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ⅠーⅢ

 毒々しくも美しい紅い花が咲いている。

 自らの血で赤黒く染まった掌を見下ろし、ロウ・ザロメは他人事のようにそんなことを思っていた。

 目線を上げ、鏡に映る自分の顔を見つめる。控え目に見ても顔色が良くない。かなりの量の血を吐いたばかりなのだから無理もないのだろうが、鏡の中の自分は随分と草臥れているように見えた。

 「……いつものことか」

 口元の血をハンカチで拭い、ロウは重苦しい息を吐き出す。

 吐血したのはおよそ二カ月ぶりのことだった。その点は別段驚くことでもない。幼少のころからずっとこんなことを繰り返していればさすがに慣れるというものだ。よくもまあこの歳になるまで生きてこれたものだと、これまた他人事のように考えながらロウは微笑んだ。

 「御当主様」

 洗面室の扉が控え目にノックされ、ロウは頬を引き締める。

 「皆様お揃いです」

 「ああ、すぐに行く」

 ネクタイを締め直し、紅く染まったハンカチをポケットにしまう。これは自分の手で洗濯をしなければならないだろうかと、これまた詮無いことを考える。

 「……集中しろ、当主殿」

 ここ最近の忙しさのせいか、それとも気苦労のせいか、どうにも頭がうまく働いていないようだ。つい余計な事ばかり考えてしまう。もしくはこれから始まる会議の事を想い少々ナイーブになっているのだろうか。

 鬱々とした気分を抱きながら洗面所から廊下にでると、屋敷に仕えるメイド達の長である中年の女性がロウを恭しく出迎える。

 「なんだか気恥ずかしいね」

 わざとらしくおどけて見せるロウに、メイド長はどこか気遣わしげな視線を向け、そして言う。

 「一つ意見をしてもよろしいですか?」

 さすがはロウが生まれるよりも前から屋敷に仕えているメイドなだけあり、主の顔色を瞬時に読み取るくらいはお手の物のようだ。負けじとロウも、面倒な話になりそうな空気を敏感に感じ取り、弱々しく微笑むことにする。

 「構わないよ。聞きいれるかどうかはわからないけど」

 メイド長はロウの顔をまっすぐ見つめてくる。おそらくは、そこに色濃く表れている不吉な色を観察しているのだろう。

 「食事をお取り下さい」

 「食事なら三食欠かすことなくとっているつもりなんだが」

 ロウは微笑みを絶やすことなく言う。ベッドの上からほとんど動けなかった幼少時代から、この類の笑顔を浮かべることは彼にとっては容易いことなのだ。

 「そういう意味ではございません」

 「そういう意味でないのなら、答えは否だよ」

 廊下を歩きだしたロウの数歩後ろにぴったりと突き従い、拒絶の意思にも怯むことなくメイド長は言葉を続ける。

 「ですがこのままでは、御当主様の体は弱っていくばかりです」

 「構わないさ。別に……」

 刹那、脳裏を過ぎる紅い記憶。鈍い頭痛、かすかに高なる心臓。無意識のうちに不快な音をたてそうになる喉を手で押さえ、ロウは無理やり言葉を続けた。

 「強くありたいわけじゃない」

 無駄に長く、無駄に華美な廊下を進んでいく。床に敷かれたふかふかのカーペットも、壁に飾られた高額な絵画ですらも、今のロウには色あせて見える。

 「御自分のお立場というものをもう少しお考えください」

 話がいつも通りの展開を迎えたことに内心うんざりしつつ、ロウは答える。

 「ああ……うん、そこが頭の痛いところだね。せめて後継ぎの一人でもいれば、皆の御小言を聞かなくても済むのかな」

 「お望みとあらば今すぐにでも縁組の用意をいたしますが」

 「おっと、これは藪蛇だった」

 豪華な造りの扉の前でロウは歩みをとめた。

 「残念ながら、その話はここまでのようだ」

 おそらくは芸術的なのであろう扉を見つめながら、ロウは深呼吸を一つする。

 「一体いつ振りだろうな。我が愛すべき一族がこの場所に集うのは」

 「おおよそ一年ぶりのことかと」

 「そんなになるか……」

 溜息と共に、思わず本音がロウの口から漏れだしてしまう。

 「気が重いよ。そんな大切な場で、今からしなければならない話の事を思うとね」

 メイド長はなにも言ってはくれない。ただ背後に控え、ロウが扉に手をかける時を待っている。

 「これが当主の辛いところ……ってやつかな」

 無駄に重い扉を押すと、物々しい音をたて、ゆっくりと開いていった。

 「やあ皆、待たせて……」

 室内に足を踏み入れた瞬間、柔らかな風がロウの頬を撫でた。視線をわずかに上げたロウは、こちらに向かって飛びかかってくる二つの影を視界に捉え、両腕を大きく広げる。

 「「おじさま!」」

 ほぼズレなく発せられた二つの声。首に巻きつくように抱きついてきた二つの小さな体をロウはしっかりと抱き止める。

 「おっと」

 キラキラした大きな四つの瞳が、ロウの腕のからこちらを見上げてくる。

 「おじさま、あのねあのねパティったらね」

 「おじさま、あのねあのねバティったらね」

 ロウに抱えられながらも忙しなく動き回り喋りまくる双子の女児。実の親でも見分けるのが難しいほどそっくりな二人だったが、ロウにはしっかりと見分け、というよりも嗅ぎわけが出来ていた。ロウの右腕にしがみついているのが一応姉になるバティ・ローディア、そしてロウの首に後ろから腕をまわしているのが妹のパティ・ローディアだ。

 「こぉら、おじさまではなく当主様でしょう」

 「「はぁい、ごめんなさいとうしゅさま」」

 「おじさまで構わないよ。久しぶりだね、サティ」

 「はい、お久しぶりです、お兄様」

 ロウの実の妹であるサティは穏やかに微笑む。少し前までは、育ちのせいかどこか世間ずれした面があるお嬢様のように思えていたのだが、しばらく見ない間に随分と母親らしさがでてきたように思えた。

 「御主人は息災かな?」

 「相変わらず仕事仕事で、私達の事はいつも放ったらかしですわ」

 言葉とは裏腹に、サティの顔に浮かんだ微笑みに影は見当たらない。大切にされているのだろう。妹婿殿の人柄をよく知っているロウはそんなことを思った。

 「大銀行の役員ともなれば忙しいのも無理はないさ。久しぶりに彼と話ができないのは残念だが」

 「ええ、あの人もそう仰ってました」

 ロウの足元で子犬のようにじゃれつきあう双子の頭を撫でながら会議室を移動する。巨大な円卓、悪趣味だと内心ロウも感じている大机の上座に立ち、居並ぶ面々の顔を見渡した。

 「叔母上、ご無沙汰しております。伯父上はそれほどでもありませんんが、双方ともご壮健そうでなによりです」

 ロウの父方の伯母であるクロア・セルースと、その妹婿であるシギント・カークへとロウは軽く会釈をする。本来ならばザロメ家の血筋ではないシギントにこの会議へと参加する資格はないのだが、彼の仕事面での功績が考慮された結果アドバイザのような形で親族会議への参加を認められていた。

 「ははは、健康すぎて少々太ってしまいましたがね」

 丸々と膨らんだ腹を手で叩き、シギントが豪快に笑う。

 「当主はいつお目にかかっても変わりませんな。相変わらずシュッとして、なんとも羨ましい」

 「貴方は単に食べすぎなのです」

 銀縁の眼鏡に手を当て、どこか狐の様な顔立ちをしたクロアが言う。

 「それでは太るのも当然というもの、いくら健康とは言えそれでは長生きできませんよ」

 「相変わらず義姉さんは手厳しい」

 そう言ってシギントはまた豪快に笑う。

 「メアリも、今日は良く来てくれたね」

 ロウから見て一回り歳の離れた従妹に声をかけると、椅子の上で縮こまっていたメアリ・カークがさらに縮こまり、蚊の鳴くような声で挨拶らしき言葉を口にした。人見知りな性格は相変わらずのようで、俯きがちな顔はいつも通り赤く染まっている。

 ザロメ家に連なる家系の中でもとりわけ濃い血を受け継いだ者達の集い。その一人一人に挨拶の言葉を掛けていったロウは、最後の一人、いかにも退屈そうな顔で円卓の上に足を投げ出して座っている赤毛の男へと顔を向けた。

 「まさかそれが正装というわけじゃないだろうな、ロア」

 乾きかけた血の様な色をしたレザーコートの襟元をわざとらしく正して見せ、ロウの実弟であるロアが口を開く。

 「長ったらしい挨拶の時間はもう終わりですかな、兄上」

 円卓から足を下ろして立ちあがると、大袈裟なくらい恭しくロアは頭を下げて見せた。

 「できましたらこの愚弟にも何か一言いただけましたら光栄なのですが」

 「おまえとは一昨日も逢ったろうに」

 ロウが微笑むと、ロアも口元に笑みを浮かべる。

 「それでも逢えてうれしいよ、兄貴」

 「ああ、私もだよ」

 お互い、少し照れくさそうに微笑んだ。

 「さて皆さま、御唱和願おう」

 ロウの声を合図に一同が立ち上がる。用意されていたワイングラスを手に取り、それを掲げた。

 「一族の繁栄を、我らが始祖に誓って」

 ロウの言葉を他の者達が復唱する。

 「われら栄光なる神狼の血脈、神の末席に連なりし者なり」

 復唱を終えた全員が席に座るのを確認し、しばしの間を置いてからロウは言う。

 「では、始めようか」 


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