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 自分が追われる身になるとは思ってもみなかった。

 ファラシアは街道から離れた所を歩きながら、途方に暮れていた。隣にはあの山猫もいる。彼女はそれに、古代神聖語で炎を意味するゼンと名付けた。

 ファラシアの大きな溜め息に、ゼンの耳がピクリと動く。特に縛っているわけではないのだが、この山猫は彼女から離れようとはしなかった。

「あなたは、もう自由なのよ。わたしといると、一緒に狩られてしまう……早く逃げなさい」

 何度か繰り返した言葉を、もう一度口にした。そしてゼンは、それまでと同じように瞬きをしてみせるだけである。

「わたしの言うことは理解できているのよねぇ」

 そう呟いて、ファラシアはゼンの頭を撫でる。

「これからどうしようか……」

 答えの無い自問が、宙に浮く。

 サウラの外れの小屋が、無性に恋しかった。この全てが、本当はあの小屋の自分の部屋で柔らかな毛布に包まって見ている夢なのだとしたら、どんなに幸せなことだろう。

 とにかく都から離れるのが先決であることは確かであったから足を進めていたが、行く当てなど全く無い。

 もしも『協会』に縛られていなかったら、世界中を旅して回りたい──そう夢想していたこともある。しかし、いざやってみると、目的の無い旅がそれほど愉快なものではないことを思い知らされた。

「あら……?」

 小さな声と共に、ファラシアの足が止まった。

 夕暮れ時も過ぎて薄暗くなってきた中に、幾つかの明かりがちらついているのが見えたのだ。地図に依れば、この辺りに村は無い筈である。

 最近できた村なのか、それとも地図にすら載らないほどの小さな村なのか。

 近付くに連れ、それが後者であることが判り始めた──あるいは、できたばかりでこれから大きく発展していくのかもしれないが。

 村とも呼べないほどの集落で、家屋は、十軒から多くても十五軒。それ以上あるとは思えなかった。

「野宿にならないことを喜ぶべきかしら、それとも、人目に付くことを避けるべきかしら……? どちらにしても、ゼン、あなたは猫ぐらいになれるかな?」

 ファラシアが具体的に両手でどのくらいの幅か示してみせると、ゼンは了解したというふうに一度瞬きをし、一瞬にしてそのとおりの大きさになった。

「本当に猫みたいね」

 笑いながら、ファラシアはゼンを片手に抱き上げる。

 村はグルリと低い柵で囲まれていたが、その高さでは、果たして、魔物どころか獣避けにすらなるのかどうか疑問だった。

 広場となっているところまで来ると、ファラシアは軽く周囲を見回し、その中で一番大きい家に目星を付けてその戸を叩いた。直に扉は開かれ、中から四十歳ほどの男が顔を出した。そこに不安と怯えが溢れているのを見て、ファラシアは一瞬、自分のことがもう伝わっているのかと思ったが、考えてみれば、自尊心の塊のようなものが集まっている『協会』が身内の恥を触れ回るわけが無い。

「あの……一晩だけ泊めていただきたいのですが……?」

「あ……あ、旅の方ですか……」

 あからさまにほっとした様子で、男が身体を引いてファラシアに中へ入るように促した。

 家の中には、男の他に、彼の妻と思われる女性と、ファラシアと同じ年頃の少女の、合計三人がいた。一同は揃って不安そうな面持ちをしている。

「わたしはファラシア・ファームです。旅の途中で道に迷いまして」

「それは難儀なことでしたな。ああ、私はガス・クレインです。一応、この村の村長をやっています。ご覧のとおり、小さな村ですが。あれは妻のライア、娘のミリアです」

 ライアと呼ばれた年配の女性が立ち上がってファラシアを椅子へと招いた。

「お疲れでしょう。お食事は? たいしたものはありませんが、パンとスープぐらいならすぐに用意できますよ」

 言いながら、ライアはファラシアの返事を待つことなく火の側へと行き、鍋を温め始めた。ミリアもゼンの為にミルクを皿に注いでくれる。

「ありがとう」

 ファラシアが笑いかけると、ミリアははにかんだ微笑を返した。特に際立った顔立ちではないのだが、人を惹きつける笑顔である。

「いただきます」

 ライアが出してくれたパンとスープを、ファラシアは有難くいただく。殆ど丸一日何も食べていなかったことを、目の前に食べ物を出されたことで思い出した。

 が、数口で、彼女はスープを口元に運ぶ手を止める。

「……何か、心配事でもあるんですか?」

「え?」

 ガスが伏せていた顔を上げる。

「あの、何だか空気が重くて……」

「え、あ、そうですか……?」

 取り繕うように作った笑顔は、明らかに引き攣っていた。

「わたし、こう見えても魔道士なんです。何かできることがあれば言ってください」

「魔道士、ですって?」

「はい。一宿一飯の恩です。わたしにできることがあるなら……」

 最後まで言い終えることはできなかった。立ち上がったガスが、必死の形相でファラシアの両手を渾身の力で握り締め、振り回す。

「魔道士様! 私たちを──この村を、助けてください!」

「まず、事情を話してもらえませんか?」

 ガスのあまりの剣幕に、いささか引き気味にファラシアは言った。

「あ……すみません。つい、舞い上がってしまって」

 ガスは手を離して椅子に尻を戻したが、まだ息は荒かった。

「実は、半年ほど前からこの近辺に魔物が出るようになったのです」

「魔物ですか。それならわたしの専門分野です」

「しかし、ことはそう簡単ではないかもしれません」

「と言うと?」

「その魔物と出くわしたものは皆死んでしまったのですが、一人だけ息を引き取る前に話をすることができた者がいました。……彼が言うには、どうやら、そいつは龍らしいのです」

「龍、ですって?」

 ファラシアの高い声に、ゼンが顔を上げた。

「すみません、つい大声を。でも、本当ですか?龍が人間を相手にするとは思えませんが……」

「しかし、うわ言で龍だ、と……」

 ガスは不安そうな顔をする。ファラシアの口に手を当てて考え込む様子が、怖気付いたように見えたからだ。

「ファラシアさん……?」

「ああ、いえ、何でもありません。それで、どのくらいの頻度で出没するんです?次はいつ頃現れるのか、予測が付きますか?」

「そうですね、これまではいつも満月の夜に出ていたような気がしますから、あと七日もしたら出てくるかもしれませんが」

「七日……それまでこちらにお世話になってもよろしいでしょうか?」

「ええ……ええ、もちろんです!」

 ファラシアの言葉に、ガスが熱を込めて頷く。

 一方で、ライアは心配そうな面持ちだった。自分の娘とそう年の違わない少女を恐ろしい魔物と戦わせることに、少なからぬ躊躇いが、彼女にはあった。

「大丈夫ですよ。こう見えても、わたしは結構強いんですから」

 ファラシアは眉を曇らせているライアに微笑みかける。

「でも……」

「ライア、ファラシアさんは大丈夫だと言っているんだぞ」

 ガスが咎めるように言う。下手に止め立てして気が変わられたら、と気が気ではないのだろう。

「実は、一人、戦士の方にもお願いしてあるのですが、予定よりも到着が遅れているんです。もしかしたら、間に合わないかもしれません。そうなれば、お独りで、ということになってしまうんですが……」

 そう言って、ガスは同意を求めるようにライアを見る。その視線の中には、余計なことは言うな、という色が含まれていた。

 ライアはそんな夫に何か言おうとしたが結局口籠り、ファラシアに向き直った。

「……ファラシアさん、ミリアと一緒の寝台でよろしいかしら。狭いとは思いますけど」

「わたしなら床でも構いませんが」

 そう言ったファラシアに、ライアが首を振る。

「とんでもない! 女の子にそんな事をさせられないわ」

 ライアの言葉に、ファラシアはリーラのことを思い出す。

 母親というのは、特別な人種なのかしら。

 内心そう呟いて、ファラシアはミリアに向き直った。

「わかりました、じゃあ、そうさせてもらいます。ミリア、よろしくね」

「こちらこそ、ファラシアさん」

「ファラシアでいいのよ」

 そう言って、ファラシアは片目を閉じる。

「……ファラシア」

 言い直して、ミリアはまたあの笑顔を見せた。

   *

 クレイン家に宿を借りてから、六日が過ぎた夜。これまでの法則から行けば、明日には問題の魔物と対面することになる。

 ミリアとファラシアは、もう大分慣れた様子で枕を並べていた。ゼンは二人の足元に丸まっている。

「あたしね、恐いの。とっても」

 夜も更け、てっきりもう寝ていると思っていた少女が、不意に呟いた。

「ミリア……?」

 顔を横に向けると、ミリアもファラシアを見つめていた。

「あの魔物が現れるようになって、色んな話を聞いたわ。ぎゅうぎゅうに締め付けられて、身体中の骨を砕かれるとか、生きたまま一息に呑み込まれてしまうのだとか」

「……」

「ねえ、ファラシア。あなたは恐いと思ったことは無いの? 魔道士だったら、何度も魔物と戦ったのでしょう? もう嫌だって、思ったことは無いの?」

「ミリア」

 ミリアは両腕を立てて上半身を起こす。

 一度だけ、ゼンが何事か、というように頭をもたげたが、たいしたことがないと見て取るとまたすぐに両足の間に頭を差し込んだ。

「あなた、死んじゃうかもしれないわ。……ねえ、逃げて。ファラシアはこの村とは何の関係も無いのよ」

 ミリアの真剣な眼差しが煌めいて、暗闇の中でも痛いほどにファラシアを刺す。

 魔物の襲撃を間近に控えて、不安と恐怖が溢れ出すのを抑えきれなくなったのだろう。

 ファラシアも起き上がり、ミリアと視線を合わせた。

「ミリア、落ち着いて。わたしは大丈夫。とっても強いんだから。今までも負け知らずだったのよ」

「でも、今まで大丈夫だったからって、今度も大丈夫って事は無いわ。もう、何人も殺されているのよ。結局、戦士の方は間に合わなかったし」

 涙を浮かべて、ミリアが唇を噛む。

 ファラシアは両手でミリアの頬を包んで、下に落ちてしまった彼女の視線を持ち上げた。

「あなたは優しい子ね。でも、大丈夫、ファラシア=ファル=ファームが約束するわ。あなたたちが恐れているものを、必ず取り除いてみせるって」

「ファル……? あなた、大魔道士なの?」

 ミリアが潤んだ目を見開いた。ややおどけて、ファラシアは片目を閉じる。

「そうよ。この年で大魔道士なんて、殆ど伝説的なんだから」

 だから追われることになったのだけどね、というぼやきは内心のものに留めておいた。

「とにかくね、もう寝なさい。予定通りなら明日が勝負になるのだから」

 優しく言い添え、ミリアの肩を押さえて、そっと寝かしつける。

 何だか無性にこの少女がいとおしかった。

「大丈夫、相手が龍だろうが何だろうが、勝ってみせるわよ」

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