『北里柴三郎』記念館を訪ねて
今の医学ももちろん素晴らしい。新しい薬や高度な医療技術によって、多くの命が救われている。
その一方で、北里先生のように「家庭でできる予防」や「暮らしに寄り添う視点」も、これからも大切に受け継がれてほしいと思った。
北里柴三郎記念館を訪れて、私は一人の細菌学者に対する印象が大きく変わった。
教科書に載る北里柴三郎は、「近代日本医学の父」「破傷風菌の研究」「ペストとの闘い」といった偉大な功績を残した人物である。
しかし、記念館で私が出会ったのは、偉人ではなく、一人の温かい人間だった。
展示の中で最も印象に残ったのは、「一家に一匹、猫を飼いましょう」という言葉だった。
最初は思わず笑ってしまった。
細菌学者なのだから、「病院へ行きなさい」「薬を飲みなさい」と言うのかと思っていた。
ところが違った。
「猫を飼いましょう。」
猫はネズミを減らし、ペストの予防につながる。
誰でも今日から始められる方法だった。
その瞬間、私は気づいた。
先生が見ていたのは、研究所でも病院でもない。
一般庶民の家庭だったのである。
どうすれば、お金をかけずに病気を防げるのか。
どうすれば子どもたちが健康に育つのか。
どうすれば家族が安心して暮らせるのか。
先生は細菌だけを研究していたのではない。
人々の暮らしそのものを見つめていたのだ。
記念館には先生の蔵書も展示されていた。
医学書ばかりだと思っていた私は、また驚かされた。
『家庭衛生』『家庭料理』『家庭園芸』『応急手当』『日常の法律』『世界文化史』『吉田松陰全集』……。
医学だけではなく、歴史、文化、文学、家庭生活まで実に幅広い。
そして、その中には原節子のレビュー雑誌まで並んでいた。
思わず館員の方に尋ねると、それも北里先生ご自身の蔵書だという。
私は思わず笑ってしまった。
「ドンネル先生も、美しいものがお好きだったのですね。」
偉人というより、一人の人間だった。
文化を愛し、美しいものに目を向け、人生を楽しむ心も持っていた。
そんな人だったからこそ、人々の暮らしにも目を向けられたのだろう。
先生は「ドンネル(雷)」と呼ばれるほど厳しかったという。
しかし私は、その雷は人を傷つけるためではなく、人を育てるための雷だったように思う。
研究には妥協を許さない。
命を預かる仕事だからこそ、本気で叱る。
その厳しさの根底には、深い優しさがあったのではないだろうか。
本棚を眺めながら、私はあることに気づいた。
本当に偉大な人は、自分の専門だけを見ていない。
人間そのものを見ている。
だから細菌学者でありながら、「猫を飼いましょう」と言えるのである。
病気を治すことだけが医学ではない。
病気にならない暮らしをつくることも医学なのだ。
広い芝生で弁当を食べながら、私は何度もそのことを考えた。
教科書だけでは分からない北里柴三郎が、そこにはいた。
人を救うために細菌を研究し、人を救うために家庭を見つめ、人を救うために猫を勧めた。
私は、こんなにも優しい人が本当に日本にいたことに感動した。
そして、最後に一つ思ったことがある。
今の医学ももちろん素晴らしい。
新しい薬や高度な医療技術によって、多くの命が救われている。
それでも、北里先生が見つめていた「家庭」という場所を忘れない医学が、これからもあってほしいと思った。
病気になってから治すだけではなく、病気にならない暮らしを一緒に考えてくれる医学。
「猫を飼いましょう。」
その何気ない一言には、人々の生活に寄り添い、お金をかけずに命を守りたいという、先生の深い愛情が込められていたように思う。
医学は、人を治す学問であると同時に、人が安心して暮らせる社会を支える学問でもある。
北里柴三郎記念館は、私にそんな大切なことを静かに教えてくれた。




