六、マフィン Ⅱ
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「そういえば、兄上の話だったな。兄上は王妃様の子で私は妾の子だ。だから、私は兄上にとても嫌われていて、仲が悪い」
「王…じゃなかった渚さんは小さい頃からいじめられてたの?」
今も昔も妾の子がいじめられるのは変わらない。
「いや。兄上を産んですぐに王妃様は亡くなった。それで、兄上の後ろ盾がいなくなってしまったからいじめ はない。私は兄上よりも武術も文学もできるから嫌われてるってだけだ。あと、さんづけはやめろ」
「渚に王太子様が嫉妬をしたってわけか」
菜月は考えていたのとはだいぶ違って失笑した。そして、自然に渚と呼んだことには気づいてなかった。
「ああ、だから兄上は下町に行って女と遊んでる。政治への関心はゼロ、今は頭の中には女と金しかないバカ になった」
「国王陛下はなにもしないの?」
「色々したさ。時には父上自ら政治について教えていたはずだ」
「それは…。国王陛下は優しい方なんだろうね」
「とってもな。だが、兄上はことごとく父上の優しさを無碍にして女ばかり。ついに怒った父上が兄上に女と遊ぶ金を渡さなくなったんだが、王位継承権一位の兄上に取り入っておけば将来の身は安泰と考える臣下はごまんといるから、その臣下からもらった金で今も遊びに行っている」
菜月は口を開けば失礼なことを言ってしまうと思い何も言わなかった。
渚には菜月が驚いて絶句していると何も言わない菜月を見て思った。
「驚いただろう?そんな大バカな兄上が次の国王とはリゼイン国も終わりだ」
「渚はどうするの?」
「どうもなにも、私は王位継承権二位だからどうにもできんさ。兄上が国王にでもなったら、私は革命でも起そうかな」
「その手があったか。…でもそれって反乱になるからな…」
菜月は思案顔になっていった。
「おい、真に受けるな。私の臣下もそう言ってるが、この国を血の海にはしたくないんだ。兄上が心を入れ替えるか、王位継承権を私に譲るか、もしくは言いたくないが天国に行くかだ」
渚わ言いたくないと言っておきながら、表情一つ変えずに恐ろしいことを口にした。
「あと、一つ忠告しておくが、絶対に兄上には会うな。菜月は」
「女好きの王太子様に目をつけられるから?」
「それに、菜月は絶世の美女だ」
「渚もだけど」
「確かにな。兄上に万が一会ったら、げっぷでも屁でもこけ。兄上は下品な女は嫌いだからな」
「はい?できるわけないでしょ、そんな下品なこと」
「だろうな。私の婚約者とでも言っとけ」
「分かったけど、そんなこと言って大丈夫?」
「何がだ?」
「本気だと思われないかってこと」
渚は顔を赤くしたが、ついに堪えきれなくなって笑いだした。
「あはははははは」
まだ笑いの発作がおさまらない渚は大声で笑っている。菜月はムスっとして言った。
「なによ。私なんか変なこと言った?何がそんなにおかしいのよ」
渚はやっと笑い終わって息が整ってから言った。
「この城では、今まさにこの話の噂が流れてるだろうな」
「どうして?」
「あの侍女を見なかったのか?私がこんなに長く同じ世代の女と話すなんて珍しいからだとは思うが、『カマール国の高千穂公爵の娘は渚様の婚約者』っていうのはこの城では皆そう思っている」
「それだけで、あそこまで笑ったの?」
「いや、私から『私の婚約者』と言ってもいいと言ったのに、菜月は『大丈夫?』って聞いただろ?それがおかしくてな」
「ふーん。でも私渚の婚約者にはならないよ」
「何故だ?」
渚は極上の笑みを浮かべて(ただし目は笑っていない)言った。
菜月は内心ギクッとしたが、おくびにも出さずに言った。
「どうして?って当たり前でしょ。私は学生の間は恋愛もしない。したがって婚約者も作らない。それに渚とまだ二回しか会ってない」
「それだけか?私のことは嫌いじゃないのか?」
「どちらかというと好きな方。だってこんなに楽しくしゃべれるの渚と貴さんだけだもの」
「私と同じだな」
渚はマフィンに手をのばして、綺麗な手つきで、どこも汚すことなくマフィンを食べはじめた。
「おいしいな」
渚はお見合いの席で見せたようなその場が止まってしまうような笑顔になった。
菜月はその顔をガン見したまま息をのんだ。
「…っ」
「また料理長に作らせるか。―――どうした?」
固まってる菜月を見て渚が言った。
渚の声に我を取り戻した菜月はホッと息をつくと、
「作り笑いなの?」
と聞いた。
「何のことだ?まあ、作り笑いなんてお手の物だがな」
菜月は小さくため息をついた。あの笑顔を無意識のうちにやっているなんて一歩間違えれば救いようのない女
たらしになってしまう。
「菜月はあと何年で学生が終わるんだ?」
「あと二年。今は高等学校の一年生だから」
高等学校まである学校は少なく普通は中等部で終わりなのだが、菜月の行っている学園はお嬢様学校のため、挨拶の仕方から何まで 授業があるのだ。そのため、高等部まである。
「二年はちょっと長いな。どうして恋愛を学生のときはしないんだ?」
「勉強どころじゃなくなるでしょ。私は自分で言うのもなんだけど、美人だし、公爵令嬢。そこに婚約者待ちってことになったら顔だけでも見たいって人が続出で毎晩お見合いよ。そんなの体がもたない。お姉さまは両想いの人がいるからいいけど」
「お姉さんがいるのか」
「そう。私と同じくらい美人なの。お姉さまのお相手は長身で、えっと、五十嵐侯爵の三男だったと思う。三男だから、お父様の次の当主は五十嵐さんかな」
「つまり、菜月は嫁ぎ先に行くのか」
「たぶんね。家はお姉さま達が継ぐから」
「なるほどな」
渚はマフィンの2つ目を全部飲み込むと言った。
「菜月、私と付き合ってくれないか」
「…!」
「菜月?」
「…」
菜月は驚きで呆然としていた。やっとのことでしぼりだしたのは
「ど、どうして?」
という一言だけだった。
「どうしてと言われてもな。…菜月が誰かの婚約者になってほしくないって思ったからだ」
「はい?」
菜月は頭が回らなくなってきた。
「返事は?」
「それは…」
菜月は一分間考えてから言った。
「…私が学生のうちは…」
「どうしてだ?私だったら、リぜイン国の王子だから身分は申し分ない。家の人も賛成してくれるはずだ。それにリゼイン国の王子の恋人に色目を使おうなんて、カマール国の王族でもしない。だから、勉強の邪魔にもならない」
「でも、私はまだ婚約者はいらない」
「婚約者じゃない、恋人だ。だからもちろん一緒に寝たりもしない。キスくらいは許してほしいけどな」
菜月は渚の申し出にうろたえていた。
確かに渚は悪い人じゃない。一緒にいて楽しい。ときおり見せる笑顔にはドキッともする。
だが、恋人というのには抵抗があった。
渚の口ぶりからして、きっと軽い調子でいったから、私とのことを自分の中の小さな思い出にでもするのだろう。だたの遊び女だ。渚にとっては小国の公爵令嬢なんて、そんなものかもしれない。
でも、私にもプライドがある。遊び女になるつもりはさらさらない。
菜月は緊張したが、しっかりと渚の目を見ていった。
「お断りします」
「…」
「私にもプライドがあります。遊び女になるつもりはありません」
菜月はすっと立ち上がると、出て行った。
次回、よろしくお願いします。