1.とある聖女との出会い
「……キャァぁぁぁぁぁ!!!」
季節は春。閑静な朝の住宅街に、少女の悲鳴が響き渡った。
それは俺、新桔平が、例に違わず新学期を迎えた学校に行こうとして、マンションのエントランスのガラス扉を開け、二歩目か三歩目かを繰り出した時であった。
な、なんだ。
俺は瞬時にあたりを見回す。
このあたり、俺の家の周りは比較的治安は安定していて事件らしい事件が起きた覚えはない。それにまだ白昼堂々、というか天道様がてっぺんにすら到達していない。
そんな時間に、とも思ったが、ただその悲鳴はただ事ではなかった。
おかしい。随分と近くから聞こえたように思ったのだが、見える範囲には、何も、小鳥が二匹電線の上で歌っているくらいだ。
幻聴か? 随分と鮮明だったが。
どうにも釈然としないが、物音ひとつしない辺りには悲鳴の残り香のようなものは感じられなかった。
きっとあれだ、一ヶ月早めの五月病だ。
俺は考えるのをやめ、四歩目を刻もうとしたその時であった。
「と、止まってぇぇぇぇぇ!!!!!」
今度はさっきよりも随分近く、ハッキリと頭上か頭上から聞こえた。
は? 上?
呼応するように上を見上げれば、そこには、もう直ぐ上に金髪の少女の姿があった。
真っ白な衣を見に纏い、金色の髪とを、自由落下の風で揺らしながら、真っ直ぐこちらに落ちてきていた。
え…………?。
幻覚か、と思って目を擦ると、さっきよりも近い位置に彼女はいる。
このまま落ちてきたらどうなるか、そもそも彼女はどこから落ちてきているのか、そしてなぜ落ちているのか。
そんな一つも考える暇などなく、そもそも少女が落ちてくる速度が、俺の脳の処理能力を上回ってしまって。
「よ、避けてぇぇぇ!! ……………きゃあっ!!」
「……ぐあっ!!」
ドン!
それはもう凄まじく鈍い音を立てて、俺は少女ごと地面に叩きつけられる。反動で口から今まで出たこともないような音が出た。
走馬灯のようなものは見なかったような気がする。
もしかしたら気絶していた、のかもしれないが、俺にとっては直ぐ目が覚めた。
死をも覚悟したが、意外にも生きている。それもこれといった強い痛みも何もない。
何が、あったんだ。
物理的にも出来事的にもあまりに衝撃的すぎてわからないでいたが、胸にしっかりとした重みと、微かな温かさを感じて俺は跳ねるように体を起こした。
「お、女の子! ………死んでは、ないみたいだな」
体を起こすと、ずるりと胸の上から滑り落ち、ううん、と不快そうに唸りをあげる。
少女はどこかの修道女なのか、白に金の装飾がされた長袖の修道服を纏っており、外傷の有無は見て取れなかったが、見てもわからないので、とりあえず見よう見まねで意識確認をする。
「お、おい、大丈夫か」
長いまつ毛でぴっしりと閉じられた瞳は、声に反応して痙攣をした。
しかし、よく考えれば、下敷きになった俺が骨の一本も行かずに元気なのだ、大事はないのだろう。空から落ちてきたのだが。
そもそも、なんでこいつは空から落ちてきたんだ? というかどこから。
視線を落とし、彼女の顔、髪、そして服へ目をやる。
顔は、これを表現する最も良い言葉を俺は知っている。『まるで人形のようだ』
西洋人形のように白く、それでいて透明感を感じる陶器のような肌。瞑っていてもわかる大きな瞳に長いまつ毛、少し赤らんだ頬。
まるで誰かが作ったような顔である。
それを印象付けるのは、透き通るような金髪もそうだ。反射的に触れたくなるほど美しい髪は、おそらく腰ほどまでの長さがありそうで、今は地面に広がってしまっている。
そうして謎の金髪美少女シスターを物珍しくて眺めていると、瞼が痙攣し、重たげに目を開いた。
「おい、大丈夫か?」
「……いたた、なんでゲートが…………はっ!!」
頭をさすり、なんだかよくわからないことを呟きながら体を起こした少女は、俺と目が合うなり、何かに気づいたように飛び起きた。
そして一歩二歩、と俺から間合いを取ると、懐から鋭利なものを取り出して。
「魔王! 覚悟ぉぉぉぉぉぉ!!!」
「なっ!!」
鋭利な、おそらくナイフの類と思われるものを据え腰で構えたかと思うと、真っ直ぐこちらを目掛けて突進してくる。
俺はそれを間一髪で避けると、勢いそのまま彼女は玄関に衝突した。
「きゃっ!」
避けた、と思っていたようだったが、制服のブレザーの腹のあたりに真っ直ぐ切り込みが入ってしまっていた。
なんと鋭利な。
「ちょ、あぶねえ! 何しやがる!」
「………いてて。なんで避けるんですか、たんこぶできるじゃないですか」
「うるせえ!! こっちは殺されかけてんだよお前に! それはやくしまえって!」
「それは、無理ですっ!」
彼女の言葉、そして瞳には何か強い意志を感じるが、俺には全くといって心当たりなはい。
ここで自己紹介をするのもなんなのだが、俺はしがない高校生。少し変な部活に加入していることを除けば、成績もスポーツも友好関係に至っても、特出したものはない、至って普通の高校生である。
そんな俺が、どう生きても少女に殺意を持たれるようなことはないはずだ。それも金髪の降ってきた美少女に。
第一、彼女とはもちろんだが初対面である。
にもかかわらず、一度では諦められならしい少女は、少しして立ち上がると、また同じようにこちらにナイフを突き立て走り出す。
今度は構えていたこともあって、すんなりと避けれた。
「だからなんで避けるんですか!」
「なんで俺はお前に殺されなきゃなんねんだ! というかそもそもお前は誰だよ!」
「しらばっくれても無駄ですよ! あなたの血に刻まれています!」
「血? まじでなんのことだよ!」
「うるさいです! 死に際になってわんわんいうのはダサいですよ!」
懲りずに突進してくる。
慣れた俺はひらりと避ける。
「いてっ! ……もう、避けないでって言ったじゃないですか!」
「置いてくれって言ってるだろ!」
「私はあなたを殺すためにルビニアから来たんですよ!」
また突進を避ける。
三度目にもなると、体力がないのかよろよろとおぼつかない足取りになる。
今だ、と思った俺は彼女を無力化するために、同じように腰を落としてタックルをした。
「ナイフを置けって言ってるだろぉぉぉ!!」
「きゃあ!」
俺のタックルを受けて、細身の彼女は容易に吹き飛ばされ、ナイフも直ぐに手に取れないところまで、甲高い金属音を鳴らしながら転がった。
少女は仰向けに倒れ、俺は、勢いを殺せず彼女に覆い被さるように倒れた。
その構図は、言い訳のしようもないほどに『押し倒している』。
「いやぁぁぁ!! 私、私の清い体は今変態魔王に犯されます!!」
すると、先の落下してきた時のものに劣らない悲鳴をあげる。
「ちょ、生々しい言い方ためろ! お前がナイフを置かないからであってだな」
「『まずは水々しいその唇からだ』と私のファーストキスを奪ったあと、服を辱めを受けるようにゆっくりと脱がされるんです!」
「お、おい、だから違うって言ってんだろ」
「そして『小さいが、いい形をしているな』と言って、私の美しい胸を揉みしだいて、その指はお腹を這うように下に下に……」
しかし、俺の静止も虚しく少女の勢いは止まらない。
え、俺どうすりゃいいの?
俺は何をいうか困りあぐねて、とりあえずこれ以上の誤解を避けるために少女の上から体をどかした。
「ああ。神よ、私は今から純潔ではなくなってしまいますが、私の心は貴方様のものです」
なんか、本当にこちらが悪なような気もしてくる。
いっそのこと、このまま襲ってやろうか、と変なムキになったが、後のことを考えてやめておいた。
終いには祈祷を始めてしまった暴走機関車のような少女をどうするべきか、少し考えた結果やはりあの決断に至った。
「……いい加減話を聞けっ!」
「いたっ!」
鉄槌の拳を持って、頭に一つぽこっとやった。
すると流石に喚くのを止め、いつの間にか自分の上にいない俺の姿と、先ほどまで俺がいた場所を交互に見る。
そして、体を起こしたかと思うと、自分の身を抱いて一歩二歩と後退りをした。
今度はなんだ。
「も、もしかして、私にさせるつもり……」
「な訳あるか」
俺はもうコレを放って学校に行ってやろうかとすら考える。
なんで俺こんなに真面目に向き合ってんだ。
おそらくそろそろ行かねば遅刻をしてしまうだろう。だというのに見知らぬ物騒な少女にこうまで相手をしてやってる理由がよく分からなく……ああ、美人だからか。
こちらを警戒したようにクワッと開いた瞳は澄んだ青。まさに金髪碧眼である。
しかし、ここでそんなことを口走って仕舞えば、誤解が事実になりかねない。
ただ、放っておくのも誤解を残したままでは何か面倒なことになりかねない気もしてきた。というか絶対なる。なぜならば見た目から面倒ごとの種だからだ。
はあ、全く気乗りしねえ。
後のことを考えて、誤解を解くことにした。
「あのなあ、多分人違いだぞ」
こいつは、マオウだとかなんとか抜かしていた。
あいにく俺は魔王なんていう痛い二つ名を自称したことはない。
「人違い? あなた、変態魔王じゃないんですか?」
きょとんと、可愛い顔して言えばいいもんじゃねえからな。
「変態でも、魔王でもねえよ。というか、魔王ってなんだ、というかお前誰」
「ちょちょ、ゆっくり、ゆっくりですよ。会話は」
「お前が言うか」
流石にこれにはため息が漏れる。
綺麗なブーメラン軌道。先ほどまでの自分の姿を見せてやりたい。
「……それで、なんなんですか?」
「こっちのセリフだ!!」
「や、やるんですか! 可憐な美少女相手に!」
「くっ……!」
彼女の言葉に、流石に俺は握った拳を緩める。
これじゃあ人違いじゃなくなってしまうからな。
面倒ごとはこれ以上はごめんだ、スルッと片付けてサッと学校に行きたい。
ところで、さっきから、気になっていた。
こいつ自分のことを「美しい」だとか「可憐」だとか自画自賛が多くないか?
ちらっと目をくれると、どこか誇らしげで、鼻につく立ち方をしている。
どうもこちらを見下すような目線には、『さあ、貴様とは世界の違う美女なのよ。足でも舐めなさい、豚(完全に被害妄想)』と考えているに違いない。
すると、途端に腹が立ってきて、何か一発してやらねばこちらの腹の虫が収まらなくなってしまった。
俺はズカズカ、とにじり寄る。
反転攻勢に出た俺にびくんと体を揺らすと、そのままジリジリと後退りをする。
「な、なんなんですか、本当にやるんですか?」
「………」
「こんな、こんな美少女、に…………」
「………」
「や、やめましょう、争い事は良くないですよ、ね、ね?」
「気が済まないんじゃぁぁ!!」
ぐいっ。
やつの白く柔らかい頬肉をこれでもか、と握り吊し上げる。
「いはいいはひいはひ!!! ほへふ! ほへはふ!!」
そう言えばまだ名前も知らない少女は、頬が引っ張られているせいで情けない声を上げる。
「取れるか! というか、こっちは殺されかけたんだぞ、頬の一つや二つ取れたってトントンだ!」
「ほ、ほ、ほの、あふは!!」
おそらく悪魔、と叫んだのだろう。
なんだ、すごい優越感が俺の全身を走り抜ける。
これがいわゆるワカラ……おっと。
しばらくして、目に涙が滲んできたのを見て満足した俺は手を離し、ぱんぱんと手を払った。
「う、うぅ、やはり魔王じゃないですか。魔王じゃなくても滅ぼされるべきです」
若干赤くなった頬をさすりながら、ゴミでも見るような目を俺に向ける。
「それで、俺もう行かなきゃいけないんだが、まだ何かようなのか?」
ポケットからスマホを滑り出すと、時刻は、……見なかったことにしよう。まあ、遅刻は確定した、といったところか。
「まだ話は何も終わってませんよ!」
「俺は満足したんだけど………」
「………最低! 悪魔! この魔王!!」
「なんとでも言うがいいわ」
「くっ………」
形勢逆転。
ギリギリ、と歯を軋ませながら睨みつけられても何も感じない。
子猫の威嚇でも見ているようだ。
「………ここで言い争っていても意味がありませんね」
ここで少女は意外にも冷静な判断を取る。
一旦水に流してあげます、と言って一息ついた。
「確かに、貴方は魔王じゃないみたいですね」
「へえ、なんでわかるんだ? 確かに違うが」
「触れたらわかるんです」
「………じゃあ、殺しにかかる前にさわれば良かったじゃねえか!」
「…………うるさいです!」
こいつ、反論を諦めやがった。
「疑わしきは罰せよと言うやつですよ! 命の二つや一つ減ってもバレませんよ!」
「それで殺されかけた俺の身にもなりやがれ」
「知りませんよ、その辺でのたれ死ねばいいんじゃないですか?」
「言うじゃねえか、クソガキ」
「なんですか、またやるんですか? 今度こそは負けませんよ」
少女は俺のわずか後方にあるナイフに手を伸ばす。
俺はそれを遠くに蹴り飛ばした。それはもうすごく遠くに。
ま、俺の指紋がついてるわけでもないし。見つかってもバレないっしょ。
「ああああ! 王から賜った短剣が! どうしてくれるんですか!」
「うるせ、失くしましたすいませんって言っとけ」
「あれは、純ダークライトでできた無二なんですよ! そんなこと言えるわけないじゃないですか!」
勢いを取り戻したかと思ったら、また膝から崩れ落ちる。
そんなに貴重なものだったなら、売れば良かったな、と頭の中を過らせながら、今度は泣き崩れる少女を見ていた。
(数分後)
「…………死ね」
喋れるようになったかと思うと、涙で掠れた声でどストレートな殺意を投げつける。
それには少し罪悪感を感じたが、どうしようもない。
なぜならば、自分でも驚くほどに遠くまで蹴り飛ばしてしまったから、どこにあるのか一切見当つかないのだ。
おそらく、誰かさんの家の庭に突き刺さっていることだろう。どうか人には当たっていませんように。
「すまんな、一緒に王様に謝ってやるから」
「……いえ、大丈夫です。貴方を突き出すので」
おっと、俺はそれまでの命のようだ。
というか、というかだ、さっきから『魔王』だとか『王様』だとか『ダークなんとか』という知らない鉱石だとか、そして金髪碧眼に見たこともない服装。
全て触れずにいたが、もしかしてもしかすると、これから導き出される答えは。
「……お前、異世界から来たのか?」
「そう、ですけど。まあ実際には異世界に来た、と言うのが正しいですけど」
「え、まじ?」
「なんで急にテンション上がってるんですか」
「いや、異世界いてあれか? ドラゴンとか、魔法とかって!」
「はい」
「じゃあ、魔王ってあの?!」
「だから、さっきからそう言ってるじゃないですか」
おいおいおい。
マジかマジかマジか、異世界ってあったのか!
異世界からの来訪者、そして託される魔王討伐の使命!
お父さん、お母さん、産んでくれてありがとう。あと、仲良いのはいいけど今更弟とかいらないからね。
あまりにテンションが上がって、俺はその場に膝をついて天を仰いだ。
「……気持ちわる」
横で毒を吐く言葉で俺は現実に戻る。
「おっと、取り乱してすまなかった。それで、その異世界からなんで来たんだ?」
「さっきも言いましたけど、魔王を倒すためです」
「ここにいんのか?」
「おそらくは」
「その根拠は?」
「魔王が逃げたゲートを通ったらここに出たんです」
だから、俺を魔王だと勘違いしたわけか。
「魔王、見かけませんでしたか?」
「いや? 今日初めて会った人がお前だが」
「……おかしいですね、ゲートが途中で途切れるなんて聞いたことありませんし……」
何やらぶつぶつと呟き、懐から取り出した紙に何かをすらすらと、書き記していく。
それを尻目に見るも、何を書いているのか言語すら一切わからなかった。
やっぱりこいつは異世界人なんだな。
「……わかりました。では一度帰って情報を整理してきます」
「お、おう、そっか」
「はい、それと短剣の件を王に報告しなければなりませんので」
見逃してはくれないようだ。
では、とこちらに律儀に別れを告げると、何かぶつぶつと唱え始める。
その仕草はさながら魔法でも発動するかのよう。
生魔法観られるのか! 今日学校で遥に自慢しよ。
俺が固唾を飲んで見守る中、詠唱が終わったのか、腰を落として力を貯め始める。
何か、エフェクトが出ているようにも見えない。
魔法使えるやつにしか見えないのか? それとも魔法を撃つときにキラキラと光るのは空想の産物だったのか。
少し残念だったが、魔法さえみられればこれ以上に嬉しいことはない。
そんな俺の期待を背負って、少女は全力で地面を蹴り上げた!
……ズコッ、デン!
「……え?」
「……え?」
地面を蹴り上げた次の瞬間、そのまま空へ舞い上がるのかと思っていたら、タイルに足を滑らせ顔面から勢いよく転けた。
それを見ていた俺も、転けた本人も、そうなるとは思っていなかったのか、素っ頓狂な声が漏れる。
しかし、少女は詠唱を間違えたのか、と首を傾げながらもう一度試す。
が、やはり転ける。
少し体勢を変えて。
また転ける。
涙目になって。
また転ける……。
……
………………
…………………………
…………………………………………
「……痛いよぉぉおお!」
もう何度目だっただろうか。
額は擦りむき、鼻血が滲み、涙で顔がぐしゃぐしゃになりながら叫ぶ彼女を、俺はもう見ていられなかった。
流石に俺の善意が働いて、傷だらけの彼女の手を引いて自宅前に連れて来て、家の中から消毒液やら絆創膏やらを持ってきた。
「うぅ、痛い、しみる……」
「少しの我慢だ」
「うぅ、魔法、つかえない……」
俺は朝から何してるんだ。学校はもうすでに始まっている頃だというのに。
先生にはなんて言ったものか、怪我して泣いてた女の子がいたので絆創膏取りに帰ってました、とかでいいか。
ぐすん、ぐすんと体を揺すりながら泣く少女。
「……この世界って、魔法、ないんですか?」
「あ、ああ。多分そうらしいな」
まあ、こうなることはおおかた予想していたんだけどね。
「………ません」
「なんだって?」
「……私帰れなくなりうわぁぁぁあん!」
帰れなくなった、と言ったのだろうか。
確か彼女はゲートから来た、と言っていた。つまり、上空にそのゲートがあるようだがあいにく見えない。閉じてしまったのかもしれない。
そもそもそこまで飛んで行くことすらできないのなら、確かに帰れなくなってしまったのかもしれない。
どうしたものか。
巣から落ちてしまった雛は見守っておけ、と言うが、異世界に帰れなくなった少女の場合どうすればいいのだろうか。
だめだ、調べても漫画とかラノベとかしか出てこねえ。
帰れるようになるためには、魔法が使えるようになるか、あるいはあちらからもう一度ゲートが開くか。
つまり今はどうすることもできないっていう状態か。
加えて、この世界は非情なもので、戸籍のない人間は多くの不利益がある。まあまず住居を得るのは困難だろう。
するとダンボール式の家となるわけだが、魔王討伐軍の拠点がダンボールというのはどうなのだろうか。
おそらくこれは流れ的に俺がどうにかしてやることになるわけだが、そんなことよりも前に。
「なあ、俺学校行ってもいいか?」
「え。」
「いや、普通に遅刻だから早く行かねえと担任に殺されちまうんだわ」
「いえ、それは殊勝な心がけですけど、え?」
お前、さっきまで泣いてたんじゃないのかよ。それも鼻水とかで顔ぐしゃぐしゃにして。
「いや、それは泣き止みますよ。さっきなんて言いましたか?」
「いや、だから、学校行っていいか?」
「こんな私を放っておいて?」
「俺そういうタイプ苦手なんだわ」
「い、いえ、そいういうわけではなくてですね。帰る家もなければ寝泊まりできる宛もない人を、放って学校に行くんですか?」
「別に、死ぬわけじゃないだろ」
「魔物に襲われるかもしれないじゃないですか」
「そんな野蛮なものこの世界いねえよ。この辺じゃ猫が限界だ」
「それなら、男に襲われるかもしれないじゃないですか」
「それはあるかもしれないな」
「見捨てるんですか!」
…………コクリ。
「今! 今頷きましたね!」
「だあ、うるせえうるせえな! じゃあどうしろって言うんだ!」
「そ、それはその、あなたの家に泊めてもらったり、とか?」
「嫌だわ! まだ魔法とか使えるなら喜んで迎え入れたけど、今のお前魔法も使えないただの迷惑の種じゃん!」
「た、ただ、の、迷惑………」
「お前を泊めることで何かこっちにメリットがあるなら、考えてやらんでもないけどな」
すると、少女は少し考えるようなそぶりをし。
「………おそらく、この先魔王を倒したときに、英雄を窮地を救ったと言うことで確実に何かしらの報酬をもらえるかと」
………ほう。
「ちなみにそれはどんな」
「の、望む形で。……金の類かもしれませんし、称号かもしれません」
「………しょおおおがねええなあ。そんなこと言われたら助けないわけにいかないなあ」
騙されてくれて助かりました、とこのとき呟いたのを聞き逃したことを俺は一生後悔することになるのは、言わなくてもいいだろう。
「でも、俺学校に行かないとやばいから、話は後でいいか?」
「に、逃げるつもりですか?」
「逃げねえって、金くれるんだろ?」
「………はい」多分……。
「それに、ここが俺の家だから逃げようと思っても逃げられねえよ」
そう言いつつ、俺は屈んでカバンを拾い上げると、自転車のカゴに投げ入れる。そして自転車に鍵をさし、跨ったところで、少女が「あ、あの」と声をかけた。
「なんだ」
「わ、私はどこで待てば……」
「さあ、その辺で待ってればいいんじゃないか?」
まさかこいつ、家に入れろとか言うんじゃないだろうな?
興味本位で色々ぽちぽちしてたら、家が爆破して帰ったら更地になってました。なんてごめんだからな。
「そんなにかからねえから」
「ど、どれくらいで帰ってきますか?」
「さあ、日が暮れる前には戻るぞ」
「え………」
大体3時くらいに学校が終わって、今日は部活がないから、帰り着くのは3時半くらいだろうか。
今から数えて………わからん六時間くらいか? その間飯食わなくても死ぬわけじゃないし、弁当俺の分しかないし。
え、あの、と制止する声も虚しく、エレベータは迎えに来て。
「好きにくつろいでていいぞ〜」
「こ、この魔王〜〜〜!!!」