PACE5-5→哀
この回には多少グロテスクな場面が伴う可能性があります。ご了承下さい。
藍
ああ
あの小さい存在が
自分にとって総てであるように
あの小さい存在には
自分が必要であれば良かったのに
"君は幸せになれないんだよ"
ああ神様
その呪いは何時になったら……
頭が、重い。
「鈴欠さぁん。朝ですよ。」
「……。」
「しかとっスか?って、何か顔色悪くありません?」
知るかそんなの。布団をかぶって秋穂から姿を隠すと、のびてきた小麦色の手が額にあたる。冷たい。
「なんか熱っぽくないすか?」
「熱なんかない……。」
苦し紛れにつぶやいて、体を起こす。ぐらりと目眩がしたが、ばれないように立ち上がった。世界が不安定にゆれる。
「飲みすぎました?いやに顔色悪いですけど。」
「気のせいだ。」
豪華絢爛、梅が舞散るデザインの襖を蹴りあけて、寝室をでる。何だか、本気でだるい。
「お早ようございます。おや。何だか顔色悪いですよ?」
詩葉が湯呑みを机に置いて問い掛けてくる。ため息を返事代わりにして煙草をくわえると、あからさまに嫌な顔をされた。
「慢性の気管支炎になりますよ?」
「かれこれ200年前に診断が出てる。気管支炎くらいどうってことない。」
「……鈴欠さんが顔の割に声が低いのってその所為ですか?」
詩葉の言葉に舌打ちをし、湯呑みをひっつかんで縁側の障子を蹴りあけた。天気も眺めも最高だが、気分はよくならない。すべてはあの"元"馬鹿弟子の所為だと決め付けて、ごろりと床に寝転んだ。疲れた。
「課長。」
「なんだ。課長って呼ぶな。」
「いやっす、で、どうします?」
「一発目からやるぞ、面倒だ。」
「あの、やる気ないっすよね?」
「やる気ってのは何語だ?俺は知らない。他局の仕事にかまってられるか。」
「いやでも家の不祥事っすよ?」
「がたがたうるさい。」
煙を吐き出すと、ため息をついた奴は隣にすわった。再び額に、冷たい手が当たる。
「絶対熱あります。」
「気のせいだ。というか、ブレスレットがうざったい。」
適当に理由をつけて手を払い除ける、ため息をついた秋穂は俺から煙草を奪い取る。一口すって絶句。
「どんなけ強いの吸ってんですか!」
「こんな、だ。かえせ。」
「ダメ、没収っすね。」
「……何なんだよ。」
「病人にこんなの吸わせられますか。あんたすぐ体調崩すんだからもちょっと考えてください。」
「俺を、勝手に、病人に、するな。」
とはいっても、病人にしたくなるような顔色をしているのだろうが。湯呑みに口を付けてぼうっと庭を眺めてみる、ふと、何か異質な空気を感じた。
「……お楽しみの時間らしいですねぇ。鈴欠さん。」
「らしいな……さて、行くか……。」
「課長倒れないでくださいね、墓の用意してないんで。」
「殺すぞ貴様。」
さあ狂宴のはじまり
それは、誰も予想しなかった事態。
空から、何か鋭い物が降ってきた。ざわざわ梅の木が騒ぐ。
「……奴らだわ。」
「え……?」
鞠をついていた美子さんが顔をあげる。借りた、まだなじまない着物の前を合わせて近づくと彼女は微笑んだ。
「奴ら。私の命を狙う方達。あの人達は水を使うのよ。だから……この梅の木には恵みね。」
彼女はくすくすと笑う。鞠を僕に投げ渡すと、また微笑んだ。
「お父様の所に行きましょう?」
「ああ、はい。」
「私もお力添えしたいですし。」
「美子さんも、ですか?」
「私も一応、能力を授かっているのですから、ね?」
「あぁ……でも、美子さんは女の子なのに。」
「あら、悪魔さんにはそんな思想があるの?女子供は関係ないわ。」
「そうなんですか?」
散り知らずの梅の下を出ると、空からまた、水で造られた矢が降ってきた。美子さんが、呟く。
「散華。流水を避けよ。」
梅の木が美子さんの声に呼応するように揺れる。舞い上がった花吹雪が、降ってきた物を全てはじき飛ばした。にこり、美子さんが笑う。
「ね? 私にだって、貴方を守れるわ。」
師匠は女を守れない男はろくなもんじゃない、と言ったけど。そこまで考えて、考える事をやめた。師匠のことは今考えたくない。
「何を考えているの?」
「え、ああいえ、なんでもないです。」
苦笑すると、なら良いけれど、と、彼女は微笑む。水の矢をかいくぐって家々の間を進んでゆくと、目の前に水の壁がそびえ立っていた。その前に立つ、師匠と、瑠宇さん。
「美子……。」
「お父様、コレは?」
美子さんが首を傾げる。どこからか刀を出した師匠は、疲れたようにため息をついた。
「……向こうが立てこもっているんでな。こちらも対処出来ない、という所だ。」
師匠はちらりともこちらを見ない。心なしか顔色の悪い横顔をじっと見つめていると、視線に気付いたようにちらりとこちらを向いた。一瞬視線が合った、彼はため息をついて視線をはずし、かちゃりと刀を抜く。
「……師匠…?」
声はまた、届かない。
「弥さん?」
美子さんが問い掛ける、その時だった。
がしゃんという高い音がし、水の壁が急に崩壊した、何十人もの蒼い髪の人が傾れ込んでくる。
見る者が凍り付くような笑みを浮かべて師匠が刀をかまえた。子供も大人も、それぞれの武器をかまえ、戦闘態勢に入る。僕はなんて無力なんだろうと、その時初めて思った。
その時、だった。
「お父様!?」
美子さんの悲鳴に振り返る。まわりが一瞬騒然となったのを不審に思って振り返ると視線の先nに首のない瑠宇さんが崩れ落ちて行くのが解った。
そして、その隣。
瑠宇さんの頭を左手に持って冷たい笑みを浮かべる師匠。
ソレはまだ目を見開いたままで、その髪を無造作に鷲掴んでいる師匠はひどく残酷に見えた。
「どう、して……?」
美子さんの呟き。皆、動きを止めていた。
「どうしてっ!?」
「元々、このような計画だった。それだけの事だ。」
冷たい、声。
どうして、聞きたいのは僕だって一緒だ。
どうして。
「旦那。」
「ああ佐吉か。ほら。約束の品だ。」
腰の低い、短い髪の男の人に師匠は無造作に頭を投げ渡す。にやりと、師匠が笑った。
「……さて、もう一つの約束の品をいただいてこようか。」
ざっと、靴が砂を踏む音。ふわりと跳躍した師匠が、美子さんに刀を振り下ろす。
「美子様!お逃げ下さい!」
間一髪。師匠の間に、この前話した男の子が割り込んだ。ぎち、ぎちと刀が啼く。師匠はつまらなそうに、その子を見ていた。
「で、でも、貴方……。」
「いいから!美子様が居なくなったら我らは終わりです!」
その言葉に、美子さんは小さく頷いた。
「わかりました。」
「はい、どうか御無事で。」
「弥さん!こちらへ。」
僕の腕をとって美子さんが走り出す。慌てて走り出したとき、何か、肉を断つ音が後ろからした。本能的に振り返ろうとすると、美子さんの強い声が僕を止めた。
「振り返らないで!」
頷いて走り出す。こんな時が来るなんて、思いもしなかった。
入り組んだ民家の間をすり抜けて走っていると、美子さんが、小さく呟く。
「ねえ、弥さん。」
「はい。」
「ご存じ、なかったの?」
「はい……ごめんなさい。」
「お父様のこと、お好きだった?」
「……どうで、しょうね。」
言葉をにごす。師匠が好きかどうか、僕にはもう、解らなくなっていた。だって、師匠は笑っていたんだ、何の罪もない人を、あんな残酷に殺しておいて。昔からそうだ、師匠はどこか残酷過ぎる。
「あのね、弥さん。」
「はい?」
いつの間にか、梅の木が見えてきた。
ふと彼女が梅の前で立ち止まる。
「私、貴方のことが好きよ。」
彼女はそう言う。そして、こう、問いかける。
「貴方はどう?」
こんな時に。頭の何処かでそんな冷静な声がした。
でも、そんなことよりもなにか、もっと強い感情が僕を支配していた。
「僕も……。」
マリエスも、ミシェルも、紅茶のカップも、見慣れたカーテンも、見慣れた鍋も、窓も、クローゼットも、開かずの部屋も、みんなみんな、さようなら。
本棚も、古書も、壁の穴も、はさみも、あの、輝くような、銀色も。
きっともう、戻れない。
それは、昔。
『ここ?』
『そう、此処が今日から君のお家だよ。』
『記憶者さんは?』
『中で待ってる。ちょっと、病気をしててね。』
それはそれは大きい家の前に、琥珀の髪の男と、黒髪の少年。
『お名前、なんて言うの?』
『鈴欠。っていうんだよ。』
『しずか?』
『違う違う。すずか。』
『ふうん。珍しい名前だね。』
『そうだね。ああ、しずかっていうと怒るから気を付けて。黙ってれば綺麗なんだけど、少々気が短いんだ。』
『そうなんだ。』
少年は笑う。琥珀の男が、きいっとドアを開いた。
『鈴……うわ。』
ドアから顔を出したのは、痩せた銀髪の男。
『ああ、きたのか。』
少年をみて、彼はぎこちなく微笑み呟く。黒いシャツがかなり余っているのは、少年の目にも明らかだった。
『まあとりあえず入れ。今日からよろしく頼む。な。“弥”』
誰が、こんな惨事を想定しただろう。
さようなら。
少年は梅へ?
男は羽根斬台へ?
嗚呼、さようなら親子ごっこ。