第1話:追放前夜(1)
昔はさ。
ここまで険悪な仲では無かった気がするんだけどね。
「ぼさっとしてんじゃねぇ、カリスっ! とっとと働け!」
怒声を浴びせられて、僕は思わずしかめ面だった。ぼさっとしてんじゃねぇって何だよ。誰が一体そんなのんびりとしていたって言うのか。
怒声の主はゲイルだ。僕が所属するニ十人規模の冒険者パーティーのリーダー。僕と同世代の若手だが、勇壮な顔立ちと体格をして、武芸とリーダーシップにも優れた優秀な男だった。
メンバーからの評価は上々で、一部には熱烈な信者がいるほどであり。
僕もまた、彼のことは尊敬してはいたのだ。優秀でずば抜けたリーダーシップを持ち合わせていて。欠点はあったのだ。傲岸で傲慢でもあった。ただ、それだけのことだった。長所を陰らせるほどのひどい欠点では無かったはずなんだけど、それが今では……
あー、ともあれだった。僕はゲイルから意識を切り離す。現状に余裕は無い。驚異はすぐ目の前に迫っているのだ。
鬱蒼と大木がひしめき合う暗き森。その木々のすき間を縫うようにして、浅黒い肌をした亜人共が猛然とこちらに襲いかかってきている。
オークだ。
人類の敵たる魔性の一角。その性質はアリなどの社会性のある虫に酷似していると言われるが、武器を扱う程度の知性はあって極めて厄介だった。
すでに戦闘は始まっていた。
戦士が魔術師がヒーラーが。それぞれの役割を踏まえて、それぞれの立ち回りでオークに応戦している。
そして、もちろん僕もだ。
細い木の笛を口の端にくわえながら、隣にたたずむ相棒の背を軽く叩く。
「頼んだよ、クレシャ」
僕の相棒は決して「任された」 とは言ってくれない。でも、彼女は耳をそばだてることで僕に従う意思を見せてくれる。
クレシャは魔犬だった。
カーリッシュ=ブルーバック種。背中の青毛が特徴的な、手足の長い優美な魔犬一種。まだ品種改良の歴史は浅い。荒々しいところをかなり残しているけど、僕にはよく従ってくれている。
僕はクレシャの背中を撫でて、魔犬用のエンチャントを施す。軽度の身体強化のたぐいだが、無いよりははるかにマシなものだ。
その上で、木笛を一度鋭く鳴らす。クレシャの注目を集めたところで、僕は迫りくるオークの一体を腕を使って指し示す。さらに直線ではなく回りこめと腕を使ってジェスチャーをして。
行け、だった。
木笛で合図すると、クレシャは森の足場の悪さをものともせず、軽やかに走りゆく。
合わせて僕も続く。
腰の長剣を引き抜き、クレシャに気を取られたオークに肉薄する。
魔犬専門のテイマーらしい戦い方だった。魔犬に陽動を担当させ、テイマーがトドメを担う。
この戦法によって、だ。超一流のテイマーは、一人と一体で数十のオークを仕留めきるらしい。でも、残念ながら僕はその境地には無い。ただ、一体、二体であれば僕にも容易であり。
多分、悲鳴なのだろう。
無防備なオークの太ももの表を、僕は深々と斬りうがつ。オークは妙な叫びを上げて地面に落ちる。これでおしまいだった。
動脈まで断ち切った感覚があった。動けないことはもちろんだが、失血ですぐに鼓動も尽きることになるだろう。
とにかく一体。そして、クレシャが吠え声でオークが背後に迫っていることを教えてくれた。
すかさず木笛で指示を出す。ちょっとリスキーだけど、クレシャには飛びかかってもらって。そのスキに僕は、悠々と反転。クレシャを引きはがすことに夢中になっているオーク、その柔らかい脇腹だ。背後から、刃を横殴りでたたき込む。
効果はてきめんだった。崩れ落ちたオークはけいれんを残してすぐに動かなくなった。
これで二体。十分な仕事を果たした感覚があったけど、僕とクレシャの仕事はまだ終わらないらしい。
「おいっ! くそカリスっ!」
その乱暴な呼びたては、言わずもがなでゲイルだ。目を向ければ、暗い森の一角を険しい顔で指差していて。
なんだと思えば、そこにいたのはオークだった。どこから拾ってきたのか、そいつは手槍を何本も握りしめていた。
目的は明確だ。そのオークは片手で、手槍の一本を背負うようにして構えている。
あっと思った時には放たれていた。投げ槍だ。空気を裂く甲高い音が鳴り、手槍が糸を引くようにしてゲイルに迫る。
ゲイルもかなりの手練だ。他のオークの相手をしながらも、手槍の一投を長剣の腹で叩き落とす。だが、手槍のオークを相手するほどの余裕は無いらしく。
「おい、カリスっ!」
僕にどうにかしろという話のようだが……少し迷うのだった。
もちろんゲイルを助けるかどうかの話じゃない。助けのは当然として、その方法だ。昔のゲイルはともかく、今のゲイルだったらだけどさ。きっと単純に手槍のオークを撃退しろとは求めていないはずで。
今のゲイルの意にそってやるかどうか? 結論としては、それは否だった。テイマーとしては絶対に否だ。後でもめるのは分かりきっているが、それでも僕には選べない。
すぐさま走り出しながら、クレシャへと指示を出す。
オークへと向かわせる。そして2投目には……無理か。間に合わない。だったら、クレシャにはもうちょっとがんばってもらうとしよう。
クレシャは魔犬だ。ただの犬とは違う。膨大な魔力を持つ天然の魔術師だ。
指示を出し、クレシャはすかさず応えてくれる。クレシャの総毛が逆立ち、次いで空気に妙な焦げ臭さが立ちこめ。
雷火の閃鳴。
クレシャは雷撃を十全に操る。
今度の匂いは、オークの体からだ。肉と油の焦げる異臭がたちこめ、同時に低い悲鳴が上がり。
もはや投槍の余裕は無いらしい。火傷にうめくオークの首を、僕は余裕を持って斬り飛ばす。
どうやら状況は終わったらしい。
気がつけば、森から戦闘の音は消えていて。やれやれだった。僕は側に寄ってきたクレシャの頭をなでながら、ほっと一息をつく。
奇襲的なオークの襲撃だったけど、メンバーにはさしたる被害も無かったらしく。その点にただただホッとしたけど……安心してばかりもいられないか。
「カリスっ!!」
僕はうんざりと、その怒声の主に目を向けることになった。