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ルーベリーたち四人の中に積極的に『仲間』と会話をしようという者はいなかった。ルーベリーとイオザードは無言で揺らめく炎を見詰め、ディアンは皆の為に茶の用意をしている──唯一の女性であるクリミアは、黙々と『夜のお手入れ』に勤しんでいた。
ただ、パチパチと炎の爆ぜる音のみがその場を支配する。
「どうも、随分遅れてしまいまして」
闇の中から不意に響いたその声に、一同はビクリと飛び上がりそうになる。
「おや、驚かせてしまいましたか。すみませんね」
いま一つ謝罪の気持ちを感じさせない声でそう言いながら、焚火の光が届く所へと、一人の男が姿を現した。
「誰?」
緊張した声でのクリミアの問い掛けに、男はのんびりと笑顔で答える。
「クリーゲル=デル=ファーム。あなた方が追い掛けているファラシアの養い親ですよ」
闖入者が自分たちの味方であることに明らかにホッとした様子で、四人が其々に頬を緩めた。
「ああ、あなたが。待ちくたびれましたよ」
ディアンとルーベリーが互いに尻をずらし、クリーゲルが座れる場所を作ってやる。そこへ腰を下ろしたクリーゲルに、まず、ディアンが名乗った。
「私はディアン=ソル=グレイシャです。我々の力が足りず、ご足労願いまして」
差し出された右手を握り返し、クリーゲルは軽く眉を持ち上げた。
「グレイシャといえば、かなりの名門では?そんな方がソル──上級魔道士とは、ね」
「良くご存知ですね。まあ、それなりの家ではありますが、名門というほどではありません」
「そうですか? 『中央』のお偉方の中に同じ名を見た覚えがありますよ」
「ああ、確か伯父と従兄弟が何人か……私の父は商人ですが」
その父も、国で五指に入る納税者の一人の筈である。他人事のように言うディアンに、クリーゲルはこっそりと肩を竦めた。
引き続き、ルーベリーとイオザードが素っ気無く名を告げる。
「ルーベリー=ソル=ダムだ」
「イオザード=ミル=カルバム」
等閑に会釈をする二人へ、クリーゲルはにっこりと笑みを返した。
残りの一人を探して首を廻らせたクリーゲルの隣へ、ディアンとの間に割り込むように座り込んだのはクリミアである。
「あたしはクリミア=ミル=クィンよ」
クリーゲルの肩に手を掛け、クリミアは覗き込むように顔を寄せた。しな垂れかかってくる女性から心持ちクリーゲルが後退ったように見えたのは、決して気のせいではない。「これは、どうも……」
やや口元を引き攣らせ、クリーゲルが何とかそれだけ言う。
「へぇ、いい男じゃない。下級だってことを入れても、結構いい線いってるわ」
「そうですか……?」
殆ど吐息が掛かるほどの至近距離で言われ、クリーゲルは辛うじて笑みを返した。確かにクリミアは美人の域に入っているかもしれないが、如何せん、その強烈な香水の香りはかなり辛いものがある。
「クリミア……クリーゲルさんが困っています」
見かねたディアンが苦笑しながら出した助け舟だったが、クリミアの完全無視に会い、クリーゲルの元に辿り着くことができずに沈没する。
お世辞にも気立てがいいとは言えない、普段から同行者の神経を逆撫ですることの多い女性である。たとえ初対面の相手であろうとも、その言動は留まることを知らなかった。
「ねぇ、あんたがあの子を拾ったんでしょ?」
「あの子……? ああ、ファラシアのことですか」
「何よ、他にも拾ったことがあるって言うの? ええ、そうよ、あたし達が追っかけてる、あの子のこと」
媚びを含んだ笑みを浮かべながら、クリミアは続ける。
「あんたも大変ね。あんな化け物拾わなけりゃ、こんな面倒な目に会わなくても良かったのにさ」
「クリミア!」
ついに声を荒げて嗜めたのは、ディアンだった。ルーベリーとイオザードは、またか、というふうに肩を竦めただけである。
「何よ、ホントのことでしょ。龍に勝っちゃうなんて、人間とは言えないじゃない」
余計な口を挟まないでよ、と言わんばかりの目付きでそっぽを向くクリミアに、四人の中では一番穏やかなディアンも、流石に堪忍袋の緒が切れかけた。一気に険悪な空気が流れそうになるのを、クリーゲルの声が止める。
「ディアンさん、構いませんよ」
「しかし……」
言い募ろうとしたディアンだったが、クリミアからクリーゲルに視線を移しかけて、ふと身体を強張らせる。
その微かな空気の変化に気が付いたのは、上級魔道士であるディアンとルーベリーだけだった。更に、冷静であった分だけ、ルーベリーの方がわずかに早かったかもしれない。二人よりもやや能力的に劣るクリミアとイオザードは、表面的なもののそこに流れるものには気付いていなかった。
「何だか、暑くない……? 火が強すぎるのかしら?」
焚き火から身体を離そうと後退りしたクリミアの声で、ディアンは我に返る。
──違う、これは魔道によるものだ。
内心で呟いたディアンは視線を廻らせ、違和感の元に辿り着く。ルーベリーも同じものを見ていることが、何となく判った。
変わらない、クリーゲルの笑み。
だが、何かが明らかに違った。
──彼なのか……? だが、彼は下級の筈ではないのか……?
クリーゲルから漂ってくるのは、ごく弱い魔力の波動のみだ。しかし、それでも──その現象が彼によるものであると、何故か確信できた。
汗ばむほどにもなった気温の中、ディアン、そしてルーベリーは、背中に走るざわめきを感じていた。
自分を凝視している二人の視線に気付いているのか、いないのか。
クリーゲルは炎を見つめながら、あまり大きくは無い、だが、不思議によく耳に届く声で、言う。
「力が無ければ、馬鹿にする。力が有りすぎればこぞって追い立て、潰そうとする。人間とは難儀なものですねぇ」
その口元は、今でははっきりと冷笑と判る形を刻んでいた。
いかに人の機微に頓着しないクリミアと言えども、ここまで明確に表出されれば気付かぬ筈が無い。
「……ねぇ、やだ、もしかして、怒ってる?」
今度はクリミアの方が引き気味に、言った。
「私が? まさか。怒る理由なんて、無いじゃないですか」
再び、にっこりと屈託無く笑いながら答えたクリーゲル。それと同時に、周囲の気温も下がり始めた。
「そうよねぇ、あたしは別に変なことなんて言ってないものねぇ」
自分を取り巻く空気の白さに気付くことなく言うクリミアに、ルーベリーが呟く。
「サル並みだな」
幸いなことに、その声は彼女まで届くことは無かった──仮に届いていれば、また一騒動起きていたことであろう。
「……まあ、一通り自己紹介も済んだことですし、今夜のところはもう寝ませんか。身内の方がいれば、ファラシアの痕跡を辿ることが出来るかもしれません。明日、日が昇ったらすぐに出発ということで」
得体の知れない不安を押し隠し、ディアンが提案する。自分のその気持ちは、今のところはまだ内に留めておくべきだという声が、頭の底に響いていた。ルーベリーの方へ視線を走らせると、彼が目で頷くのが見える。
取り敢えずは早々にクリミアの口を閉じさせて、これ以上事態が混乱するのを防ぐのが賢明のようだった。
「そうねぇ、夜更かしすると肌に悪いし……」
二人の気苦労を知ってか知らずか──恐らく微塵も気付いていないのだろうが──髪を掻き揚げながら、言われて急に眠気を催したように、欠伸混じりにクリミアが賛同の意を示す。
一人ディアンが吐いた溜め息は、気の毒なことに、誰の同情も買うことができなかった。
*
隠れていた洞穴を後にしたファラシア、ノア、ゼンの一行は、今、ドゥワナでも五本の指に入る規模の都市であるガルディアを目指して歩を進めていた。
「ねぇ、本当に大丈夫なのかしら?」
ファラシアがこの問いをノアへ向けたのは、これで三度目である。その都度、ノアは同じ調子で返していた。
「いつまでも森や山の中で生活していくわけにはいくまい。これから季節は冬だ。それなりの用意をしなければならないだろう」
淡々と、歩みを止めることなく口にする。
ファラシアはそんなノアの態度を頼もしいというべきか、それとも『協会』のことを何も知らないと呆れるべきか、決めかねていた。
「でも、人のいるところに行けば、『協会』の人たちに見つかってしまうわ。できることなら彼らとは揉めたりしたくないの。やっぱり、わたしだけどこかで待っているから……」
止まってしまったファラシアの足に、ノアとゼンが振り返る。
「ガルディアほどの大きな都市であれば、そうそう見つかったりはしない。ひとは他人のことなどそれ程気に留めていたりはしないものだ。お前だって、擦れ違った人間の顔などいちいち覚えてはおるまい」
「それは、そうだけど……」
「大丈夫だ。お前がその魔力を使いさえしなければ、足が付くようなことはない。強大な魔力は山を越えたところにいる追っ手ですら呼び寄せてしまうだろうからな」
顔を伏せて、じっと見つめてくるノアの視線を受けていたファラシアだったが、しっかりと頭を上げてその目を見返した。
「ええ……ええ、絶対に使わない」
強い声でそう誓ったファラシアに、ノアが首を振る。
「いや、『絶対に』という言葉は気安く使わないほうがいい。この世の流れを操っている『何か』がいるとすれば、それは『絶対に』と思った事ほど、覆させたくなるらしいからな」
根っからの現実主義にしか見えない女性には似つかわしくない台詞である。その気持ちが丸々顔に出ていたファラシアに、ノアが生真面目な顔を返した。
「ファラシア?」
「え……いえ、そうね、解った。できるだけ、使わないようにする」
言い換えたファラシアを見つめ、ノアが頷く。
「そうだな、その方がいい」
尤もらしくそう言ったノアはファラシアを促し、自らも歩き出した。
立ち止まったままのファラシアを、ゼンがどうしたのかというふうに見上げる。彼へ微笑みを返すと、ファラシアは足を踏み出した。半ば小走りに、大分先へ進んでしまったノアを追いかける。
「そうね、一生隠れ住んでいるわけにはいかないものね」
ノアの隣に並ぶと、ファラシアは彼女の顔を覗き込むようにして、そう言った。