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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

「業火の将軍」シリーズ

永遠の旅

作者: 橘遼治


 1     



「はい、らっしゃいらっしゃい! 今日はフカが安いよ!」

「さあ、クリフ国から輸入してきたばっかりの織物があるよ!」

「セリヌ渡来の焼き物だ! こんな商品がこんな値でなんて、二度とないよ!」

潮の香りが空気に混ざる港町の市場には、今日も人と物と活気があふれている。

「はい、そこのお嬢さん! 今日のトマトは一味違うよ! 買ってって!」

そんな中で、夕食の買い物をしてる一人の少女をめざとく見つけた野菜売りが声をはりあげる。

「トマトだけじゃない、ほうれん草もキュウリもおいしいったらありゃしない! どう、買って損はないよ!」

「う~ん……でもウチの人、あんまりトマトって好きじゃないのよ」

「おろ? お嬢さん、奥さんだったの? それじゃあますますダンナさんに食べさせてあげなくちゃ! 偏食してたら体に良くない。それにウチのトマトは嫌いな人にもおいしく食べられるんだから」

「ホントに? もし食べてくれなかったら、次来た時オマケしてくれる?」

「もちろんいいよ。もっとも、そんなこと絶対ないけどね」

「そこまで言うなら買っていこうかな」

「まいどあり!」

ほくほく顔でトマトを袋に詰める野菜売りだったが、もし少女の正体を知ったら驚愕することだろう。

彼女は1年半ほど前に滅んだ国の王女であり、彼女の夫はその国の最大の武将なのだから。

肩までの髪と、やさしげで整った顔立ちはそのまま、

白い肌が南国の陽射しにあてられて少し健康的な色になったのをのぞいて、ミユ王女の容姿はほとんど変わっていないように見える。

あの村での惨劇から1年の時が流れていた。



あれから二人がやってきたのは、旧王朝の頃から他国との玄関先になっていた大きな港町だった。

「タクマさんは海って見たことありますか?」

あの悲しい夜が明けた後、どこに行こうか迷っていたタクマにミユは尋ねた。

「海か、何度かね」

「そうですか… わたし、見たことないんですよね…」

深窓の姫君だったミユに、権力と財力はあっても自由は少ない。旅行がままならないのも当然だった。

「そうか、それじゃ見に行こう」

あてがある旅ではない、どこでもいいのだ。それが少しでもミユの幸福につながるのなら、なおさら。

南にあるこの港町に向かうことに、タクマも異存はなかった。



貿易が盛んな町は、人と物とがあふれた町だ。

タクマとミユが訪れたこの町も、たくさんの人と物があふれていた。

金色の髪、赤い髪、青い眼、緑の眼、黒い肌、白い肌。

この国では産出しない宝石、食べ物、そして技術。

言葉すら統一されてはいない。もちろん共通の言語としては、この国の言葉が使われるが。

町の景観も南国特有の色合いに満ちている。原色が強く、太陽すら大きく見える。

「すごいですねぇ…」

はじめてこの町に来た時、ミユは二回こう言った。海を見た時と町を見た時に。

「自然が造ったものと、人間が造ったものとに同じ反応か」

内心、タクマはおかしかったが同時に感嘆もした。人間もなかなか捨てたものではないのかもしれない。

「さて、それじゃ行こうか」

「はい」

二人の新しい生活の始まりだった。



それから1年、ミユはすっかりこの町の雰囲気に慣れてしまっていた。

以前世話になった山村と同じように主婦として生活し、町に住む人たちとも仲良くやっていた。

タクマは、刀鍛冶として働いている。

騎士なだけに、剣を見分ける眼は肥えているし、もともと体を使う仕事は性に合っているのだ。

二人ともいまの生活に満たされていた。だが、あの村でのことを思い出すと、ふと心に寒風が吹くことがある。

いつかこの生活が終わる時が来るかもしれない。そしてそのいつかは、あの時のように突然やってくるかもしれない…

「さ、タクマさん、今日もお腹すかせて帰ってくるだろうな。早く帰ろう」

買い物をすませたミユは、そうつぶやきながら家路を急ぐ。

と、雑踏の中、彼女を呼ぶ声がした。いや、ミユを驚かせたのはその声自体ではない。呼ばれかたが彼女を愕然とさせたのだ。

「ミユ王女」

それは彼女が捨て去ったはずの名前だった。

「いつか」がやってきた…


「ただいま」

タクマは仕事を終わらせて帰ってきた。

迎えてくれる声があった。だがそれは彼の大事な人の声ではなく、彼への敬称も違っていた。

「お帰りなさい、タクマ将軍」

妻に続き、夫も捨て去った名前で呼ばれ、そして妻のために悲しんだ。

安穏と幸福とに満ちたこの生活を、また強制的に終わらせられることを…



   2



その日の夕刻、タクマは家にいた男に指定された場所へ向かった。町外れにある岩場がそれだった。

海岸沿いにあるが、人の目につきにくいのが特徴だ。

こんな場所に呼び出すというだけでも、相手の悪意を感じずにはいられない。

そういう相手とわかっていながら、タクマは武装していない。相手がそう要求したからだ。

ミユを人質に取られていればそれも仕方ない。

だが、最初から最後まで相手の思い通りになってやる義務はなかった。

夕方とはいえ、南国の陽はまだまだ強い。天も地も、朱に染め上げられている。

「……来たぞ」

さほど声を強めることはせず、だが波の音に消されないくらいの大きさで、タクマは到着を告げた。

それに応じて、数人の男が出てくる。

「ようこそ、将軍」

「その職名で呼ばれるのはうれしくないな。それにお前たちに用はない。お前たちの主人と、おれの妻を出してもらおう」

「……妻とな。なかなかだいそれたことを言う」

「……久しぶりだ、宰相閣下」

後から傲然と現われた中年紳士風の男に、タクマは表情を殺して応じた。

表情に傲慢さと、相手への侮蔑が見え隠れするこの男の名はシカイ。

二年前に滅んだ国の宰相(王を補佐して政務を司る最高の官。首相)が彼だった。

法の上ではタクマの上司ということになる。

もっとも、その法の基となる国自体が滅んでしまったのだから、いまの二人は単なる知人でしかない。

そう、友人ではなく知人である。

「たしかに久しぶりだ。忘恩の輩とはいえ、久闊を叙するくらいのことはしてもよかろう」

「忘恩の輩? おれのことか」

「おぬし以外に誰がいる。陛下のただ一人の遺児たるミユ王女を妻だなどと、国王陛下と国家に対して恩を仇で返す行為そのものではないか」

「……それはともかく、宰相閣下こそいままでどこでなにをしておられた?」

「おぬしと違って苦労のし通しよ。陛下の御恩に報いる術を考え、実行するためだけに生きてきた」

「苦労ね……」

ミユを守ってきたこの二年近くを、たしかに苦労だとは考えていないタクマだったが、

シカイが苦労してきたなどとは信じられなかった。

その隙のない服装と、いま彼の周囲にいる雇われたであろう手下のことを考えれば、少なくとも金銭的に苦労はしていないはずである。

「それで、おれと違って恩義に厚い宰相閣下は、いかにして陛下の御恩に報いると?」

「しれたこと。現王朝を打倒し、我らが国を再興させるのだ」

「……可能だとお思いか?」

「その反問自体が、おぬしの忠誠心の薄さを証明するな」

「わかった。とにかくミユ王女に会わせていただけぬか」

「そうさな、会って臣下の礼を取るがよい、我らが新しい国王陛下に」

「…………」

シカイの言葉にタクマはやや表情をゆらした。驚愕ではなく安堵のために。

「無事だったか……」

それもどうやら無傷で。なによりのことだった。これでなにもかも予定通りにいきそうである。

「……国王陛下?」

タクマは半瞬で安堵の表情を消すと、訝しげな表情を作った。今度は演技で。

「そうだ、我らがミユ女王陛下だ」

そんなタクマを気にも止めず、シカイは岩場の影から一人の女性を導き出した。

「…………」

またもタクマはなにも言わなかった。

そんな場合ではないと自覚してはいたが、現われたミユの姿にみとれてしまったのである。

レモンイエローの略式正装は、ミユが生まれ育った王宮で着慣れた服である。

タクマも一臣下であった頃、この服を着たミユを何度か見たことがあった。

だが、約二年ぶりに見るその姿は、タクマに新鮮な感動を与えた。

同じ服を着ているのに、当時より現在の方が数段魅力的になっているのがハッキリとわかったのである。

毎日一緒にいたために気がつかなったのだろうが、やはりこの二年の間にミユは女性としての魅力を増していたのだ。

「……やっぱりミユはきれいだな…」

いまさらながら、彼は自分が果報者であることを実感した。



「タクマさん!」

タクマの数瞬の自失をミユの声がさえぎった。安堵の声であり、夫への全幅の信頼を表す声だった。

着ている服が変わっても、ミユは変わらない。王女にも戻らず、女王にもならない。

そのことをタクマは確信し、ミユに向かって微笑んでみせた。それを見たミユも、微笑みを返す。

だが、そんな夫婦の感交を快く思わない人物が無粋にも二人の間に割り込んできた。

「陛下、いままではいざ知らず、これからはそのようにみだりに臣下に声をかけるのは控えていただきたい」

「宰相……」

「さあタクマ将軍、我らが新国王に対して忠誠を誓わぬか」

ミユの抗議を無視し、シカイはタクマに強要した。

「おれが?」

「当然であろう。陛下が亡きいま、ミユ王女を女王に推戴して大義名分を明らかにせねば、我らのよって立つ場所がないではないか。それとも将軍、おぬし陛下に対して叛意を持つか?」

「我らの国の再興などありえぬよ、宰相閣下」

「……なに?」

タクマの言葉に意外さを見出すシカイだったが、

タクマの方こそがシカイの言葉の裏にひそむものを正確に感じ取っていた。

「現王朝は急速に地歩を固めつつあり、その中で民草は平和を享受している。そんな状況で我が国の再興を叫んだところで、誰も見向きはせぬよ。しかも我らの国が自分たちに対してなにをしてきたかを、宰相閣下は都合よく忘れておられるだろうが、民草の方はよく憶えているであろうからな」

「……どういう意味だ!?」

突然声を荒げる宰相。彼の声は迫力があり、宮廷で彼に反対する者に大きな声を出せばたいていの相手は震え上がったものだった。

だが彼は気がついていなかった。彼の声に震え上がった者は、彼の権力に怯えていたに過ぎない。

だからいまの彼の大声には、なんの力もなかった。

当然タクマも、なんの感銘も覚えなかった。

「意味? 重税を課し、無意味な賦役を強制し、あげくの果てに戦乱を起こし、彼らの家族や友人を殺し、田畑を荒らしてきた。これを怨みに思わない者など、ほとんどおらぬ。我らが滅んだことを喜ぶ人間に満ちたこの国では、宰相閣下の望みなど反感と反発によって霧消するだろうよ」

「貴様……」

燃えるような眼光でタクマを射すくめながら、シカイは唇から怨嗟の声を絞り出した。

もっとも、宰相の本当の狙いを知っているタクマにしてみれば、演技の度が過ぎていて恐れるふりすらできそうにない。



「将軍! おぬしのこれまでの我が国での功績の数々を考慮すればこそ、これまで女王陛下を拉致したてまつってきたことを不問に付し、それどころかあらためて臣下として取り立ててやろうというのに、その不忠の言の数々、とうてい見過ごすことなどできぬ!」

「……それで、どうすると?」

「当然、斬首に処す!」

「臣下の生殺与奪の全権は、国王陛下に一任されている。我が国の法ではそう定まっていたはずだ。つまりおぬしにおれを殺す権利はない」

「…………」

「ちょうどいい、そこに新しい国王陛下がおられる。ひとつ尋ねてみることにしよう」

「なにを……」

あわてて言い募ろうとするシカイを無視し、タクマはミユに向かってひざまずいた。

「我らが国王よ、どうぞ我らに勅命(国王の命令)をお与えください。それが我が命を断てとおっしゃるものであっても、お怨み申し上げません」

一瞬、ミユは戸惑ったが、タクマがなにを望んでいるかすぐに理解し、

そして、それこそおよそ二年ぶりに作った厳かな表情と口調で「勅命」を発した。

「タクマ将軍に罪はありません。そして我が意は、祖国を再興することにはありません。我が国は、私の代で終止符を打ちます。おのおの自由に生きなさい。これが我が意である」

「な……!」

「御意。勅命、つつしんでお受けいたします」

そう言い終えると、タクマは立ち上がって今度こそ失職した宰相に向かった。

「そういうわけだ、勅命は下った。これを無視する者は叛逆者として処罰される。宰相閣下もおわかりだな?」

「こ、このような勅命……」

「無効だとでもおっしゃるか? それこそ不忠の極みであろう。まして宰相閣下がおたてになった国王陛下だ、その勅命に逆らうなどありえぬと思うが?」

「……………」

瞳に、今度は本物の憎悪を込めた元宰相をながめながら、

タクマは口元を皮肉にゆがめて、冷笑するように語を吐き出した。



  3



「まあ、もう茶番はよかろう」

「なんだと?」

「新王朝が発表した主な戦死者の中にも帰順者の中にも、おぬしの名前はなかった。死んだなら死んだでよかったのだが、そうではないならおぬしのこと、いまでもどこかで新王朝への帰順をはかっているであろうこと間違いない。だが奸臣(よこしまな家来、腹黒い家臣)の中の奸臣であるおぬしが帰順を申し出たところで、新王朝が応じるはずもないし、それはいまでも変わってはいないはず。自分の保身と損得に関しては天才的な奸智を誇るおぬしだ、そんなことがわからんはずもない」

タクマの声に冷厳さが増した。

「だがおぬしの権力志向からいけば、新王朝に取り入ることをあきらめるはずもない。手ぶらで入るのが無理ならば、なにか手土産が欲しいところだな。ミユと、ついでにおれの身柄があれば充分と思っても不思議はない」

目に皮肉以上のものを込めて、タクマは元宰相をながめる。真実を突かれた者の顔がそこにはあった。

「ミユをさらい、傀儡(かいらい。陰にいる人物に思いどおりに操られ、利用されている者)にすればおれも言いくるめられると思ったのだろう。おれはおぬしから見れば単純な武辺にすぎぬからな。甘く見られたとは思わんが、もう少し微細をこらしてくれねば、だまされたふりもしてやれんぞ」

そこまで聞くと、シカイは無言で正体を現した。

軽く手を上げ、刺客の一人にミユを後ろから羽交い絞めにさせ、残りの七人が剣を抜いてタクマの周りを包囲する。

「……なるほど、さすがに低能ではないな。二十代で一軍を指揮するだけのことはある」

「そのおれに、この程度の人数で太刀打ちできると思っているのか?」

「そうさな、剣を持ったおぬしなら危なかろう。だが素手で、しかも人質がいるのならばそう危険ではない。違うか?」

「…………」

「どうだ、おぬしも新王朝に帰順せぬか? 私にしても、死んだおぬしより生きたおぬしの方が価値があることはわかっておる。新王朝にとってはミユ王女さえいれば、おぬしと私を合わせても釣りがくるというものだ」

「……おぬしは先ほど、おれを侮辱した」

「……なに?」

「おれを忘恩の輩とそしったであろう。いまなお陛下の忠実な臣下であり、微力ながら勅命を守り通してるおれに対して、非礼中の非礼を行ったのだ。そのような相手と、同じ日の下で生きるつもりはない」

「……そうか、それではおぬしの首だけを持参して行くこととしよう。王女のおまけとしての価値はあろうからな」

「もう一度聞くが、この程度の包囲でおれを止められると思っているのか?」

「おぬしこそこの状況の中、なにができると言うのだ?」

「そうさな、こんなことができる」

せせら笑いを始めかけたシカイに無表情に応じると、タクマはいきなり手首をひるがえした。



「が!」

ミユをおさえていた刺客がのけぞって倒れる。その目には短剣より小さい剣が刺さって、すでに絶命していた。

それはひょう(手裏剣)というこの国にはない武器で、

タクマがこの町で知り合った異国の兵士に使い方や作り方を教わったものであり、タクマの自作でもあった。

このことあるを予想して作っておいたのだが、使うことにならなければいいというのがタクマの偽らざる本心だった。

「な!?」

あまりにも意外な出来事に、シカイたちの動きが止まり、視線が倒れた刺客に向かう。

その瞬間をのがすようなタクマではなかった。

「蜂鹿!」

その声に応じて、巨大な物体が頭上から降ってきた。

それがタクマを包囲する刺客のうち、二人を踏みつぶす。

「うわ……!」

それはタクマの忠実な戦友である愛馬、蜂鹿ハチロクだった。

脚だけが黒い、賢明なこの白馬は、タクマに言われて最初から岩場の上に隠れていたのある。

タクマはミユとこの辺りに散歩に来たことがあり、土地鑑があったのだ。

混乱が増大する中、蜂鹿はくわえていた剣を鞘ごとタクマに放る。

「ミユを守れ、蜂鹿!」

剣を受け取りながら、タクマは蜂鹿に命じ、

言われたとおり、蜂鹿はミユの前に立ちはだかって、刺客たちを威圧する。

もうタクマを掣肘するものはなにもなかった。



一剣を得、人質がなくなったタクマが相手では、残った人数がたとえ数十人いたところで結果は同じだったであろう。

一閃ごとに刺客たちを斬りふせ、自分には相手の切っ先すら触れさせない。

ミユがまばたきを十回するほどの間で、立っているのは彼女の家族とシカイだけとなっていた。

シカイはすでに蒼白になっている。

いくら嚇嚇たる武勲を誇る武将とはいえ、たかが小僧と考えていたタクマに、こうも完全にしてやられるとは思っていなかったのだ。

「宰相閣下、礼を言うぞ」

タクマが冷然と言う。

「な、なにを…」

「よくぞ今日まで生きていてくれた。貴様の甘言(相手の気持ちをさそうように、うまくいう言葉)で陛下がどれだけ事を誤ったか、貴様の讒言(ざんげん。他人を陥れようとして、事実をまげ、いつわって悪しざまに告げ口をすること)でどれだけの人間が無駄に死んだか、貴様の悪政(人民の意思を無視し、人民を苦しめる政治)でどれだけの民草が苦しんだか。まさかその怨みをこの手で晴らせるとは思っていなかったからな。よくぞ生きていてくれた、おれに殺されるために」

淡々と、だが冷然さと酷薄さがない混ざった声音でタクマは言い放ち、シカイに近づいていった。

「ま、まて、将軍。私を殺したら今度は新王朝の軍隊がやってくるぞ。私はおぬしたちを説得するために彼らの先兵としてやってきたのだ。私が戻らねば……」

「さっきも言ったが、貴様の自分の損得に関しての奸智はこころえている。もし新王朝におれたちのことを報告していたとすれば、貴様などあっさりお払い箱で、おれたちのところへは新王朝からの正式な使者がやってくるだろう。そうなっては貴様としては具合が悪い。つまり貴様と新王朝との間にはなんの接点もない。おれたちを見つけたのが貴様で、本当に助かったぞ」

タクマは歩みつつ、剣に付いた血を振り払う。

「それにもし、つながりがあったとしても、おれたちの説得に失敗した貴様の次にやってくるのは、どうせ新王朝の軍隊であろう。それならば貴様を帰さず殺してしまった方が時間が稼げるし、なによりおれの気が済むというものだろうが」

豪胆なタクマの言に、シカイの舌は凍ってしまった。

そんな元宰相を冷ややかにながめながら、タクマは彼の前に到着した。

「さあ、もうよかろう、貴様のいるべき場所へ行って罪をあがなってこい。すべての罪をあがなうためにどれだけの時間が必要かは、天界の神々か地獄の番兵に訊け!」

前王朝の宰相にして奸智に長けた野心家の頭蓋骨は、いまはただの刀鍛冶によって爆砕された。




  4



「タクマさん!」

すべてが終わって、ミユはタクマに駆け寄った。

日はすっかり落ちている。月は出ていない。

「大丈夫か、ミユ? ケガはないか?」

「はい、一応女王として扱われてましたから」

剣を鞘に納めながら心配そうに尋ねるタクマに、ミユは苦笑いしながら応えた。

「そうか、それならよかった」

「……あの、タクマさん。ほんとに軍隊とか来ないでしょうか?」

「ああ、大丈夫だと思うよ。だけど……」

「え? やっぱり来ると思いますか?」

「いや、そうじゃない。ただこの国にいる限り、こういう輩と再会する機会はこれからもあるかもな、と思ってね」

「そうですね…… もしいまの王朝に見つからないとしても、シカイ宰相みたいな人に見つかれば今回みたいなこともあるでしょうから……」

ミユの声と表情が沈むのを見て、タクマは表情を崩してひとつの提案をした。

「この国を出ようか?」

「え?」

「船に乗って、誰もおれたちのことを知らない国へ行ってみないか?」

「他の国へ……」

それはいま、突然思いついたことではない。前々から考えていたことではあった。

しかしいくら王朝が変わったとはいえ、自分たちが生まれ育った土地を離れるのには、やや抵抗があったのだ。

だが今回のことで、ある意味踏ん切りがついた。

この国にいる限り、自分たちに安息の日々はやってこないのだということがはっきりしたのだ。

「あの宰相を斬ったことで、陛下の無念も少しは晴れただろうし、どうかな、ミユ?」

「……そうですね、それもいいですね。うん、そうしましょう、タクマさん」

「よし、決まりだ。それじゃ帰って出立の準備をしようか」

「はい、そうしましょう」

惨劇の場にふさわしくない明るい笑顔が二人の間にはじける。

と、彼らのもう一人の家族が不満そうに鼻を鳴らした。

「わかってるよ、蜂鹿。お前もちゃんと連れて行くさ」

「ええそうよ、ハッちゃん」

蜂鹿はもう一度鼻を鳴らした。今度は満足そうに。

そんな愛馬を見て、彼らはもう一度笑い合い、連れ立って家へ帰っていった。



二人が旅立つ夜は、決まって月がない。

だが今夜は、満天の星がまたたいていた……



                              おわり


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― 新着の感想 ―
[気になる点] 言葉の説明はあとがきに書いた方が文章の流れが切れないのでいいと思いますがいかがでしょう? 例えば勅命(国王の命令)⇒*勅命 あとがきに「*勅命…国王の命令の意」 [一言] 恋愛ものと…
[一言] 自業自得の元宰相 うまく追い払えてよかったですね ひとまずは平穏な生活
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