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ノスタディア国の反逆者  作者: 志木圭介
第一章:聖ナル者
9/10

#8 十字架

「ヒマリ、どうして!」

「…………」


 何かがおかしい。俺はヒマリに羽交い締めをされ、ピンチに陥りながらも考えていた。冷静になれ。思考を放棄した時、俺は完全に敗北する。

 俺を締め付けるヒマリの力は、女の子とは思えないほど強かった。そして、ヒマリがこんなことをするはずがない。彼女の様子は、明らかに変だった。


「まさか、催眠術……」

「正解,頭が切れるね、君は」


 オシリスは楽しそうに笑うと、ゆっくりこちらに近づいてくる。俺を焦らせるつもりか。

 まあいい。オシリスに関する謎が一つ解けた。どう考えてもおかしい信仰を持つノスタディア神教が、多くの人々に支持されてる理由は、ノスタディア人全体に弱い催眠術をかけているからだろう。ヒマリのは、その強さを上げただけ。


「君はさっき、観測者のことに言及したね。ついでだから教えてあげるよ。強い催眠術がかかっている人は、それがかかっている間の記憶がない。だから」

「俺を殺せば、観測者は存在しなくなると」

「ご名答。ちなみに言うけど、オレは三十人ほどを強い催眠術にかけている。君が勝てるわけないよ」


 なるほど、<祭壇>前にいるシスターたちがそれか。だとすると、少しやっかいだな。


 俺が使える手段はいくつかある。瞬間移動するか、ヒマリを催眠スプレーで眠らせてオシリスを倒すか、オシリスに謝り倒して許してもらうか。

 だが、それもだめだ。ここで瞬間移動を使ってしまうと切り札として活用できなくなるし、オシリスに勝てる確率は低いし、最後のはプライドが許さない。


「うまいものですね、オシリスさん」

「負けを認めるのかい?」

「まさか」


 俺の言葉に、オシリスはまた笑う。まるで俺をいじめられるしか能のない豚として見ているかのようだった。


「負けを認めれば、君は楽になれるよ?」


 オシリスの目が、赤く光る。これって、まさか!


「ぐっ……ぐあああああ」


 頭を、強烈な痛みが襲う。まるで脳細胞を一つ一つ取り出されて串刺しにされていくようだった。このまま頭を切除してしまいたくなるほどに強烈な痛み。これが、催眠術か……!


「認めなよ、自分の負けを。全てを受け入れれば、君は楽になれる」


 認める? 受け入れる? 俺にはその言葉が天使の啓示のように聞こえた。そうか、全て受け入れてしまえばいい。そう思った瞬間、全ての痛みが消え去った。


「せっかくだから、面白いことをしようか」


 オシリスは呆けたように立ち尽くす俺に対し、微笑みかける。


「さあ、君が殺すんだ、逢川冷香を」


「ああ、わかった。だが、武器なしでは殺せないぞ」

「あそこに落ちている剣を使うといい」


 オシリスが指さしたのは<ストームブリンガー>。レイカ自身の武器で刺せ、とはなかなか面白いことを言ってくるものだ。

 俺がゆっくりと<祭壇>の方向に歩き出すと、オシリスは俺のすぐ後ろをついてくる。ヒマリは教会の入り口に残っていた。


「ケント……、どうして……」

「犠牲なしに、平和はありえない」


 この前とは違い裸ではないレイカは、救いを求めるように俺の目を見る。俺はついに<ストームブリンガー>を拾い上げると、持ち上げた。


「……?」


 鞘に入っていた時と違って、あまり重くない。それは剣に満ちていた<アルマ>の枯渇を示しているのか、鞘のすさまじい重さを示しているのか。だが、そんなことどうでもいい。

 ちらっと後ろを見ると、オシリスはやはり後ろで見ていた。レイカが殺されるところを、間近で見たいということか。下劣な趣味を持っていることで。

 剣術のまねごとのように、<ストームブリンガー>を中段に構える。まるで瞑想をしているが如く、俺の脳内は静かに澄み切っていた。


「ケント、催眠術に、負けないで」


 レイカの言葉も、音として聞こえるだけで、脳が理解する前に消えてしまう。俺は今までにないほど、極限の集中状態にあった。俺の様子に気圧されたのかわからないが、オシリスは黙り込んだままだ。

 俺が観察しているのはレイカの一挙一動。ミリ単位で計算を間違えれば、取り返しのつかないことになる。慎重になりすぎても、失敗しかねない。許されるのは、ただ一点のみ。


「…………」


 まるで俺が全てを支配しているかのように、シスターたちも、ヒマリも、オシリスも、レイカも身じろぎ一つしない。その極限の集中状態の中、俺はついに覚悟を決めた。


「ーー計算終了」


 その言葉とともに<ホール>を出現させる。場所は俺の目の前と、レイカと十字架の間。前者は割とどこでもよかったのだが、後者は違う。少しでも十字架にめり込んだり、レイカの体にめり込んだりしたら終わりだ。

 オシリスが事態を理解できていないうちに、一瞬にして反転し、彼に剣を突きつける。


「無駄だよ」


 オシリスを切断しようとしていた<ストームブリンガー>は、彼の首筋一歩手前で止まり、剣と同じ緑色のスパークを飛ばす。


「ーー<ホール>を収縮し、空間を切断」

「何っ!?」


 オシリスが俺の言葉に驚くが、狙ったのは彼ではない。


 金属が引きちぎられて、レイカを十字架から解放する。<ホール>というのは、こういう使い方もできるのだ。しかも基本的に切れないものは存在しない。<ストームブリンガー>に似ている。

 発動に時間が掛かるし、動く物体には当たらないので、<ストームブリンガー>には遠く及ばないが。


 今一度オシリスに向き直り、告げる。


「俺に催眠術は、効かない」


 俺は、物事を忘れることができない。その記憶は野原に生える草花の数、二点間の距離と方角まで正確で、改変されることもない。俺はこれを、<絶対的観測>と呼んでいる。

 記憶が正確すぎるが故に、そこに主観は存在しない。俺はこのノスタディアで唯一、絶対的な観測者である。忘れられないのは不便でもあるが、研究者としては重宝している。

 瞬間移動技術だって、<絶対的観測者>でなければ成立しなかった。ミリ単位で正確な座標計算は、普通の頭では対処しきれないのだ。

 この<絶対的観測>によって、俺は記憶を失うことがない。つまり、記憶が消えてしまう催眠術は効かないのである。


「ほう、面白い。だが、一人が二人になった所で、オレたちに勝てるかな?」

「二対二なら、勝てる」


 十字架から解放された後、一瞬で迎撃体制を整えたレイカに、オシリスに刺すのをあきらめた<ストームブリンガー>を託す。俺が持っていてもしょうがないからな。今、脅威になるのはオシリスと、そしてヒマリ。ヒマリは傷つけられないのでやっかいだが、先にオシリスを叩いてしまえば問題ない。


「何を言っているんだい? 三十二対二だよ」


 それはつまり、後ろに控えているシスターたちも戦いに参加するということ。だが、人数差など関係ない。オシリスを叩いてしまえばいい、それだけだ。


「挑んでみるかい? どうせ無駄になるけど」


 彼は自信満々に言い放った。俺はレイカに耳打ちをする。


「なぜ、<ストームブリンガー>が受け止められた?」

「わからない」

「そうか」


 レイカにこういうことで頼るのは無駄だと、確信した瞬間だった。

 オシリスは、空間ごと切る<ストームブリンガー>を受け止めた。理由として考えられるのは、オシリスがそもそもここにいない可能性と、<ストームブリンガー>がそもそも切っていない可能性と……。


「このままでは不公平だと思うし、種明かしをしてあげよう。俺を覆っているのは<アルマ装甲>」

「<アルマ装甲>なら、切れたはず」

「そう、ただの<アルマ装甲>ではない。無限に生み出し続けているんだよ、オレは」


 さっき三十二対二、と言った理由はそれか。何人ものシスターたちが術式を掛け続けることによって、オシリスの<アルマ装甲>は無限に上書きされる。<ストームブリンガー>が切断する速度が、<アルマ装甲>の更新速度に負けているのだ。

 <祭壇>のせいで、いくら長期戦をしても不利になるだけだろう。速めに叩く必要がある。

 本人に攻撃できないなら、周りから崩せばいい。レイカにそのことを伝え、俺は彼女の後ろに下がる。


「オシリス、勝負」


 レイカは剣を正眼に構え、いつでも攻撃できるような体勢になる。

 俺はポケットから取り出した<アルマ石>を握りしめる。この大きさなら、三回程度は発動できる。


「違うね。君たちが戦うのはオレじゃない」


 オシリスは人間とは思えないジャンプをすると、教会の入り口に立った。おそらく、風属性の<アルマ>を使ったのだろう。


「君たちが戦うのは、この子だよ」


 オシリスを守るように、得物らしい杖を握りしめる人は……、


「ヒマリ、侵入者たちを全力で叩きのめしてあげます♪」

 

 やはり、我が義妹なのだった。



「シスターの十五人をヒマリちゃんの補助にまわそう。がんばってくれたまえ」

「はい♪」


 オシリスはヒマリを連れて、また<祭壇>前に戻る。

 ーー僕は、ヒマリと戦うの?

 イヤだ、そんなこと。

 ーーじゃあ逃げようよ。

 無理だ今更。もうオレは、覚悟を決めなければならない。ヒマリをできるだけ傷つけずに、オシリスを倒す。それが今できる最善のこと。


 弱い自分を抑え込み、俺は守るべき義妹に向き合う。もう、迷う時間は、ない。


「ケント、作戦は」


 レイカは至って平静な様子で質問する。その割に人任せだったが。


「おまえはヒマリを抑えろ。その間にオシリスをやる」

「了解。シスターは、私が殺す」

「は?」


 今、俺たちの間に致命的な溝があった気がする。殺す? ヒマリを? 思わず疑問符を発した俺に、レイカは不思議だというような目をしている。


「敵性分子は、殺さないと」

「ヒマリは敵じゃない。操られているだけだ」

「結果としては同じ敵。あなたは甘い」


 そう、レイカはヒマリと会ったことがない。たとえ出会っていたとしても、同じ行動を取る気がするが。まるで感情を持たないロボットのように、最善の行動を選択する。そこに情けというものは存在しない。

 俺のことも、使えると思ったから勧誘した。少々癪だ。思わず、態度にも毒が出る。


「おまえは、二度も負けたくせに」


 ああ、俺らしくない。かつての「僕」が設定した、仮面としての「俺」は、冷静に物事を判断して最善の結果を出す人だったのに。


「ヒマリ、もう待てません! こっちから始めますよ!」


 愛しき我が義妹はそう言い、杖を振りかざす。先端に青色の結晶ーーおそらく<アルマ石>だろうーーがはめ込まれた銀色のものだ。


「属性は氷、形状は紡錘、数はたくさん。発動、<生活系アルマ>第三種一番、<氷晶>!!」


 そのかけ声と同時に、ヒマリの頭上で無限かと思われるほど多い、紡錘系の氷の結晶ができる。普通人体に当たっても危害はないほどもろいはずだが、シスターたちの術式増幅効果によって、何倍にも硬度が強くなっているのだろう。そして、数と密度もすさまじく、とても避けられるものじゃない。

 発動している術式は基礎中の基礎だが、使い方によってはここまでの凶器になる。やはり攻撃性の<アルマ>でなくても、人を殺すことは可能なのだ。これが、<禁忌>の穴。


「属性は風、形状は不定、速さは最高。発動、<生活形アルマ>第五種三番、<塊風>!!」


 さっき発動した氷の結晶が、風に吹かれて発射される。その行く先にはもちろん俺たち。

 俺はそれを呆然と見ることしかできない。レイカは<ストームブリンガー>を高速で回して応戦した。


 回る剣の防御網から一つの氷がすり抜け、俺の頬をかすめる。それはまるでねらったかのように、正確なコントロールだった。レイカは残りの<氷晶>を弾ききると、無機質な目でこちらを見た。


「使えなければ、守る意味はない」


「レイカ……ッ!」


 俺の頬を、一筋の血が流れた。



 レイカの性格は、どう考えても一般常識から外れている。彼女の心は無機質で、信じられないほどに死んでいる。完全な合理性に生き、感情というものを持たない性質。いや、後天的に削られたか。彼女をこんな無機質にした原因は、何なのだろうか。

 俺もここは感情を抑え、合理的に行動しなければならない。ただ、ヒマリは絶対に殺させない。


「レイカ、ヒマリを抑えておけ。ただし絶対に殺すな。あちらには控えが三十人もいるんだ。消耗戦になってしまう。俺はオシリスを叩く。そのための方法が、俺にはある」

「……わかった」


 本当はヒマリを殺させないための、穴ばかりの主張だった。シスターを殺すほど向こうの戦闘能力は落ちる。だが、レイカは騙されてくれたようだった。


「術式を発動するまで時間が掛かる。その間、俺を守ってくれ」

「了解」


 レイカはそう言い、静かに剣を構える。ヒマリはそれを待っていたかのように、また<アルマ>を発動する。


「属性は土、形状は砂粒、数はおびただしいほどに。発動、<生活系アルマ>第二種二番、<砂塵>!!」


 ーー目視により目標までの距離と方向を計算。

 ーー結果、5.34m、北から東に28.4°。半径1mの円として、<ホール>形成準備に入る。


「続けて発動! 属性は風、形状は不定、数は無限。発動、<生活系アルマ>第五種九番、<螺風>」


 ーー地面からの距離を0.13mとして双方に<ホール>形成。完了。

 ーー座標折りたたみ位置を2.67mとして空間婉曲開始。


「長くは持たない、早く」

「もうすぐだ」


 そして砂塵の渦がレイカとぶつかる。レイカはさっきと同じように受け止めていたが、明らかに押されていた。


 ーー空間接続完了。


「もう大丈夫だ」


 そう言いながら<ホール>をくぐり、ヒマリの攻撃が当たらない位置まで移動する。それはただの退却ではなく、ヒマリに邪魔されずにオシリスを叩けるというメリットもあった。横目で見たところによると、レイカはヒマリと近接戦に持ち込んだようだ。


「オレと戦うつもりかい?」


 小馬鹿にしたように笑うオシリスは、余裕に満ち満ちていた。

 レイカならば、ヒマリを受け止められる。そして、オシリス一人ならば、俺でも対処できるかもしれない。いや、対処しなければならない。

 俺はまっすぐにオシリスへと走り出す。通常ならば一発殴られて終わりだろうが、俺を見下している今ならばーー!


「ーー<ホール>をオシリスの周りに開放、収縮開始します」

「なにっ!!」

「フェイクだ」


 一歩飛び退いて体勢が崩れたオシリスに向かって、ポケットから取り出した催眠スプレーを突き出す。

 オシリスはノスタディア人のため、<攻撃性アルマ>を使うことができない。<防御系アルマ>で体表を覆っているとはいえ、気体ならば受け止められないはず。    


「オシリス!!」


 目の前には体勢を崩して何もできないオシリスの顔。この瞬間、俺の勝ちは確定した。そう思っていたのに……。


「オシリス様!」


 信じられないスピードで、俺とオシリスの間に割り込んだのは我が義妹。彼女はレイカと戦闘しているはずじゃ……。俺は刹那の疑問に答えを出せず、突き出したスプレー缶が杖の殴打により吹き飛ばされるのを、ただ呆然と見つめていた。

 

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