テンプレライス
テンプレ批判というものがある。「小説家になろう」では作品に宛てられた感想を他の人が見ることができるために、そうしたものを目にすることがある。
そもそもテンプレ批判というものが曖昧なのだが、ここでは「よくある物語の展開、設定を批判すること」としておこう。
テンプレ批判は筋違いだ、と私は考える。何も「ギリシャ神話」でほぼすべて使われただとか言うつもりはない。もっと身近な例がある。
カレーだ。私の大好きな料理である。
では、小説をカレーに当てはめて考えてみよう。
カレーと一口に言ってもいろいろある。洋風カレーにタイカレー、インドカレー、スープカレーなんかだ。
それを決めるのはカレー粉である。これはいわゆる「ジャンル」に相当すると思われる。どのジャンルがどのカレーに相当するかは人次第だ。メインでファンタジーを読んでいるならば、その人にとってよく食べる洋風カレーはそれに相当するのだろう。たまに読む恋愛が面白いと思ったりするように、たまに食べるタイカレーは美味いのだ。まあタイカレーはいつ食べても美味いが、さすがに週一で食べる人間は稀だろう。
もちろん、ファンタジーの中にも恋愛要素がある。ファンタジーと言ってもハイファンタジー、ローファンタジーに別れる。つまるところ、カレーの種類を決定するのに使われているスパイスは似たようなものなのだ。
次に具材だ。私はこれがテンプレートに相当するのではないかと思う。洋風カレーには基本的にジャガイモだとかニンジン、タマネギなどを入れる。つまり、多くの人がテンプレートを使うはずなのだ。
しかし、小説もカレーも、同じ具材を使っていても味は千差万別だ。カレーの味に違いがないと思っている人間は舌が未熟である。
実のところ、カレーの味を真に決めるのはカレー粉ではなく具材である。これは料理をする人間ならわかるだろう。同じカレー粉でも、母親と父親、妻や夫あるいは恋人、兄弟姉妹ではまったく味が異なる。
それは具材の切り方や煮込み方、投入のタイミングなどに、カレーの味が左右されるからだ。すなわちここが個性であり、または技術の見せどころなのである。
テンプレートも同じで、使い方によってその面白みというのは相当変わってくる。ここが作者の腕の見せどころなのだ。いかにしてそれを料理していくか。それが楽しみである。
もちろん、テンプレートの組み合わせも大きく作品を変えていくだろう。たまにナスカレーを食べると新鮮な気持ちになる。具材選びもまた、作者の腕である。
書いてきた経験というのは、カレーに注ぐ出汁のことだと考えられる。海鮮出汁や豚骨出汁などあるが、そうしたところは執筆経験だと考えられる。
一日置いたカレーや継ぎ足しで作るカレーが美味しいのは当たり前だ。数日置いて見直した小説は、最初に書いたものよりも良くなるものだからである。尤も、カレーも小説も長く置いていると悪くなってしまうので注意すべきだ。
カレーの盛り付け方というのは、題名やあらすじだろう。見た目で美味いかどうかは判断しにくいが、食べたいか食べたくないかというのはそこで決定される。
さて、ここまで「小説=カレー」として話をしてきたが、改めてテンプレ批判に話題を戻そう。
テンプレ批判とはすなわち「カレーのジャガイモ飽きたわ」と言うようなものである。お前は具なしカレーを食べたいのかだとか、どんな食材を使ったカレーを食べたいんだ、という話になる。すなわち、テンプレ批判とは筋違いで、もっと指摘するべき場所は「テンプレの使い方=具材の使い方」なのである。
まあ、どうしてテンプレ批判があるのかはわからなくはない。テンプレ批判そのものは否定させてもらうが、その理由は考えられる。
「有名作品=有名店」を真似した「個性のない作品=レトルトカレー」に飽きているのだ。私はそう考えている。
……いままでの話はこれが言いたかっただけである。
というわけで、みなさんの美味しいカレーを食べる……もとい、面白い作品が読めることを楽しみにしています。
それではまた、どこかで。