表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/8

3.シュヴァルツヴェルダー・キルシュトルテⅱ




 ************




 余は日頃、ある土地とそこにすむ民の管理を責務としておる。

 この国からは、広大な森を隔てたところにある地だ。


 名前? ……いや、この国の言葉で言い表すのは難しいのだ。


 とにかく、余の治めるそこは、幾千の同胞を抱えている。争いはなく、年中気候の落ち着いた、穏やかな所だ。


 ……そうだな、店主もいずれ来訪するが良かろう……いつか、この件が収まったとしたら。


 ……ここ数十年で、一つの問題が浮上して来たのだ。

 それこそ、余の抱える艱難の根源。


 ――深刻な食糧危機である。


 もともと、昔から、肥沃とはとても言い難い土壌だった。それでも今まで、懸命に田畑を耕し、皆慎ましやかに過ごして、永らえ栄えて来たのだが……。

 ここ最近になり、次第に、外界の者に荒らされることが増えて来てな。交通機関の発達、武力の向上……これといった原因は一つには絞れんが。

 更に加えて、大量の移民を受け入れる機会があった。祖国を追われた者達を拒むわけにもいかぬ。


 結果……需要と供給のバランスは瓦解し、瞬く間に貧困が広まって行ったのだ。貧しさは治安を悪化させ、更に田畑は荒れて行く。やがて飢餓で死ぬ者があらわれ、疫病が民を蝕んでいった……。


 そこで余は、ようやく、決意したのだ。

 遅過ぎたと言えよう。

 もはや、手遅れなのやも知れぬ。

 もう、終焉を迎えるしかないのかも知れぬ。

 それでも……それでも、だ。

 たとえ全てが無駄になろうと、いらぬ犠牲を出すことになろうと……。

 余は、余の民を守らなければならない。

 どんな手段を取ろうとも……。

 それが、余が自らに課した責なのだから。

 故に…………。





 ************





「故に今は、絶賛、領土拡大政策中だ」


 と、魔王さんはそう締めくくりました。

 領土拡大、というと……。


「開墾、とかですか?」

「……好きに想像するが良い」

「それにしても、魔王さんってどこかのご領主様だったんだすね」


 なんとなく、ただ者じゃない感じはしてましたけど、まさかそんなに立派な方だったとは。

 でも言われてみれば、お召し物はいつも仕立ての良いものでしたし、話し方も高貴な感じがするし、納得です。

 お客様には変わりありませんから、今まで礼節を尽くして接して来たつもりですが……身分の高い方への正しい接し方などわからないので、もしご無礼を働いていたらどうしましょう。……いや、それこそ、今更の話ですね。


「まあ、領主、といえばそうだな……」

「大変なのですね、食糧不足だなんて……」


 この世界に、そのような深刻な問題を抱えた国がいくつもあることは、知っていたつもりでした。

 しかし実際にそういう話を聞くと、生々しさを持って私の心を苛ませます。


 ……カフェでの食事なんて、娯楽以外の何ものでもありませんからね。

 食事が娯楽ではなくて、犯罪の動機になってしまうような国の方からしてみれば、どう思うのかな、なんて……。

 そんなことを思えばキリがないのはわかってはいるのですが。


 そんな国のために何かできたら……そうは思えど、理想と現実とは常に隔絶されているものです。不特定多数の方に食料を配る余裕はありません。私にできることなんて、何もないのです。


「……無力な自分が、情けないですわ」

「店主が負い目を感じることではなかろう。お前とは無縁の話なのだから」

「そうは言いましても……」


 食事を提供する立場だからこそ、強く思うのです。飢餓などあってはならないのに、と。

 だって、ご飯は、いつでも楽しく食べてもらいたいじゃないですか。


「……まぁそういう訳で、今後、この店を訪れる機会は減るだろう。ようやく準備が整って、領土拡大政策が本格化して来たのでな」

「あ……そう、ですよね……。……寂しいです」


 数少ないお得意様なのに……。


 と、そんな打算的なことは置いておいても、やはり見慣れたお客様と会えなくなるとなると、純粋な寂しさも感じます。

 でも、それ以上のことを言う訳にもいきません。問題は深刻を極めているのですから。

 魔王さんもその時ふっと、険しい目元を少しだけ、悲しげに緩めてくれた……ように見えました。


「……余も、真に口惜しい。…………この店の甘味は美味だからな」

「ふふ、ありがとうございます。それじゃあ、いつかまた魔王さんが来て下さる時までに、もっと美味しくしておきますね!」

「ふむ、そうだな…………いや。できることなら不変であるのが望ましい」

「え?」

「……きっと、また、同じ味が恋しくなるだろうからな。それに……不思議なことに、ここの甘味は、余の故郷を思い起こさせるのだ……」


 そして、心なしか柔らかく、その鋭い目を細めて――


 初めて、笑顔を見せてくれました。


「ぁ……」


 笑むと、普段からは想像もつかないくらい、優しげな雰囲気になって……。思わず呆然としている内に、魔王さんはするりと立ち上がると、代金をカウンターの上に置きました。


「……では、しばしの間さらばだ、店主よ」

「えっ、あっ」


 驚きと興奮でしどろもどろになる私には一切構わず、魔王さんは颯爽とお店から出て行ってしまいます。

 ああ、いけない! 魔王さんが行ってしまう……! 私は慌ててその背中を追いかけます。


「あ――ありがとう、ございました!」


 呼び止めることなんて、できないから。

 力になれることも、悲しいくらいに少ないから。

 だから、そのすべての代わりに。


「またのお越しをお待ちしております!」


 精いっぱいの感謝と、応援の気持ちを込めて、笑顔でお見送りを。


 魔王さんは振り返らずに、軽く手を上げて答えて下さいました。……きっとあれが、彼なりの“約束”なのでしょう。


 また、戻って来てくれる、と。


 何故だか、その無言の応答は、とても安心感を与えてくれました。きっと彼は約束を果たしてくれると、そう信じられたのです。

 それなら私だって、応えない訳にはいきません。

 私は遠ざかって行く黒い後ろ姿を見つめながら、胸の内で決意しました。


「魔王さんが帰って来るまで……」


 キルシュトルテのメニューは残しておいて。

 彼の特等席も、とっておいて。

 あとは、それから……。


「……募金でも集めようかしら?」


 おそらく、雀の涙ほどしか力になれないでしょうけど。

 ——お客様のために、今できることを、少しずつ。

 それが、カフェのマスターとしての誉れですから。


「よしっ、そうと決まれば、もっとお客様に足を運んで下さるよう、がんばらなきゃ」


 夜の帳が下り初めたグラデーションの空を見上げながら、自分を鼓舞するために呟きます。




 でも、今日はもう店じまい。

 “closed”の看板を扉にかかげましょう。




 さて、明日はどんなお客様が来て下さるのでしょうか————



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ