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「皆! 家の中に入って固く戸を閉めて!」

 獅子ほどの大きさになったゼンに跨り、ファラシアは声を張り上げた。

 空には星の明かりを掻き消すほどの満月が輝いている。

 そしてその下には、長くうねるものがあった。月光を反射し、所々で褐色の鱗が光る。その胴体には、足と思しきものも、龍であることを示す角も、付いていなかった。

「こいつ……龍なんかじゃない。ただの、蛇の変化だわ」

 自ら囮になり、村から引き離そうとしたが、周囲に溢れる人間のにおいが化け蛇の気を引くと見え、魔物はその場でとぐろを巻いたまま舌をちらつかせている。

「家の中に隠れさせただけでは駄目だっていうの?」

 この場で戦えば、化け蛇のうねりで村を壊滅させかねない。

「蛇……か。蛇の弱点といったら、やっぱり、寒さかな」

 ファラシアの呟きと共に、周囲の気温が一気に下がる。ゼンが震えだすのが判ったが、途中で止めるわけにはいかなかった。

「ゼン、ちょっと我慢しててね」

 言いながら、軽く首筋を撫でてやる。その間も気温は下がり続けていた。

 化け蛇が不快そうに鎌首をもたげて周囲を見回したが、その動きは目に見えて緩慢になっている。あと少し下げれば、完全に冬眠状態になるだろう。

 次第に化け蛇の頭が下がり始める。その目の光は鈍くなり、やがて半目に、そしてついには完全に閉じてしまう。

「適材適所、よね。炎は使えないけど、こういうのなら得意なんだから」

 呟いて、ファラシアはゼンから降りた。よく見ると、彼の純白の毛先には氷の粒が光っている。ゼンが大きく身体を震わせると、それらが散って、キラキラと輝いた。

「でも、この後はどうしようか。ずっとここに寝かせたままにしておくわけにはいかないし」

 腕を組んで、化け蛇の巨体を見上げる。

「大きいわよね……どのくらい生きているのかしら。確かに龍と間違えたのも──」

 無理は無い。

 そう続けようとした時だった。

「何やら同胞の気配がするから降りてきてみれば…。そんなものと我らを取り違えるとは、無礼な」

 唐突に頭上から響いた声と共に、目の前の化け蛇が炎を上げる。一瞬にして、それは灰の塊と化していた。

「──!」

 ファラシアは息を呑んで空を見上げる。ゼンも彼女の隣で毛を逆立てて、天空に向けて唸りを上げていた。

 相変わらず、雲一つ無い夜空。

 しかし、今、そこには一つの影があった。

 月明かりが逆光となり、色彩は判らない。だが、長い身体をうねらせる優美なその動きは、まるで舞っているかのようだ。

 遥か上方からでも感じられる、桁外れの魔道力。今まで戦ってきた魔物達とは格が違う。

「りゅ……う? 今度こそ、本物の?」

 掠れた声での囁きは、空に浮かぶ存在にも届いたようだ。

「我らに本物も偽者もなかろう」

 尊大な声が響いた直後、それまで化け蛇の巨躯が存在していたところに、一つの人影が佇んでいた。

 あまりに整いすぎた容貌は、それだけで人間離れしている。その上、その髪と瞳は鮮やかな真紅であった。人でないことは、一目で判る。

「先達ての眷属の気配もそなたのものか。まだ、生まれて間もないな。何という?」

「人の名前を尋ねる前に自分の名を言う、というのが筋ではなくて?」

「そうか。人の世ではそういうものであったな。我はクァールーンだ」

 単なる反抗心から出た言葉に、まさか素直に答えるとは思っていなかったファラシアは、いささか面食らう。

「わたしは、ファラシア=ファームよ。こっちはゼン」

 気まずそうな顔のファラシアをしげしげと見つめ、クァールーンは呟いた。

「それにしても、風と水とはうまく出たものよな。しかし、その色はいったいどうしたことだ?」

「どういう意味……?」

 一瞬怪訝な顔をしたファラシアだったが、はっと我に返る。

「いえ、それよりも、何故あの化け蛇を殺したの!? どこか人里離れた所に放せば、人間に危害を加えるようなことは無かった筈だわ!」

 ファラシアの糾弾を、しかし、その龍はさらりと受け流しただけだった。

「人など関係ないが、我が降りるのに邪魔だったからの」

「それだけの理由で!?」

「充分であろう」

 平然と返され、ファラシアは言葉を失う。龍族は強大な力を持つというが、それと同じくらいの自尊心もあるようだった。

 唇を噛んだファラシアを、クァールーンは面白そうに見る。

「何か不服か?」

「力があるからって、自分よりも弱いものを踏み躙るなんて……わたしは赦せない」

「なら、どうする。我に戦いを挑むか?」

 その答えは、何よりも雄弁に、彼女のその眼が語っていた。

「止めておけ。我は、眷属と争うつもりは無い」

「眷属ですって……? 何のこと?」

「全く自覚が無いというのも珍しいな。まあ、こういうことは自ら気付くほうが良いだろう。我は子どもの面倒を見る気は無いからあまり言わぬでおくが……」

「さっきから、ごちゃごちゃと! 確かにわたしは人間離れしているかもしれないけど、人間であることには間違いないわ。それに、そっちにその気が無くても、わたしにはあるわよ!」

「風と水にしては、随分気が荒いな。それは我ら火龍の気性の筈だが」

「いつまでも意味の解らないことを言っていると──!」

 痛い目を見るわよ、と言い切らぬうちに、ファラシアは一瞬にして顕現させた氷塊を龍に叩き付ける。が、それは相手に到達することなく瞬時にして消滅する。

「無駄だ。お前のその力は我には効かん。ものも解らん子供を相手にするのは不本意であったが……多少の仕置きは必要だな」

 髪一筋乱すことなく佇んでいるクァールーンは、駄々っ子を相手にする笑みを浮かべてそう言った。同時にその手の中に光の剣を出現させる。

「やる気に、なったようね。……ゼン、あなたは下がっていて」

 ファラシアとクァールーンは互いに互いを見据え、ピクリとも動かない。

 それがどのぐらい続いたであろうか。

 先に動いたのはクァールーンからだった。剣を持たない右手に力が集まっていく。

 ファラシアにはそれが炎から成るものであることが解った。そして、その瞬間、彼女の身体が炎に包まれる。

「水よ、我が身を護れ。雷よ、敵を討て!」

 声と共にファラシアを包んでいた炎が瞬時に消え去り、ほぼ時を同じくして爆音が響いた。しかし、クァールーンは叩き付けられた雷をものともせず、跳躍する。

 真っ直ぐにファラシアを狙って振り下ろされた光の剣を、彼女は氷で作った盾で受け止め、そのまま弾かれたように飛び退く。

 彼女が最も得意とするのは水系の魔法であったが、それがクァールーンに効果が薄いのは最初の攻撃で解っている。

「となると……風、かな」

 ファラシアは目を閉じて、心の中でそう呟く。

 三日月を思わせる、鋭利な刃。

 脳裏に確かな像を結んで眼を見開いたファラシアの目の前に、クァールーンの剣が迫っていた。

 刃を放つと共に大きく一歩後ろに退いたが、わずかに間に合わず、右肩から左腹にかけて斬られる感触を、ファラシアは確かに感じていた。深くは無いが、かなり広範囲に斬られている。

 膝を突いたファラシアの耳に、ドサリと、何かが落ちる音が届く。喘ぎながら顔を上げると、地面に転がる腕が見えた。

「ちと、侮り過ぎたな」

 左肩を押さえたクァールーンが、顔を歪ませてそう呟いたのが聞こえた。

「痛み分けっていうところね」

 わずかな動きでも痛みで脂汗が滲んだが、ファラシアは右手で服の切り裂かれたところを押さえ、左手でクァールーンの腕を拾う。

「肩を出して。多少の治癒ぐらいはできるから……」

 言いながらファラシアはクァールーンの前に膝を突き、肩の切断面に腕を押し付けた。そして、傷口に手を翳す。彼女自身、貧血で卒倒しそうであったので、普段のような即効性は無かったが、それでも何とか腕は繋がった。

 次いで、自分の傷に意識を集中させる。これは他者の傷を治すのより、容易なことだった。

「これで良いかな。さて、と……あれ?」

 立ち上がろうとして、ファラシアは思ったよりも出血による影響が大きいことを知らされる。へたり込んだファラシアに、ゼンが気遣わしそうに顔を摺り寄せた。

「大丈夫よ。ありがとう、ゼン」

 ゼンの耳の後ろを掻いてやっていたファラシアに、クァールーンが問いを投げる。

「何故、我の腕を治した?」

「え?」

 キョトンとした顔で振り向いたファラシアを、クァールーンが奇妙な顔で見ていた。

「何故、この腕を治したのかと問うているのだ」

「わたしは痛いのが嫌いなのだけど、もしかして、あなたは好きだったのかしら?」

「いや、そんなことは……しかし、それが理由になるのか?」

「まぁ、自分が嫌なことは他人にもしたくないってこと、よ」

 ファラシアの言葉に、クァールーンが真顔で首を傾げる。

「そういうものか……?」

「そういうものよ」

 答えて、ファラシアは蒼い顔でクァールーンに笑いかける。クァールーンは未だ納得しきれない様子で立ち上がった。

「人の世で生きてきたものはそう考えるものなのかもしれぬな。しかし、龍族は受けた恩は必ず返す。何かあったら、我が名を呼ぶといい」

「ええ、是非そうさせてもらうわ」

 ファラシアは、正直、そんな破目には陥りたくないなと思いつつ、微笑んでそう返す。それに釣られるようにして、クァールーンも笑みらしきものを浮かべる。

「お前の面倒なら、見てやっても良いかもしれん。では、その時まで」

 それを最後に、クァールーンの姿が掻き消える。見上げると、遥か上空を優雅に泳ぐ姿があった。一度大きく円を描いた後、西の空へと去っていく──直にその姿は見えなくなった。

 クァールーンを見送ったファラシアの身体から、一気に力が抜ける。

 地面にへたり込んだファラシアの周りを、ゼンがおたおたと歩き回った。

「血が足りないだけ。休んでいれば、すぐに……すぐに治るから」

 そう言い聞かせるとうろつきまわるのは止めたが、不安そうな様子は変わらない。そのゼンが、不意にファラシアを庇うように覆い被さり唸りを上げた。

 ゼンの睨み付けている方向に首を廻らせると、その先にはミリアが胸の前で両手を握り締めて佇んでいた。更に彼女の後ろには、やや離れてガスや他の村人たちもいる。

「ゼン、いいのよ」

 ファラシアの言葉でゼンが一歩下がると、待ちかねたようにミリアが駆け寄ってきた。

「ファラシア、大丈夫なの!?」

 両手両膝を地面に突いて、ミリアがファラシアの顔を覗き込む。斜めに切り裂かれた服と、そこを濡らしている真紅の液体に気付き、ミリアの顔が強張った。

「平気、平気。血がちょっと足りなくなっただけ」

 我がことのように蒼褪めたミリアに、ファラシアは笑いかける。その笑みが思ったよりも軽やかであったことに、ほっとしたようにミリアは頬を緩める。が、その背後から、固い声が響いた。

「あんた……本当に人間なのか?」

 疑心に満ちて罅割れた声で、村人の一人がそう問いかける。ミリアが険しい声でそちらを睨み付けたが、そんな彼女を父親が制した。

「ミリア、いいからこっちに来るんだ」

「父さん!」

 よくよく見ると、集まった男たちは皆顔を引き攣らせ、手に鋤や鍬、弓矢などを持っている。再び牙を剥き出したゼンを恐れて近寄ろうとはしないが、彼がいなければファラシアの身は無事では済まなかっただろう。

「あんたほどの力を持ったものが人間であるとは思えない。それに、そこにいる化け猫。そいつは魔物だろう? 魔物を連れた魔道士なんぞ、聞いた事が無い」

「父さん! ファラシアは怪我しているのよ!」

「ああ、だが自分で治しただろう。それどころか、魔物の傷まで治していたじゃないか。息の根を止めるのが当たり前だというのに」

「それは……」

 立ち上がって声を張り上げるミリアの服の裾を、ファラシアが引いた。

「ミリア、お父さんと喧嘩しないで」

 上半身を起こし、ガスに視線を向ける。

「すぐにこの村を発ちます」

「そうか……そうしてくれると有難い」

 そこで初めて、ガスはチラリと申し訳無さそうな色を走らせた。そして、手の平よりもやや大きいぐらいの皮袋を差し出す。

「わずかだが、礼を用意した。──ミリア、ライアから服を幾つか貰ってきなさい」

 父親の言葉に、ミリアは頷きを返す間も惜しんで身を翻した。

 ガスはファラシアを抱き上げてゼンに乗せる。身を離す間際、彼は他の村人には聞こえないような小さな声でファラシアの耳元に囁いた。

「すまない」

 ファラシアは解っている、という意思を瞳に込めて返した。

 彼女に対して突き放した態度を取らなければ、ファラシアのみならず、ガスの家族まで私刑の対象となっていただろう。ファラシアが彼らの家で寝泊りしていたということから、村人たちはガスらが彼女を庇うのではないかという不審を拭いきれないのだ。村人たちの間にピンと張り巡らされた糸はほんのわずかなきっかけで切れ、その途端、一気にファラシアを襲い掛かるだろう。

 さほど間を置かずに、ミリアが両腕に布の塊を抱えて、息せき切って戻ってくる。

「ファラシア、これを……」

 取り敢えず服を押し付け、更にマントを着せる。

「ありがとう」

 不安そうなミリアの眼差しを和ませることは、ファラシアにはできなかった。

「また、逢えるんだよね?」

 潤んだ眼に、ファラシアは首を振る。

 本当は、笑って、またねと言ってやりたかった。

 しかし、決して実行されない約束を交わすことはできない。

 最初から、魔物の脅威を追い払ったらすぐにこの村を後にするつもりではあった。が、このように涙を浮かべる別れにしようとは思っていなかったのだ。

「さようなら」

 それだけ言って、ファラシアはゼンの首筋を軽く叩く。

 ゼンは両頬をぐっしょりと濡らしている少女をチラリと見たが、すぐに歩き出した。

 村人に疎まれ立ち去る一人と一匹を追いかけそうになったミリアの肩を、ガスが引き止める。後を追わせても何もならないことは解りきっていることだった。

 ミリアは父の手を振り払い、険しい眼をむける。

「父さんも皆も、ひどい。龍かもしれない魔物の退治を頼んだのは、あたしたちじゃない。それを、追っ払ってくれたら、今度はファラシアを寄ってたかって……! ファラシアは、この村の為に、あんな凄い魔物と戦ってくれたのに!」

 年端もいかない少女の非難に、村人たちは居心地悪そうな様子で目を見交わした。

 更に言い募ろうとしたミリアを、家から出てきたライアが制す。ガスに目配せをし、娘の肩を抱いて家の中へと戻っていった。

 後に残された男たちは妙な後味の悪さを噛み締めたまま、誰からともなく各々の家の中に消えていく。言葉を交わす者はいなかった。

 ──彼らの心は、翌日訪れる者たちによって、わずかばかり、その重さを減じることができることになる。

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