?」
士鏡は首をかしげる。
「聞きたいことがあるのは俺の方だ。俺は何もしていない」
身千以は無言で士鏡の足元を指さした。
「うっ!」
身千以の方ばかり見ていたから気づかなかった。
何の冗談だこれは。と、士鏡は視線をさまよわせる。
身千以の指が示していたのは士鏡の靴だった。
黒靴の表面がほんのりと銀色に発光していた。
――どういうことだ?
なぜ俺の靴が光っている?
と、士鏡は身千以に向かって首をひねりさっぱりわからない、お手上げだと両手を肩の横に上げるジェスチャーを示した。
スタッ。
そのとき追われていた茶髪の美少女が骨の骸の隣に着地した。
彼女は俯いてじっと骨を眺めている。
身千以はそちらを一瞥したが再び士鏡の方に向き直った。
「士鏡、あなたは今確かに何か技を使おうとしたのよ。あなたの足元の光がその証拠。どんな技を使おうとしたのかしら? これはきっと【靴男】の異能力よ」
「わからない。本当に俺は何もしていない」
「あのさ!」
思いがけない、明るい声が聞こえた。
声を出したのは追われていた下駄娘だ。
確か名前はコトカといったはず。
と思い出しながら、士鏡はそちらに視線を移す。
彼女は茶髪でショートヘアの少しだけ小柄なとても可愛いルックスをしていた。
桜色の着物も彼女に良く似合っている。それが士鏡の受けた第一印象だった。
「私わかるわ。君は『靴男』の能力を発動しかけた」
「今、その話をしていたんだ。君も何か知っているのか?」
小都香はライオンの骨から離れてスタスタと歩き始めた。
彼女は士鏡に接近しようとしている。
なんだろう? そのまま彼女を眺めていた士鏡は完全に油断していた。
小都香が不敵に微笑む。
「でも『靴男』の能力って本当に強力なのかしら? 私たちがその能力に頼る価値があるほどに!」
小都香は着物の袖口からクナイを取り出した。
そして自分の右手の握力を確かめるかのようにぐいっとクナイを握る。
「待って!」
身千以がスタスタと小都香の方へ小走りで近づく。
身千以が小都香の手首を抑えた。
「待って。ダメよ。私が今知りたいのは彼がさっき何の能力を使おうとしたのか、それだけなの」
小都香は手首を握る身千以の右手をそっとほどいた。
「大丈夫よ身千以。心配しなくてもいいわ」
「ほんとに?」
「ええ、『靴男』の能力、私がちゃんと確かめるから!」
いきなり小都香は地面を蹴った。右手にクナイを持って士鏡を襲う気満々だ。
何が大丈夫なんだよ!
士鏡は小都香に内心でツッコミをいれていた。