終話:刺客との戦い(3)
「……頼むよ、イブ」
アゴをかく手を止めて、イブから視線を外す。視線の先には、相変わらず怯んでいるバーセク種と、驚きの表情に怯えの感情をにじませるレニーがいて。
僕は手に持つナタの柄に力を込める。クレシャを捨てたなんてほざいてくれたが。この流れであれば、その場所を聞き出すことも出来るはずだ。イブが僕の期待通りに動いてくれれば。
駆け出す。
狙いはもちろんレニーだが、そのレニーが頼ったのは無事であるバーセク種の一匹だった。
「く、くそっ! 行けっ! かみ殺せっ!」
手振りで合図して僕にけしかけてくる。バーセク種は慌てた様子で駆け出したが、すぐに足を止めることになった。
イブだ。イブが期待通りに動いてくれたのだ。
再びのご褒美チャンスと判断してくれたらしく、猛然とバーセク種に突撃してくれた。そして、バーセク種は同僚の二の舞はゴメンだと思ったようで、あっという間に尻尾を巻いて僕に背を向ける。
「や、役立たずが……っ!」
レニーは慌てふためいて腰の長剣を引き抜こうとするが遅い。
すでに肉薄していた僕は、肩口をレニーの胸元に思い切りよくぶちかましてやっていた。レニーは「がはっ!?」なんて悲鳴を上げて、仰向けに地面に叩きつけられる。
次はナタの出番だ。
すかさずレニーに馬乗りになった僕は、ナタの刃を首筋に押し付ける。
「クレシャの居場所だ。五体満足で帰りたかったら、さっさと吐け」
下品で粗野な男だが、肝は小さくないらしい。表情をひきつらせながらも、僕の脅しに嘲笑を返してきた。
「は、はん。バカ言ってんじゃねぇよ。んなことをバラしたら、俺がゲイルに殺されるじゃねーか」
さもありなんな返答だった。
確かにその可能性は大いにあるが、それはコイツの事情に過ぎない。聞き出さない選択肢なんて、僕には存在しない。
気は進まないが、指の一本や二本は切り落としてみせないといけないか。そう思ったところで、レニーの表情が何故か不意に凍りついた。
その視線は僕には向けられていなくて。何だと思って視線を追えば……って、あぁ、なるほど。
イブだった。
足は間違いなく魔犬であるバーセク種の方が早いからね。置いていかれて、仕方なくこっちに来たのかな?
興味深そうにレニーの顔をのぞき込んでるけど、何を考えているのやら。修羅場の匂いにご褒美チャンスでも見出そうとしているのかどうか。
とにかく、これはチャンスか?
コイツにとって、バーセク種を一蹴したイブは恐怖の対象のようで。これは使える。僕はあえて笑みを作って、レニーに語りかける。
「どうする? ドラゴンに生きながらはらわたを食われてみるか?」
レニーの恐怖を煽るには、このセリフは十分以上のものだったらしい。
「は、はぁっ!? い、生きながらって、ま、マジで言ってのかよ、それっ!?」
「お前たちのせいで日々の食費にも困ってるんだよ。お前ですませられるのならちょうど良いさ。とにかく良く考えてみろ。お前が吐かないのなら、僕は他のもうちょっと物分りの良いヤツにお願いするだけだからな」
イブがふんふん見つめる中で、いよいよレニーは恐怖によるものか顔を強張らせた。そして、
「……よし」
路上に立つ僕がそう呟いた時には、レニーの姿はもうどこにも無かった。二匹のバーセク種と共に姿を消していて、宿場町には静かな空気が戻っている。
逃げていったのだ。
十分な情報を聞き出せたと判断して放してやって。まさしく絵に描いたような脱兎の勢いで逃げ出したが、ゲイルに報告にでも向かったのだろうか? 冒険者から犯罪者にまで落ちぶれるわけにもいかないからなぁ。逃がすしかなかったけど、もうちょっとキツく脅しをかけてやった方が良かっただろうか。少しばかり悔いは残るが、まぁ、それはそれとしてだ。
僕の隣にはイブが座っていて。
そろそろご褒美があるはずと、ぐいぐいとのけぞって、僕にアゴの裏を見せてきていて。
とにかくコイツだよな。
僕はしゃがみこんで、心からの笑みをイブに向ける。
「イブっ! 良くやった! 良くやったぞ、お前はもうっ!」
ひたすらになでてやるのだった。アゴの裏も、腹側もわしわしととなでてやる。最後には、イブは仰向けになってグツグツと満足げに喉を鳴らしていて。ここまでくると僕もさすがに手を止めて苦笑だった。
「何だよ、お前。本当、犬みたいだな」
もっと撫でろと目で訴えかけてくるところも、実に犬っぽかった。僕はすかさずイブの要求に応えてやる。感謝の意味を込めてだった。コイツにはもう、いくら感謝してもしすぎでは無いのだ。
クレシャの場所を無事に聞き出すことが出来た。そのことへの感謝だ。イブがいなければ、もちろんこの成果は無かったし、レニーがほざいた通り、僕は片腕片足を失うぐらいの目には会っていただろう。
だから感謝しかなかった。ただ……あまり悠長にもしてられないか。
手を止めた僕に、イブは不満の視線を向けてきて。僕は苦笑で謝ることになる。
「ごめんね、イブ。でも、クレシャは怪我してるらしいから」
怪我をしたから捨てた。そうレニーは言っていた。今のクレシャが一体どんな状況にあるのか。それを考えると、胸がざわめくような感覚がある。一刻も早くクレシャを迎えに行きたいと、僕の頭はそれで一杯だった。
イブは未練がましく仰向けで見つめてきたが、何か通じる部分はあったらしい。
のそのそと体を起こして、向後をうかがうように僕を見上げてきた。
僕は再び苦笑だった。
本当に賢いな、コイツは。人間じみた賢さで、本当に魔獣の一体だとは思えない。
僕はイブの頭をひと撫でして立ち上がる。
「さて、行こうか」
とにかくだった。
クレシャを助ける。
これが今の僕の全てだった。歩き始める僕に、イブはトテトテと続いてくれた。




