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来訪者の欠片【2/2】


 「明日地球は喰われる」この事実を聞かされたとき、僕に出来ることはそう多くはなかった。


 たとえば、狼狽える。「そんなわけないだろ」と食って掛かる。掴みかかる。焦りのままに割ってしまう。


 しかし、僕にはそんなことは出来なかった。思ったよりも冷静だったのと、思ったよりも石ころの言っていることを信じることが出来てしまったからだ。


 今日の夜眠って明日の朝目覚めるまでは、これが夢である可能性も捨てきれない。いや、夢の中で眠って夢の中で目覚めることが出来る可能性があることを考えると、何があってもこれが夢である可能性は捨てられない。


 ただし、たぶん、現実であることを前提に考えた方がいいだろう。もし夢の中で何日も、何年も寝起きが出来るのなら、それはもう現実といって差し支えないだろうし。


「食べられたらさ、やっぱ、皆、死ぬかな?」


『星喰いに喰われた星の生物が生きてたって例は、聞いたことがねえけど』


「そっかあ。逃げるには、地球から脱出するしかないしなあ。どこのSFだよ。絶対無理でしょ」


 地球最後の一日、何をする? というありがちな質問文が目の前に振ってきたのだ。素直に自分の気持ちを言うならば、「いや、マジ、どうしよう」といったところだ。


 親や友人に「明日地球が喰われるんだよ! お金使い切っとこうぜ!」とか言ったところで、気が触れたとしか思われないだろうし、テレビ局に電話をかけたところで相手にされないだろう。


 今から何をすべきか少し考えたが結局何も思いつかなくて、僕は自分の椅子に座り直した。まだ読み終わっていない本があるのだ。


 しかし、これを読んだからと言って何になるのだろう。今更面白い本を読んで人生観が変わったところで、人生は終わるのだ。もし続きが気になって死にきれない本だったならば、むしろ読まないでおくのに。


 もちろん、学校の課題なんてやる気にはなれない。明日にはその課題も、提出先の教師も、提出忘れで怒られ呼び出されるはずの生徒指導室も全部、星喰いの胃の中だ。


 しかし、と僕は思った。世界でたった一人、僕だけが終わりに備えられるのは、ちょっとずるいよなあ。


 部屋の扉を開けると、階下から良い匂いが漂ってきた。今日の夕飯はハンバーグらしい。最後の晩餐はハンバーグか。僕の好物だ。しかし、たまたま好物が出てくるなんて、ラッキーかもしれない。


「ちょっと、僕、ご飯食べてくる」


『おう。何食ったところで、明日には喰われるけどな』


 ……笑えない。


 リビングの自分の席についたところで、僕はふと思い出した。


 そうだ、今日は僕の試合の日だった。今日の夕飯が僕の好物なのは、今日が僕の試合だったからだ。いつも、僕の試合の日は僕の好物が食卓に並ぶ。母なりの労いなのだろう。


 いつも通りに、いや、どことなくいつもより美味しいそのハンバーグを頬張り、姉と何気ない雑談を交わし、食べている最中に父が帰宅し、試合はどうだったのかと聞かれ駄目だったと答え、白飯を一杯だけおかわりした。


「あのさ、母さん、父さん。あと、姉さん」


 僕は、箸を並べて置くと、なんとなく改まって、そう声をかけた。母や父なんかは『急になんだ』という顔でこちらを見るが、姉に至ってはこちらを見ようともしない。姉の大好きなアイドルが今テレビで笑いをとっているのだ。


「いつも、ありがとう。普段はあんまり言わないけど、僕、みんな大好きだから」


 なんだか照れくさくなって、僕は音を立てて手を合わせたあと、食器を運んですぐにリビングを飛び出した。横目に、口をあんぐり開けて固まっている姉の顔だけが見えた。


 部屋に戻ると、少し後悔した。僕だけが終わりに備える行動をとってしまったからだ。それに、やっぱり照れくさいからだ。


 考えてみても、一晩で全生物が地球の外に脱出することなんて不可能だし、たとえば僕だけが脱出したところで生きていくことは出来ない。


 少し名残惜しいし、覚悟なんてまるで出来ていないが、いつも通りに明日を待つことしか出来ないのだ。


 願わくば、その星喰いとやらが地球を丸飲みにしてくれますように。ついでに太陽も、月も、銀河系を丸ごと飲み込んでもらって、星喰いの腹の中で自転と公転を繰り返せますように。


「……あ」


 そうだ、と僕は立ち上がった。


「石ころ、さっき『乱暴だ』って言ったよね」


『乱暴? 何の話だ?』


「言ったじゃん。言ったよ。そうだ、絶対に言ってた。『シュートが乱暴だ』って」


『シュート?』


「そう。僕、石ころを蹴りながらこの家まで帰って来たろ。最後にドアに向かってシュートをしたら、『乱暴だから危ない』って言って、空中で静止したんじゃないか」


『ああ、その話か。そうだよ、乱暴だったな、本当に』


「よおし」


『あ?』


 僕は、石ころを右手で掴むと、ウィンドブレーカーを羽織って部屋の外へ飛び出した。いつも玄関に置いてあるサッカーボールを足で掬い上げ、脇に抱える。


 外はもうすっかり夜の色で、思ったより寒かった。


 いつも僕がサッカーの練習をするのは河原だった。家が少ないので大きな音を出しても怒られないし、サッカーゴールに見立てるには少し足りないがシュート練習のできる壁もあるからだ。


 いつもの河原までランニングをしていくと、体は大分温まっていた。試合の疲れもあるので、体操はいつもより入念に行う。


『おいおい、あたしを連れてきてまでサッカーかよ?』


「蹴られたボールが喋ってくれるんだ。こんな良い練習方法ってないよ」


『練習してどうするんだ? 明日には死ぬってのに』


「明日死んだっていいんだ。今日よりサッカーが上手くなって死ねるんなら、それでいいんだ」


 自分でも、よく分からないけど。未来なんてないのに、未来のために練習をしようとしている自分が分からないけど。


 しかし、もし何も知らされないまま明日突然終わりがきたとしても、僕は「どうせ死ぬなら練習なんかしなきゃ良かった」なんて思わないだろう。「危なかった、死ぬ前に練習しておいて良かった」とでも思うんだろう。


「だってさ、石ころ。考えてみてよ。『どうせ死ぬから何やったって意味ない』なんて言ったら、僕らは一体何のために生まれてきたんだって話じゃないか」


 だから僕は気の済むまで練習するよ、と石ころに笑いかける。「ちょっとくらい付き合ってよ」


 石ころは少し間をおいて、『割らないでくれよ』と改めて言う。それはどうだろう、と僕は曖昧に応える。何しろ、今から行うのはシュート練習なのだから。


「よし、それじゃあ、石ころ、僕は今からあの角を狙うから、壁にぶつかりそうになったらあのときみたいに静止してくれよ」


 僕は、石ころをセットしながら、壁の右上を指さす。


『えっ、ちょ、危ないだろそれ、一歩間違えたら割れ──うおっ!』


 助走をつけ、右足を振り上げ、一気に振り切った。コン、と音が響き、石ころは綺麗な放物線を描く。狙った位置より少し高い場所で石ころはピタリと止まった。


『馬鹿野郎! ちょっとは心の準備をさせろって!』


「やっぱりちょっと高いんだよなあ」


 今日の試合でも、僕のシュートがゴールを超えてしまったことがあったことを思い出した。


「でも、低くって意識すると、低くなりすぎちゃうし」


『……お前、あたしの話を聞いてたくせに、何をごちゃごちゃ言ってるんだ? その乱暴なのを直せって言ってるんだよ』


「乱暴? 今のシュートは丁寧だったろ」


『丁寧だって? 今のが? あたしには、爆発寸前のダイナマイトを焦って適当に蹴っ飛ばしたようにしか思えなかったけどな』


「なんでダイナマイトとか知ってるんだ」


 これ以上丁寧に蹴ったら、もう力が入らなくてへろへろになってしまいそうなものだが。


『いいか、お前、ボールを運んでるときはいい感じなのに、最後は力が入りすぎなんだよ。もっと肩に背負ってるもんを下ろしてから蹴ればいいんだぜ』


「肩に……」


『何をごちゃごちゃ考えてるのか知らないが、もっと楽に蹴れよ。そうしたら、楽に飛んでくからよ』


 僕は何度も石ころをセットして、何度も蹴った。石ころは、足のここを使えだとか、腕の振りはもっとこうだとか、どうして人間の体のことがそんなに分かるんだと驚くほど正確なアドバイスをくれた。


 『どうせ明日死ぬのに』とはもう言われなかった。


 僕は、石ころを脇にどけて、サッカーボールをセットした。ドクン、と心臓が跳ねる。大丈夫。石ころで成功して、サッカーボールで成功しないわけがない。


 石ころは浮かび上がり、僕の目線と同じ高さでボールの行方を見守っていた。


 助走をつけて、軸になる左足に力を込め、右足を振り上げ、勢いのまま──肩の力を抜いて、楽に。


 ガッと良い音がして、ボールが飛んだ。カーブを描きながら、狙ったところにドストライクだ。今までより、スピードも速くなった気がする。それは気のせいだろうか。


「完璧だ……。すっごい! 凄いよ石ころ! 俺、こんな正確なシュート打てたのかよ!」


『へへ、あたしのお陰だろ』


「ああ。これで来月の試合は……あ」


 来月なんて、ないんだったな。


 僕は壁に当たって帰って来たボールをキャッチすると、その場に座り込んでみる。石ころは僕の隣で、何も言わずに浮いていた。


「星、綺麗だね」


 僕は思わず、石ころにそう語り掛けた。


 雲ひとつない空には、たくさんの星が輝いていた。幾千もの、とはいかないが、肉眼でもかなりの星が確認できる。


 ゆっくり夜空を眺めるのなど、いつぶりだろうか。


「あの星、石ころにとっては、おいしそうに見えるの?」


『うーん、あたしにとっては、地球が一番おいしそうなんだ。こんなに青くて、生物が生き生きしてて』


「褒められるのは嬉しいけど、食べられるんじゃなあ」


 僕がそう言うと、石ころは少し黙った。表情は分からないが、何か言いたそうにしている。


『あのさ、あたしは星喰いの歯の一部なんだって話をしたろ。あの続きなんだけどな』


 石ころはしばらく溜めて、そう言った。今更、それがどうしたんだという気持ちだったが、あまりにも深刻な声色だったので黙って聞くことにした。


 練習に付き合ってもらったのだから、話に付き合うくらいはしようと思ったのだ。


『前歯は使わないから柔いんだけれど、前歯が欠けてると格好悪いだろ。だから、星喰いはあたしを回収したいんだ。どうせ地球を食べるときにあたしも星喰いに戻れるから、大して気にしてなかったんだけど』


 石ころは、僕の隣から僕の目の前に移動すると、その場でくるくると回った。なんとなくそれは、女の子が自分の長い髪の毛を人差し指に巻き付ける仕草を想起させた。


『もしあたしが、地球が食べられるよりも先に星喰いの一部に戻ることが出来たら。そうしたら、“地球を食べるのはもうちょっと待ってくれ”って進言できるんだ』


「え?」


『あたし、地球が気に入っちゃったのさ。それから、人間が』


 放っておいたら地球は腐る。だから、食べごろは逃してしまったけど、しょうがないから今食べちゃおう。


 星喰いはそう決めたと聞いた。それが覆るなんてことがあるのか。


『人間って、あたしが思ってたより凄かったんだ。もしかしたら、腐敗を食い止めて、しかも、また食べ頃みたいな綺麗な地球に戻せるかもしれない。それまで待ってみる価値はある』


「石ころ、お前……」


『それにさ、あたし、友達を食べたりしたくないぜ』


 僕は思わず石ころを捕まえると、胸に抱えた。僕のことを友達と呼んでくれたことが純粋に嬉しかった。


『神経質なのに歯なんて抱きしめていいのか?』石ころは笑う。


「友達を汚い物扱いするやつがあるかよ」と僕も笑う。


 石ころは、僕の腕からスルリと抜け出すと、こつこつと頭を叩いた。


『それじゃあ、いいか。あたしを蹴って、星喰いの元まで返してくれ』


「ちょ、ちょっと待って。宇宙まで蹴っ飛ばせって? 無茶言わないでよ」


『大丈夫だって。あたしは自分でも飛べるから。ブレないエネルギーが欲しいだけさ。そうだな、よし、あの月めがけて蹴ってくれ』


 僕は、月と石ころを交互に見る。今日の月は満月とは言えなかったが、ふっくらとしていて、石ころよりはなめらかに見えた。昇りはじめたばかりの月はまだ低い位置で、真上に蹴るよりはマシか、と自分に言い聞かせた。


『今のお前の肩には、世界の命運とかいうとんでもない荷物が乗っかってるが、そんなもんは下ろして、楽に蹴ればいいんだぜ』


 石ころは、シュート練習のときと同じアドバイスをした。僕は頷き、石ころを地面にセットした。


「これでお別れだね」


『次会うときは、食べ頃だな』


「うーん、あんまり再会したくないな」


『友達なのに』


「この先ずっと離れていたって友達さ。うん、だから再会はなしだ。食べられたくないもの」


 助走をつけて、軸になる左足に力を込め、右足を振り上げ、勢いのまま──肩の力を抜いて、楽に。


 ガッと良い音がして、石ころは月へ向かって真っすぐ飛んだ。どこから自分の力で切り替えたのか分からないが、あっさりと月めがけて消えてしまう。石ころはもう見えなくなった。


 家に戻った僕は、学校の課題をすることにした。読んでいない本も読んで、人生観を変える体験が出来たらいいと思う。明日からもサッカーの練習を続けよう。


 そう、明日は来るし、未来はあるのだから。


 それから──、少しは、地球に役に立てるように生きてみよう。腐りかけと言われた地球を、おいしそうな地球にしてやるのだ。食べられたくはないが、『ほら、あたし、やっぱり人間ならやってくれると思ってたんだぜ』なんて、言わせてみたい友達がいるからだ。


 僕は椅子に座って、くるりと肩を回す。窓から見える星を見て、あんまり美味しそうではないよなあ、と思った。


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