09.ヒーローと帰還
その思鬼はゆっくりと藤原を締め上げ、命を奪っていく。足をジタバタさせながら苦しむ藤原の姿に思鬼は悦びの笑みを零す。その思鬼はこう見えて命の大切さを知っていた。どの命もかけがえ無いものであり、尊ぶべきものであると。しかしだからこそ、その命の終わりに見せる魂の輝きにひどく魅入られていた。徐々に抵抗が弱くなる藤原を見て、思鬼の気持ちは更に高ぶる。
「あア!終わル!そロそろ終わルんだネ!楽シみだぁ。」
思鬼の口からはよだれが垂れ、ポタポタと床に落ちてゆく。だが思鬼はとうとう我慢できず、一本の尾で藤原を串刺しにしようと考える。
「ゴめんネぇ、でももう俺我慢デきそう二ないわァ!」
そう言って尾を藤原胸の高さにまで上げ、狙いを定める。心臓を一突き、そして一瞬で散る命を見ようとした。
思鬼は尾の調節をやめ、突く動作に移ったその時。
「やめろよ。」
後ろから声が聞こえたと思ったら尾の動きが止まっていた。よく見るとその先端が何者かによって掴まれており、藤原にはギリギリで届いていなかった。
「オ、おマえェ!」
そこには先程まで瀕死の傷を負っていた赤城が立っていた。だが先ほどとは様子が明らかに違う。何故なら赤城は身体の所々が燃えていたのだ。
「どうしてェ!生きテいるのカなァ!?」
そう言いながら残り二本の尾で一斉に赤城の頭を目掛けて攻撃する。しかし、赤城はそれを空いているもう片方の手で軽々と掴む。そのまま藤原の方に回り込み、藤原を抱えて離脱する。余りにも早い動きで思鬼は反応出来なかった。
そのまま10mほど離れたところまで離れた赤城は腕に抱えている藤原の様子を確認する。意識は失っているものの息はしている。赤城は安心してそっと藤原を床に下ろす。そして赤城は踵を返し、再び思鬼の方に振り向く。
「....赤城さん、待って」
赤城は急に呼び止められる。藤原が意識を取り戻し、残っている力を振り絞って赤城に話しかける。
「藤原さん、助けるのが遅くなってしまいすみません。怪我は大丈夫ですか?」
「...はい、大丈夫です。首を締められただけですから。」
そんな藤原の首には手で締められた後がまざまざと残っている。赤城は拳を固く握る。
「ねぇ、赤城さん。...大丈夫ですよね?」
藤原は弱々しく言う。
「ああ、大丈夫ですよ。あいつは必ず倒しますから。」
赤城はニコッと藤原に微笑み、再び思鬼のもとへ駆けて行った。
「赤城さん、違うんです。大丈夫って言うのは、ちゃんと戻ってきてくれるかって意味で...」
だがその言葉は赤城には届かなかった。藤原は酷く不安に感じたのだ。赤城のあの目は生きて帰ってくるような人の目ではなく、自分の死に場所を探しているような、そんな目をしているように感じたからだった。
「しかシお前、なンで燃えテいるんダ?」
赤城の今の姿を見た思鬼は素直に質問した。だがそう思うのも無理はない。赤城の身体は所々燃えていた。しかしよく見ると燃えているところは先ほどの戦闘で傷を負ったところで、思鬼に殴られたことで潰された右目からも火が出ている。
『どうやら覚醒できたようだね、赤城くん』
セブンは赤城の横に着く。敵前とは思えない、落ち着いた口調で語りかけてきた。
「セブン、理解したよ、何故俺が覚醒できていなかったのかを。俺は自分の本心をずっと心の中で押し殺していたんだ。でも今なら分かる。俺の覚醒した本当の力、俺が望んでいた力とその使い方を。」
『さすがに今回は間に合わないと思ったよ。...倒せるかい?』
「あぁ、今の俺ならやれる。」
赤城がまとっている炎は赤城の意思と呼応しているかのようにいっそう強く燃えさかる。
「ナにをブツブツいっテるんだぁ!」
思鬼は待てず、再び三本の尾を使って攻撃を始める。
赤城はその攻撃を避け、尾が伸び切ったタイミングを狙い再び相手の懐に潜り込む。
「学習シねぇナぁ!」
思鬼がそう言った瞬間、伸び切ったはずの尾がUターンし、背後から赤城を襲う。赤城が意識を失う前と同じパターンの攻撃だ。しかし、赤城は後ろからの攻撃を躱すことなくそのまま受けてしまう。思鬼の尾は赤城の腹を再び貫通し、大量の血が噴き出る。
「ハハぁ!またシネ!」
思鬼が得意げに言ったその瞬間、顔に衝撃が走る。何が起こったのか思鬼が理解するには少し時間がかかった。だが続いて二、三と顔に衝撃が走り、ようやく赤城から反撃を食らったと理解する。
「痛くねぇんだよ。」
思鬼は赤城の顔を見る。そこに映っていたのは先ほどまで殴り倒されていた顔では無く、ひどく冷たく、死を覚悟した顔だった。思鬼は慌てて尾を赤城の腹部から引き抜き、数歩下がって距離を取る。まだそこまで反撃されたわけでは無かったが無意識に防御行動を取ってしまう。
だが赤城は間を置かず、そのまますぐに距離を詰め、反撃を行う。赤城の攻撃は先ほどとは全く違い、面白いほど相手に入っていく。赤城が次々と攻めていくうちにサンドバッグ状態になっていた思鬼は次第に恐怖を抱くようになる。
思鬼は考える。何故この男が急に強くなったのかを。確か先ほど致命傷を与えていたはずなのにここまで動けるはずが無い。だがどう考えても最初に戦ったときよりも強くなっている。先ほどまで全く当たらなかった拳はいともたやすく当たり、しかも一撃一撃が重い。何よりも異常なのは傷を負っても全く動きが遅くならないどころかどんどん洗練されて言っているところだ。まるで傷を負う度に強くなっているような...。
「お前の考えていることは大体合っているよ。」
「!?!?」
赤城の突如の発言に思鬼は驚く。まるで今考えていたことを見透かされているようだ。
「あんたの目を見れば分かるよ。目は口ほどに物を言うって言葉知らないか?」
そう言い、赤城は再び思鬼との距離を詰める。スピードは赤城の方が速く、一気にたたみかけようとしたが、思鬼の発するただならぬ空気に赤城は足を止めてしまう。
思鬼は不敵な笑みを零しながら反撃の狼煙を上げようとしていた。
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『しかし赤城君はこのまま覚醒せずに終わると思ったがとんだ希有な能力と一緒に覚醒したねぇ。まさに彼の望み通りの力じゃないか。』
セブンは戦場から少し離れた場所で赤城の能力の観察に徹していた。赤城の本当の望み、それは死を迎えること。彼は誰にも無い激しい自己嫌悪を感じており、常々死にたいと思っていた。長年その思いを心の奥底に封じてきたとはいえ、覚醒と共に彼の“嫌悪”という感情は能力になって姿を現した。
彼の能力、それは彼が傷つく度に加速度的に彼の身体能力が向上していくことだ。あの炎はあくまでエフェクトにすぎないが、彼の感情に呼応して炎の勢いが増しているように見える。
『彼の力の根源は”嫌悪”といったところかね...。人の感情というのは実に素晴らしい。ここまで強大な力を生み出すことが出来るとはね。やはり赤城君を選んだ私の目に狂いは無かったということだね。』
セブンは赤城と思鬼の戦いを見ながら得意げに独り言をする。その目はまるで活きの良い魚を見つけたかのような目だった。
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「くっクッく」
思鬼は不敵に笑う。何かを仕掛けてこようとするその空気に赤城は警戒して接近するのを止める。
「おメぇは強イよ。動きも速イし攻撃モ強い。傷つけレばその分力が上がル。だったらサァ、一撃デ仕留めリゃいいんダよ!」
そう言って思鬼は三つの尾を三つ編みをするかのように一つに束ね上げ、大きな一本の尾を作り上げた。その先端は変形し、何でも切れるような大きなブレードが形成された。
「なるほど、悪くない考えだな。」
赤城は身構える。恐らく次の攻撃が最後になるだろう。赤城の身体もとっくに限界を超えている。この赤城の力は自らの命を削って発動している。すでに致命傷を負っている赤城に残された猶予は少ない。
「あぁ、藤原さんとの約束果たせそうに無いなぁ。」
赤城は残念そうにつぶやく。赤城の後悔と言えばもうこれだけだった。せっかく人生で初めて女性と良い感じになったのに結局なんの関係にもならないまま終わるなんて。
赤城はふと藤原の方を向く。藤原は少し離れた、壁の所に腰掛け、不安そうにこちらを見つめている。そんな藤原の姿を見て、赤城はニヤリと笑う。
こんな死に方もありじゃないか。好きな女性を守って極限まで命を削り合って死ぬ。まさに俺が望んでいたことだ。
赤城は身体のあちこちで燃えていた炎を自分の右腕に集約した。これが最後の一撃になるのだから派手にかまそうじゃないか。元々燃えていたところからは血が更に噴き出し、ボタボタと床にたれる。赤城の命は加速度的に消費されていく。思鬼の方もその尾の大きなブレードを赤城に向けて準備が整ったみたいだ。
思鬼も、赤城も笑う。お互いこれが最後の一撃になることを予想している。数秒程か間が空いた。そして両者が動き出す!
決着は一瞬だった。動きの速さは圧倒的に思鬼が早く、そのブレードで赤城の胸を一突きで貫いた。思鬼は赤城の貫いた瞬間勝利を確信した、と同時に疑問を感じた。何故自分の方が速く動いたのか。先ほどまでスピードは圧倒的に赤城の方が上だったはずなのに。
「そりゃこっちは捨て身覚悟だったからだよ。」
赤城は血を吐きながら話す。負けた奴が今更何を、と思鬼は思ったが彼が右手に掴んでいる物を見た瞬間、言葉を失った。
それは思鬼の心臓だった。赤城の右腕は思鬼の胸部を突き破り、心臓をつかみ取ったのだ。未だその心臓は激しく鼓動を打っているが、本来の役目である血を循環させる先とのつながりはもうすでになかった。
「がはっ!」
思鬼はその場で血をまき散らしながら倒れ込む。一本にまとめられた尾はまた三本に戻り、へたりと床の上に落ちる。やがて思鬼の黒い鱗で覆われた身体が白く変色していき、ヒビが所々に入り始めた。
「あハぁ、こレが死かァ」
思鬼は笑いながら話す。胸に空いた穴からこぼれる血はとどまることを知らず、流れていく。だが思鬼の表情はどこか楽しそうにしていた。そして未だその場に立つ赤城の後ろ姿を見ながら楽しそうに語りかける
「なァ、めちゃクちゃ楽シかったヨ。やっパり現実ノ身体っテのはいイなぁ。」
その言葉を最後に思鬼の身体の白化、崩壊が一気に進む。もう下半身はすでに砕け散り、粉状になっていた。
「最後二感情ヲ..味わエて...良カった。」
その言葉を残し、思鬼は完全に砕け散ってしまった。そこに残ったのは人型に積もった白い粉の山だけだった......。
「赤城さん!」
離れて見守っていた藤原が赤城の元に駆け寄る。赤城はすでに変身が溶けており、ボロボロに破れたスーツを身にまとった状態でうなだれて立ち尽くしていた。藤原は赤城の顔を見て息をのむ。赤城は白目をむいており、身体のあらゆる場所から血が吹きこぼれていた。
「あぁ...赤城さん、お願い、死なないで...」
藤原は泣きながら持っているハンカチで血を止めようとする。当然、そんな物では止まるはずも無く、ただただハンカチが血の色に染まっていくだけだった。
「ねぇ、私まだあなたに言ってないの、私の気持ち。お願い、だから生きて...」
それから数分後、警官が突入しこの戦いは幕を下ろすこととなった。藤原と赤城は救い出されたが藤原が軽傷に対し赤城は重傷、生きているのか怪しい状態だった。赤城を身にまとう炎は少しずつ、少しずつ小さくなり、やがて見えないくらいまで縮んでいった。