小説家の勝負
お題:小説家の敗北 必須要素:女使用不可
――女使用不可。もしも使ったら、あなたは小説家として敗北である。
そんな記事を見た。
興味を引かれた私は、その記事を見てみる。が、すぐに飽きてしまった。読む前に、私は気付いたのだ。小説とは創作であるが、全く空想的なものであるはずはない。女がいない世界なんて、それはとことんファンタジーである。女を一人も書かない小説家など、小説家であるはずがない。
いやしかし。私は次に、こうも思った。
もしかしたら未来には、あるいは過去には、強烈な男尊女卑で、女性が人間として認められない世界があるかもしれない。すべての小説家が、ミジンコを書くわけではないのと同様に、すべての小説家が、人間でない女性を書く道理もないからだ・
となると、私はこの記事に、一段と興味を持った。
ふむ。もしやこれは、歴史の話かもしれないな。あるいは未来を予言しているのかもしれない。
私は再び、その記事を手に取る。しかし、そこでまた、私の気が変わった。
いやいや、そんな世界があってたまるか、と。
男だけが人間で、女は家畜も同然。そんなもの倫理と道徳に反している。言語道断だ。そんなことを主張するこの記事の作者は、きっとひねくれた人間に違いない。一瞬でも、揺らいでしまった自分が恥ずかしい。
私は、再び記事から目を離した。
いっそ破りすてたい気分であった。しかし、それは我慢する。私も小説家の端くれ。ものにあたってもしかたない。文章に対抗するのなら、文章に限る。文章をもって文章を制す。それこそが、小説家の勝負である。
そうだ。
そうである。
女を使ったら、小説家の敗北だと?
はなはだばからしい。ありえない。こいつは人間のクズだ。
小説家の敗北とは、文章の敗北だ。断じて、女は関係ない。文章が良し悪しが、小説家の勝負を決定するのだ。
全く。この記事はばかげたことを抜かす。こんなものを人目にさらすなど、この作者はとんだ馬鹿ものだ。
私はその記事をボロボロに破り捨てた。
こんな記事あってはならない。この世に存在することすらおこがましい。真理に反している。倫理に反している。道徳に反している。社会に反している。道理に反している。
そこまで考えて、私は気付いた。
気づいてしまった。
――ひょっとして、今、私は、小説家の敗北をしていないか?
先ほど自分でいったのに、文章で対抗しようとせずに、私は、結局、ボロボロに破り去ってしまっている。
……なんということだ。私は負けてしまった。
小説家として、敗北してしまった。
女使用不可の原則を守りながら、気づいてみれば、私は敗北している。この作者に敗北している。
社会的には勝利しても、これは、負けだ。