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8/22

 養い親が追っ手に加わった、その頃。

 出血の多さから休息を取ることを余儀なくされたファラシアは、やむなく洞穴へと身を隠していた。

 ゼンは先ほどから何か食料となるようなものを探しに出ており、ファラシアは彼の帰りを待って、ぼんやりと入り口を見つめていた。外は絹糸のような雨が降りしきり、不思議な孤立感を醸し出している。

 喋ってはくれない相手ではあるけれど、それでも、何か温もりを持っているものが隣にいるのと居ないのとでは全く違うものだ。不意に肌寒さを感じ、ファラシアは、無意識のうちに自分の身体に両腕を回していた。

 目を閉じて外の音を探るが、雨音に掻き消されて何も届いては来ない。魔物──ゼンも含めて──も近くにはいないとみえて、魔道の気配もなかった。

 自分以外はいないという不安と安心とが複雑に混ざり合った溜め息が、ファラシアの口から漏れる。これから、どのくらいこんな時を過ごすことになるのだろう。

 繰り返した、自問。

 どうしても答えを見つけることのできない堂々巡りに、半ば自虐的に耽っていたファラシアは、不意に現れたその人物がほんの数歩しか離れていないところに立ち──声を掛けてくるまで、気付くことができなかった。

「寝ているのか?」

 落ち着いた、声。

 人の声を耳にするのは、あの村を出て以来、丸二日振りのことである。

 ファラシアは、一瞬、それは知らぬうちに落ち込んでいた微睡みが聞かせたものかと思った。人の声を渇望する心が、偽りと言えど叶えてくれたのではないか、と。

 だが、次の瞬間、彼女は弾かれたように上半身を跳ね上げた。

 目の前に立っているのは、女性にしてはかなり長身の、明らかに戦いを生業としている身なりをした人物だった。

「あなた、いったい……」

「驚かせたようなら、すまなかった」

 やや低めの声が、そう告げる。

「回避の魔道を掛けておいた筈なのに、何故──」

 その魔道は、それが掛けられたものを無意識に迂回させる作用がある。これは、施行者の魔道力が優っている場合において、生物にも魔物にも有効であり──逆に言えば、それを乗り越えてきたということは、その侵入者はファラシアよりも力があるということになる筈だった。

 その筈なのだが──しかし、入ってきたその女性は、魔道力の欠片も感じさせてはいない。

 戸惑いの眼差しを向けているファラシアに、その人はつかつかと歩み寄ると腰の袋を探って何かを取り出し、ぐいと差し出した。

「え──何?」

「血を増やす薬草だ。飲め」

 にこりともせずにそう言われても、即座に反応できるものでもあるまい。

 せめて何者なのかを問い掛けようとしたファラシアだったが、唐突に顎を抉じ開けられ、有無を言わせず口の中に薬草を放り込まれ、目を白黒させながらそれを呑み込む羽目となった。

「私は特別ごしらえの護符を持っているから、その手の魔道は無効化できる」

 言いながら、女性が水筒から水を注いで差し出した

 それを受け取り、口中に広がる強烈な苦味を飲み下したファラシアは、ややむせながらも呼吸を何とか整える。

「あ、ありがとう。……でも……」

「私はノアと言う。お前はファラシアだろう?私はガスに魔物退治を頼まれた者だが、到着したらすでにお前が片を着けていたので、代わりに、ガスの家族からお前の護衛を頼まれた」

 抑揚のない語り口でノアと名乗った女性が説明した。余分なものを感じさせないその口調に、ファラシアはかえって信用するに足るものだと確信する。

「ガスさんに?」

「ああ。それから伝言だ。『ありがとう』と」

「そうですか……」

 ファラシアの護衛を頼むのは、村を襲う魔物を退治するのとは訳が違う。村で集めた金を使うということができる筈もなく、当然あの一家は自分たちの蓄えを使うことになったのだろう。あんな小さな村ではどんなに頑張ろうとも見入りは限られたものだ。

 滲んだ視界を数回の瞬きで散らし、ファラシアはノアを見上た。

「わたしは大丈夫ですから、お金をあの人たちに返してあげてください」

「それはできない」

 即答に、ファラシアは一瞬、開けた口から出す言葉が見つからなかった。

「……何故ですか?」

「私が契約したのはあの家族であって、お前ではない。彼らは、お前が何と言おうと、決して離れぬようにと言っていた。彼らから受け取った金は、一月分ある。それに今回の魔物退治に間に合わなかった私の償いの分を入れれば、半年はお前を護衛する義務がある」

 恐らく、この女性は四分の一も譲ってくれることはないだろう。揺らぎのない声は、そう思わせるのに充分だった。

 ファラシアは軽く唇を噛む。あまり言いたくないことだったが、それを聞けば、真っ当な人間であればまず背を向けるであろうことを口にした。

「実は、わたし……追われているんです。……かなり厄介な相手に……」

「追っ手? ──ああ、『協会』の者だろう? 私が村に着く少し前に色々聞き込みをしていったそうだ」

 平然と言われた言葉にファラシアは飛び上がらんばかりになる。

「あなたが着く前ってことは、彼らが追い付いても不思議はないってことだわ……」

「それはないと思うが」

「何故……というより、そもそも、どうしてあなたはわたしに追い付けたのですか? 痕跡は消しておいた筈なのに……」

 首を傾げたファラシアに、ノアはにこりともせずに答えた。

「お前が用心していたのは、魔道士たちだけだろう? 魔力の痕跡は消してあったのかも知れんが、人が通った跡は残っていたぞ。こんな山の中を人が通ることは、そうそうないからな」

「人が、通った跡? そんなものが判るのですか?」

「注意して見れば、気付かぬことは無い」

「じゃあ、『協会』の人たちも……」

「それはどうかな。お前もさっき言っていたように、魔力を持つ者は魔力だけに頼る傾向がある。見えることや聞こえるものには気付かずに」

 例えば、と、ノアは足元を指差した。

「お前は、そこに何を見る?」

 ファラシアはノアの指の先にあるものを見つめる。

「──……地面……」

 迷った挙句に出てきた答えにノアは肩を竦めた。目が、他に何か無いかと問いかけている。

「えぇっと、砂……石……」

 目を凝らしてみてもそれ以外には何も無い。ノアが頷いてくれるものが出てこないまま、ファラシアは降参とばかりに両手を小さく上げた。

「駄目。あなたには何が見えるの?」

「足跡だ」

 至極真面目な顔で、ノアは答える。

「足……跡?」

 言われてそこを見直したファラシアだったが、やはり彼女にはノアの言うようなものは見えなかった。

「ああ。私にははっきりと見える。他にも野営の跡やら何やら、お前は充分に消したつもりだったかも知れんが、見る気で見れば気付くものだ。どんなに山奥に分け入ろうとも、無意識のうちに歩き易いところを選んでいるしな」

 いとも平然とそう言うノアは、ファラシアとはまるで異なる種族であるかのようだった。

 猟犬に追われる兎の心境とはこんなものなのかもしれないと、ファラシアはふと思う。自分と同じような能力を持つ『協会』の追手たちよりも、目の前にいる特殊な力を持たないこの女性の方が、敵に回せばよほど厄介な相手となりそうだった。

「仕方……ないですね。どうも、わたしよりもあなたの方が上手のようですし」

 溜め息混じりのファラシアの言葉を、ノアは否定も肯定もしない。ただ、静かな眼差しをファラシアから洞穴の入り口へと移した。

「ノアさん?」

 衣擦れの音さえさせずに立ち上がったノアは片手を腰の剣へと添え、残った手で怪訝な顔のファラシアを制す。

 すわ追手か、と全身に緊張を走らせたファラシアだったが、やがて入り口に姿を現したものに、ホッと息を吐いた。

「待ってください、ノアさん。彼はわたしの友達で、ゼンと言います」

「友達……?」

 それは兎を咥えた、仔牛ほどもある山猫にはあまり似つかわしい言葉とは言えず、今度はノアが眉根を寄せる番となった。

 ゼンの方も、白銀の身体の中で光る金色の目を瞬かせ、当面の面持ちで二人の人間を見比べている。増えているのは見知らぬ人間であったが、ファラシアに不安や警戒というものが見られないので、どういう態度を取るべきか考えあぐねているようだった。

 咥えていた兎をボトリと足元に落として座り込むと、ゼンは舌なめずりをする。

 その様子にファラシアは思わず笑みを漏らし、ゼンを手招きした。

 歩み寄ったゼンの頭を両手で包み、その目を覗き込んで言い聞かせる。

「この人はノアさんっていって、暫らくわたしたちと一緒に行くことになったの。急なことで驚いているでしょうけど、わたしもなの。まさか、『協会』に目を付けられているわたしたちに同行しようなんて思う人がいるとは思わなかったから」

 ファラシアの諭す声に、一度首を傾げた後、ゼンは心得た、というようにギュッと目を瞑った。その様子は、いかにも尤もらしい。

 喉を鳴らす彼の耳の後ろを掻いてやりながら、立ったままのノアをチラリと見上げて、ファラシアは苦笑を刻む。

「もう一度聞いておきますけど、本当にわたしたちと行くんですか? 『協会』に刃向かうのは『中央』を相手にするのよりも大変なことになるかもしれませんけど?」

 見上げるファラシアに、ノアは軽く肩を竦めた。

「居辛くなればこの国を出るまでだ。この国も粗方見てしまったことではあるしな」

「……何か、探しているものでもあるの?」

「探し物と、言えないこともないな」

 ファラシアは沈黙でノアが更に続けることを待ったが、彼女にはそれ以上説明するつもりは無いようだった。この女性は自分について話すことをあまり好まないらしい、とファラシアは記憶する。少なくとも半年は一緒に行動する相手の性格の基本的なところは把握しておかないと、お互いに気分の悪い思いをすることになる。

 ──この時、ノアを怒らせれば早々に彼女は離れて行き、危ない目に会わせることもなくなるだろうということに、ファラシアが気付かない筈は無かった。しかし、心の底のその声を、ファラシアは無意識のうちに聞き逃していたのだ。何故ならば、ファラシアは人間のいない生活には、もう、耐え難かったから。彼女は、人が──人との生活が、好きだった。

 ぼんやりしていたファラシアに、ノアがふと思い付いたように呟く。

「何なら、お前がこの国を出るのを手伝ってもいい」

「え?」

 全く考えていなかったことを唐突に言われ、ファラシアは目を瞬いた。

「この国を、出る……?」

 黙って見返してくるノアは、適当なことや冗談は言いそうもない。

 咄嗟には答えられなかったファラシアには構わず、ノアが続けた。口を動かしつつゼンが落とした兎を拾う。

「『協会』の者も国の外までは追って来るまい。一生追われながらこの国の中を彷徨うよりも、いっそのこと外に出てしまった方が気楽だろう。何ならお前の気に入る国が見つかるまで、同行しても……」

 兎を捌きながら言を継いでいたノアは、ファラシアが答えを躊躇っているのに気付き、手を止めた。

「何か、この国を出たくない理由でもあるのか?」

「あ……いえ、ただ、ずっとこの国の中で暮らしていて、この国の為にこの力を使ってきたから……」

「世界はこの国だけで成り立っているわけではないぞ」

「ええ、理屈ではわたしもそう思えるのですけど、なかなか、ね」

「……そうか」

 納得したのかしていないのか判らないノアに、ファラシアは小さく笑みを漏らす。

 実際に追手の存在を聞かされ、決して後戻りできないことを何度も突き付けられても、でき得ることなら以前の生活に戻りたいと願う気持ちは打ち消すことができない。そんな彼女にとって、それまでのものを全て捨て、遥か遠方に行き、全く別の新たな生活を営むなど、想像だにしないことだった。

 ファラシアはゼンに手を伸ばし、抱き寄せる。ごろごろと鳴る彼の喉に頬を埋め、その温かさを確かめた。

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