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ⅡーⅡ

 ランスールの中でもあまり治安のよろしくない歓楽街の外れにて、その安酒場『レッドテイル』はひっそりと店を構えている。如何わしい目的以外ではつかわれないようなホテルの地下というあまり良いとは言えない立地にもかかわらず、小さな看板がでているだけでこれといった営業努力をしていない。よく言えば隠れ家的な、悪く言えば単にやる気のない店であった。

 コンクリートが剥き出しになった階段を下りていくと、飾り気のない扉が客を無愛想に出迎える。CLOSEと素っ気なく書かれた掛札を無視してドアノブに手をかければ、その扉はあっけなく開かれるはずだ。営業時間など元々あって無いようなものなのだから。

 まさに猫の額のような狭い店内には、四つの席が並ぶカウンター席と小さなテーブル席が一つだけあり、ガス灯の仄かな光が昼夜問わず空間を照らし出している。バーカウンターにはこの店のマスターにして唯一の従業員でもある顎髭の濃い中年男性が年中無休の仏頂面でグラスを磨いていた。

 「いいんですか?」

 普段は滅多に喋らないマスターが不意に口を開いたことに驚き、物思いにふけっていたロアはポカンとした表情でマスターの顔を仰ぎ見た。

 「……なにがだ?」

 マスターは無言でカウンターの上に置かれたグラスを指差す。その中には琥珀色の液体がグラスに半分ほど残っていた。

 「温くなってしまいますよ」

 「あ……あぁ……」

 ロアはグラスを手に取り、その美しくも毒々しい液体へと視線を向けた。

 「氷を用意しましょうか?」

 「冗談はやめてくれ」

 面白くもなさそうに口元をゆがめ、ロアはその液体を一気に喉へと流し込んだ。煮えたぎるような熱が喉から胸にかけて広がっていく。だが、感じられたのはそれだけだ。美味いとも不味いとも感じられない酒の味に、もしかしたら自分は相当に酔っているのかもしれないなとようやく思い至った。

 「御大層な親族会議でお疲れなのでしょう。こんな時間まで飲んでないで少しは眠ったらどうです」

 ロアは鼻を鳴らし、その燃えるような赤い髪を掻き毟った。

 「別に疲れちゃいない。ただくそおもしろくないってだけだ」

 飲まなきゃやってらんねぇ。そう呟き、ロアは空になったグラスをカウンターの上に置いた。

 「そんなわけでもう一杯だ」

 やれやれといった様子で首を横に振り、酒の入った瓶をマスターは傾ける。グラスが琥珀色に染まりきるのとタイミングを合わせたかのように、『レッドテイル』の扉がゆっくりと開かれた。

 「随分と荒れてるじゃないか」

 マスターと目で挨拶をかわしながら店内に入ってきたその男は、ロアの隣の席に座ると開口一番に言った。

 「そういう呑み方は内臓に悪いし、なによりも高い酒に対して失礼だぜ」

 「この店にある全ての酒は俺の金で買い集めたものだ。俺の物をどう呑もうが俺の勝手だろうが、違うか?」

 「違わないさ」 

 カウンターの上に置かれたロアの酒を横からひったくると、そこに満たされた液体を男は一気に喉へと流し込んだ。熱のこもった息を吐き出し、そして言う。

 「だからこそこうしてタダ酒が飲めるわけだしな」

 再び空になったグラスを目の前に戻され、ロアはようやく男の方へと目線を向けた。

 「悪かったな、こんな時間に呼び出して」

 ロアの隣に座った男は、筋肉で盛り上がった肩を剥き出しにしたタンクトップ姿の大男だった。禿頭に太い眉といういかにもな強面であり、顎のあたりに刻まれた生々しい傷痕からも堅気の人間にはおよそ見えないだろう。

 「気にすんな。どうせ非番だったしな」

 禿頭の大男は豪快に笑いながら言う。

 「物騒な事件のせいで忙しいのは確かだが、古い友人と酒を飲む時間ぐらいは作るさ。飯の時間を削ってでもな」

 「なんならここで喰ってけばいい。サンドイッチくらいならすぐに用意させる」

 「そんなもん腹の足しにもならねえよ」

 禿頭の大男はカウンターの上に頬杖をつき、ロアの方に顔を向けた。そして訊く。

 「それで、今日はどうしたんだ?わざわざ俺を呼び出したのは、なにも酒の相手が欲しかったからってわけでもないんだろう」

 「その顔を見ながら飲む酒は不味いからな」

 かすかに浮かんだ笑みをすぐに消し、ロアは言う。

 「おまえを呼んだのはもちろん仕事の話をするためだ」

 「おまえが俺を頼るのは久しぶりだな」

 酒の追加が注がれたグラスを手に取り、禿頭の大男は眉を動かした。

 「それもだ、友人としての頼みじゃなく仕事ときた。先に言わせてもらえば、なんとも嫌な予感しかしねえ」

 「良い勘してるじゃないか」

 ロアの様子に何かを感じ取ったのか、禿頭の大男の顔から笑みが消えた。

 「おっかないね」

 ロアは数枚の写真をカウンターテーブルの上に並べた。その写真に視線を落とし、禿頭の大男は目を細める。

 「ほぉ、結構良い女じゃないか」

 そこに写っていたのは、おそらくランスール駅の構内から出てきたところだと思われる、赤いパーカー姿に白い髪が目立つ少女が豪華な黒塗りの車に乗り込むまでの豪華な黒塗りの車に乗り込むまでの連続写真だった。少女の視線が一度もこちらに向いていないところから察するに、おそらくは盗撮されたものだろう。

 「ちっとばかしガキ臭いのが玉に瑕ってやつだが。……ん?こっちの爺さんはおまえさんのところの執事じゃないのか」

 「そうだ」

 「……ってことは、このお嬢ちゃんはザロメ家の客なのか?」

 ロアは視線をカウンターの奥に向けたまま、どこか物憂げに口を開く。

 「客なのは間違いない。招かれざる……が頭につくがな」

 禿頭の大男は手にしたグラスを口に運び、それから深々と息を吐きだした。

 「なるほどな、俺なんかには想像もつかないくらいの面倒事ってわけか」

 「別に断ってくれても構わない」

 どこか投げやりにロアは言う。

 「厄介な相手だってことは間違いないだろうしな」

 「そうは見えないところが余計に怖いな」

 わざとらしく身震いして見せた後、禿頭の大男は言う。

 「一つ聞かせろ。この話はザロメ家の総意と考えても良いのか?」

 「いいや」

 あっさりとロアは否定した。

 「こいつはあくまでも俺個人からの依頼だ。兄貴はなにも知らないし、多分こんなこと望んじゃいない」

 ロアの表情に変化はない。だがその瞳の奥に一瞬暗い光が宿るのを垣間見たような気がし、禿頭の大男は少し困ったような笑みを浮かべた。

 「やれやれ、どう転んでも俺にとってはあまり嬉しくない話になりそうだな」

 「……悪い」

 「やめろよ、気持ち悪い。……で、どこまでやる?」

 ロアは少し考えるように間を置き、それから答えた。

 「相手の出方次第だ。ちょっと脅して帰ってくれるなら、それで構わない」

 「帰ってくれなかったら?」

 答えを初めから知っているようなその声に、ロアは鼻を鳴らして答えた。

 「いつも通りだ」

 一見すると笑っているようにも見える唇の端に鋭い犬歯を覗かせ、ロアは言う。

 「そいつが悪手であることは理解しちゃいるが、生憎と馬鹿な俺にはそれ以外に方法が思いつかねえ」 

 納得するように一つ頷き、禿頭の大男は席を立つ。

 「そんな馬鹿なおまえと長い付き合いだってことが、俺にとっては最大の不幸ってわけか」

 「だな、同情するよ」

 「OK、とりあえずやるだけやってみるとしよう。それで、そのお嬢ちゃんが今どこにいるかはわかるか?」

 そう尋ねられ、ロアは小さく声を上げて笑った。それは先ほどまでの苦笑とは違い、心底愉快だと言いたげな笑いであった。

 「そいつが傑作でな」

 禿頭の大男の顔に右手の人差し指を向け、笑みを浮かべたままロアは言う。

 「彼女は今、おまえの職場にいるんだそうだ」

 「……は?」

 ロアから詳細を聞いた後、禿頭の大男は呆れるように首を横に振りながらレッドテイルから立ち去って行った。

 その背中を見送った後、ロアはカウンターのグラスを手に取る。

 「もう一杯だ」

 そして琥珀色の液体が、空のグラスを満たしていった。 


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