第二話:幻日 ①
ファランジュから出発し、ネストの外に出るまで丸一日を要した。木々の隙間、木陰の中、そこから感じ取る魔獣達の視線。二人の身は森を出るまでその気配にさらされ続けていたが、結局実際に襲い掛かってきた魔獣は一匹としていなかった。
やはり村を出てはならないと言う先人達の言い伝えは杞憂に過ぎなかったのだろう。そんな事を考えていたその時、永遠に続くかと思われた木々の景色が遂に終わりを告げた。
最初に彼らを迎え入れたのは、眩しすぎる程の真っ白な光。段々と目が慣れてきて、その次に目に映り込んだのは――広大な草原。地平線の向こうまで続いており、草や低木は風に向かって楽しそうに靡いている。よく見ると、遠くには見た事も無い建造物群。皆、似た様な赤味がかった煉瓦で構成されており、屋根はこれまた一様的な真っ黒な煉瓦タイル。恐らくアレがギャザリア、と呼ばれている街なのだろう。
エスにとっては九年ぶりとなる森の外。メシアにとっては初めてが広がり続けている真っ新な世界。
エスがその森の外の景色に見とれているその横で、メシアは後ろを振り向いた。そちらに広がるは先程まで歩き続けてきたネスト。彼女は少し目を細めて森の奥を見渡すと、深く腰を折り曲げてお辞儀をした。
「行ってきます」
二人はそのままギャザリアを訪れた。何か検問や出入り制限がある訳でもなかったので楽に入る事が出来た。
エスはギャザリアに入ってからずっと、いや、森の外に出てからずっと口を半開きにして、まるで魂を抜かれた亡霊の様に不確かな足取りで周りの景色を眺めている。目に映る全ての景色を、その二つの蒼い瞳に閉じ込めようとしているのだ。
「ねえ、エス……森の外に出てからずっとそんな調子だけど……大丈夫?」
メシアはそんな彼の様子に呆れてそう言ったが、エスは相も変わらずぼんやりとしている。メシアの声も届かない様な場所で頬を赤らめ、目を輝かせる彼。メシアは溜め息をつくとエスの顔を両手で挟み込み、ぐいと自分の方に引き寄せ、
「エス……分かってると思うけど、私達が森の外から来たなんて事、誰にも言っちゃダメなんだからね。絶対に信じてもらえないし、頭がヘンって思われちゃうよ。私だって凄い嬉しいけど……なるべく普通に振る舞って」
メシアの顔を見てやっと魂が戻ってきたのか、エスはハッとした。
「そうだよな……ごめん。取り敢えずご飯と、どこか泊まれる所を探そう」
ギャザリアはネストのすぐ近くにある。なのでその街はネストの木々を伐採、販売する事で金銭を稼いでいる。また北部にあるマーナ軍事基地はマーナ兵を募集、指導すると共に街の治安維持に一役買っている。その為町全体が比較的裕福であり、治安も良い事がこの街の特徴と言えるだろう。
ギャザリアを南側から入ると先ず出迎えてくれるのが、この町一番の大通り。その左右に展開しているのは色取り取りの出店達。フルーツ屋、洋服屋、雑貨屋、その他諸々。人通りが非常に激しく、行き行く人々でごった返している。そこら中から聞こえてくる人々の話し声は混ざり合い、意味を成さない無数の記号として二人の耳に渦巻きながら入ってきている。その為エスとメシアは互いに身を寄せ合いながら移動する事にした。
「そう言えば俺達って外の世界の通貨を一つも持っていなかったな……それも何とかしないと」
メシアは何も返さず、適当に近くにあったフルーツ屋の前で立ち止まった。そこでは蜜柑や無花果が籠の中で所狭しと詰め込まれている。メシアはその様な籠の奥で鎮座している店主らしき人物に軽く会釈をしてしゃがみ込むと、籠の中から林檎を手に取った。そして林檎に目線を固定したまま僅かに口をすぼめると、
「ねえ、エス、私、ファランジュから逃げた時に『戦おう』って言ったじゃん。でもそれは飽くまでも話し合いをする為だから……今でも、殺す為に戦うのは間違っていると思ってる」
エスは彼女の言葉を聞き分かりやすく顔をしかめると、
「え~……やっと俺の事理解してくれたと――」
ドン、とその瞬間エスとぶつかったのは、鼠色のフードを深く被った女性。彼女がふらついた足取りで近寄ってきて、エスと衝突したのだ。そのままその女性が姿勢を崩すとフードが取れてしまった。その中から現れたのは、大きな二つの眼と鼻筋がスッと通った端正な顔立ち。真っ黒な瞳の下には隈が溜め込まれており、髪の毛は腰に届きそうな程に長いが、一目見ても印象に残ってしまいそうな程に強くカールが掛かっている。
「あ……ごめん、周りが見えてなかった……大丈夫か?」
エスはそう言って彼女に手を差し伸べた。しかし、その女性の方は何もしようとしない。出された手を取ろうとも、その場に立ち上がろうとする気配すらも。彼女はただ目を大きく見開き、口をぽかんと開いている。その口の両端は少し吊り上がっており、何だか笑っている様にも見える。
「……?あの……」
エスがたじろいだ所でやっと、その女性はエスにぶつかった時に抜けてしまった魂が戻ってきたかの様にして表情を戻した。突如立ち上がった思うと、
「ごめんなさい、大丈夫です」
そう言い残してエスと顔を合わせようともせず、そそくさとその場を去った。何か都合が悪い事でもあったのだろうか、エスが何かを言う前に、彼女の後姿は人混みの中へと溶けて消えた。
「ヘンな人だったね」
軍事基地へ向かい受付の者に兵になりたい旨を伝えると、マーナ兵申請用紙が配布された。その申請用紙には出生地を書く欄があったが、二人はそこにギャザリアと書く事にした。それを提出した所、マーナ兵の選抜試験が開始するのは三か月後であると伝えられた。どうやら今は選抜の時期ではなかった様だ。その為、その後二人は試験が始まるまでの間寝泊り出来る宿と食い繋げるだけの職を見つけ、ギャザリアで選抜開始時期までの期間を過ごした。その間に森の外について様々な事を知ることが出来た。内容は大きく分けて二つ、世界情勢と森の外にとってのファランジュについて。
先ず世界情勢に関して。現在、この世界では森の中の絵本の内容の通りマーナの民とオルトの民が争いを繰り広げており、この戦争は数百年に及んでいると言われているが、その発端は曖昧である事。今日においてはオルト軍が非常に優勢である事。具体的に言うと、現在発見されている七体の召喚獣の内、五体をオルト国が所有している事。また、ネストの中にある要塞・『アトラス要塞』が現在オルトの手に堕ちている為、ここ数年の間は殆ど一方的にマーナ国が戦争の被害を受けている事。
次に、ファランジュについて。昨日に起こったファランジュ侵攻の際、オルト兵はファランジュ以外の地域を攻めていない事。そもそも森の外に生きる者達は皆ファランジュと言う村の存在について知らず、その村がオルトの手により消失した事も知らないと言う事。化物が巣食う森の奥底にある秘匿の村・ファランジュ。オルト軍によるファランジュ侵攻の際にその村から抜け出せた者は、エスとメシアを除いてこの世に存在していない事。
月日は流れ、マーナ兵選抜の時期が訪れた。
集合場所とされたのは軍事基地内の一角。見渡す限りの地平線には一様の土が敷かれており、今、その上にはステージが自らの姿を誇らし気に見せつけている。石造りの踊り場と、その左右で舞台裏を作り出す赤色のカーテンが揺らめいているステージ。その手前にはマーナ兵志願者と思わしき者達がずらりと並んでおり、その多くが見た目からして年端もいっていない。その中に混じるエスとメシアの瞳に映っているのは、ステージ中央に佇む長い茶髪の女性。彼女はその髪を後ろで結い、顔付きはまるで敵兵を見ている時のそれだ。睨みを利かせ、口をきつく左右に縛っている。
「皆さん、こんにちは。私の名前は『グレア』。現マーナ兵隊長を務めている者だ」
グレアがその顔付きからは想像も出来ない程に静かな、落ち着いた声でそう言うと、皆の視線が糸を引いた様にして再び彼女に集まった。周囲を見渡してその事を確認すると、
「明日から一週間、皆さんには選抜試験を受けてもらう。その試験に合格した者達はその後、三年間の教育・実習を経て、晴れてマーナ兵となる事が出来る。だがその試験は過酷を極める物で、辞退する者、更には命を落とす者もいるかもしれない」半ば怒鳴りつける様な声音で、「だが私達はその様な弱虫を求めてなどいない!精々お前達の本気を見せてみろ!そして見事選抜を乗り越え、実習を経て一人前のマーナ兵と成った君達と共に戦場に立つ事を私達は望む!」ここで一呼吸置き、「以上で私からの話は終わりだ」
グレアの演説後に選抜志願者達が移動を促された先は、そのグラウンド横にあった建物。白とベージュによる縞模様のレンガ造り、薄青色の三角屋根と所々の小さな窓が特徴的だ。木製で長方形の扉がキイッと歪んだ音と共に開き内部が露わになると、そこには大量の椅子と机がずらりと。高い天井にはランタンが吊るされており、外からの光は少ないが内部は意外と明るい。それぞれの机が互いにある程度の距離を取っており、一つの机に付きその左右に椅子が三つずつ、合計六つ並べられている。その机の上には素麺に羊肉、デザートの葡萄までずらりと。全て森の中では見た事の無い物だ。成程、今から食事でもするのだろう。
エスが座るように指定されたのは端の席だった。エスが座ると正面にはメシアが。そこが彼女の指定席だったのだろう。その机の他の四席も埋まると、そこには若干の気まずい雰囲気が流れた。エスもメシアも初対面の人と話すのに苦手意識は無いが、それでも誰かが喋り始めるのを待っている様子であった。
自分から話題を振ろう。エスがそう思った時にやってきた人物は、その場の皆が見覚えのある人物であった。
「やあ皆!今日はじゃんじゃん食べちゃってね!やっぱり食事は皆で取らないと!」
先程エス達の前で演説を行っていたマーナ兵の長、グレアだ。だが彼女の表情、口調は先程までのそれとは明らかに異なっていた。まるで子供の様な屈託の無い笑顔に、怒鳴り声とは対極に位置していそうな明るい声色。
演説時のグレアのとは似ても似つかない彼女を見て、しばらくの間その場の皆が彼女が誰かを認識する事が出来なかった程だ。グレアはそんな様子の彼らを見て、
「……あれ?どうかしちゃった?お腹でも痛いの?」
「ああ、いや……何だか先程までと雰囲気が違うなと思いまして」
畏まった口調でそう言ったのはメシアから二つ隣の席に座っている、肩まで伸びた金髪で中性的な男性だった。グレアは彼を見ると納得がいった、と言いたげな大きな口調で、
「ああ、その事ね」頬を膨らませた不満顔へ表情をころりと変えると、「公の前ではあんな感じなだけだよ。本当はあーゆーのイヤなんだけどね」
彼女はその机の六人を見渡すと再び口の両端を上げ、自らの胸をドンと叩いた。
「改めて、私の名前はグレア。マーナ軍の一番偉い人だよ」
彼女はそう言うと誇らし気にフフンと鼻息を吐いた。
エスが辺りを見渡してみると、他の机にも上官のマーナ兵がいる。一つの机につき一人の上官――もしかしたらこの人が自分達の試験官なのかもしれない。
そう考えていたエスをグレアは指差した。
「じゃあまず君から、名前と志願理由でも言っていこうか」
エスは突然指名された事に少したじろぎながらも、
「俺の名前はエスで、志願した理由は……」少し間を置いて左手へ目を移し、「オルトの奴らが二回も俺の住処を奪ってきたんだ。だからその復讐をする為だな」
エスの右隣にいたのは、パッチリとした目元と、鼻筋がスッと通った端正な顔立ちの女性。腰に届きそうな程に長い髪は海藻の様にうねっている。
「私の名前はアーネール。志願した理由は……強いて言うなら無くしちゃった物を取り返す為かな」
「『無くしちゃった物』?なになに、気になるじゃん」とグレア。
「何でしょうね~」
普段は深く、落ち着いた声音のアーネール。しかし茶ける時はグレアに負けずとも劣らない子供のそれになるらしい。そんな彼女を見て、エスとメシアが思い浮かべたのは数か月前に大通りで出会ったあの女性。場違いな表情を浮かべた後すぐにその場を去った彼女。
「お前……あの時にぶつかってきた奴か?」
「あれぇ~キグウだねえ」
アーネールは再び茶けた声音でそう言った――余り触れてほしくないのだろうか?まあ、それ程深い理由も無いのだろうが。
アーネールの隣にいたのは椅子に座っていても分かる程に小柄な女性。白銀の髪をツインテールに纏め、真っ黒な瞳は普段から大きく開かれいる。小さなその体は常に幼さとも愛嬌とも受け取れる気を発している。
「私の名前はフユで、えっと、志願理由は、ここなら食べ物に困らないと聞いたからです」
人前に慣れていないのだろうか、フユはもぞもぞと世話しなく全身を動かしながら、机に目線を落としたままそう言った。
「確かにここに住む人達には毎日三食の食事を提供しているけど……それが理由なの?」とグレア。
「私の家族、十年位前に色々あってバラバラになっちゃって……それ以降、ずっと優しい人達の家に泊めてもらってるんですけど、皆、ご飯だけは余裕が無かったんです……」
「ああ……成程ね」
フユの正面の席にいたのは先程グレアの変わり具合を指摘した中性的な男性。その顔には穏やかな表情が携わっている。
「僕はテレサです。エス君と同じで僕の住んでいた所がオルトの人達に取られちゃって……それで、何か出来ないかと思って志願しました」
彼の声音もその顔付きに負けずとも劣らない程度に穏やかで、彼の声だけを聴くと女性と聞き間違える者まで出そうな程だ。よく見ると彼の首元には楕円形で金色のペンダントがぶら下がっており、恐らくそれを開けると写真二枚が番いになって入っているのだろう。
「お前の故郷もあいつ等に襲われたのか……大変だったよな」と同調の声音を溢しながら言ったのはエス。
「辛かったけど……でも、それはあの村にいた他の皆も同じ――」
その瞬間、テレサの体の動きがぴたりと止まった。机に目を落としたまま停止したその体の中で、唯一唇だけが小刻みに震えている。
「……?テレサ?」
「いえ、なんでもないです」
テレサは更に深く目線を落とすとそう言った。
テレサの左隣にいたのは一目見ただけで分かる程に気怠く、眠たそうな顔付きをしている女性。黄金色でストレートな髪は息を呑む程に美しく、彼女の瞳も髪に似た色付きをしている。
「私はアトリー。復讐を果たす為にここに来た」
「えっと……復讐を果たすって事は、君もオルト軍に襲われたりしたの?」
「言わなければならないのは名前と志願理由のみですよね?そんな事、言いたくないです」
アトリーが突き放す様な口調でそう言うと、その場にはかなりの気まずい雰囲気が流れた。恐らく他人と共にいるのが嫌なタイプなのだろう。
彼女の横にいたのはメシア。数多くの人々に会う事が出来て嬉しいのだろうか、いつもよりも口角が上がっている気がする。
「私、メシア。エスと同じ所に住んでたんだけど、襲われちゃって。それで志願しました」
「エスと同じ所に住んでいたの?」とアーネール。
「えっと、エスが九歳の時に私の住んでた場所にやってきたの。その時期から同じ所に住んでたんだけど……そこをオルトの人達に襲われちゃって……」
「俺、メシアに出会う前の記憶が殆どないんだ」エスは小さく溜め息を付き、「だから俺の中ではメシアとずっと一緒にいる感じだな」
「エスの住処が二回襲われたって言うのは……九歳より前の時点でオルト軍に一回奪われたって事?」
「ああ、そう言う事だ。俺は元々両親と姉と暮らしていたと思うんだけど、何年か前にオルトの奴等が攻めてきて……何とか必死に逃げた気がする。その時は確か、誰かが俺の事を……」
エスが自らの頭を覗き込むと、目に見えないナイフが脳を切り刻み始めた。その痛みを抑えようと頭を抱えたが、唇が震え呼吸も徐々に荒くなっていく。
「……?あれ、あの時は誰が……俺の……違う……俺が――」
ぐう、とその時獣の様な低く唸った音を鳴らしたのはフユの腹だった。彼女の飢えを周囲に告げる様にして、三秒程たっぷりと声音を漏らした。
「あ……ごめんなさい」
そう言って真っ赤に顔を赤らめたフユを見て、グレアはクスリと笑みを溢すと、
「他のテーブルの人達は食べ始めてるし、私達も乾杯しようか!」
彼女がそう言って自らのジョッキに入った酒を一息に飲むと、他の者達も続々と食に走りだした。エスはまず素麺を食べてみると、汁が少し薄すぎる気もするが思いのほか喉越しが良い印象であった。次は羊肉を――牛や豚からは感じない独特の臭みがあるが、まあ食べられる。
「ああ、言うの忘れてたけど、明日からの試験はこの六人でするよ。試験官は私が直々にしてあげるからね」
グレアがそう言ったのは、エスがスクランブルエッグに手を付け始めた時だった。
「試験……具体的には何をするんですか?」
「それは明日になってからのお楽しみだ」
彼らは食事を終えると、その後しばらく住む事になる寮へと案内された。
翌日から始まる選抜への緊張からだろうか、その六人の内ぐっすりと眠る事が出来た者は一人もいなかった。




