07.ヒーローと激突
「ちょっと先輩!?いきなり抱え上げて何するんですか!」
赤城の腕に抱えられた藤原は不満そうに文句を言う。それでも赤城は藤原を離す気はなく、ひたすらビルの階段を降りていく。赤城はあの思鬼が姿を変えようとした時、危険を察し藤原を抱えてその場を離脱したのだ。そして3階ほど降ったところで一度立ち止まった。赤城はあの思鬼の追跡を警戒したがどうやら自分たちが逃げたことには気づいていないみたいだ。
「そ、それにさっき何人か吹き飛ばされていたんですけどあれはなんだったんですか!?何か変な人がいましたよね?とにかく警察に通報しないと!」
藤原がそう言ってスマホを取り出すと、赤城は慌ててそれを取り上げた。
「ちょっと!何するんですか!?」
藤原の警察に通報するという行動は正しい。ただそれが一般的な事件であれば、だ。赤城は警察が思鬼の前では何の役に立たないことを知っていた。この数日間、赤城が思鬼を倒してきた中で当然助けた人が警察を呼んでくれたこともあった。しかし応援にやってきた警察はことごとく思鬼に殺されていたのだ。すぐに銃を構えることが出来ていれば話は別かもしれないが、日本の警察は銃の扱いに慎重であり、状況確認をせずに銃を構えることはしない。そしてその一瞬が命取りになってしまう。
「藤原さん、ごめん。だけど警察にどうこう出来ることではないんだ。」
赤城の今まで見たことのないような真剣な顔に藤原は閉口する。
「赤城さん、もしかしてあの化け物のこと知ってるんですか?」
「…知っている。藤原さん、落ち着いて聞いて欲しいんだけど、俺はこの一週間ずっとあの怪物と闘ってきたんだ。」
突然の告白に藤原が沈黙する。
「ちょっと何言っているのかよく分からないです…」
藤原はなにか面白くない冗談を聞いたかのように苦笑いした。だがそんな反応をされても無理は無い。誰がいきなりこんな話を信じるだろうか。
「いや、信じてもらわなくても構わない。ただあの怪物は俺にしか倒せないし、警察を呼んで無駄な犠牲を出したくないんだ。」
本当に何を言っているんだこの人は。藤原は心底そう思ったが赤城の真剣な表情を見ると何も言えなくなってしまう。そこで藤原は最近ネットで話題になっている謎のヒーローのことを思い出す。町に怪物が現れたとか、それをヒーローが倒しに来たとか、嘘にも程があると思っていたがその話題が日に日に広がっていっていることは知っていた。もしかしてそのヒーローって…。
「藤原さん、俺はこれからあの怪物を倒しにいくから、その間に藤原さんにはここから下の階にいる人たちに避難を促して欲しい。ここまで来る間に飛ばした階は俺が避難を促すから。」
「え、ちょっとまってください!」
赤城は指示を出すと手早く上の階に上がろうとするのを藤原は急いで呼び止める。あまりの急展開に藤原はついて行けず、混乱する。ただ、これはあくまで勘であったが、藤原は何か嫌な気を感じていた。ここで赤城と別れてしまったら一生会えなくなるような、そんな気がしたのだ。
「ねえ、これが終わったら週末テニス教えてくれるんですよね?!約束しましたよね!?」
途中まで駆け上がった階段の上から見る藤原はやけに心配そうな顔をしていた。そんな藤原に赤城は優しく笑いかける。
「ああ、大丈夫!週末にテニス行こうな!必ずな!」
そう言い残して赤城は階段を駆け上がっていった。
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赤城達が飛ばした階は3階ほど。赤城は藤原と別れてからすぐに火災報知器を押し、オフィスにいる人達の避難を促した。そして赤城が藤原と別れてた階から二階ほど登り、3階、つまりあの思鬼が現れた階の手前の階まで来たところで赤城はある違和感に気がつく。先程までは階段から降りて逃げる人もいたが今は誰も降りてこない、それどころか物音すらしない。赤城は登る足を緩めて一歩一歩ゆっくり進む。
息を呑むほどの静寂。
…….ポチャン。
液体が落ちる音と同時に肩に何かが当たった感触がする。赤城は階段を上るのを止め、ゆっくりとその肩に当たったものを確かめる。それは赤黒く、濃い鉄の香りがする、血であった。そして赤城はその血が落ちてきた先を見ると先の階段から血だらけの人の手がはみ出ていることに気がつく。ただそこにはみ出ているだけの腕だが、その形が赤城にはまるでここまでおいでと招いているように見えた。赤城はその誘いに乗るかのごとく再び階段を上り始める。上る間に切断された腕、胴体、頭、おおよそ身体の一部と思われるものが階段の所々に転がっていた。そしてついに次の階まで登り切り、オフィスを見渡す。
死。そこには無数の死が広がっていた。灰色のカーペットが敷かれているオフィスの床は赤黒く染まり、むせ返すような血の匂いがオフィスを充満している。
「....うそだろ。ここには100人以上が居たはずなのに。」
あたりを見渡しながら進む赤城の足元に様々な人間の体の一部が転がっている。赤城は足元を見ながら中国に観光に行った時のことを思い出す。中国の食品売り場には様々な肉の部位がその形を保った状態で店頭に並べられていた。足、胴、耳、頭。特に頭部の死顔、あの死んだ目は今自分の前に転がっている課長の頭部の目とそっくりだった。
赤城は耐えられずその場しゃがんで吐き出してしまう。そして口を拭きながら考える。何故課長がこの階にいる?うちの部署は一つ上の階の筈なのに。
「おお!受け取っテくれたかイ?俺からノすてきなプレゼントぉ。」
赤城はゆっくりと顔を上げる。そこには黒い鱗を身に纏ったサソリの思鬼が立っていた。先ほど逃げたときと姿が更に変わっており、尻尾が一つから三つになったのと、額には二本の大きな角が生えていた。サソリの思鬼の周りには無数の死体が転がっており、どの死体も苦しそうな死に顔をしている。まるで死神だ、赤城はそう思った。
「...なあ、お前はまともに話せる奴だから聞くけどさ。」
赤城は立ち上がりながら言う。
「なんで人を殺すんだ。人がお前ら思鬼に何をしたって言うんだ!」
赤城は両手で拳を作り、胸の前でそれをぶつけ合う。ぶつかった手にはめられていた指輪が光り、赤城を赤い戦士の姿へと変えていく。
「人ガ何をシタかってぇ?ッはあ!意味わかんねェこト聞いてるんジャアねーよ!」
思鬼はそう言いながら三つの尾を伸ばし赤城に突き刺すように攻撃する。変身した赤城はそれを三本とも軽やかにかわす。そして攻撃してきたうちの一本を掴み、そのまま反対方向に円を描きながら振り回し、思鬼をぶっ飛ばす。飛ばされてた思鬼はオフィスの一番奥の壁まで飛ばされ、壁におもいっきりぶつかる。赤城は距離を取ったことで体勢を立て直そうとしたが息つく間もなく先ほど思鬼を飛ばした方から三本の尾による攻撃が繰り出される。あまりにも急な攻撃に赤城も対応できず、二本は躱せたが一本は右肩に直撃してしまう。
「ッくぅ!!」
赤城はその場から後ろに二歩ほど飛んで距離を取ろうとする。だがその間に思鬼はあり得ない早さで急接近し、更に一発腹部に拳を入れられてしまう。
「ごほっ!」
血を吐きながら赤城は床に転がってしまう。そしてその時に何故思鬼があれほどまでに早く移動できたのかを理解する。
あの三本の尾だ。投げ飛ばされてからの尾での攻撃の時にあの尾は反対側の壁に突き刺さり、そしてその突き刺さった尾を利用して自身の身体を凄い勢いで赤城のところまで引き寄せたのだ。さながらあの三本の尾は攻撃だけで無く、移動手段としても使えるようだ。
赤城は更に分析する。問題は尾の長さだ。オフィスは一フロア吹き抜けのタイプだが端から端まで40メートルはあるはずだ。にもかかわらずあの思鬼の尾は反対側の壁まで軽く届いた。あの尾の射程範囲がどこまでなのか全く見当がつかない。必然的にあの思鬼に近づくことも難しくなる。
「だけどそんなことも言ってられない!」
赤城は手を身体の前に構えてファイティングポーズを取る。赤城には接近戦以外の選択肢は無かった。赤城自身、遠距離の攻撃が出来るわけでは無く、唯一できる攻撃は蹴る、掴む、殴るなどの近接系だけだからだ。もしあの思鬼に近づくタイミングがあるとしたら三本の尾で攻撃して、尾が伸びきった時しか無い。観察していると思鬼の尾で突く攻撃は早いが、一度伸びきった尾を戻すのには多少時間がかかっていた。赤城はそう思い、尾の攻撃を躱しながらチャンスをうかがう。
思鬼の尾の攻撃は自在で、中距離では鞭のように尾をしならせながら攻撃し、離れると尾を伸ばして突いてくる。赤城はその尾で突いてくるタイミングを逃さなかった。三本の尾が赤城に向かって突いて行き、それを躱し、瞬時に思鬼との距離を詰める。赤城の拳が届くまでの距離になり、赤城が腕を振り上げたその時。
ザクッ
赤城の拳は思鬼の眼前で止まっていた。そして赤城は腹部に熱い感触を感じる。そこにはすでに躱したはずの尾が二本、赤城の腹部を貫通していた。
「ごぽ」
赤城の口から血があふれ出す。赤城は膝から崩れ落ち、そのまま俯せに倒れてしまう。ありえない、尾が伸びきった後にこんなに早くUターン出来るはずが無い。
「もしかしてェ、尾が伸びキル時がチャンスだトでも思った?ハハッ!そんナわけねーダロ!俺の尾はどこまでも伸ビ、瞬時に縮める事ができるんだよ!」
思鬼は得意げに笑う。尾を戻すタイミングを遅くしていたのはわざと隙を見せるためか、だとしたら相当頭の回る思鬼だと朦朧とする意識で赤城は考える。そして倒れている赤城から二本の尾を引き抜き、頭を片手で掴み赤城を宙に持ち上げる。
「お前さァ、聞いたよナ?なんで俺らが人間を殺すのかっテ。簡単ダヨ。今俺ガ宿ってるこの人間がそレを望んでいるからだよ!」
そう言いながら思鬼は赤城の顔面を殴る。
「オレらわぁ、人間の中にアる強い思イに引き寄せられルのさぁ!俺らガその人間に宿り、押し殺されタ願いを叶えル代わりにその身体を貰い受けルっていうわけサァ。」
思鬼は更に赤城の顔面を殴り、ついに赤城の顔を覆っていた仮面が剥がれてしまう。その剥がれた仮面から覗く赤城の顔は血だらけで、白目を剥きながら口から血を垂れ流していた。
格上すぎた、赤城はそう思った。現在進行形で思鬼に殴られ続けているがもはや痛覚を通り越して気持ちよささえ感じるようになる。さながらヘッドスパを受けている気分だ。
パコメキッ
嫌な音が脳内に響き渡る。どうやら思鬼に殴られすぎて頭蓋骨にヒビが入ったらしい。赤城は自分の脳から漏れ出してはいけない何かが漏れ出していっているような感覚に襲われる。薄れていく意識の中で赤城はその思鬼の後ろにふと人影を見る。
がんっ
何かが思鬼の頭に直撃し、思鬼の殴る手が止まる。そして思鬼が振り返るとそこには本を持った藤原がいた。
「もう止めてぇえ!」
藤原はそう言いながら手元にある物をどんどん投げつけていく。思鬼はその物が身体に当たっても全く動じず、しばらく藤原の行動の観察に徹した。藤原が息を切らしながら手元にある物を全て投げきると、思鬼は手に持っていた赤城をその場で落し、藤原の方に近づいていく。
「あハっ」
思鬼はまるで次のおもちゃを見つけたかのような無邪気な笑みを零す。藤原は近づいてくる思鬼に対して後ろに下がりながら手に取れるものを取っては思鬼に投げつける。
「赤城さん!立ってください!今のうちに逃げてぇ!」
藤原が必死に叫ぶ。だが脳に深刻なダメージを受けてしまった赤城にはもはやほとんど聞こえていなかった。ケガのせいで思考が酷く遅くなっている。俺は何をしているんだろう、赤城はそう思いながら半開きの瞳で天井を覗く。そこにはデザインのために描かれた線があったが血しぶきが飛んでおり、いい具合に天井の模様と重なり合っているせいか何かの新しい芸術にも見えた。
ちがう、そうじゃない。今はそんなことを考えている場合ではない。
赤城はなんとか意識を取り戻し、再び藤原の方に目を向ける。
藤原は思鬼に片手で胸ぐらを捕まれており、もう片方の手でゆっくりと服を脱がされていた。藤原は必死に抵抗するが、思鬼は子猫とじゃれているかのように軽くあしらってしまう。
赤城は傷ついた身体を引きずりながら腕だけで藤原の元へ前進する。そしてなんとか助けようと手を伸ばすが、その手は全くもって届かず、赤城は力尽きてしまう。
このままでは駄目だ、そう思った時、ふと視界の端にセブンが現れる。今の今まで全く干渉してこなかったのに何を今更。
『赤城くん、やはり負けてしまったね。』
…やはりとは何だ。
赤城は心の中で呟く。セブンは倒れている赤城にゆっくりと手を伸ばし、赤城の瞼を閉じさせる。まるで子供を寝かしつけるように。
『そりゃあ君では勝てないよ。だって、君はまだ...』
—-覚醒していないから—-
赤城の視野がどんどん暗くなっていき、意識が薄れていく。先ほどセブンから言われた言葉の意味を考えようとしたが、思考の全てが暗い渦の中に吸い込まれていくような、そんな感覚を味わいながら赤城はついに意識を失ってしまった。