表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR

『北里柴三郎』記念館を訪ねて

掲載日:2026/07/17

今の医学ももちろん素晴らしい。新しい薬や高度な医療技術によって、多くの命が救われている。

その一方で、北里先生のように「家庭でできる予防」や「暮らしに寄り添う視点」も、これからも大切に受け継がれてほしいと思った。


北里柴三郎記念館を訪れて、私は一人の細菌学者に対する印象が大きく変わった。


教科書に載る北里柴三郎は、「近代日本医学の父」「破傷風菌の研究」「ペストとの闘い」といった偉大な功績を残した人物である。


しかし、記念館で私が出会ったのは、偉人ではなく、一人の温かい人間だった。


展示の中で最も印象に残ったのは、「一家に一匹、猫を飼いましょう」という言葉だった。


最初は思わず笑ってしまった。


細菌学者なのだから、「病院へ行きなさい」「薬を飲みなさい」と言うのかと思っていた。


ところが違った。


「猫を飼いましょう。」


猫はネズミを減らし、ペストの予防につながる。


誰でも今日から始められる方法だった。


その瞬間、私は気づいた。


先生が見ていたのは、研究所でも病院でもない。


一般庶民の家庭だったのである。


どうすれば、お金をかけずに病気を防げるのか。


どうすれば子どもたちが健康に育つのか。


どうすれば家族が安心して暮らせるのか。


先生は細菌だけを研究していたのではない。


人々の暮らしそのものを見つめていたのだ。


記念館には先生の蔵書も展示されていた。


医学書ばかりだと思っていた私は、また驚かされた。


『家庭衛生』『家庭料理』『家庭園芸』『応急手当』『日常の法律』『世界文化史』『吉田松陰全集』……。


医学だけではなく、歴史、文化、文学、家庭生活まで実に幅広い。


そして、その中には原節子のレビュー雑誌まで並んでいた。


思わず館員の方に尋ねると、それも北里先生ご自身の蔵書だという。


私は思わず笑ってしまった。


「ドンネル先生も、美しいものがお好きだったのですね。」


偉人というより、一人の人間だった。


文化を愛し、美しいものに目を向け、人生を楽しむ心も持っていた。


そんな人だったからこそ、人々の暮らしにも目を向けられたのだろう。


先生は「ドンネル(雷)」と呼ばれるほど厳しかったという。


しかし私は、その雷は人を傷つけるためではなく、人を育てるための雷だったように思う。


研究には妥協を許さない。


命を預かる仕事だからこそ、本気で叱る。


その厳しさの根底には、深い優しさがあったのではないだろうか。


本棚を眺めながら、私はあることに気づいた。


本当に偉大な人は、自分の専門だけを見ていない。


人間そのものを見ている。


だから細菌学者でありながら、「猫を飼いましょう」と言えるのである。


病気を治すことだけが医学ではない。


病気にならない暮らしをつくることも医学なのだ。


広い芝生で弁当を食べながら、私は何度もそのことを考えた。


教科書だけでは分からない北里柴三郎が、そこにはいた。


人を救うために細菌を研究し、人を救うために家庭を見つめ、人を救うために猫を勧めた。


私は、こんなにも優しい人が本当に日本にいたことに感動した。


そして、最後に一つ思ったことがある。


今の医学ももちろん素晴らしい。


新しい薬や高度な医療技術によって、多くの命が救われている。


それでも、北里先生が見つめていた「家庭」という場所を忘れない医学が、これからもあってほしいと思った。


病気になってから治すだけではなく、病気にならない暮らしを一緒に考えてくれる医学。


「猫を飼いましょう。」


その何気ない一言には、人々の生活に寄り添い、お金をかけずに命を守りたいという、先生の深い愛情が込められていたように思う。


医学は、人を治す学問であると同時に、人が安心して暮らせる社会を支える学問でもある。


北里柴三郎記念館は、私にそんな大切なことを静かに教えてくれた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ