12
「外の世界に、鯨を捜しに行こう……!」
南杏佳という小さな少女が、そんなことを言い出したのは、僕と彼女の退院が近くに迫った日のことだった。
その日も、この世界では激しいくらいの雨が降っている。こんな天気の日に、外なんか出れたもんじゃない。そう思い僕はいつものように、彼女の病室に向かってくだらない話をしていると、彼女は絵本を読む手を止めて、そう言った。
いつもはあまり話したがらない彼女を、僕は珍しく感じた。
「えっ?どういうこと……?」
僕は驚いてそう言うと、彼女はにこっと笑いながら言う。
「この世界は、いつも雨が降っているから、変なんだもんっ」
その彼女の言葉に、まだ子供ながら、今と似たような疑問を僕は持った。
「僕達が住んでいるこの街に、雨が降っているのは普通のことじゃないの?」
彼女は小さく首を振る。
「私が来た世界には、雨はたまにしか降らないよ……?」
「じゃあ、その他の日は?いったい空はどうなっているの?」
「この絵本みたいに、白い雲が自由に青い空を泳いでいて、まぶしく輝く太陽があるの」
杏佳が見せたその絵本とは、子供向けに作られた『あかずきん』だった。お花畑を歩く赤いフードを被ったかわいらしい描写の女の子が、森の影に潜んでいる不気味に笑う狼に気が付かないという、その表紙には、確かに青い空に白い雲が点々と描かれていて、その横には光輝く太陽があった。
「そんなの、御伽話だよ。現実ではありえない……」
僕がそう言うと、杏佳は頬を膨らませた。
「本当にあるの!私この目で見たもん!」
「じゃあ、どうやってそんなの確かめに行くの?」
僕はそう聞き返すと、彼女は言う。
「この世界とね、向こうの世界を行き来している動物がいるの。それに乗れば向こうの世界に行くことが出来るんだよ」
「……その動物って?」
「空を自由に泳ぐ、鯨だよ」
当時の僕には、にわかに信じがたいことだったが、言いだしたら聞かない彼女の性格を一番よく知っていた僕は「無理だよ!空飛ぶ鯨なんている訳がないよ」と言いながらも彼女に結局は押し切られるのだと、どこかで感じていたのかもしれない。
「だから今夜、一緒に探しに行くんでしょ?」
彼女は、ニッと笑って、僕に向かってそう言った。