PACE5-8→離
別
裁判官は笑う
お前は 有罪
ばたばたと音がする。人の怒鳴り声だとか、人が行ったり来たりする音とか、とにかく凄く喧しくて目が覚めた。記憶が微妙に飛んでいてここが何処だか見当もつかない。ただ、ぱっと見た天井は美子さんの家の天井に似ていたから、もしかしたら美子さんの家かも知れないと漠然と思った。
「あ、弥さんが起きましたよー。」
頭の上から声がする。視線をそこに移すと流れる水の襖を背負った詩葉さんが僕を見下ろしていた。
「あ、師匠っ!」
「……なんだその今思い出したような言い方は。」
不機嫌そうな声。布団から体を起こして隣を見ると壁に寄りかかって此方を見る師匠とばっちり目が合った。それはそれは不機嫌そうに彼は言う。
「……何かいうことがあるだろう。助けてくれてありがとうございますとか、この御恩は一生忘れませんとか。」
「なんで師匠にそんな事言わないといけないんですか。」
「お前をここまで運んでやった俺にお礼の一言も言えないのか。どういう教育してるんだまったく。」
「僕を教育したのは師匠ですけどね。」
「口答えするな。」
舌打ち。師匠の左手がなんとなく目に入って、そして思い出した。
「あ……。」
「今度は何だ。」
「あの、美子さん、は……。」
「ああ、知らん。」
「え、知らん、て……。」
さらりと言った師匠の言葉の真意がわからなくて首を捻る。未だ血に汚れたスーツの儘の師匠は、ちらりと僕を見たあと煙草を咥えた。
「美子の事はこの際置いておけ。」
「え。」
「もっと大事な話がある。まあ聞きたくないならそれでもいいが、その場合路頭に迷って困って野垂れ死ぬのはお前だ。」
「え、いやです。」
「お前本当に本能に忠実だな。」
そういった師匠が、ぽんと自分の隣の畳をたたいた。布団から這い出て師匠の隣に正座すると、ぐいっと手を引かれる。
「なんですか?」
「うちの鍵だ。俺は帰れそうにないからお前に預けておく。」
「え、でも。」
「家に着いたらとりあえずできるだけ荷物をまとめて家の中をすべて掃除しておけ。ただし、あの部屋だけは、いつもと同じで開けるんじゃない。わかったな。」
「え、あ、わかりますけど。わかりますけど師匠、ちょっと待ってください。」
「待てない。時間がない。いいか弥。……俺にはもう会えないと思え。」
「は……。」
自分の用件だけは一気に捲くし立てた師匠が、やっと言葉を切った。金属色の瞳は僕を見つめてはいたけど、なんだか少し迷っているようにも見える。師匠はつまらなそうにため息をつくと、床に手をついた。
「そういうことだ。二年と半分と少しか。世話になったな。」
「世話になったって……ちょ、師匠っ!」
立ち上がった師匠の左手に慌ててすがりつく。すがった後で怪我をしていることを思い出してまた慌てて手を離した。痛みに顔をゆがめた師匠が腕を抱えて座り込む。
「あ、あごめんなさい。」
「前言撤回だな。こんな恨みのこもった仕返しをしてくれる弟子には是非とも化けて出てやらないといけない。」
「ばけて出るってなんですか。化けて出るって、師匠死なないのに。」
「……。」
師匠は苦笑して答えない。首をかしげたとき、がらりと襖が開いた。向こうに立って居たのは黒いスーツをまとった男の人三人。全員同じ髪型でサングラスをかけているので何だか怪しい。その内真ん中の男の人が静かに口を開いた。
「登録ナンバー2030B鈴欠か。」
「……そうだった気がするな。」
「立法192条を知っているか?」
「一応。」
煙草を灰皿に押しつけた師匠はちらりと三人を見る。そしてふわりと立ち上がった。
「戒問とか言う奴は元気か?」
「私語は慎め。同行を願おうか。」
「え……。」
見上げると師匠は僕の前にしゃがみこんだ。見たことないくらい優しい表情に少しだけ、怯える。
「なんだその反応は。ったく……。」
「だって……師匠熱でも……って熱あるじゃないですか!」
師匠の額は思いの外熱くて少し驚く。だけど師匠は僕の話なんか聞きもしないで、頭を撫でてきた。
「今度はいい奴と巡り合えよ。」
「は、師匠何を……!」
僕の額に口付けた師匠は優しく笑う。何だか最後みたいな気がして慌てて縋ろうとしたら、彼は苦笑する。
「そのうち迎えにいくから、いい子で待ってろ。」
言われたら動けなかった。小さく頷くと彼は苦笑する。
「悪い。」
謝罪。それが最後で師匠は他の人に連れられて何処かへ行ってしまった。
「弥殿」
「へ?」
後ろから、それとなく聞き慣れた声。立っていたのは無表情の基さんだった。
「……お迎えにまいった。」
「え、あ僕ですか?」
「ああ。鈴欠様にお世話をするよう仰せつかっている。」
基さんはそういって僕をひっぱり立たせる。立ち上がると彼は言った。
「主人…静鳴も待っている。」
「え?あ、はい。師匠が帰ってくるまで、住まわせてくれるってことですか?」
不安を取りのぞきたくて問い掛けるけど、基さんはあいまいに苦笑するだけで答えなかった。
「とりあえず、話はあとに。」
「……わかりました。」
基さんに手をひかれて歩く。初めて師匠に手をひかれたことを思い出して、急に淋しくなった。
「もう、会えないんですか。」
結局基さんは、答えてくれなかった。
最期に嘘をついた。泣きそうな顔が居たたまれなくてつい。
「で?戒問とかいうやつは元気にやっているのか?」
あの忌々しい裁判官の名前を出すと、三人はすっと眉をひそめた。
「私語は……。」
「慎め。ひねりがない奴らだな、まったく。」
言ってやると背中に打撃が入った。痛みが走ると同時にめまい。
「無駄なことをするな。」
「ずいぶん荒っぽいな、一応怪我人だが。」
「しかし罪人だ。無駄口をたたくな。」
肩をすくめてため息をつくと、首筋に刃物が当たる。どうやらかなり気に触ったらしい。
「製造物に何をした。」
「何もしてないさ。」
それは嘘でもあり真実でもある。少しだけ苦笑して、言ってやった。
「害をなすことは言ってないから安心しておけ。」
「………ならいいが。しかし何をいった?」
「迎えに行ってやると言っただけだ。」
「くだらない夢をみせるな、お前はここで死ぬ。」
「……くだらないのはどちらの方か、ってところだな。」
心にもないことを言ってほほえんでみる。
死ぬ覚悟はしてきた。後悔はしていないし、むしろ、やっととも思えた。けれど。
けれどあの子供はまだ十の子供で
雷に怯えて布団に潜り込んでくるただの子供で
さらに自分の身さえ守れない未熟者で
そんな子供を泣かせるわけにはいかなくて。
「生きて還ってみせるさ。」
つぶやいて誓ってみる。愛しい子供のために。
一、記憶者は何事があろうとも請けおった製造物を手放してはならない。
親子ごっこはもう終わり?
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Please TO BE CONTINUD