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追跡隊の一人、ルーベリーは、この村でのまとめ役と思われる男と話をし、改めてあの少女の力の物凄さを思い知らされていた。
男はガスと名乗り、ファラシアがこの村に着いてから魔物を倒すまでの間、寝食を共にしていたということだった。
他の村人たちの所に出向いていたディアン、イオザード、クリミアも、ほぼ同じ内容の話を聞かされてきたようである。いずれも同じような顔で戻ってきた。
そもそも彼らがここに辿り着くことができたのは、昨晩ここいらで発生した強大な魔道力のお陰である。遠く離れた地でも察知することができるほどの力を発することができるのは、『協会』の魔道士たちの中でも一握りの──ファルの称号を持つ者しかいない。
恐らく、『協会』の中でもあの力を感じ取っていない者はいないだろう。この隊が真っ先に到着したのは、単に彼らが最も近くにいたからに過ぎない。
「最強の魔物と互角以上に戦える奴を相手に、この面子で何とかなるわけが無いだろうが」
龍という言葉を口にすることがそれを呼び寄せることになるのを恐れつつ、ルーベリーはぼやいた。
彼らの能力が『協会』の中で劣っているというわけではない。いや、むしろ、この四人は上級の部類に入る。しかし、それでも、龍を相手にするなど夢のまた夢、到底実現し得ないことである。
四対一だろうが、十対一であろうが、彼らがファラシアを捕らえることができる確率は、そう変わりはしないだろう。
ルーベリーは肩を竦めて仲間三人を見やった。
「あいつの養い親って奴はどうなってやがるんだ? 至急戻ってくるようにあちこちに連絡を飛ばしている筈だろう。まだ捉まらないのか?」
それに返したのはイオザードである。彼の肩に留まっている魔道鳩は、今朝方戻ってきたばかりだった。
「まだらしいな。故意に無視しているとしか思えんが」
「けどさ、イオザード。そんなことをしたらそいつも──クリーゲルって奴も追われることになりかねないじゃない。そんな馬鹿な真似をするわけが無いわよ。あの娘の師匠ったって、『修行の旅』に出るちょっと前に、下級に格下げになったって話でしょ。力の無い奴が追われることになっても、先は知れてるわ」
紅一点のクリミアがあからさまに見下した口調で言うのを、ディアンがやんわりと窘めた。
「しかし、子供の頃はかなり凄い力を持っていたという話ですよ、クリミア。それこそ、ファラシアのように、最年少でファルの称号を受けるのでは、と囁かれていたほどに」
「大人になったら唯の人ってやつなのね」
鼻で嗤わんばかりの彼女の態度は変わらない。無駄なことは止めておけよという顔で、ルーベリーがディアンに肩を竦めてみせた。能力によって厳密な階級分けが成されている『協会』の中では、彼女のように考える者は少数派ではない。
「まあ、とにかく。我々だけで彼女の後をできるだけ追うとしよう。万が一追い付いたとしても、手は出さずに、援軍を頼めばいい。何はともあれ、居場所を把握しておかなければ狸の皮算用に過ぎないからな」
イオザードの提案に、皆は一様に首を縦に振る。
「何しろ、相手は『化け物』だからな。魔物よりも性質が悪いぜ」
ルーベリーのその呟きは、イオザードたちには届かない。
四人の中で、ファラシアと言葉を交わしたことがあるのは彼だけだった。他の三人は噂でしか彼女を知らない。
焚き火を見詰めながら、ルーベリーはファラシアのことを思い返していた。
あれは、三年前。
彼女がファルの称号を受ける前のことだった。
ルーベリーを含む五人の魔道士たちが梃子摺っていた犬の変化を、突然現れた少女はまるで仔犬でも相手にしているかのように無力化してしまったのだ。
ルーベリーは初め、まさかその少女が『協会』の中でも特異な力を持つ存在であるとは夢にも思っていなかった。住人の子供が迷い出てきてしまったのだ、と。
「下がっていてください」
まだ幼い声がそう告げた、直後。
その小さな身体から噴き出した強大な魔力のことを、どう言えばここにいる三人に正確に伝えることができるだろうか。
人が、あれほどの魔道力を放出することができる筈がなかった。
その時少女に対して抱いた感情を偽ることはできない──それは、紛れもない恐怖だった。
その少女は圧倒的な力で、上級魔道士五人を全滅させかけていた化け犬を、赤子の手を捻るかのようにして下してしまったのだ。
この件から一月後、ファルの称号授与の最年少記録が塗り替えられたのである。
過去に取り込まれかけていたルーベリーは、いつの間にか仲間の視線が自分に集まっていたことに気付き、取り繕うように笑みを浮かべる。
「あいつは、ある意味、魔物よりも始末が悪いぜ。たいていの奴ならあの見てくれに騙されるだろうよ。ミリアだっけか? 村長ん家の娘は、すっかり入れ込んじまっているじゃねぇか」
「いや、別にあの子はファラシアの見た目で彼女を庇っているというわけではないと思いますが……」
「そうか? あいつがいかにも極悪非道な面構えだったら、全然違うと思うぜ。あんたはあいつを見たことがないんだろ?」
肩を竦めたルーベリーに、ファラシアのことを殆ど知らないディアンが苦笑しながら答える。
「ええ、まあ」
「驚くぜ、実物見ると」
「なぁに? そんな虫も殺さないような顔してんの?」
興味津々という風情でクリミアが身を乗り出した。
「いや──気は強そうだな。……ただ、無茶苦茶、キレイなんだよ」
「綺麗ぃ? それだけぇ?」
自身も整った顔立ちであるクリミアが、つまらなそうに首を振る。
ルーベリーはそれ以上続けることを断念した。
あれは、言葉でこうだと言い切ることは難しすぎる。確かに、ただ立っているだけならばファラシアの容姿は『整っている』で言い表すことができるほどのものに過ぎない。しかし、力が溢れた瞬間、それは寒気を覚えるほどのものに変わったのだ。決して外見が変化したわけではない。だが、明らかに何かが違っていた。
「ま、その時になりゃ、俺の言うことが理解できるって」
不満顔のクリミアに、ルーベリーはそう呟く。それに対して、彼女は鼻を鳴らしただけだった。
*
ゼンの背中で揺られながら、ファラシアはミリアの涙を思い返していた。
「泣かせたくなんて、なかったんだけどな」
ポツリと呟いたファラシアの声に、ゼンの耳がピクリと動く。
「確かに、あの村にずっといるわけにはいかなかったけど、でも、もっと、普通のお別れをするもりだったのよ」
七日という短い間ではあったが、はにかんだ笑顔を持ったあの少女を、ファラシアは妹のように思っていたのだ。それを、あのように泣かせてしまった。
今頃は『協会』から放たれた追っ手があの村に到着している頃だろうことも、ファラシアの心を重くする。
いったい、どんな言われようをされていることだろうか。
真っ直ぐに慕ってくれていた少女の瞳が、もう決して戻っては来ないだろうことが、無性に寂しかった。
「こうやって──死ぬまで、逃げて、隠れてっていう風に生きていかなくちゃならないのかな」
弱気が押し寄せてくるのを退けることは難しかった。
「ホントに、もう、どうしよっかな……」
ゼンの毛皮に頬を埋めてポツリとこぼす。
後ろへ後ろへと過ぎ去っていく下生えを見つめていると、自分ではどうにもならないものに押し流されている状況が痛感された。