【Unknown】
───夜寝る前に、お話を読んであげましょうか。
とおいとおい国の、御伽噺をしてあげる。
哀しい、恋のお話を。
†
ネイシア国の中心に位置する宮殿は、燦々と太陽に照らされていた。
雲間から覗く木漏れ日は暖かく、鳥は囀り、柔らかな空気で満ちている。
しかしその宮殿の中では、外とは打って変わり、重々しい雰囲気に包まれていた。
「シトラス、承知してくれるか」
「はい、陛下。このシトラスの名に懸けて、必ずややり遂げてみせます」
それは、隣のクオリア国を滅ぼす計画。クオリアの王は残虐な王としてこの辺りでは有名だ。過度な規則や税金、過剰なまでの労働、貧困。
そしてそれらを守れなかった国民への罰は余りにも大きかった。
官僚のやつらに少しでも畑仕事を休んでいるところを見られればまず断頭台行きは決まりであろう。また、貧しさ余り窃盗でもした日には、口に出すのも恐ろしいような殺され方をするという……。
決まりを守れなかった奴の首は見さらされる。罰を与えるというよりは、人殺しが好きな王がその理由を無理やりでっち上げているというのが正しいかもしれない。
人を殺せる機会を、虎視眈々と狙っているのだ。
「一国の王たるものの、することではないな」
貧しいクオリアの国の人々は、その貧しさから国を出るだけの金銭も希望も体力も、残されてはいないのだ。
そんなクオリアの国民を救うため、わが国の王はシトラスにある計画を持ちかける。
……クオリア国の軍事力はそれなりのものだ。というよりも、戦い方が卑劣なのである。
国の兵の他に、大量の国民たちを使うのだ。それは盾であったり、人間爆弾であったり……。
その戦い方を聞いたときには、さすがの戦い慣れたシトラスも怒りを抑えきれなかった。
そこで王は国民を傷付けずに、王宮内だけを攻めようと考えた。
風の噂に拠ると、クオリアの王宮は守備力をあげるため構造はとても入り組んでいるという。……しかし、それには最短距離や抜け道というのも、確かに存在するらしい。
それを聞き出すのが、国の一級の騎士であるシトラスの仕事であった。
シトラスの整った美貌は、女子どもを落とすのには有利な物であったし、また万一にバレてもシトラスの剣の腕があれば切り抜けることは出来ると、王は考えたのだ。
「聞き出すターゲットは、どなたをお考えで?」
「クオリアの姫だ。名はサラフィア」
「サラフィア……」
シトラスは、小さく口の中で彼女の名を転がしたのであった。
/
王宮の外壁の小さな抜け穴を抜けると、そこにサラフィアの姿はあった。
小さな抜け穴は、私たちの国の者が気付かれないように地道に作ったものだ。指定された部分の壁を外して中へと身体を滑らせ、その後壁を元に戻す。
サラフィアは美しい女であった。年は18、19と聞いている。
ウェーブの掛かった金色の髪は腰まで届き、瞳も美しい金色をしていた。肌は白く、頬はバラ色。大きな木の木漏れ日の下、綺麗に手入れされた草原の上で本のページを捲っていた。
───困窮も苦労も知らない、幸せなお姫様。
姿を確認した途端、シトラスには怒りがこみ上げたが、それをひた隠し微笑みさえ浮かべて彼女に近付く。
「──やあ、お嬢さん」
サラフィアはびくりと肩を震わせて、こちらを振り返った。
「あなたは……?」
「私の名は、シトラス。──サラフィア姫、以後お見知り置きを」
真っ赤な熱情を押さえつけて浮かべた冷たい笑みは、シトラスの美貌をただひたすらに引き立てていた。
……サラフィアと親しくなるのは容易かった。
自分は旅人で、つい先日この国を訪れて歩いていたらここに迷い込んでしまったというシトラスの嘘を、人を疑うということを知らないこの姫は信じたらしい。
それどころか、父様にバレると叱られてしまうから、ここに来たことは誰にも話してはダメよ、と口止めをするまでもなく自分から言い出す始末だ。
(どうやらこの娘は、何も知らされずに大事に育てられているらしい)
嘲笑を堪えて優しく微笑み返すと、サラフィアは恍惚とばかりに緩んだ笑みを浮かべた。
それは甘い、甘い笑み。
(さっさと終わらせてやる)
シトラスはサラフィアに見えない位置で拳を握ったのであった。
それからシトラスは毎日王宮に通った。
旅の過程で見てきたいう他愛のない話を聞くことを、サラフィアは好んだ。
どうやらこのお姫様はこの外壁の外に一度も出たことがないらしい。
彼女は王宮の中の暮らしを語ってくれた。書庫にある本の話やお手伝いさんたちから聞いた世間話。どんな小さな情報も聞き逃すまいと、シトラスは甘い笑みを浮かべたまま聞き耳を立てた。
そんな日々が三か月ほど続いた頃、彼女が支配下にある国の王子と結婚することを聞いた。
彼女は、それを嬉々とながらシトラスに語った。
「絵画でしか見たことはないのだけれど、とても優しそうな顔をしていらしたわ」
「……そうですか、それはおめでとうございます」
恋も知らない彼女は、直接会ったこともない国の王子に思いを馳せていた。
しかし、そろそろだとシトラスは思った。これ以上犠牲者を増やさないためにも、姫の結婚で浮き足立っている今が一番攻め時であろうと、シトラスは考えて覚悟を決めた。
「……そういえば。風の噂で聞いたのですが、この王宮の中はまるで迷路のようになっていると聞いたことがあります。迷ったりはしないのですか?」
期待で声が震えないよう気をつける。
さすがにすんなりと話てくれる訳でもなく、暫し思案したサラフィアは、しかし、シトラスが思っても見なかったことを言ってのけたのだった。
「──入ってみる?」
私が案内するわ、とサラフィアはすくっと立ち上がり、シトラスの腕を引いたまま使用人の目をくぐって王宮内へと入っていったのだ。
「───っ!」
思っても見なかったサラフィアの行動にシトラスが狼狽したのは、一瞬。
すぐに頭を切り替えて道順を覚えることに専念した。
(この女、こんなにも馬鹿だったのか?)
サラフィアは、無邪気な笑顔で共通の秘密を分かち合う後ろぐらい喜びに身を浸すように、次々と王宮内を案内した。
サラフィアの部屋、寝室、王の普段いる場所や作戦会議を行う場所……。
次々と、それらの情報をシトラスは頭の中にインプットしていく。
そうして、予想以上の情報を手に入れたシトラスは、その全てを王に報告した。
「でかしたぞシトラスっ!」
その結果を、王は手放しに喜んだ。
そして、道案内を兼ねてシトラスを筆頭に、準備を整え三日後にクオリアを襲撃することを決めた。
今回の目的は、クオリアの国の中心を潰し、国民を救い出すこと。そしてそれはネイシアの利益や軍事力拡大にも繋がる。 国民には一切手を付けず、宮殿を囲む壁の向こうの中だけで全てを終わらせるというものだ。
───そしてシトラスには、サラフィアの首を取ることを命じられたのであった。
「そなたの褒美は弾む、頼むぞシトラス」
「……かしこまりました」
シトラスは笑顔で頷いた。
……胸によぎるサラフィアの無邪気な笑顔を、見ないふりをして。
/
そして、その決戦は静かに始まった。
シトラスは後ろに続く兵士たちに小さく合図して、サラフィアに教えられた通りの道を辿る。
ギリギリまで相手に気付かれないのがベストだ。
途中で後ろの兵士たちと別れて、シトラスはサラフィアがいると思われる寝室に足を踏み入れた。
「動くなっ!」
バンッとドアを蹴破って、剣を構えたまま部屋に飛び込む。
───そんなシトラスを、サラフィアは普段の無邪気な笑顔で出迎えた。
「シトラス」
どこかホッとしたような笑みを浮かべたサラフィアは、シトラスの持っている剣に気付いていないのか?
いや、それとも……。
サラフィアは、シトラスの考えを決定付けるかのようにいつもの声で言った。
「私を、殺しにきたの?」
その笑顔は優しいとしか言いようがなかった。
「あなたは、もしかして……!」
わざと話したのか、と聞くまでもなく、サラフィアは優しく頷いた。
その姿に、いつもの少女じみた可愛らしさはなかった。変わりに、凛とした美しさがある。
───ああ、この方は、この国の姫なのだ。
シトラスは、初めて悟った。
彼女は父親の悪行もこの国の現状も、全て知っていたのだ。
その上で早く後を継げるよう必死に勉学に勤しみ見合いの話も迷わずに受け、父親を止めようとしていた。
しかし、そこにシトラスが現れた。
聡い彼女は、シトラスの容貌を見て、すぐに隣のネイシア国の者だと気付いたのだろう。
その上でシトラスに心を開いた振りをして、国家機密を話、この国を内側から壊そうとするシトラスたちを招き入れたのだ。
───自分たちを、殺そうとする存在を。
出会ったあの日、サラフィアの恍惚とした表情の下には、どんな心情があったのだろうか。
自分が即位するよりも早く、国民を救ってくれようとしているシトラスの存在に、殺されることを知った上での、あの微笑みだったのであったと言うのか───?
「あなたは、何故っ!?」
「だって……私は、この国の、姫だから」
彼女は姫と云うものに相応しい、凛とした声で言った。
「そんなのって……!」
「命なんて惜しくないのだから、さっさと父様を自分の手で暗殺することでも考えれば、もっと早かったのでしょうね。……でもね、シトラス。あんな父親でも、この世でたった一人の、私のお父様なのよ」
許してね、手をかけることは出来なかったの。
そう言って笑ったサラフィアは、初めて泣きそうな笑みを浮かべた。
剣を片手に立ち竦むことしか出来ないシトラスの前で、サラフィアは長い髪を高く結わえた。
「上手に、切り落としてね」
白い首を晒して、彼女はいつものように無邪気に微笑む。
───扉の向こうに、仲間の兵士たちの声が聞こえる。
早く彼女を殺して首をあの王の前に晒してやらなければ。
そう思うのに、中々シトラスの腕は剣を構えない。
そんなシトラスを叱咤するように、サラフィアは凛とした声で叫んだ。
「さぁ、シトラス!おやりなさいっ!」
びくりと腕が震えて、条件反射のように剣を構える、そして目を瞑り、走って……。
「────っ!」
剣は、サラフィアの腹に深々と刺さり、背中を突き抜ける。
カハッ、とサラフィアの口からは鮮血を溢れさせ、痛みに顔を歪める。
「……優しいのね」
それとも、一息に殺したりしないって?
弱々しい声で囁いたサラフィアは、そのまま細い腕をシトラスの首に回す。
抱き合うような形になり、サラフィアは一息に呟いた。
「──……あぁ、愛してた」
その言葉は、彼女が命を懸けて守ろうとした国民に向けられたものか。それとも───。
ブラリと、首に回されていた彼女の腕が滑り落ちる。
「うっ、ぁあ、うわぁぁぁぁぁぁぁあ、ーーー─────!!」
シトラス絶叫が、王宮に響く。
それはネイシアに使える剣士としてではなく。一人の男としての、悲痛な叫びであった─────。
†
───これで、この物語はお終い。
……あら、泣いているの?
そんなに悲観することはないわ。
もしかしたら、このお姫様はこのあと一命を取り留めて、彼と幸せになるかも知れないわよ?
物語はここで終わってしまっているけれど、あなたが信じてさえいれば、それがこの物語の結末なのだから。
……だから、どうか信じてあげて?
彼らの幸せを。
彼らのこれからを
───さあ、眠りなさい。
よい夢を。
FIN
初の童話です。緊張します。
そして何に時間が掛かったってタイトル決めです。
30分はかかりました(笑)
楽しんでいただければ幸いです。