PACE3-1→この子の七つのお祝いに……
人形
あぁ
あぁ
空を泳ぐこいのぼりだけは知っていた
下を見たら、恐怖で走れなくなってしまう。
腕の中のこの子を、下から引張る複数の感触。
耳奧を舐めるような、けらけらと、炯々と響く笑い声。
手放してはいけない、足を止めてはいけない。
この子を亡くしたら、私はもう、生きてはいけないから。
あぁ貴方お願い!!私とこの子を護って!!
走り続けていた女が、ふと、空を見る。空は少しずつ白んで、東からは静かに太陽が昇りだしていた。腕の中の子を引く複数の感触も弱くなり、女はふらふらと足を止める。そして、静かに微笑んだ。
良かった、私、逃げ切ったのね。
そう呟いて、女は座り込む。腕の中の確かな重みに、女は小さく微笑んだ。ここで少し休んで、そうしたら、お山のお寺に行こう。この子を和尚さんに預けよう。女は小さくため息をつき、そして立ち上がった。
ごとん
何かが落ちる、感触。女の目が静かに下へ向く。
それはビー玉の目で見上げてくる、首。
「ああああぁぁぁあぁああぁあああぁぁあああっっ………!!!」
あぁ、なぜ、どうして。
どうして、よりにもよって、貴方と私のこの子が。
この子の幸せだけを願ったのに。
ずっとこの子だけを護ったのに。
あぁどうして。そんな
そんな、まさか。
あぁ こ の 子
よく みた ら
お 人 形
あぁ
空を泳ぐこいのぼりだけは知っていた。
見上げる瞳に刻まれた、今はもう、硝子の回想。
子供を人形とすり替えて、ぐったりと木にもたれた。頭に響く、司令官の声。
これは伝説なのだ、と。
しっかり伝わらなくては困るんだ、と。
要するに自己肯定。自分は悪くない。そう思い込むための方法だった。これは仕事だと思い込むために小さくため息。できればこのまま立ち去って、仕事終了、としたいのだけど、どうやらそうもいかないらしく、後ろにいる女を観察する。
ごとん、と重い音がした。あぁ、首が落ちたのか。と振り向いて、形容しがたい音が鼓膜を叩いた。
「ああぁあぁあぁぁぁあああああぁっ……!!!」
ソレは止まることを知らず、何か不愉快な耳鳴りのように、直接脳を揺らしてくる。気持ち悪い。思わず眉を寄せていることに、自分ではしばらく気付かなかった。
「あああぁああぁぁぁあああああああっっ」
うるさい、よりも、やかましい、よりも浮かんできたのは恐怖。いつのまにか手の内にあった刀を振り上げていることに気付いたときはもう手遅れ。ひゅんっ、と風を切る音と耳鳴りの停止、吹き上げる赤色の噴水。
確か司令は、発狂のち水死、だったのではないか。ごろりと分離された頭は転がって、女の心を表すように自分の方へむいた。ガラス玉のような瞳はじっとこちらを見つめてくる。背中がぞくりとして、ため息。無理矢理目をそらして面を下ろした。
足元に転がっている子供は悠長に眠っている。抱えて寺までつれていくのはわけのないことなのだけど、この子供にも狐に対する恐怖を植え付けなければならないのでそうもいかないらしい。
幸せそうに眠っている姿にいらだって、思わず蹴りとばす。子供はびくりと反応し、覚醒した。
「………ここは…母様…?」
きょろきょろと辺りを見回すが、後ろにいる自分には気付かない。子供が最初に見つけたのは、奇妙な格好をして転がる、自身の母親の姿だった。
「…!母様っ…?!」
子供の関心は完全に母親の死体にむいてしまった。このまま置いていってやろうかと、危うい考えが頭にうかんだがどうにか踏みとどまる。
いま少し、狐のふりが必要なようだ。子供の肩に手をかけ、耳元でささやく。
「私についてこい。」
「母様っ母様っっ!」
人の話はまるで無視、ため息をついて持っていた刀を振り上げた。ひゅんっと再び風を斬った刃は子供の鼻先を掠めて地に落ちる。子供は声を失い、女の体から分離された右腕を見つめる。後ろから手をのばしてそれをつり上げれば、子供は恐怖の折混じった目で自分を見上げた。
「ついてこいと言うておるのが、聞こえないようだな。ならばお前も食ろうてやろう。丁度食事に仕様と思っていたのだ。お前など食っても腹はふくれぬが、それでも食後の口直しくらいにはなるだろうな。ついて来ないのなら致し方ない。」
刀を持ち上げようとすると、子供は慌てて口を開いた。
「行く!」
成功したようだ。そうか、と呟いて山道を登り出す。右手には血刀、左手には女の一部を持って。
当然ではあるが人間を食べるなど悪趣味な食事は必要ない。もちろん食おうとすれば出来ないこともないが、見た目がほとんど同じ生物を食えるほど、自分はいかれていなと自覚している。子供は物言わず、躓きながらもしっかりとついてくる。女の腕の中で寝ていたこともあってか、元気なものだった。
問題は、自分がいつまで保つか、ということだ。コレで徹夜は五日目、完徹に至っては三日目。そろそろ頭はくらくらしてきたし、目眩も相当酷い。本当のことを言えば、あの寺まで行けるかどうかも危うい所だった。
「…あの。」
急に聞こえた子供の声に、振り向く。狐になることもほとんど忘れて、言葉を紡いだ。
「何だ。」
「お寺に行くんですか。」
「だったら、どうした。」
「…………いえ。」
黙り込んだ少年が、小さく呟く。
「あっちに、行った方が早いです。」
「……。」
参った、いきなりこんな壁にぶつかるなんて思わなかった。こんなに疲れてると言うのに、まだこの子供が嘘をついたかどうかを見極めなければならないなんて、悪夢以外何でもない。あぁ頭が回らない。なんの拷問だ。俺が何をした。
「あの。」
「…嘘だとしたら、どうなるか解っているか。」
子供はこくりと頷く。考えるのがいやになって、じゃぁ、先に歩け、と背中を押した。もし迷ったなら力を使えば良いだけの話だし、早くつくのならそれはそれでいい。普段足場の悪いところなんて歩かないコトもあって、足も疲れてる。そろそろ本気で眠い。どちらにしろ、俺は限界に近かった。数十分ほどたって、子供が正しかったことが証明された。道が開けて見覚えのある建物があらわれた。
目的地についた。と認識すると、体は正直なモノでぐらりと視界がゆれる。面をはぎ取って放り投げたら、子供が不思議そうに見上げてきていた。
「なんだ。」
「!…。」
びくっとした子供は慌てて首を横に振る。じゃぁさっさと歩け、と背中を軽く蹴ったら、モノの見事に顔面から転んでくれた。ため息をついて背中を摘みあげる。子供は暴れず、されるがままになっていた。
「静鳴!帰った。」
「はいはい、お帰りなさい御狐様。」
奥からでてきた鳴鈴はちゃっかり背広姿。腹がたったので子供を投げてやると、ご機嫌斜めですねぇ、とため息をつかれた。
「奥の間にお布団敷いておきましたから、体を清めたら少し休んだらどうです?綺麗な顔がひどい状態になってますよ?」
いったい何日寝てないんですか、と呆れられて、何だか自分が哀れになってきた。五日、と呟いたら静鳴はしっかり笑ってくれる。その顔面をとりあえず殴って下駄をぬいだ。
「………っ!」
縁側に片足をかけると子供が小さい声をあげた。
「鈴欠、その靴擦れひどいですね…。」
鼻緒があたっていた所が見事に血塗れになっている。本当に慣れないことするとろくな事にならない。
「大丈夫ですか?」
「別に平気だ。俺は寝る。」
「はいはい。」
静鳴のため息、ちゃんと寝てくださいね、という言葉に小さく頷いてみる。とりあえず、いつもの忠告をしてみた。
「絶対に起こすなよ。」
鬼ごとはおわっても悪夢はまだおわらない。