PACE5-4→梅 4
遭
ずるずる。
ねぇ
本当は
ねぇ
貴方
白と赤。
どちらがお好き?
朝になっても、師匠と僕は口をきかなかった。違う、たぶん僕が避けてる。朝起きた時いつもなら師匠を起こしに行くけど、今日は起こさなかった。小さいけど、確かな変化。
「あ、師匠。」
起きてきた師匠は僕を見て、それから小さく視線をそらした。
「……あの子供の相手をしなくて良いのか?」
「美子さんはお稽古だそうです。」
「そうか。」
からりと障子戸を開けると、外には梅の花びらが舞っていた。師匠は障子戸にもたれてぼうっと外を眺める。
「あの。」
「なんだ。」
相変わらずちゃぶ台から動けない僕は、師匠に視線を移せないまま呟く。
「あの、昨日、勝手な事しちゃってごめんなさい。でも、僕、美子さんが悲しい顔するの嫌で、その。」
「……そうか。」
返事は素っ気ない。いつの間にか煙草に火を付けた師匠は小さく煙りを吐いた。
「……そうか。」
確認するように呟いた師匠はごろりと縁側に横になる、持ち上げられた手が手招きをした。
「何ですか。」
「正座。」
「は?」
「いいから此処に正座しろ。」
板張りの縁側にしいてある座布団を示される。渋々座ると膝に重たい物が乗ってきた。師匠の頭。
「何してるんですか。」
「寝たり無いが人肌が恋しい。お前の膝で我慢してやるから光栄に思え。」
何が光栄に思え、なんだか。
日当たりがいい縁側は気持ちよくて、なんだか何もかもがどうでも良くなってしまった。下を見れば僕の膝を枕にして師匠は寝る体制に入ってるし。額に当てられた手は、梅の花びらみたいに白い。
「弥。」
「は、はい。」
「……駄目だと思ったら、美子を見捨ててでも逃げてこい。」
師匠の声は静かで、だからこそ、苛っとした。
「なんでそんな事いうんですか。」
「もしもの話をしている。お前には何も出来ないんだ、それに、怪我でもされたら困る。」
「怪我するかなんか解らないでしょう?」
「だいたい、美子とかいう奴を護る義理はこちらには無いんだ。無駄なことはしなくていい。」
「師匠はなんでそこまで美子さんに突っかかるんですか!」
「わがままで言うことを聞かないからだ。」
即答、額から手を離した師匠は金属色の瞳で、僕をみた。
「じゃぁ俺からも聞いて良いか。」
「え。」
「お前は何故そこまで、“美子”に固執するんだ。」
そんなの、ワカラナイ。
「子供には恋愛は早いんじゃないか。」
「れっ、恋愛?!」
声がうわずる。ため息をついた師匠は、再び額に手をおいた。
「お前も女運が悪そうだな。」
「え。」
「尻に敷かれるタイプだろ、お前の場合。」
からかわれてる。むっとすると、師匠は小さく苦笑した。
「悪い。」
その謝罪の意味が、僕にはよくわからなかった。
予定は滞りないか。
ないです。そろそろくると思いますよ。
いゃぁ楽しみですねぇ。
貴様は黙ってろ。
詩葉さんって実はMですか?
いやいやSですよ。
くだらない自慢をするな。
自慢ですかコレ?
さぁ。
美子さんに連れられて散り知らずの梅まで来ていた。世界が白い。ちらちらと落ちてくる花びらが地面に敷き詰められて、歩く度にふわりと持ち上がる。
「弥さん。」
「あ、はい。なんですか?」
つい、と顎の線をなぞられた。確か前に家に来た師匠の恋人さんもこんな事を師匠にしてた。その時師匠はどんな反応をしたっけ。よく、思い出せない。
「弥さんは私を軽蔑なさらない?」
「え?」
「弥さんは私をお嫌いかしら。」
「え、何言ってるんですか? そんなわけないですよ……。」
むしろ好きです。
でそうになった言葉に驚いた。なんだかどうかしてる。
「どうかしました?」
「え、あ、いえ。いきなりどうしたんですか?」
梅の下、伏せられた美子さんの瞳が妙に綺麗に見える。銀色の睫は師匠を思い出すけど、それ以上にきらきら光って綺麗だった、背中がぞくぞくするくらいに。
「私、弥さんに言わなくてはならない事があるの。弥さんに是非、伝えたいことがあるの。」
それは美子さんと思えないほど弱い声で、やっぱり女の子だと確信する。師匠が怒ったときも、きっと怖かったに違いない。
「なんですか?」
「私は普通と違うの。お父様は気にしちゃいけないと言うけれど、気にしないわけにはいかないもの。私の所為で、この争いも起こったのよ。貴方は私が嫌いじゃないの?」
「いいえ。」
きっぱりと言い切る。どうして言い切れるのだろう。良く解らないけれど否定だけは出来ない気がした、コレが師匠のいう“恋愛”であるのだとしたら、その通りだろう。
「本当に?弥さんのお父様はきっと、私の事を嫌ってらっしゃるわ。」
「師匠は関係ありませんよ。」
「けど……。」
「僕は何があっても、きっと美子さんのことが好きですよ。」
「本当に?」
美子さんは首を傾げる。その様子がとても可愛らしくて小さく微笑む。
「ええ、本当に。」
「何があっても嫌いになりませんか?」
「はい。」
本当に嬉しそうに、美子さんは微笑む。
「よかった。ありがとう弥さん。」
笑って頷く。ありがとう。の言葉が純粋に嬉しかった。と、急に美子さんの笑顔が曇る。
「どうしました?」
「でも、でも弥さんはいつか、ここを出て行ってしまうのでしょう?」
「……あ……はい……。」
美子さんは淋しそうに瞳を伏せ、そしておもむろに僕を見た。
「ねえ弥さん。」
「はい。」
「貴方此処にとどまってくださらない?」
この時僕は何を思ったのだろう。何も考えず、それがさも当たり前の事のように大きく頷いた。
「美子さんがそうおっしゃるなら。」
僕は何を考えていたのだろう。
ああこれはどういうことなのだろう。
「師匠。」
美子の元から戻ってきたわずか十歳の子供は、縁側に座る俺の横に律儀に正座をすると俺を見る。その目はひどく強く真っ直ぐで、妙にどきりとしたのは此処だけの話。
「……あとにしろ。」
嫌な予感。子供が突拍子も無いことを言い出しそうで思わず否定する。子供の目はひどく真剣だった。
「大事なお話があるんです。」
「俺には大事じゃない。あとにしろ。疲れてるんだ。」
「今言いたいんです。」
いつもなら諦めるはずの言葉をいっても、子供は頑として受け付けない。ため息をついて、こちらが諦めた。
「何だ。」
「お願いがあるんです。」
ため息を相づち代わりにして先を促すと、その幼い唇から本当に突拍子も無いことが飛び出してきた。
「僕だけ此処にとどまることは出来ないでしょうか。」
あぁまったく、何を言い出すんだ恩知らず。
鈴欠さん、鈴欠さん。
何だ。
貴方がぐずぐずしているから、恐れて居ることが起きちゃいましたよ。
何が言いたい。
貴方はそんなこと望んでないんでしょう?
しかし手のうちようがないだろう。
有るのにやりたがらないんじゃないですか、貴方が。
うるさい。
ほら都合の悪いことになると逃げるし。
いつもの事だ。
そうですけどね。随分淋しそうじゃないですか。
……もう少し保つと思ったんだが。
それが本音ですか。
淋しくはないさ。清々する。
そうだ、清々する。
さようなら親子ごっこ。