つねり過ぎだ
「それより俺の足を解放してくれ。足を踏むな」
「ーー」
「おーい、無視しないでくれ〜」
「はッ」
気合のこもった声が放たれると同時に彼女は踏んでいた士鏡の足から下駄をどけた。
すると突然士鏡の履いていた青色のスニーカーが爆発した。
足元では靴の素材が色々とはじけ飛ぶ。
気が付くと士鏡の両足は裸足になっていた。
士鏡は冷静になろうと努力して、現状を分析する。
――裸足。どうやら俺の靴と靴下が突然消滅したらしい。彼女の目的がわからない。
彼女の表情から何か読み取れることがないだろうか。
そう考えて視線を向ける。
彼女はめちゃくちゃ当惑した表情を浮かべていた。
「あれ? どうして? わけがわからないわ」
かすれ声になっている。
士鏡は首を振る。
「わけがわからないのはこっちだ」
「そう、よね?」
彼女は困り果てて思考を放棄したかのような【キョトン顔】になっていた。
大きな目をパチクリと開け、艶のある薄い唇をポーっと縦に開けている。
典型的なキョトン顔だ。
謎が深まる。
「君は何がしたいんだよ」
士鏡の声が届いていないかのように、眼前では美少女がひとりでテンパっている。
小声で「どうして?」「どうしてなの?」と繰り返し呟いている。
「どうしてなの? 私が失敗した?」
「君の反応から察するに、何かを失敗されて俺は裸足になったということか?」
と士鏡は問いかける。
そのときだった。
ぼんっ、という音がいきなり足元で聞こえた。
同時に足元が黒く光りだす。
――やがて黒い光は収まった。
士鏡の足は黒い『靴』を履いた状態になっていた。
「どういうことなの、失敗ではなかった?」
「どういうことだよ!」
二人の声が重なった。
士鏡は自分の足元を指さす。
「俺は青色のスニーカーを履いていたはずだ。それがどうして黒のローファーに変わっているんだ? それにさっきなぜ俺は裸足だった?」
彼女はなぜか安堵の表情を浮かべていた。
いや、説明なしで俺置いてけぼり?
なんなんだこの子は?
と士鏡は思わずツッコミたくなった。
「おほん」
と彼女は咳払いをする。
「その、取り乱してごめんなさい。ちゃんと説明するわ」
「ああ」
「でも、話は歩きながらで構わないかしら。いつまでもここに居ては時間がもったいないわ」
「わかった」
山を下りて麓にでると見晴らしの良い視界が広がっていた。
正面奥の方には開けた平地が広がっている。
井戸が見えた。
茅葺屋根の粗末で古風な民家も点在している。
馬が繋がれている厩舎も発見した。
上空では小鳥の群れが伸び伸びと大空で遊んでいる。
細い通路の両側には青々とした水田が並んでいた。
士鏡は故郷の長野県よりも田舎だと思った。
ここには電柱もない。
本当の異世界のようだった。
異世界人の美少女が士鏡の方を向いた。
その顔は相変わらず綺麗だった。
「ここは忍者村の東地区のはずれよ」
「んっ?」
「私たちの背中側はただの山と森、その奥は魔獣の住む森。そしてこのまま前へ真っすぐ進めば村の中央街に行けるわ」
彼女は右手の人差し指で真っすぐ前を指さした。
示された先を見ると確かに景色のずっと先の一番奥の方には多くの長屋が密集しているエリアがあった。所々に寝殿造りの豪邸も見受けられる。
あれが村の中央街か。少し遠いな、と士鏡は感じる。
「ところで、大事な話なんだけど」
歩き始めてしばらくした頃、彼女の口調が真剣なものに変わった。
「あなたはこの村に必要な人。だから私はここに連れてきたの。あなたは靴男だから」
「良くわからないが、つまり、俺は【特別な人間】ということか」
「察しが良くて助かるわ」
「色々聞きたいが、まずはこの世界についてだ。この世界は本当に現実か。それとも幻覚か?」
彼女は少し呆れたような顔つきになる。
「この景色は本物。ここは現実世界。そこにあなたは転移してきた」
ふいに、強風が吹いた。彼女の綺麗な黒髪が風にたなびいた。
「言ってもわからないだろうけど、一応教えるわ。私の時空間転移の忍術で『異世界東京』からこちらに転移して来たの。この世界は『異世界東京』という場所と時空間でつながっているのよ」
「んっ?」
「つまり東京の裏側に存在している世界ということね。だから言語も似ているでしょ?」
「時空間? ここは東京の『過去』?」
「いいえ『時空間でつながっている』とはいってもここは東京の『過去』などではないわ。本当に東京と表裏一体になっている別世界なの」
「何もかも非科学的だ。納得したい。でも納得できない」
彼女は何かを思案するような表情を見せた。
「――そう。あなた、この光景が現実なのか幻なのか判断がつきかねているのね」
「そんな感じだ」
「わかったわ」
「えっ、何を?」
「これは暴力にカウントしないでね。必要なことだから」
彼女は無表情のまま手を伸ばしていきなり士鏡の頬っぺたを掴んだ。
そしてつねった。
「イタッ」
マジで痛かった。
つねり過ぎだ。
と、士鏡は悶える。
手を放した美少女は悪戯っぽい笑顔を浮かべていた。
「ね、現実でしょ」
「なんなんだ、今のは。痛覚を利用する現実確認の仕方なんて、原始的すぎる!」
すると彼女は素早くさっきとは逆の手で士鏡の反対側の頬をつかんだ。
「まだ現実かどうかわからないんだ?」
「ふぇ。わ、わかった。これは現実だ」
士鏡は慌てて認めた。
痛いのだから見えているこの光景は現実なのだろう。
現実ならつねられるとまた痛い。
ならば二回つねられる必要はない。全くない。
すべてを受け入れようと士鏡は決める。
「わかった」
「わかったのならいいわ」
満足そうな顔つきになると彼女はあっさり手を放した。
今度はすぐに士鏡が彼女の頰を掴んだ。
仕返しとして、自分がつねられた際と同じぐらいの強さでつねり返すつもりだった。
ところがつねるのがためらわれるほどつかんだ彼女の頬は滑らかで柔らかかった。
士鏡は仕方なく、予定の半分の力で頬をつねった。