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「ごめんね……急に……」
窓ガラスに雨と共にぶつかる風は、さらに激しさを増していた。目の前に杏佳に用意してもらったカップからは、紅茶のふんわりとした香りがする。
ソファ―に座っていた僕は、目の前の紅茶を口に運んだ。
「ごめんって、なんのこと……?もしかして、君に払わされたワッフル代だったら、僕は許したりなんかしないよ……」
僕の隣に、体を丸くして座る彼女に、僕は冗談を言う。
「ばか……。今朝のことだよ……。いきなり、皆の目の前で抱きついたりなんかして……」
あぁ、そんなことか……。もう、別に気にしてないのに……。
僕はそう思うと、彼女は僕の肩にそっともたれかかった。
「会えて、嬉しかったんだ……。もう、君に会うことが出来ないと、ずっと思っていたから……」
僕は何も答えることはなかった。
彼女は僕達の住む世界の人間ではない。地上と呼ばれていた所から来た人間で、僕達とは大違いの存在。
「ここの世界の人は、私が向こうの世界に帰っちゃう途端に、鯨のことや、私達と過ごした時間のことを全部、忘れてしまう……。それが、向こうとこっちの世界を結ぶ節理。
君も、もしかしたら私のことを、忘れてしまっているんじゃないかと、ずっと心配だった。あの日、初めて出会って、楽しく話した思い出が、全部泡のようにはじけて無くなってしまうみたいで、心が張り裂けそうなくらい、泣いた。あなたと、出会わなければ良かったと本気で思ってしまった……」
彼女はいったん口を閉ざした。その表情は、泣くのをこらえているようにも見えた。
そして、もう一度彼女は言う。
「あの頃の私はね、ずっと不安だったんだと思う……。何も知らない世界に降りてきて、私が帰ってしまったら、一緒に暮らした記憶、話した思い出が、全部消えてしまう人達に、囲まれて生活しているのが……。
この世界に落ちてしまった人は、いずれ向こうの世界に帰ることになるからね……」
杏佳は悲しそうな表情で僕に言う。
「じゃあ、なんで僕に会いに来たの?」
僕がそう言うと、杏佳はにこっと笑った。
「そんなの、決まってるじゃない。あなたが、この世界で初めてできた友達で、初めて、私のことを、好きになってくれた唯一の人だから……」
頬が熱くなった。そんな僕を見つめて彼女は言葉を続ける。
「ねぇ、あの日、あなたが言ったことの返事、今ここでしてもいいかな……?」
「なんだよ……?」
僕は杏佳に小さく聞き返すと、彼女は今にも泣いてしまいそうな表情で、
「やっぱりあなたが、一番好き……」
とそう言って、この激しく降る雨のように、、
彼女は泣いた……。