#3 招待状
僕は薄暗い静かな部屋の中で、ふとんの中で丸まっていた。あれで、よかったのだろうか。
ロベリアの言葉に対し、白衣をまとった僕はイエスと答えた。だが、白衣を着ていない僕は、それを後悔している。僕なんかに守れるのだろうか。
僕に全然温かさを与えてくれないふとんは、答えてくれない。
もちろん、ロベリアが殺されるのを容認するわけではない。もしできるものなら、全力で止める。
だが、相手は異世界の異種族らしい。こんな、少々頭が切れるだけの僕に戦えるのか? 不思議なほど、勝つビジョンが見えなかった。
「お義兄さま、まだ起きてる?」
眠いのか、言葉にいつもの元気がないヒマリの声は、横から聞こえてくる。家が狭いため、僕とヒマリの寝室は同じなのだ。
「うん」
自分から話しかけてきたにも関わらず、ヒマリは少しの間黙っていた。そして、静かに言葉が紡がれる。
「もしよかったら……、明日、一緒に教会に行かない?」
「僕は、あまり宗教とか興味ないし……」
煮えきらない僕の返事に、ヒマリは怒ることなく、誘いの言葉を投げかけ続ける。
「明日は休日だし、お義兄さまも暇でしょ? ロベリアさんの安全を、神さまにお願いするの!」
「別に神様に頼んだって……」
「お義兄さま!!」
「……ごめんね、こんな僕で」
文字通り、白衣を着ている時の僕と、着ていない時の僕では、性格が百八十度変わる。昼間はずっと白衣なので、この状態の僕を知っているのはヒマリくらいだが。
「白衣、着てこようか?」
「それはやめて、お義兄さま。ヒマリ、白衣を着ている時のお義兄さまは無理をして、なんでも抱え込んでしまっているようで……。ヒマリは、本当のお義兄さまとしての答えを求めているんだから」
「ヒマリ……」
やっぱり、ヒマリは最高の義妹だ。僕たちの間に、しんみりとした空気が流れる。彼女はそれが苦手なのか、別の話題に切り替えた。
「あ、そうそう! ロベリアさんって、お義兄さまの前ではどんな人?」
「とても優秀で、僕なんか一生追いつけない人だよ。たまに説教臭いのが玉にきずだけど」
彼女は、かつてのニーナにこそ及ばないものの、それに次ぐ実力者だった。そして、彼女には、全てを包み込むよな優しさがある。
「ふふっ、お義兄さまには、ロベリアさんに説教されるのも重要だと思うの!」
「どういう意味だ、それは」
「ヒマリは、白衣を着ている時のお義兄さまと、着ていない時のお義兄さまが、少しでも近づいてくれたらいいな、と思っているだけ。そのためには、姉みたいな存在も必要なのかなって!」
「妹みたいな存在もか?」
この状態の僕としては珍しく冗談を発すると、ヒマリは笑いをこらえてそれに答えた。
「じゃあ、そろそろ寝るよ。お義兄さまも、しっかり休養してね!」
それっきり、ヒマリの声は聞こえなくなり、静かな寝息がそれに変わる。僕は、その規則的なリズムに揺られながら、自然に一言を発していた。
「教会の件、考えておくよ」
ヒマリの寝息は、その時だけ少し乱れた。
*
翌日、僕の安眠は、まだ夜が暗いうちに破られた。何やら外が騒がしいのである。
「侵入者は?」「現在は一名と聞いている」「本当に大丈夫なのか、侵入者がどんな力を有しているか……」「安心しろ、オシリス卿がいるわ」「そうですね、あの方ならば」
何の、会話だろうか。僕はふとんを抜け出し、寝間着の上に白衣を羽織る。それは、冷静な自分になるための暗示のようなものだった。
「お義兄……さま?」
「大丈夫、ただのトイレだ」
寝ぼけ眼でこちらを見るヒマリに言い訳する。なにやら不穏な予感がする。
キーワードは侵入者、オシリス卿、力。<禁忌>のおかげで犯罪などめったに起きないノスタディアでは、本来ありえない状況だ。
俺は、外の声に聞き耳を立てる。
「<祭壇>は大丈夫なのですか?」「オシリス卿がいると言っただろう」「しかし、なぜ今更になって侵入者が……」「知らん。とにかく、このまま聖アルカナ教会で合流する。戦力はいればいるほどいい」「了解」
去っていく人々に向けて、俺は厳しい視線を向ける。あいつらが着ているのは<アルマ装甲>か。どうやら、本格的な戦闘部隊らしい。そして、教会という新たなキーワード。教会に、戦闘集団。
ヒマリは、そんなところで働いていたということか。これは教会に一緒に行く約束も……。
いや、むしろこれはチャンスだ。ある程度なら今起こっている騒ぎについて教えてくれるだろうし、ヒマリの職場の実態も把握できる。ヒマリの今度について考えるのはそれからだ。
その後しばらく外を見ていたが、教会のほうで爆発音が聞こえたくらいだった。
「お義兄さま、少し早いけど、朝ご飯にしない?」
やがて起きてきたヒマリは、外を見て思案し続ける俺に向かって言った。これ以上考察すべきこともなかったので、俺も素直に従う。
俺とヒマリの寝室の左側にある部屋がリビングだ。古びた机の上には、すでに朝食が用意されていた。
「ヒマリ、いつのまに作っていたのか」
そして、俺はどれだけ音に鈍感だったんだろう。思考途中だと五感が鈍くなるのは、ちょっと修正したほうがいいかもしれない。
「いや、ヒマリは作っていないんだけど……」
「は?」
すると、可能性は三つに絞られる。一つ目はヒマリが嘘をついている可能性。これは嘘をつく理由がないので却下。二つ目は、外で会話していた集団が、庶民の俺たちにお恵みを与えてくれた可能性。ありえない。
とすると、可能性はもともと一つしかないのだった。
「ロベリアか」
「あ、起きましたか、ケントくん」
キッチンのほうから顔を出したのは、やはり長髪の女の子だった。ちなみに、なぜか白衣を着ている。エプロン代わりとしては、化学薬品が染み着いたそれは、不衛生すぎると思うが。
「いつのまに不法侵入を?」
「不法じゃないですよ、ケントくん。あなたが私を入れてくれたんじゃない」
「ということは、おまえ泊まってたんだな」
俺とヒマリに気づかれないように泊まるなんて、無駄なところで頭がいい。どうやったかについては、疲れるだけなので考察しない。
「そうか、今度からはやめろ」
「わかりました、ケントくん」
そうして、俺たちは、三人での朝食を取ることになった。
用意されていた朝食は、割と簡素なものだった。キャベツとハムをソヤマメのパンで包んだサンドイッチに、ハチミツで甘くしたミルク。貴族ともなれば、もっと高級な食材を使って、豪勢な料理を作りそうなものだが。そもそも、この年で料理ができる貴族というのは、たぶん珍しい。俺たちは、ヒマリによる食前礼拝が終わると、朝食を食べ始める。そして……。
「どうですか、お味は」
「はい! 最高においしいです! 明日から自分の料理がまずく思えるくらいには!」
「いや、ヒマリの料理もおいしいぞ」
確かに、ロベリアの料理はおいしかった。身内補正入りのヒマリと同じくらいのおいしさだ。客観的に見ればロベリアの料理は圧倒的なのだろう。
俺は料理を作らない。最初のほうは義兄として、ごはんを作ろうと考えたものの、やがて料理の才能のなさに気づいた。ヒマリ曰く、「食べ物で遊ばないでよ!」。俺は大真面目だったのだが。
そういう訳で、現在は全てヒマリに任せている。彼女の料理は、最初こそ拙かったものの、だんだんとおいしくなっていった。
「お義兄さま、教会は九時から始まるので、もうすぐ行きましょう!」
考えておく、と言っていたのに、いつの間にか行くことになっていたらしい。今朝のこともあるし、行くことは確定していたのだが。しかし、そもそも教会が開いているかどうかわからない。爆発音から言って、教会がなくなっている可能性も捨てきれないからな。
「ああ、食べ終わったらすぐ用意する」
「ケントくん」
「どうした、ロベリア」
「私も、教会に連れていってもらえますか」