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苦手な方はご注意ください。

魔女裁判の朝に

作者: 渡瀬 ナギ

 つながる手と手。

 はずむ二人の吐息。

 重なり合う足音。

 魔女裁判の前日、少年と少女は村を逃げ出した。


「いいですか? 皆さん!」

 山間の村ハールンハイド。

 村の広場に人を集めて、その男は大演説を行っていた。

 銀色の鎧に赤と金の豪華なマントを羽織り、腰には青い柄の剣。

 彼は自分のことを『聖騎士』だと名乗った。最初は怪しんでいた村人たちも、彼の巧みな演説に、次第に耳を傾けていった。

「……つまり魔女というのは、この世界の邪悪な力が集まった恐ろしい存在なんです。人間の姿をした悪魔と言ってもいい! この村に来る途中でも、何人もの魔女と遭遇しました。幸いにも、魔女の力が完全に目覚める前に抹殺することができましたが、少しでも遅れていたらと思うと、私は恐ろしくてなりません!」

 聖騎士の話をまとめると、『この村にも魔女がいるかもしれない』というものだった。

 彼の言葉に、村人たちは動揺した。

「確かにそうだ……魔女をなんとかしなくちゃ……」

「なんて恐ろしい……」

「いったい、どうすればいいんだ!」

 聖騎士は村人たちの顔を見て、「安心しなさい」と穏やかに言った。

「明日の朝、魔女かどうかを確認できる道具がこの村に到着します。魔女裁判です! 正体さえつかんでしまえば、魔女を倒すことだってできます。しかし、道具が到着する前に逃げられてしまえば、正体をつかむこともできません。皆さん! 明日の朝までに、ある特徴を持っている人物を捕まえ、拘束しておいてください。その特徴とはつまり! 『若くて可憐な、黒髪の少女』です」

 村人の視線が、広場にいたひとりの少女に集まった。

 若くて、可憐な、『黒髪』の少女。

 この村に、その特徴にあてはまるのはたったひとり、少し前に東の国から移って来た彼女だけだった。彼女の名は、『ほのか』といい、まだ幼さを残す小柄な少女だった。やさしい笑顔の老婆にひきとられた彼女は、毎日けなげに畑仕事を手伝っていた。

「本当にすまないねぇ、ほのちゃん」

 しかしほのかはすぐに捕えられてしまった。

 彼女を捕えたのは他でもない、彼女と一緒に住んでいる老婆だった。

 ほのかのことを『ほのちゃん』と呼ぶその老婆は、やがて知ることになる。

 村人は全員、聖騎士に騙されているということを。

 彼は村人を広場に集めたとき、『誰を魔女に指名するか』ということを考えながら話していた。肌の色、髪の色、しぐさ、年齢……演説をする中で、『魔女に指名したら一番信じられそうな相手』を選び、魔女の特徴として宣言したのだ。

 宣言さえしてしまえば、『真実はどうであれ』、魔女狩りは簡単だった。一度燃え上がった疑念の炎は簡単には消えない。

 大切なのは悪を倒したという実績だった。

 権威というのは放っておけば風化してしまう。

 権威を守るために伝説は作られ、物語はねつ造され、人々のこころに刻みつけられる。その犠牲に散っていく命のことなど、聖騎士にはどうでもいいことだった。

(わたし……どうしたらいいんだろう……)

 村長の家にある古い蔵の中に放り込まれたほのかは、そんなことを知るよしもなく泣いていた。

生まれ故郷である東の国は戦争に巻き込まれて既になく、逃げ出す人々の流れに飲み込まれて家族とも離れ離れになってしまった。そしてようやく見つけたこの村でも、居場所がなくなってしまう。魔女かどうかを確認する道具で、『魔女ではなかった』という結果が出ることをただ祈ることしかできなかった。

 でも、それでも。

 もし『魔女ではなかった』という結果が出ても、この村に居続けることはできないだろうな、とほのかは感じていた。「本当にすまないねぇ、ほのちゃん」と言った老婆の引きつった笑顔に、ほのかを恐れる冷たい恐怖が透けて見えた。

「じゃあ、逃げればいい」

 それは少年の声だった。

 どこかで聞いたような声。

「誰?」

 顔をあげると、そこには茶色のハンチング帽をかぶり、襟付きのシャツを着た少年が立っていた。少し癖のある栗色の前髪が、ハンチング帽からのぞいている。

「……街の人……?」

 東の国から流れてくる途中、とても栄えていた大きな街で見かけた人の服に似ている。

 自分とは違い、洗練された優雅さを漂わせるその少年にほのかは少し惹かれた。

 国を出たときの黒い装束をつぎはぎで使い続け、背が伸びたせいで丈が短くなってしまった自分の服とは大違いだ。

 でも。

「どうして……?」

 蔵は外から鍵がかけられ、誰も入ってこれないはずなのに。

 ひょっとして、街の風と一緒に来たのだろうか。

 そんなことをほのかが思っていると、その少年はいたずらっぽく笑った。

「鍵のことか? 最初から開いてたぜ? 誰かが開けてくれたのかもな」

 確かに少年の背後にある蔵の扉は、少しだけ開いていた。

「俺はあんたの味方さ。このままだとあんたは明日の朝、魔女裁判にかけられて死んじまう。俺はそれを防ぐためにやって来たヒーローってところかな」

 得意げに話すその少年の横顔を、ほのかは眉を寄せてじっと見つめた。

 嘘をついている様子はない。

 でも……。

 信じていいんだろうか、初めて会った、この少年の言葉を。

「な、なんだよ。そんなにじっと見て……。逃げねぇなら俺は帰るぜ。こう見えても、ヒマじゃないんでね」

 ほのかの視線に気がついた少年は、すこし頬を赤くしてそっぽを向いた。

「……蔵の外は、どうなってるの?」

 確かめなければ。

 この少年を信じるにせよ、信じないにせよ。

 老婆に捕えられ、蔵に放り込まれた後、村の様子がどうなっているかを。

「あの野郎、村の連中には家の中で静かにしてろって言ってたぜ。だからいま、外には誰もいない」

 見てみろよ、と少年はほのかを手招きした。

「……本当だ」

 扉のすき間からのぞき見てみると、確かに外を出歩いている人は誰もいなかった。

「逃げるならいまだ。魔女裁判なんて、いい加減なものだぜ? 受ける意味なんてねぇよ」

 その少年は語った。

 魔女裁判は全部嘘なのだと。

 一度目をつけられたが最後、その命が尽きるまで、徹底的に拷問されるだけなのだと。

 ほのかの身体が恐怖で凍りついていく。

「じゃ、じゃあ……やっぱり……」

 もう、この村に居場所はない。

 穏やかで、安らかな日々も。

 各地を転々として来たほのかにとって、それは何よりも大切なものだった。

「さぁ、決めるんだ。ここに残って朝を待つか、それとも俺と一緒にここから逃げるか」

 少年の言葉に、ほのかは目を伏せる。

 決めなくちゃいけない。

 これから先の自分の運命、その進む道を。

「……わかったわ」

 しばらく考えたあと、ほのかはうなずいた。

 逃げよう。

 大人しく待つなんて嫌だ。

 自分を裁く、魔女裁判の朝なんて。

「俺はコウ。あんたは?」

「わたしは……ほのか。紅蓮ほのか」

 二人は、蔵から静かに逃げ出した。

(よぉし! 計画通りだ……! 逃げろ逃げろ!)

 蔵の近くの茂みの中。

 森へと消えていくほのかの背中を、聖騎士がニヤニヤしながら見つめていた。


「この森を抜けて、東へ行こう。街まで行けば、なんとかなるさ」

 コウと名乗ったその少年は、ほのかの手をとって森を奥へ奥へと進んでいく。

 ほのかは思い出していた。

 初めてこの村、ハールンハイドへ来たときのことを。

 街では誰も助けてくれず、行くあてもなく山沿いの森を歩き、いま一緒に住んでいる老婆に助けられた。あれからまだそんなに日も経っていないというのに、もう村を出ていかなければならないなんて。

 畑仕事を手伝ったときの老婆の嬉しそうな顔が頭をよぎる。

「どうして……? どうしてここにおるんじゃ!」

 それは老婆の声だった。

「あの蔵には、鍵がかけられていたはずじゃ……なぜここに!」

 一緒に夕食をつくり、子守唄を歌ってくれたあの老婆のかすれた声が、悲しみの色を帯びて響く。

 ほのかは愕然とした。

 森の中、自分たちの目の前に、あの老婆が待ち構えていた。右手には鋭く研ぎ澄まされた小型の斧が握られている。小型とはいえ、それは人間の頭を割るには十分な大きさだった。

「おばあ様!」

 違うの、わたしは魔女なんかじゃ……そう言いかけたとき、笑いをこらえる男の声が聞こえた。

「クックック、見苦しいぞ!」

 ほのかの背後にあの聖騎士が立っていた。

「鍵のかかった蔵からいったいどうやって逃げ出したんだ? お嬢ちゃん」

 男はニヤニヤしながら、腰にさげた青い剣を抜く。

 鋭利な輝き。

「違うの!」

 そう。

 鍵は、開いていた。

 そして、少年と一緒に蔵から逃げ出したんだ。

 ほのかは何が起きたか話そうとした。

「……えっ?」

 けれど、コウと名乗った少年の姿はどこにもなかった。

 ついさっきまで、手に手をとってここまで逃げてきたというのに。

 手のぬくもりとともに、コウは消えた。

(い、一体どういうこと?)

 戸惑うほのかを見て、ついにこらえきれなかったのか、聖騎士が高らかに笑う。

「いいですか? ご老人。これが魔女の力ですよ。魔女は人知を超えた存在。鍵くらい蔵の中から自分で開けてしまうんです」

「なんということじゃ……」

 老婆はうろたえ、小刻みに首を横に振った。

「違う! 扉は開いてたのよ! 最初から、鍵なんてかかってなかったの!」

「ほのちゃん、あたしは信じたくなかったよ、ほのちゃんが魔女だなんて」

 ほのかの叫びも、老婆には届いていないようだった。

 ぶつぶつと「ごめんね、ごめんね……」と繰り返す。

「あの場はああやっておかなきゃみんなの気が済まなかったんだよ。明日の朝に来る魔女を判別する道具で、きちんと身の潔白を示せば、また一緒に暮らしていけると思っていたんだけどねぇ……それなのに……それなのに……」

「違うの! 聞いて、おばあ様!」

「黙れぃ! この魔女めが!」

 老婆は斧を振り上げた。

「いつからほのちゃんの中に入り込んだんじゃ……悪魔の手先め。ほのちゃん、いまあたしがあんたの身体をその悪魔から救ってあげるよ」

 老婆はボロボロと泣いていた。怒りと憎しみと、悲しみを隠せないまま。

「おばあ様……」

 ほのかは目を閉じた。老婆の血走る目を直視できなかった。

 短い間だったけれど、一緒に暮らし、笑いあってきた仲だったから。


ザクッ!


 斧の刃がめり込んだ。

 ほのかはそっと目を開けた。

 斧は木の葉の積もる地面に突き刺さり、老婆はひざを折って座り込んだ。

「おい、一体何をしているんだ。ああ?」

 ほのかの後ろにいる聖騎士が声を荒げた。

「で、できん……」

 老婆は両手で顔を覆った。

「あたしにはできん……ほのちゃんは、やっぱりほのちゃんなんだ……」

 すすり泣く声を聞きながら、聖騎士は地面に唾を吐いた。

「ったく、なんだよテメェは! 身内同士の殺しが見られると思ってせっかくお膳立てしたって言うのになァ! 面倒だが、二人とも始末するしかないな」

 その言葉に、老婆は顔をあげた。

 いまの語り口は、一体どういうことだ?

 思わず聖騎士の方へ向き直ったほのかは、狂喜に満ちた聖騎士の笑顔に震えた。

「明日の魔女裁判を待つまでもない! いまここで、俺が裁きを下してやる!」

 聖騎士が青い剣を振り上げた。

 楽しくて仕方がない、そんな様子の聖騎士を前に、ほのかは自分の身に起きたことを察した。

 あの少年は、元々聖騎士の仲間だったのだ。明日の朝に魔女裁判の道具が届くのが待ちきれなかった聖騎士が罠を仕掛け、適当な理由をでっちあげてコウにほのかを森へと連れ出させる。

 そして、コウは何らかの方法でほのかの前から姿を消したんだ。

 コウさえいなければ、事情を知らない者から見れば、ほのかが何か不思議な力で蔵の鍵を開け、抜け出したと思うだろう。

 そう、さっきの老婆のように。

 けれど、腑に落ちないこともあった。

 コウとほのかは手をつないでここまで走ってきたはずだった。

 何の前触れもなくいきなり姿を消すなんてこと、本当にできるのだろうか。それとも、自分の気が動転していて、そんなことも気がつけなかったのか。

 ぐるぐるといろいろな考えが頭の中を支配し、ほのかはそこから一歩も動けなくなってしまった。聖騎士の剣が、ゆっくりと自分の左肩に向かって振り下ろされる。

 風と共に刃が右の脇腹に抜け、真っ赤な血が森を染める。

(どうしたらよかったの? ようやく見つけた楽しい毎日も、こんなにあっけなく失ってしまうなんて……)

 視界が暗闇に包まれた。

「逃げろ! ほのちゃん!」

「どけよ! クソババア!」

 二つの叫び声で、ほのかは目を開いた。

 斬られてはいなかった。

 まだ。

 斧で聖騎士の剣を受け止める、老婆の曲がった背中。

「すまんかった、ほのちゃん! あたしはどうかしていたんだよ。おかしいと気がつかなきゃダメだったんだ。この男が、あたしだけに『ほのちゃんが逃げそうな場所』で待つように言ったときに! 本当に魔女なんてものがいて、村から逃げないようにするなら、村の者たち全員で警戒する方が自然! それなのにこの男は、村の他の者には家で待っているように言ったんだ! 息をひそめて、じっとしていろと!」

「ギャハ! 遅いね、いまごろ気付いたのか!」

 聖騎士の剣が老婆の斧を薙ぎ払った。斧は老婆の手を離れ、大木の幹にザクリと突き刺さる。

「ぐぅぅっ」

 バランスを崩した老婆が、うなり声をあげて地面に転がった。

 聖騎士が、悪魔の微笑みを浮かべる。

「そうさ。お前の考えた通り、このガキが逃げ出せるようにしたのは俺だ。お前らは俺の筋書き通りに殺しあえばよかったんだよ。俺の、余興のためにな!」

 再び、聖騎士は剣を振り上げた。

「安心しろ。村の連中には俺から伝えてやる。魔女に心を奪われた、哀れな老人がいたってな!」

「貴様……!」

 全部、嘘だったんだな?

 老婆は毒づいた。

 けれど、気付くには遅すぎた。

「死ねよ、クソババア!」

 聖騎士の剣が、老婆に振り下ろされる。

(……おばあ様!)

 ぬくもりを持った赤い血が、穏やかな森をけがした。

「ィギャァァァァァァ!」

 剣を持っていた聖騎士の腕が、クルクルと空中を舞い、どさりと落ちた。

「やれやれ、手間のかかるやつだ」

 老婆の斧を手にしたコウが、ほのかに微笑みかけた。少し皮肉気に。

「コウ……!」

「ほのか、俺はあんたの味方だよ。それだけは絶対に保証する。何があっても、俺があんたを守ってみせる。だから、ひとつだけ約束してくれ。あんたは、俺を信じるんだ。何があっても、俺はあんたのためにいるんだから」

 少年の身体には少し大きすぎるその斧を軽々と右肩にかついで、コウは聖騎士の腕のところまで歩いていく。草むらに転がった腕から聖騎士の剣を左手で拾い上げると、右手に斧、左手に剣を持って聖騎士をにらんだ。

 聖騎士の狂ったような叫びが森に響き渡る。しかしそれは飛び立つ鳥たちの羽の音に交じって、村へは届かなかった。コウは斧と剣で、聖騎士を抹殺した。

 踊るような、軽いステップで。

 聖騎士の身体から噴き上がった血が赤い雨を降らせる。

「……信じられん……」

 自分の頭や顔にベタベタと飛び散る聖騎士の血をぬぐい、老婆がつぶやく。

「……うん……」

 ほのかは目を疑った。

 血の噴水を浴びたコウは、まったく血で汚れていなかった。

 服も、かぶっているハンチング帽も、シミひとつつかず、赤い血が彼をすり抜けていく。

 ただ、聖騎士の命を奪った斧と剣だけは、血で真っ赤に染まっていた。

「ほのか、信じられないかもしれないが、信じてくれ」

 コウは斧と剣を地面に放り投げると地面に広がった血の池の上を歩き、ほのかと老婆の前に立った。血の池には少しの波も立たなかった。

「ほのちゃん、あたしはいま、夢を見てるんかな。斧と剣が空を舞って、あの男を切り刻んでいたよ……」

 立ち上がった老婆が目の前に立つコウの身体をすり抜けて、そのまま、聖騎士の死体のところまで歩いていく。

「……わたしにも、わからないよ」

 ほのかの頬を流れる涙をコウは親指でぬぐった。

 温かい。

 確かに、そこに存在している感触。

 でも……。

「いいか、ほのか。よく聞くんだ」

 コウは悲しい瞳をして、ほのかの目をじっと見つめた。

「俺はあんたの魔法で造られた存在、使い魔(サーヴァント)なんだよ」

 ほのかには、よくわからなかった。

 コウは小さくため息をついた。

 しばらく言葉を探して、意を決したように続ける。

「あの蔵に閉じ込められたとき、あんたが俺を造ったんだ。あんたは、本当に魔女なんだよ」

「……そんなの、嘘だわ」

 コウの手をバシンと払うと、ほのかはコウを突き抜けて老婆のもとへ行こうとした。

 さっき老婆がそうしたように。

 けれど、ほのかはコウの身体をすり抜けたりはしなかった。

 とすん、とコウの胸に頭を預けるかたちになる。

「なんなのよ、あんた!」

 ほのかはコウを突き飛ばした。

 どうしたらよかったんだろう。

 次々に溢れてくる涙を止めることができず、ほのかは老婆の背中に駆け寄り、顔をうずめた。


 問題はいくつかあった。

 それはほのかのことを本当に魔女だと話すコウの存在だけでなく、ハールンハイドの村に重くのしかかる複雑な問題だった。

 まずひとつ目は、どういう経緯であれ、聖騎士と名乗る男が村の近くの森で死んでしまったことだ。森の中に埋めてしまえば死体は見つからないかもしれない。けれど、村の人々は聖騎士が来たことを知っており、いまもまだ聖騎士の言いつけを守って家の中で息を殺している。聖騎士の死を、村の人々にどう伝えるのか? それがひとつめの問題だった。

 ふたつめは、明日の朝に来ると聖騎士が言っていた『魔女裁判の道具』をどうするのかということだった。当然、道具を運んでくる聖騎士の仲間たちがいるはずで、村に聖騎士がいないということを知れば、村人に聖騎士は殺されたか、囚われていると考えるのは無理からぬことだった。そうなれば、横暴なこの聖騎士の仲間が村人たちの言い分を無視して、村ごと焼き払ってしまう、なんて状況も十分考えられる。聖騎士亡きいま、明日の朝にやってくる『魔女裁判の道具』というのは、対処しなければならない重大な問題だった。

 そして最後に、村人たちに『魔女だ』と大きくふれこみされたほのかをどうするのかという問題があった。このまま村人たちに説明したところで、ほのかがこの村に居続けることは難しいと老婆は感じていた。ほのかと一緒に暮らしていた彼女自身ですら、聖騎士の言葉に踊らされてしまったのだ。

 目の前に横たわる聖騎士の凄惨な死体を見つめて、老婆はほのかに聞こえないよう、静かにため息をついた。

「せ、聖騎士様を殺したのか、ほのかちゃん」

 悲痛な想いを絞り出すような声で、老婆はそう言った。

 うまく言えただろうか。

 老婆の背中で泣いていた、ほのかは息をのんだ。

「おばあ様……?」

 少しおびえたような、戸惑いの声。

 ……ダメだ。

 まだ足りない。

 老婆は振り向くなり、ほのかを突き飛ばした。

「あたしに近づくんじゃない! この魔女め! お前なんて、一歩たりとも村には入れない!」

 老婆は斧を拾うと、再びほのかに向かってその斧を構えた。

「戦え! あたしが聖騎士様の意志を継いで、お前を殺してやる!」

 老婆は泣いていた。

 泣きながら斧を振り上げ、怒鳴り散らした。

 頼む、逃げてくれ。

 こうなってしまった以上、もう逃げるしかない。

 老婆はそう願いながらも、「魔女め、殺してやる!」と叫んだ。

「ほのか、行くぞ」

 急に変貌した老婆の様子に戸惑い、地面に座り込んでいたほのかをコウは抱き起した。

けれど、ほのかはコウを振り払おうとする。

「嫌! やめて!」

「ダメだ! いまはこうするしかない」

 コウの力は少年のそれとは思えないほど強かった。そしてコウに引きずられるかたちで、ほのかは老婆の前から姿を消した。

「……嫌、やめて……か」

 寂しげに老婆はつぶやいた。

老婆にはコウは見えていない。

 ほのかがコウに向かって言った言葉を、老婆はそのまま自分への言葉として受け取っていた。

「結局、嫌われてしまったなぁ……」

 ほのかの背を見送って、老婆は涙をぬぐった。

「しっかり生きるんだよ、ほのちゃん……あたしの分まで」

 抜き身のまま転がっていた聖騎士の剣を拾うと、ひとつの決意を胸に、村へと向かう。

 いつの間にか辺りは暗くなり、空は夕焼けで赤く染まっていた。

 時は止まることなく、魔女裁判の朝がじりじりと迫ってくる。


 二人は黙って森の中を歩き続けた。

 コウがほのかの手をとり、まっすぐ東へ。

 最初は抵抗していたほのかもやがて大人しくなり、コウにトボトボとついていく。

 その道は以前、ほのかがハールンハイドへやってくるときに通った道だった。

 木々の間から見える空は夕暮れから星空に変わり、森の中は二人の足音しかしない。

 前を歩いていたコウが、足を止めた。

「……」

 ほのかも黙って立ち止まる。

「今日は、この辺でひと休みしようぜ。疲れたろ?」

 ほのかはコウの言葉に返事をする代わりに、深いため息をついた。

(どうしたもんかね……)

 コウは困っていた。

 嘘はついていない。

 ほのかが本当に魔女だと言ったことも、間違いじゃなかったと思ってる。

 でも、もっといい言い方はあったのかもしれない。

 いまさら後悔しても意味はないけれど、まさかここまでショックを受けるとは思っていなかった。

「……っくしゅ!」

 ほのかが小さくくしゃみをした。

 いつの間にか、森の中は冷たい空気で満ちていた。

「ちょっと待ってろ」

 コウはほのかの手を離すと、焚き木を集めて火をおこした。火をおこしたと言っても、指先から出した小さな炎で焚き木に火をつけたのを見て、ほのかは少し眉を寄せた。

 普通なら、火をつけるのにはマッチや火打ち石が必要だし、安定した火をつくるには少し時間もかかる。

 けれど、コウはそれを一瞬で、しかも何も道具を使わずにやってのけた。

(やっぱり、この人は人間じゃないんだ……)

 深いため息とともに、ほのかは焚き火のそばに腰をおろした。

 そのときだった。

 きゅるる、とお腹の鳴る音が聞こえた。

 ほのかが顔を真っ赤にして、恥ずかしそうにコウから顔をそらす。

 コウはくすりと笑った。

「まぁ、腹も減るよな。あんたは人間だし……。本当は何か食べるものを用意したいところだけど、俺はそういう風にはできてないからな。……悪いな」

「別に……。お腹なんて空いてない」

 ほのかは口をとがらせた。

 そして、ふと何か思いついたようにコウの方を見る。

「……あんたにも、できないことってあるの?」

「……あるよ。残念ながら」

 コウは少しだけ眉を寄せた。

「俺はあんたの想像の産物だからな。この服装や話し方も、あんたがこころの奥で望んでいた姿なんだぜ? ほら、これは旅の途中で立ち寄った街にいた連中が着てた服だし、あと、あんた、料理が得意だろ。だから、俺は……」

「ひょっとして、料理はできない……とか?」

 ほのかの質問に、コウは「……いいだろ、別に」と答えた。

「俺も生まれたばっかりの使い魔(サーヴァント)なんだぜ? 出来ないことの方が多いって思ってくれよ。そのうち、できるようになるさ。あんただって、最初から料理が得意だったわけじゃないだろ」

 そう強がりを言ったコウのお腹が、ぎゅるる……と鳴った。

「あ……」

「……人間じゃなくても、お腹は減るみたいね」

 赤面したコウに、ほのかは小さく毒づいた。

「は、腹なんて減ってねぇよ」

 そっぽを向くコウ。

 ほのかは薄く笑った。

「……ふふ、確かに、あなたはわたしに似ている気がするわ」

「そうか?」

「ええ」

 ほのかは一度空を見上げて、目に浮かんだ涙をぬぐってコウを見た。

「ねぇ、わたしが魔女っていうのは、本当なの?」

 焚き火の炎が、その瞳を照らす。

「間違いないよ。だって、俺が見えるし、話せるだろ」

「それだけじゃ、実感わかないよ。……さっきだって、あの男をやっつけたのは結局あんたなわけだし、わたしから見ると、あんたはあんたで、わたしはわたしだから」

「まぁ、騙されたと思って、一回信じてみようぜ」

「……呆れた。あんなことがあった後で、よくそんな軽口が言えるわね」

 ほのかの脳裏に、ふとあの老婆の顔がよぎる。

 聖騎士が倒れた後、結局斧をこちらに向けてきた老婆の真意は、まだ幼いほのかにはよくわからなかった。

 ほのかはしばらく炎を見つめた後、「いいわ。信じてみる」とつぶやいた。

「あんたの言ってることが本当だとしたら、わたしは、まだ自分のことを全然わかってないってことだわ。だったら、やっぱり自分のことは知っておいたほうがいいって思うの。もう、他の人に迷惑をかけたくないから」

「……結構まじめなんだな。意外にも」

「なによ、意外にもって……あんたってかなり失礼なやつね」

 そうか? と微笑むコウの笑顔に、ほのかはどこか温かいものを感じていた。


 真夜中を過ぎて朝に向かう森の中。

 小さくなった焚き火のそばで、ほのかは目を覚ました。

 木々の間には白いもやがかかっており、夜露で濡れた葉から、ポタポタと水のしずくが落ちてくる。

 焚き火のまわりにはコウの姿はなかった。

 全部夢だったのかもしれない。

 昨日起きたことはすべて幻で、村へ帰れば、いままで通りの生活が待っている。あの男の子の存在も、ただの思い込み。わたしが魔女なわけがない。

 そう、ほのかは思いたかった。


 ガサガサガサ!


 頭上から何かが落ちてくる音がした。

 訳もわからず、頭を抱える。

 ドサリとすぐ近くに落ちてきたそれは、明るい声で「おはよう! ほのか!」と言った。

「……なんだ、あんたなのね」

 驚いて損した、とほのかは顔をあげる。

 コウは両手で赤い果物をいくつか抱え、「なんだとはなんだよ。朝めし、やらねぇぞ?」と不機嫌そうに言った。赤い果物は甘味の少ないリンゴのような味わいだったけれど、空腹のほのかにはとてもおいしく感じられた。

 昨日の夜から、コウは一睡もしていない。

 もいできた果物をかじりながら、使い魔(サーヴァント)にもいろいろいるんだとコウは言った。

「たぶん俺は、人間よりも身軽で頑丈なタイプなんだよ。他の使い魔(サーヴァント)は、もっと派手な魔法を使ったりするんだけど、俺は全然ダメ。焚き火に火をつけるくらいのことしかできないみたいだな」

「……たぶん? できないみたい? 他の使い魔(サーヴァント)のことを知ってるようなことを言うくせに、自分のことはわからないのね」

「こればっかりはね。俺がどういう力を持つかは、あんたが何を望むかで決まるからな」

 コウの話によれば、魔女というのはお互いに知らないところでつながっており、使い魔(サーヴァント)はそのつながりをたどる糸口になるのだという。だから多くの場合、使い魔(サーヴァント)は生まれながらにして、他の使い魔(サーヴァント)や魔女たちのことを少しだけ知っているのだそうだ。

「知ってるって言っても、どこに誰がいるか、なんてのはわからない。まぁ、よっぽど近くにいれば話は別……なんだけど……」

 コウは話の途中で何かを感じたのか、急に立ち上がった。

「……どうかしたの?」

 果物をかじっていたほのかが、いままでとは違うコウの鋭い雰囲気に息をのむ。

「近くに、いるみたいだ。魔女と、その使い魔(サーヴァント)が」

「なんですって?」

 同じ頃。

 ほのかがいた村、ハールンハイドへ向かう一台の馬車があった。

「はぁい、動いちゃだめよ~?」

 八頭の馬にひかれた豪華な馬車の中、青と黄金で装飾された柔らかいシーツに横になるひとりの女。彼女は青い神官服を着ており、暑そうに胸元をはだけさせていた。大きく開いた胸元には、黒い蛇の文様が刻まれている。彼女は金色のフワリとした髪を揺らしながら、ピンク色の唇で笑っていた。

 その胸に抱かれ、ブルブルと震えている一匹の黒ネコ。黒ネコは上目遣いで女を見つめると、甘えるような声で「や、やめましょうよ、危ないですから」と言った。

「ダメよ、パウロ。動いたら……」

 女の手に握られた鋭いカミソリが、ギラリと光を放つ。

「動いたら、本当にあんたの首を掻き切っちゃうでしょ?」

 女は黒ネコを使って、『首を掻き切る練習』をしていたのだ。

「シオン様! いくらボクが使い魔(サーヴァント)でも、首を切られたら……い、痛いんですよ?」

 女の機嫌を損ねないように気をつけながら、黒ネコは慎重に抵抗を続ける。

 けれど、女はカミソリをさらにネコの首の根っこに近づけると、ペロリと舌なめずりをした。

「大丈夫よ。いくら痛くても死ぬわけじゃないんだから。うーん、それにしてもやっぱりお腹も切り裂いて、パウロのハラワタを引きずり出すところまでやらないと気が済まないわね」

 ザクッ、とカミソリが黒ネコの首に突き刺さる直前で、黒ネコは大きな声でニャァァと叫んだ。

 女が不機嫌そうに眉を寄せる。

「ちょっと、叫ぶのはまだ早いわよ。首を切ってからじゃないと、リアリティが台無しよ」

「あ……ご、ごめんなさい」

 黒ネコは申し訳なさそうな顔をすると、「で、でもシオン様、実は……」とささやいた。シオンと呼ばれたその女は怪訝そうな顔をしていたが、黒ネコの話を聞くうちに、みるみる目を輝かせていく。

「なぁんだ! それを早く言いなさいよ。それじゃあ御者さんに、もっと急いでもらわなくちゃね。面白くなってきたわ!」

「え? でも、危険だよ。本当にやるつもりなの? 他の魔女が近くにいるのに!」

「ええ、もちろんよ。だって……」

 楽しくて仕方がないといった様子で、シオンは持っていたカミソリをべロリと舐めた。

「村人全員皆殺し、なんて、年に数回しかできないイベントじゃない? 他の魔女に邪魔される前に、楽しまないと」

 シオンは馬車を走らせていた御者に、もっと急ぐよう伝えた。

 八頭の馬が勢いをあげ、馬車が荒野を急ぐ。

 馬車の側面には旗が垂れ下がっており、その旗には、青地に黄金の獅子が描かれている。

 それは聖騎士を統括し、この地域を牛耳る中央教会の紋章だった。


「……よかった」

 森の中、コウは額の汗をぬぐった。

「こっちには来ないみたいだ。ほのかのいた村の方へ向かっていったぜ」

「……村の方へ?」

 ほのかが心配そうにコウを見つめる。

 コウは内心、しまったとつぶやいた。

「あ、ああ……。いや、気のせいだったかな? 村の方じゃなかったかも……」

「村の方へ、別の魔女が向かっているのね?」

 コウをほのかが睨みつける。

 その視線に、コウはうなずくしかなかった。

「……大変だわ!」

 ほのかがもと来た道を戻り、村へと走り出した。

 慌ててコウがほのかの前に飛び出す。

「ダメだ! 相手は魔女なんだぞ? どんな危険があるかわからないんだ! 近づかない方が身のためだ!」

 ほのかはギリッと歯噛みした。

「だったら、コウ、あなたが守ればいいのよ。気が済むまで、わたしを。でもね」

 ほのかの瞳に決意の光が宿る。

「わたしを止められるのは、わたしだけなの。あなたがわたしの使い魔(サーヴァント)なら、主であるわたしの想いや、気持ちに応える努力をしなさい。わたしは、村に戻るわ。同じ魔女同士、わたしにできることがあるかもしれない。あなたがどうするかは、あなたが決めることよ」

 コウの横を通り過ぎ、ほのかは森の中へと突き進む。

 その背中を見て、コウはイライラした様子を隠せなかった。

「ああ、そうかよ。だったら好きにしたらいい」

 魔女裁判の朝が来る。

 運命は血に飢えた歯車。

 誰かの血が流れなければ、その歯車は止まらない。

 コウは舌打ちをして、ほのかを追いかけた。


 空が白み、静かな朝がやって来た。

 村人たちはみな疲れた様子で、広場に集まっていた。

 広場の中央に立てられた丸太に、ほのかや聖騎士と一緒にいたあの老婆がくくり付けられていた。 その顔は赤く腫れあがり、何度も殴られた跡が痛々しく残っている。足元には燃えやすい枯れた焚き木と割られた薪が置かれていた。

 けれど、老婆は不敵に笑っていた。

「クックック……あたしを裁判にかけてみろ、みんな呪われるぞ」

 老婆の口からこぼれる、ひどくかすれた声。

 村人たちは口々に老婆をののしった。

「魔女め、ばあさんの身体から出ていきやがれ!」

「聖騎士様を殺しやがって……許せねぇ」

「村人全員で、お赦しを請わなければ……」

 この混乱を止めるために誰かの犠牲が必要なら、自分が犠牲になろうと老婆は思った。

 だから聖騎士の血で赤く染まった剣と斧を持ち、村へ帰って、村人たちを襲い始めた。

 いや、襲うフリをした。

 意味不明に叫び、頭を振りまわし、家の戸を壊してまわった。

 そして村の人々に、聖騎士はもういない、このあたしが殺したからと次々に言ったのだ。

 この村を守るためには、誰かが魔女裁判を受けなければいけない。そして、裁かれなければ。

 そうでなければ、聖騎士の死の説明がつかない。けじめをつける必要がある。

 老婆はそう考えていた。

 だから、おかしくなったように振る舞うことで自分が裁判にかけられるよう仕向けた。いなくなった、ほのかの代わりに。

 純粋な村人たちをだますのは簡単だった。

 老婆の狙い通り、村人たちは老婆を捕え、丸太にくくり付けた。

(これでいいんだ。これが、あたしの罪滅ぼしだから……)

 老婆は覚悟を決めていた。

 ここで死ぬのは運命なのだろうと。

 あとはほのかの無事を祈り、ただひとり消えていくだけだと。

「なぁに? こんな広場に集まって」

 白くなっていく空と昇りはじめた太陽の光を背に、青い神官服のシオンが不敵な笑みを浮かべて立っていた。

「ジェミー! 聖騎士ジェミーはどこ? 先に来てるはずだけど」

 シオンの呼ぶ声に、応えるものは誰もいない。

 それはシオンに先行してこの村にやって来た聖騎士の名前だった。

 村人はみな大地にひれ伏し、丸太にくくり付けられた老婆がやったのだとシオンに陳謝した。

「呪われてしまえ、全員、呪われてしまえ!」

 老婆は叫んだ。

 喉から血が出るほどに。

 全部自分のせいなのだと、そう伝えるため。

 シオンは叫び続ける老婆を見て、その後、自分の足元にひれ伏している村人たちの丸まった背中たちをゆっくり眺めた。

 トタトタと黒ネコがシオンに駆け寄り、ぴょんとその左肩に乗る。

「シオン様……」

「わかってる」

 何かを言おうとした黒ネコの口を人差し指で閉じて、シオンは嬉しそうに微笑んだ。

「いい口実だわ」

 腰にさしていた剣を抜き、一番近くにひれ伏していた村人の背中に思い切り振り下ろす。


 ぶちゅッ!


 村人の顔が痛みでゆがむ。

 その剣は肉切り包丁のように刃が大きく、尖った四角い先端が村人の背中の肉を貫通し、骨を砕いた。

 騒然。

「あんたたち、みんな嘘つきなのね!」

 混乱した村人たちの心を、シオンの言葉が握りしめる。

「わかっているの? わたしに嘘をつくということは中央教会に嘘をつくということなのよ。そこの老人を魔女裁判にかけるまでもないわ。あんたたちは我らが聖騎士ジェミーを殺した。全員、魔女に魂を支配されてしまったようね」

「違う! 魔女に支配されたのはあたしだけだ!」

 老婆の反論を、シオンはわざと無視した。

 ばらばらと逃げ始める村人たち。

 シオンにとって、それはパーティの始まりの合図だった。

 なんて好都合。

 自分たちで殺される理由をつくってくれるなんて。

 ジェミーにも、感謝しなきゃね。

 シオンは村人を追って駆けまわる。

 この世界は、自分の都合のいいようにできている。

 シオンにとってはそれが中央教会の不文律であり、至福の源泉だ。


 ほのかは森の中を全速力で走っていた。

 行く手を遮る枝葉でいくつもの傷を負いながら、それでも村に向かって走り続けた。

 後ろからは足音がついてくる。

 コウだ。

「武器が必要かもしれない! ここで待ってろ!」

 村に着く直前、コウはそう叫び、ほのかと別れた。

 けれど、ほのかはそのまま走り続けた。

「遅かったわね……待っていたわ」

 村へ着いたときの惨状を、ほのかは一生忘れることはできないだろう。

 血のプールに立ち、頭から大量の血を浴びて真っ赤に染まったシオンの姿を。

 叫びそうになった自分の口を押さえ、ほのかは恐怖とともに飲みこんだ。

 なんで……?

 なんでこんなことに!

「……あら?」

 ほのかを見て、シオンは首をかしげた。

「パウロ、この子があんたの言ってた魔女なの? ……ただのガキに見えるけど」

 シオンの左肩に乗った黒ネコのパウロが、「本当だよ、シオン様! 使い魔(サーヴァント)としてのボクの感覚がそう言ってるんです。間違いないですよ」と主張する。

「ふぅん……」

 楽しみにしていたケーキが足蹴にされたような冷ややかな目で、シオンはほのかのつま先から頭の先まで、ジロリと見つめる。蔵の中から逃げ出してきた時のままの、つぎはぎだらけの黒い服。

「ゴミみたいな服ね。ガッカリだわ。あんた、まだ魔女になったばっかりって感じね」

「そ……ッ」

 そうなんです、と答えそうになって、ほのかは下唇をかみしめた。

 なにを素直に答えようとしているの?

 目の前で起きていることを考えれば、そんな悠長なことをしている場合じゃない。あの女の足元に広がる赤い水たまり。無数に転がっている、人のような何か。大きな刀身をした、カミソリのように無機質で鋭い、女の剣。

 いますぐ逃げなきゃ、あの剣で真っ二つにされる。

 自分の頭がかち割られている状態が脳裏によぎり、吐き気がこみあげてくる。

 恐怖に囚われたほのかに向かって、シオンが白く美しい左手を突き出した。

 次の瞬間―――。

 目の前に現れた『黒く燃える腕』に胸ぐらをにつかまれ、ほのかは強力な力でシオンのそばまでぐん! と一気に引き寄せられた。

「……かはっ!」

 その『黒く燃える腕』は焼け焦げた骸骨のように細かったが、その見た目に反して、その力は人間よりずっと強かった。シオンの左手の動きに合わせて動き、ほのかを空中へ持ち上げる。

ほのかは呼吸ができなかった。

 あまりの力で首が締まり、胸が圧迫され、それでも口を大きく開け、何とか少しの空気を取り込む。

「ちぇっ……」

 目の前で、血でべっとり濡れた金髪の女が退屈そうにしていた。

 剣を持った右手で胸元のボタンをパチパチと外していき、暑そうに胸元を露わにする。

 白い胸元にあった黒い蛇の文様が、赤く輝いている。

「がっかりだわ、パウロ」

 赤い唇で、ふう、と残念そうにため息をついた。

 シオンの左肩に乗っている黒ネコは、黄金色の瞳をパチクリさせて、「きっとまだ魔女の赤ちゃんなんですよ。だから、こんなに弱っちいんです」としっぽを揺らす。

「そうだね」

 シオンはほのかを地面に放り投げた。

 受け身を取り損ね、ほのかは血のプールに頭から突っ込む。

 ほのかの黒い髪が、白い肌が、赤黒い血と泥でベタベタになった。

 カミソリのような剣を高く掲げ、シオンはほのかにめがけて一気に振り下ろした。

「期待して損しちゃった。だから、ね。わかってるよね? 綺麗な血の噴水で楽しませてよ!」

 ガジュッ!

 地面に広がる血のプールに、シオンの剣がめり込んだ。

 そこに、ほのかはいなかった。

 空気を切っただけの感覚。

「あああっ?」

 シオンは目をつり上げて、自分の懐に飛び込んできたほのかを睨みつけた。

「テメェ……離せよ! こら!」

「……ッ!」

 ほのかはシオンの細い腰に両腕をまわし、ちょうど抱きつくような形で組み付いていた。

(ど、どうしよう! 思わず飛びついちゃったけど……うぐっ!)

 シオンがほのかの横腹を殴りつける。

 何度も。

 繰り返し。

 それでも、ほのかは離れなかった。

(わたしは……魔女なんだ。それがもう変えられない運命なら、立ち向かうしかない!)

 怖くて泣きそうな心に檄を飛ばし、ほのかは両腕に力を込める。けれど策は何もなく、それ以外、どうしようもなかった。

「ちょっと! 何なのあんた!」

 シオンの胸にある蛇の文様が赤く輝いた。

 ほのかの両足の真下から『黒く燃える腕』がグンと伸びてきて、ほのかのみぞおちを思い切り突き上げる。

(きゃぁぁっ!)

 あまりの激痛に耐え切れず、ほのかはシオンを離してしまった。

 『黒く燃える腕』の強烈なアッパーでほのかの身体が宙に浮く。

(……ダメ!)

「これなら、どぉぉ!」

 シオンが剣を持ち直し、下から切り上げた。

 とっさに両手を前に伸ばしてほのかは自分の身体をかばったけれど、シオンの剣はやすやすとほのかを一刀両断してしまうだろう。

 直撃。

 横腹から肩にかけて、鮮血とともにほのかの命を奪い去る。

「大丈夫か、ほのか!」

 自分の身体が切断された幻想(イメージ)で一瞬意識が飛んでいたほのかを、少年が叱咤する。

「……えへへ、遅かったわね」

 必死の強がりのつもりだった。

 相手はわかっている。

 コウだ。

 コウはシオンの剣がほのかを切り裂く直前に飛び込んでほのかを抱きかかえ、剣を避けていた。

「ったく、武器を探してくるからちょっと待ってろって言ったろ?」

 コウは小さくため息をつくと、ほのかを抱きかかえたまま空中で身体を翻し、血だまりの中に着地してすぐに駆け出した。一刻も早く、シオンの剣の間合いから出なければ!

 ほのかに剣を向け――けれどまたしても空振りしたシオンがコウの背中を睨みつける。シオンには、コウが見えていた。

「あれがあのゴミの使い魔(サーヴァント)か。パウロ!」

「はい、シオン様。いつでも行けます」

 シオンの左肩に乗っていた黒ネコが、メキメキと音を立てて姿を変えていく。

 その頃。

「うるさいなぁ、なんか黒い腕に引っ張られたんだよ」

 二人は近くにあった家の陰に飛び込んでいた。

 口をとがらせるほのかに、コウが「バカ!」と怒鳴る。

「あれがあの女、魔女の力なんだよ。魔女ってのは人それぞれで、いろんな力を持ってるんだよ! あいつは使い魔(サーヴァント)に戦わせるよりは、自分が戦いたいってタイプだな」

「じゃあ、わたしの力はなんなのよ」

「お前の力は、俺自身だよ」

 コウは用意しておいた武器を、ほのかに渡す。

「これは……」

 それは、あの聖騎士にとどめを刺した聖騎士の剣と、老婆が持っていた血塗られた斧だった。

「おばあ様……、おばあ様はいたの?」

 ほのかの問いに、コウは首を横に振る。

 コウにしてはずいぶんと神妙な顔をしており、ほのかは老婆がどうなったのか、嫌な想像をかきたてられた。

「探さなきゃ……」

「いまはダメだ、ほのか!」

 建物の影から飛び出そうとするほのかを、コウが両肩に手を置いて制止した。

「先に、やるべきことがある。あいつを倒すか、逃げるんだ、ここから」

「……でも、おばあ様が……」

「わかった、あとで説明する! いまは俺たちが、あんたが死ぬかもしれないんだぞ? 頼むから冷静になってくれ!」

「わたしは、冷静よ」

 ほのかは聖騎士の剣を手にした。

「あいつを倒すわ、いますぐに」

 おいおい、本気かよ? そう言おうとして、コウは口を閉ざした。

『あなたがわたしの使い魔(サーヴァント)なら、主であるわたしの想いや、気持ちに応える努力をしなさい』

 ほのかが言ったその言葉が、頭の中で繰り返す。

 コウは苦しそうな顔をして、「ああ、協力する」と静かに言った。

 強烈な風が空気を引き裂いた。

 二人が隠れていた建物の屋根が吹き飛び、壁にいくつもの穴が開いた。

 獣のような雄たけびがビリビリと空気を震わせる。

 村の広場には、真っ黒な炎に包まれた骸骨が立っていた。白銀の兜と鎧を身につけ、斧のような巨大な刀身の剣を持つその姿は、さながら死の騎士を思わせる。

『出てきなさい! わたしが殺してあげる!』

 それは死者が生を求めてさまようような声だった。

 けれどその口調はあのシオンのままといういびつさで、楽しげな笑い声が入りまじる。

 血濡れた広場の中、死の騎士のそばには生身のシオンが横たわっていた。

 コウがごくりと喉を鳴らす。

「……あの女、使い魔(サーヴァント)の身体に、自分の魂を入れて操ってるんだ」

 黒炎の騎士は巨大な剣を軽々と振りまわし、目の前にある家を次々と吹き飛ばしていく。

 豪速で振り下ろされる剣に、建物を吹き飛ばすほどの破壊力。

 まともに立ちあって、とても勝てる相手ではない。

「いくよ、コウ!」

 それでも、ほのかは戦うと決めたようだった。

 その横顔に、コウは力強く「ああ、わかったよ!」とうなずいた。

 シオンの身体の中は熱い炎で支配されていた。

 内臓に次々に火がつき、暴れずにはいられないほどの衝動。煮えたぎる血液が、巨大な剣を振り下ろさせる。何度も、何度も。

 楽しい!

 なんて楽しいんだろう。

 これ以上の快楽は存在しない。

 一撃で建物が吹き飛び、村という存在自体が粉々に打ち砕かれる。

 誰も逆らわない。

 逆らえない、絶対的な力。

「ほのか、早く逃げろ!」

 だから吹き飛ばした建物の陰から飛び出し、自分に背を向けて逃げる黒い人影を見たとき、シオンはふと考えた。

 少しだけ、泳がせてみようか。

 ハンチング帽をかぶり、ゴミみたいな服を着たその人影……いや、『動くゴミそのもの』が持っている剣は、聖騎士の剣。あれを持って街をうろついていたら目立つし、聖騎士殺害の容疑で捕まえるのも面白い。そうすれば、街の中でも堂々と処刑ができる。こんな街はずれの村に来なくたって、殺りくを楽しめる。観客も盛り上がるだろう。

 でも、シオンは我慢できなかった。

 いま殺せばいい。

 だって、いまそこにいるんだから。

 シオンはその『ゴミ』に向かって、一気に駆け出した。

 巨大な剣を振り上げて、狂喜乱舞で振り下ろす。

 手ごたえがった。

 防御しようと構えた聖騎士の剣を砕き、そのまま一気に肩からまっすぐ斬って地面に到達する。

 どさりとおちた腕が、地面に転がる。

「ふふ……」

 風でハンチング帽が舞い上がった。

『お、お前は……!』

 シオンの眼下には、栗色の髪の少年コウがふてぶてしく微笑んでいた。

 ほのかの、黒いつぎはぎを着て。

 シオンは青ざめた。

 罠だ。

 これは罠だ。

 この小僧に誘い出され、気付けば本当の身体……美しい女神官である自分自身から離れてしまっていた。

「気付いていたぜ? お前には、俺が見えてたってことはな!」

「さようなら、名も知らぬ人」

 振り向けば、コウが着ていた襟付きシャツを着て、赤い斧を持ったほのかが立っていた。眠り姫のように静かに横たわる、美しいシオンのかたわらに。

『お前……!』

 ほのかは思い切り斧を振り上げ、可愛らしいシオンの横顔にめがけて降り下ろした。

『やめろ! やめろ!  やめ……』


 ぐちゃッ!


 ほのかの顔が、返り血を浴びる。

『おのれ……! このわたしは、中央教会の神官……!』

 黒い騎士は恨みを込めた声ならぬ声で鳴き、まばゆい光とともに爆散した。


 ほのかは力なくその場に座り込んだ。

 それでもすぐに思い直し、囮役をしたコウのもとへと駆け寄る。

「はは、なんだよ。泣いちゃってさ」

 コウは失った左腕でほのかの涙をぬぐおうとして、痛みで顔をゆがめた。

「……使い魔(サーヴァント)も、痛みは感じるみたいだな」

「バカ! なに言ってんのよ!」

 コウの強がりに、ポロポロと涙をこぼす、ほのか。

 コウは苦笑いをした。

「いいか? よく聞け、東の方へ行けば街がある。あんたも知ってる街だ。その服のまま、俺の帽子をかぶっていればあんたの黒髪も目立たないはずだ」

「ちょっと、いきなりなによ……! いま、手当てを……」

「やめろ! 自分のことは、自分が一番わかっているさ。使い魔(サーヴァント)だって、死ぬときは死ぬんだ。魔女と戦うってことは、そういうことなのさ」

 コウは右腕でハンチング帽を拾い、ほのかの頭にかぶせる。

 ほのかの目は真っ赤になっていた。

「な? 街へ行ったらできるだけ早く、次の目的地を探すんだ。この村で起きたことは、そのうち街にも知れ渡る。できれば、静かな場所で、幸せに暮らしてくれ」

「やめて! それ以上、話さないで……そんなの、嫌だから……わたしをひとりにしないでよ!」

 ほのかはコウのそばで、顔を伏せて泣いた。

 たった一日だけ時間を共に過ごした二人だったけれど、その小さな絆は確かにそこにあったような気がする。ほのかは、それに支えられていた。

「それじゃあな、ほのか」

 コウの身体が小さな光になってうっすらと消えていく。

「コウ! だめよ! 行かないで!」

「はは、涙は似合わないぜ、創造主(マスター)?」

 小さな光は、風に乗って空へと消えた。

 まばゆい太陽が昇る。

 魔女裁判の朝に、ほのかはひとりの友人を失った。

 それは自分自身の身体の半分のような、心の半分のような、大切な存在だった。

「……そうだ」

 聞き覚えのある少年の声。

 大地に降りそそぐ太陽の光を、ひとりの影が遮った。

「言い忘れてたけど、その服、あんた以外の人間には見えないかもしれないぜ」

 おどけた様子で頭をかく。

「俺が、普通の人間には見えなかったみたいに」

 ほのかは彼を見上げた。

 コウ。

 その少年は街人の姿をしており、左腕も健在だった。

「やっぱり俺は、人間よりも身軽で頑丈なタイプらしいね」

「あんたって、最低だわ」

 ほのかは少年の胸に飛び込んだ。


 魔女裁判のその朝。

 草むらの中に転がる黒い髑髏。

 その暗い瞳の奥、血で染まった眼玉がぎょろりと動き、ほのかたちの姿を、呪いのこもった視線で見つめていた。


第23回電撃小説大賞に投稿した作品です。

残念ながら1次選考で落選となりましたが、多くの学びが得られたかけがえのない作品です。

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[良い点] 文章力はなんの問題もないと思います。うらやましい、私もこれくらい書けるようになりたいです。 誤字脱字も潰してあり、よく推敲されていると思います。 他の1次落ちよりは確実にいいと思います。あ…
[良い点] メルヘンファンタジーのような序盤展開はとても好印象です。ある程度西洋史を知っていれば魔女裁判がどういう物かはわかっていますから、これについて序盤で深く触れる必要は私は感じませんでした。(も…
[良い点] 文章は丁寧に書かれていると感じました。 [気になる点] 設定というかストーリーというか…… [一言]  初めまして、エッセイ「今日から、電撃小説大賞に応募する」のほうからやってきました。 …
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