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哲学者と小娘

作者: 土産みやぎ
掲載日:2026/11/06


ソクラテスだと思い込んでいた。最近になってプラトンだった気がしてきた。強火オタクの倫理学の先生が勢いと激しい熱量で語った逸話。




弟子がゴブレットに毒を入れたのを知っていたのに飲み干して死んだ哲学者。彼は善であろうとしたのだ。弟子を殺人犯にしないため自ら望んで毒を飲んだ。自分が死んでも周囲の人に弟子が責められることがないように言い遺して。人を守り、愛を、信じること。それは彼にとって命より大切だった。命をかけて証明することの方が生きるより大事だった。




16才、地味に反抗期をこじらせていた私はその話を聞いて「馬鹿じゃねぇか」と思った。何年も経ったのに、普通の平日のたった1時間の授業を未だに思い出す。その授業の際に黒板にアルパカを全力で描いた先生が、次の日からリャマというあだ名で呼ばれていたことまで覚えている。私は当時怒っていたんだと思う。自分の正しさを証明する。そんなことで死ぬなよ、と。




あれから何年も経ち、それなりに大人になった。親とは10才頃から離れて暮らしていて、ばぁちゃんに育てられた。今でこそ名前のつく病気となったが母親が自己愛性パーソナル障害で気分次第で殴ったり蹴ったり心無い言葉を吐き散らす。自分に都合の良い嘘をつき、それを真実だと思い込むため被害妄想がひどい。周囲には子供を甘やかしている母親を演じる。私には妹がいるのだが妹のみを実際に甘やかして仲間意識を植付け、私を仲間外れにするかたちで非難するのだ。幸い賢かった私は母は母、自分は自分と割り切れていた。思うところはあったけれど。




母とは対極にばぁちゃんは馬鹿正直な人だった。親を早くに亡くし、「みなしご」といじめられた子供時代を過ごした人。負けん気が強くて頑固で純粋。まともに教育を受けさせてもらえなかったので学はない。それでも好奇心が旺盛で活発、記憶力も良く、学ぶ機会があったら一廉の人になっていたと思う。粗暴で喧嘩っ早い。涙もろい。まるで伝記のソクラテスみたいな人だ。




高校を卒業後、就職し、私が世間から評価されるようになると母は手のひらを返した。今度は私を味方につけ、妹を非難しようとしたのだ。それまで「母は病気なのだから」と耐えていた何かが、切れた。いつかわかってくれるだろうという期待もやめた。ドアスラムという状態が何年か続いた。私は他人になりたかったが皮肉なもので完全に切れる関係ではなかった。




4年前、ばぁちゃんが脳出血で倒れた。コロナ禍にも関わらず処置が早かったため、ほとんど後遺症は残らなかった。ただ、元々歩行困難だったのが悪化してしまった。70歳まで土木工事に携わっていた人だ。体が悲鳴をあげた。夫を早くに亡くし、私の母を含む4人の子供を育てあげた。お金もないのに孫の私を引き取って育ててくれた人だ。




子供たちの誰もが介護を押し付けあった。ばぁちゃんの目の前で。私の母に至っては介護を押しつけられたら自殺してやるとほのめかしていた。当時、私には結婚の話が出ていた。今の状態のばぁちゃんを置いていくことができなかった。




dear.毒を飲んで死んだ哲学者様。今ならわかるよ。私は彼女のためならゴブレットを飲み干す。



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