傍観者
体に付いた見える傷痕よりも心に付いた見えない傷痕の方がより症状は深刻だ。
『心に大きな風穴が開いたようだ』とはよく言うけれど、正にそんな感じの時もあるし、実痛を伴ってそこから大量の血がどばどばと溢れ出ていると感じる事もある。
胸が痛い、と体を丸めてぜいぜいと肩で呼吸をする。
何夜も眠れない晩を過ごして、ようやく傷を被う被膜が出来たかと思ったらまた同じ場所を抉られる。
それも不可視の『言葉』という名の刃で。
『 !!』
グサッ、ざくっ!グサッ、ざくっ!
ざくっ、ざくっ!
ほんの一言の、心無い言葉により生傷から血がまた溢れ出す。
やめろ。
痛い。
もうやめて。
お願いだから。
攻撃は言葉だけに留まらず、小さな悪意の籠った視線が集団で僕に襲い掛かってきた。
『 』、『 』、『 !』、『 !!』
……僕を罵倒する声、声、声――。
見た事も無い人間からの侮蔑の視線、中傷の言葉。
それは数が増えれば増えるほど効果的で、切れ味鋭いより強力な武器と化す。
一対多ではもう完全に僕に勝ち目など無く、後はただされるがまま、めった刺しとなる運命。
グサッ!ざくっ、ざくっ!
何度も何度も。
グサッ!ざくっ、ざくっ!
謝っても悲鳴を上げても許してもらえない。集団で、相手が飽きるか僕が死ぬまでこの残酷なリンチは続く。
ごぷりっと堪らず僕は血を吐いた。
溢れ出る鮮血。意識が朦朧としてもう立っている事さえ儘ならない。
膝が(心が)がくりと折れた。
気付けば僕は血だまりの中、倒れ伏していた。
『もっとやれ』
悪意の声が僕の耳元でそっと囁いた。
…まだ?
まだ足りないのか…?
さざめくような笑い声がその声を後押しする。
くすくすくす…。
『もっとやれ』『もっとやれ』『もっとやれ!』『いいぞ、もっとやれ!』『もっとやれ!!』次第に狂気の色を帯びて、
『もっとやれ!!』『もっとやれ!!』『もっとやれ!!』
もっと!!もっと!!もっと!!と、僕を囃し立てる。
もっとやれ。そう言われるたびに僕の胸はぺちゃんこに押し潰されて、呼吸がし辛くなっていった。
もう勘弁してください。
もう十分では無いですか。
一呼吸する毎に僕の中の大事な何かが壊れ、失われていった。
そうこうする内、視点が切り替わる。
今度の僕は血だまりに沈む僕自身の体を真上から見下していた。
此処は教室だ、と何故だか分かる。
僕の周りには大勢の人間がいて、僕を中心に丸い人垣を作っていた。
彼らは手に手にスマホを持っており、どうやら僕という名のスクープ動画だか特ダネ映像を撮っているらしかった。
そこへ、また次の変化が――。人垣の外側から現れたのは僕の担任教諭。
だけど彼は僕の救世主でも何でも無い。その証拠に彼の顔には隠そうともしない侮蔑と、『面倒くさい』その五文字がデカデカと描かれていた。
担任教諭の後には僕の母親が。彼女は学校から呼び出された事に(その原因を作った僕に対して)酷く腹を立てているようすだった。
三番目に現れた父親の表情には疲労と諦念の色が混在していた。
血の海に沈む僕とそれをただ撮り続ける傍観者たち。
先生も両親もクラスメートも、誰一人として僕に助けの手を差し伸べてはくれない。
―――だけど、大丈夫。
何故ならばこれは現実では無い、まやかしの世界なのだから。現実の僕の立ち位置はそこではない。
すると、どろりと景色が滲んだ。
* *
今、僕の目の前では公然といじめが行われていた。
だけどクラスメートの誰一人としてアイツをかばおうとする奴はいない。寧ろ迷惑そうにしていた。
勿論、僕自身も例外ではない。
だって悪いのはアイツだから。
アイツが弱いのが悪い。
皆と同じ事が出来ないアイツが悪い。
アイツが…。
アイツが…。
アイツが悪い。
『鈍臭い』、『またやった』、『また怒らせた』、『うぜえ』、『煩いな』、『さっさと誰か黙らせろよ』、『嫌なら学校に来なきゃいいのに』、『カスが』、『傍迷惑な奴だ』…空気中に混ざる無言の圧力、悪意を雄弁に物語る視線と言葉の数々。
だけど仕方がない。いつだって悪いのはアイツで、他に非は無いのだから。それに所詮他人事で、自分には関係のない話だ。
不可視の言葉、視線の刃が振り下ろされるたびアイツの表情は苦痛に歪み、アイツは胸を押さえて蹲った。虐めっこ数人がそこへ待ってましたとばかりに追い打ちをかける。
その様子を僕は机の下に隠し持っていたスマホで撮し撮りをしていた。
さて、なかなか面白そうな映像が撮れたぞ、と僕はご満悦顔。
最近、ツイッターのフォロワー数に伸び悩みを感じていた僕は少々スリルのある過激な動画、映像を求めていた。
「あとは此処にこいつを添付して…いや、その前に、もう一度だけ画像のチェックをしておくか…」
そして、そのトップ映像を見た瞬間、僕はそこで固まった。
「(…あれ…?こいつ…こんな顔してたっけ…?)」
それよりも、これは…。
スマホを持つ手がぶるぶると震える。
―――そんな馬鹿な。
嘘だろう。
まさか…。
「…あれは、夢じゃ…」
なかった。
―――何故。
あ り え な い
其処には―――
どろりと濁った眼をした、僕の顔が写っていた。
2016.4.20 似ている名前の方がおられたので『名無しのこんぺい』から『長石のこんぺい』に改名しました。
<(_ _)>