#2 初対面
あれから五分後、俺たちはついに、一軒の家屋の前にたどり着いた。言うまでもなく、俺とヒマリの家である。
俺の家は、ロベリアに見せるのが申し訳ないほど貧相なものだ。貴族の家とは違い、金属類が全く使われていない。古びた純粋な木造家屋だ。
同じく木製の動かしにくい戸を開け、家に入る。すると、すぐさまヒマリが駆けてきた。
「お帰りなさい! 今日は早かったね、お義兄さま♪」
「ああ、おかえり」
「お邪魔します」
ヒマリはサイドテールにまとめた茶髪を揺らしながら、笑顔満点で挨拶してくれたが、その表情はロベリアを見た瞬間に固まる。
「……あ」
「どうしたんだ?」
いぶかしげに思って質問すると、ヒマリはすぐさままくし立てた。
「どうした、じゃないよ! だだだだ誰ですかあの人! まさか、まさか、お義兄ちゃんの……こ、恋人っ!?」
「俺がそんなもてるように見えるのか? 彼女は俺とペアを組んでいる研究者だ」
「あ、なるほどです! 初めまして、ケントニスお義兄さまの義妹、ヒマリ・フランクです、よろしく♪」
初対面からこの口調とは、さすがヒマリ。わが義妹は基本的に、かなりフランクなのだ。俺の後ろに立つロベリアはそんなヒマリに対しても、丁寧に腰を折って挨拶した。
「こちらこそよろしくお願いしますね。ロベリアと申します」
「彼女は一級貴族なんだから、できればもっと丁寧に話してくれ、ヒマリ」
「あ、はい……」
ヒマリは惚けたように返事をすると、次の瞬間叫んだ。
「って、ええええええええええええええええ!! ななななんでそんな人がここにおられるのですかあああ!!」
落ち着け、ヒマリ。あきれる俺だったが、ロベリアもこの様子には思うところがあったのか、ヒマリに優しく説明する。
「ちょっと大事な話があるのですよ」
「畏れ多いですぅ……」
ヒマリは急に正座をすると、床に頭がつくようなお辞儀をした。はたから見ると、ふざけているようにも見えるが、本人は大真面目である。ロベリアはヒマリの様子にちょっと嫌そうな顔をする。
「なんで私の階級を説明したのですか、ケントくん」
「俺も、ここまで過剰反応するとは思っていなかった」
棒読みでそう答えると、ロベリアはヒマリに合わせるように屈み、優しげに話しかけた。
「ヒマリさん、階級なんて、気にしないほうがいいですよ?」
ヒマリは少し涙目になっている顔を上げ、おびえるようにロベリアを見つめた。
「庶民は、貴族に逆らってはいけないのです……」
ヒマリのこの様子、実は予測できていた。その上で、彼女の貴族に対する過剰反応を取り除こうと、ハードルが低そうなロベリアを連れてきたのだが……。あのことは、ヒマリにかなりの傷を与えていたということか。
ここは、ロベリアに任せるしかない。
「じゃあ、一級貴族として命令します」
「はい……」
「私と、友達になりましょう」
*
俺は元々、三級の貴族だった。それは単に、両親が三級貴族だったからだ。両親は、とても内向的だった俺のことを心配し、よく育ててくれたと思う。
言い忘れていたが、俺はおびえに生きる少年だ。普段は白衣を着ているため冷静そして気丈に振る舞えるが、白衣を着ていない時はいつもおびえている。
俺が庶民に堕ちた理由は、ヒマリにあると言った。それは事実だ。だが勘違いしないで欲しいのは、ヒマリは悪くないということだ。悪いのは、俺の両親だった。
詳しくはしらないが、ヒマリは養子だったらしい。彼女がまだ幼い時に見捨てられているのを、両親が引き取ったとか。
後は、よくある話である。ヒマリは両親に虐待されていた。そもそもヒマリは、貴族じゃないのだ。ヒマリに与えられている位は五級庶民。両親とはまさに雲泥の差だ。
階級の違いと、実の娘ではないことが原因で、ヒマリはいじめられていた。それは絶対に悪意によるものではなく、庶民に対する拒否反応だろう。それを俺が知ったのは、十五歳の頃。両親は俺に、ヒマリを虐待していることを隠していたのだ。俺は許せないと思った。
俺が白衣という仮面をかぶったのは、おそらくその時が初めてだった。俺は両親と大喧嘩をし、勘当されて家を出た。
俺は家を出てすぐに、科学技術研究所に入るための試験を受けた。この時は、庶民として受けるとかなり不利なため、貴族として受験した。俺も職を得るために必死だったのである。
それに合格して、無事に職を得た後は、貴族時代のコネを使い、家を激安で手に入れた。その額四十ペルン。リンゴ三個ほどの値段である。
そして、なんだかんだで現在に至る。
「ケントくん、なんでもっと早く紹介してくれなかったのですか、ヒマリちゃんを」
「助けてお義兄さまぁ~」
ヒマリは今、ロベリアに抱きつかれ、愛でられている。具体的には、木製の椅子に座ったロベリアの膝に乗っかっている状態だ。ヒマリは首にかけられたノスタディア十字のネックレスを握りしめ、その目にはかなりのおびえが見えるものの、初対面から数分としては合格ラインだろう。さすがロベリア、といったところだ。心配なさそうなのでヒマリの救援要請は無視。
「それはそうとヒマリちゃん」
「は、はい、なんですか!」
「ヒマリちゃんはシスターさん?」
ロベリアがヒマリに質問する。ネックレスを見ての疑問だろう。
「はい! 聖アルカナ教会の……」
俺は科学技術研究所で働いているが、ヒマリもずっと家にいるわけではない。彼女はこの土地最大の宗教、ノスタディア神教のシスターなのだ。微量であるが、収入もある。
「へー、今度行ってもいい? あそこには知り合いがいるんですよ」
「あ、はい……」
「ロベリア」
「何ですか、ケントくん」
「本題は?」
俺が質問すると、ロベリアは改まった顔になり、ヒマリを解放する。彼女は俺の後ろに隠れてしまった。
「では、心の準備はいいですか」
その言葉に、俺はわずかながらの危機感を感じた。
「それは、ヒマリに聞かせてもいい話なのか」
「……お好きにしてください」
ロベリアはそう言って、目をそらした。その様子から連想される言葉は、罪悪感。この話をヒマリに聞かせてはならない、そんな気がした。
「ヒマリ、ちょっと散歩に行っててくれ」
「お断りします、お義兄さま」
椅子に座った俺からは上に見える、ヒマリの顔は決意に満ちていた。思わず出そうになった疑問符を飲み込む。
「ヒマリ、これは義兄としての命令だ」
「では、わたしは義妹として、知る権利を主張します」
その言葉に、俺は驚く。ヒマリは、人にすぐ流され、命令に逆らえない弱者だと思っていた。だが、シスターとしての経験や、ロベリアとの交流が、彼女を変えたのかもしれない。
俺は立ち上がり、ヒマリと正面から対峙する。
「俺は、おまえを心配しているんだぞ」
「わたしは、お義兄さまを心配しているのです」
「……っ」
ヒマリは、これまでにない本気の目をしていた。できれば聞かせたくないものの、しょうがあるまい。俺とヒマリは、並んでロベリアと向き合った。
「始めてくれ」
「わかりました」
ロベリアはそう言うと背筋を伸ばし、ごほんと咳払いをしてから説明を始めた。
「私は、あの人に狙われています。それが誰なのかはわかりませんが、確実に狙われているのです」
「どうして言い切れる」
「私の持っていた力を欲しているのかもしれません。とにかく、このままでは確実に、私は殺されます。私はちょっと位が高いだけの、ノスタディア人……、いえ、嘘は良くないですね」
ロベリアはいったん言葉を切ると、衝撃の事実を告げた。
「私は、ノスタディア人ではありません。地球から来た、日本人なんですよ、ケントくん」
俺は、その言葉をよく理解できなかった。地球? 日本人? 知らない言葉ばかりだ。
「で、では、あなたを狙っている人というのも、地球の人というわけですか」
ヒマリは当然の知識だとばかりに、俺が知らない言葉を使った。そして、彼女の言っていることがわからない。
「なんだ、二人はなんの話をしているんだ!」
「お義兄さまは知らないんでしたっけ。ノスタディアには、わずかばかり異世界の人が紛れ込んでいるんです。一人いたら珍しいくらいですけどね! そして、ノスタディアの<禁忌>により、ノスタディア人に人殺しはできない。だから、ロベリアさんを狙っているのは、地球人以外にありえないというわけですよ!」
「そういうことか、だいたいわかった」
初めて知ることばかりだが、一つだけ心当たりがある。それはノスタディアの<禁忌>。いつ誰が考えたのかはわからないが、ノスタディア人は<禁忌>によって縛られている。全部で三つの<禁忌>があるらしいが、俺が知っているのは人殺しの禁止だけだ。
もし破ったらどうなるかも、例がないためわからない。ヒマリがなぜ俺の知らないことを知っているのかについても謎だった。
「それで、ロベリアは何を言いたい」
一瞬沈黙が流れ、ロベリアは懇願するように言った。
「来るべき時が来たら……、私を守ってくれますか?」