第十三話:愛に似た匂い ①
廃村急襲後、エスを含む数多のマーナ兵はギャザリアの軍事基地にある療養棟にて休養を得た。その間にオルト軍が侵略をしてきた等の知らせが走る事は無かったが、多くのマーナ兵が戦線から離脱している為依然として予断を許さぬ状況であった。
ミランダの被害状況が明らかになったのは、廃村急襲から十日が経った後の事であった。
マーナ兵負傷者数二五三名。死者・行方不明者数九八名。廃村・ミランダの壊滅。多大な犠牲者を生みだした一方で、マーナ軍はオルト軍から獣機二八台と飛行船十三隻を鹵獲。召喚獣・バハムートを死守。しかしこの戦いの結果は、誇るべき勝利とは程遠い物である事は誰の目にも明らかであった。
辛酸の末に獲得した、ほんの少しの前進と大きな後退。
その日、エス、テレサ、グレア、レイの四人は軍事基地内の空き地にいた。
エスだけがその空き地の真ん中に佇み、彼以外の他のメンバーは端の方から彼に視線を注いでいる。皆、口をきつく縛り、どことなく緊張している様子だ。
「準備バッチリ!ばっち来い!」
グレアがそう叫ぶとエスはこくりと頷いた。そして右手を天に掲げると、雲の隙間から舞い降りてきたのは紫の竜・バハムート。そのままはドスンと地面に着陸すると、周囲に舞い上がったのは土煙。
その召喚獣を見て、グレアは困惑とも落胆とも異なる微妙な表情を見せた。
「あ~……まあ分かりきってたけど、本当に継承しちゃったんだね」
「ごめんなさい……メシアがいつ魔獣を連れてくるか分からなかったあの状況ではこうするのが最善手だと思って、勝手にバハムートを継承してしまいました」
エスは気まずそうに俯きながらそう言ったが、勿論本心としてはバハムートを介して自らの記憶を垣間見る為だ。
「まあ、うん、しょうがないかな。色々な所には私から話を通しておくから君は何も心配しなくて良いよ」
その様なグレアの優しい口調が尚の事エスの心を締め付けた。
やはり私情で召喚獣を継承するべきではなかったんだ――心の内ではそう歯痒く思いながら、何とか言葉を出す。
「……ありがとうございます」
グレアは彼の言葉を聞き、うん、と頷くとテレサの方に目線を移し、
「テレサ、エスと一緒に帰ってあげて」
「分かりました」と言うとテレサはエスと共にその場を去った。
エスの方も彼らに対する気まずさからその場から早く離れたかったのだろう。その足元は見るからに軽い。
グレアは去っていく彼らを見届けると、今度はレイの方に目を向けた――目の下には廃村急襲前には無かった隈が出来ており、一見して分かる程に沈んだ顔付きをしている。
弟が何故か敵対勢力に与しており、妹はその弟に連れ去られて敵国に幽閉されている。
現在の彼の心情は――。
「あの……レイ……その、大丈夫?」
グレアは歯切れを悪そうにしてそう言ったが、レイは顔色一つ変える気配すら出さず、
「……一人にしてくれ」
俯きながら返す言葉を思案するグレア。すぐに彼女は下がってしまった口の両端を上げ、ドンと彼の背中を叩き、
「大丈夫だよ、レイ!すぐにフユを連れ帰して、弟さんを説得しに行けるから!」
「……?どう言う事だ?」
秋の気配はどこかへ過ぎ去り、紅葉していた木々も今では細々とした枝葉を残してすっかりと禿げてしまった。上空に溜まった雲々は下界の人間に薄い影を見せびらかしながらその場に留まっている。
空き地から寮への帰り道。
エスとテレサは肩を並べて沈黙が訪れない為に適当に会話をしていた。もしそれが訪れてしまうと、どうしても様々な不穏な事を考えてしまうからだ。そうやって中身の無い話をしていたエスだったが、ある瞬間、ポツンと大切な事を思い出した様子だ。
「そうだテレサ……お前にずっと言いたかった事があるんだ」テレサに笑顔を見せながら、「廃村急襲の時、お前が炎魔法を使って氷鬼を倒してくれなきゃ、アーネールは多分オルトの奴らに連れ去られていた。あの時はお前に助けられた。ありがとう」
「いやいや、僕はそんな大層な事を出来た訳じゃ無いし……」とテレサは恥ずかしそうに俯いた。
しかしその俯いた顔は、すぐに憂いを孕む沈んだ物となった。
「……ねえ、エスはさ、オルト軍がミランダに攻めてきた本当の理由、何だと思う?」
テレサの言葉を聞き、エスは軽く考えを巡らせたが、ピンとくる答えは舞い降りなかった。
「本当の理由……?確か、アークが大声で言ってただろ?召喚獣・バハムートとオーディンを奪いに来たって」
「うん、アークはそう言っていたね。でも……本当に彼らはそれだけの理由でオルト国から遥々やってきたのかな?軍事に転用出来る程発展していなかったはずの航空技術で無理矢理に空飛ぶ機械を作って、安全かどうかも分からない森の上を数日掛けて横切って……それで召喚獣を入手出来たから帰った、なら理解出来る。でも、実際には一体も手に入れる事が出来ずおめおめと逃げ出した。沢山の博打を繰り返しただろうに、どうして手柄の一つも上げずにあっさりと帰っちゃたのかな」
「そんな事、俺に言われたって……」
テレサはごくりと固唾を飲み、
「召喚獣の入手以外に何らかの目的があった。そしてオルト兵はそれを達成出来たから帰った。それが何なのか分からないけど……そう考えた方が自然な感じがしない?」
エスは顔を斜め上に向け、テレサの言葉を咀嚼してみる。
「そう……かも……?」テレサの方に首を曲げ、「そう言うのはお前やグレアさんの得意分野だからな……俺に出来るのは、ガンガン突き進む事だけだ。グレアさんはオルト国に攻める算段を練っているらしいから、その時にフユを連れ戻しに行こうぜ」
「え!?オルト国に攻めるの!?君も廃村急襲での被害規模について聞かされただろう!?そんな事、出来るはずがない!」
彼はそう言いつつ、グイとエスの胸元を両手で掴んだ。
「だからそんな事俺に言われたって……」
テレサは両肩を落として、
「……もしかしたら、グレアさんは気付いたのかな。廃村急襲、その真の目的を」
その後も色々と会話をしている内に辿り着いた彼らの寮。
最初の方こそ誰がどの部屋にするかや騒音の問題で揉めに揉めたが、そんな問題も全て無くなってしまった。フユ、アトリー、アーネール――彼らが去り、三人が生活するにしては広すぎる空間のみが残されてしまったからだ。現在、彼らの部屋にあった物は全て撤去され、まるで元から彼らが存在していなかったかの様にして何も置かれていない。
「じゃあな、テレサ」とエスは自らの部屋に続く扉のドアノブに手を掛けた。
しかしテレサはそれを拒むかの様にエスの手に自らの手を被せた。
まだ話したい事がある――と言う事なのだろう。
エスがドアノブからテレサの方に目を移すと、彼はエスと目を合わせたくないのか地面に顔を向けている。そのせいでどんな表情をしているのかが分からない。
「ねえ、エスは……アーネールが死んで悲しくないの?」と俯いたままテレサが言った。
「え……何だよ、急に」
「僕はもうここ最近ずっと、頭の中がぐちゃぐちゃしてて……フユが連れ去られたのに、アーネールが死んだのに」ここで一度、軽く溜め息を付き、「……ずっと信頼してたアトリーがスパイだったのに、もう何も感じなくなったかもしれない。ただ、漠然と嫌な気分になるだけなんだ」
そう言ってテレサが顔を上げた時、エスはようやく彼がずっと俯いていた理由が分かった――テレサは今にも泣き崩れそうになっていたのだ。唇は震え、息を吸おうとするたびに喉が詰まる様な音を立てている。
「ねえ、エスはアーネールが死んで悲しくないの?」
テレサがもう一度、そう言った。彼がそこまで感情を露わにしている事に若干面食らいながら、エスも考えてみる――出てきたのはグレアの言葉。
「俺は……」僅かに下唇を噛むと、「俺だって悲しいよ。でも、ずっと前にグレアさんが言っていたんだ。『死にゆく者達の想いを、望みを引き継ぐ』、『悲しむのは、全てが終わった後で良い』って。だから……辛い時は、俺もそう思うようにしている」
少し間が置かれた後、テレサは再び俯くと上ずった声で、
「……うん、そっか。僕も……そう思うようにするよ……ありがとう」
そう言うと満足したのか、彼は徐に自室に引き込まれていった。彼が部屋に入る直前に小さな笑みと共に自分に手を振ってくれたのを見届けると、エスもようやく自分の部屋に入った。
そしてエスの後ろでバタンと扉が閉まった瞬間、突如として緊張の糸が切れてしまったかの様にしてふっと身に力が入らなくなってしまった。その場に立つ事すら困難に思えてしまい、扉に背中を預けながらずるずると滑り、床に座り込んでしまう。
「俺達が想いを引き継ぐ。全てはその後だ。そうだろ……だから……」
それと同時にエスの元に襲い掛かる巨大な感情。それを形容する名は――悲しみ。
エスの呼吸が徐々に速く、荒くなっていき、喉仏が激しく上下に揺れる。胸の奥から押し寄せる嗚咽と瞳の奥から溢れそうになる物を無理矢理に抑え込み、頭を少し上に反らせる。拳を握り締め、爪が肉に食い込む痛みに頼って何とかこれ以上感情が滲み広がらないようにしたが――。
「姉さん……」
気付いた時にはそう呟いていた。
それからどれ位の間奥歯を噛み締めていただろうか。何の前触れもなく、エスのもたれ掛かっていた扉が開いた。
「うわぁ!」と情けない声を出しながら、エスの頭は扉を開けた者の足に衝突した。
そのまま目を開くと、そこに佇んでいるのは上下に反転した少女の影。細い手足に長い髪のシルエット。部屋の電気は付けていないので彼女の表情は分からないが、それでも扉の前に佇む者が誰なのかは一瞬で分かった。
「……メシア?」
エスはぽかんと口を開けたままそう言った。暗闇のせいでちゃんとは分からないが、彼女の顔は何一つ動いていない様に見える――無表情で自分の事を見下ろしているのだろうか。
どうしても、エスには触れる事すら出来ない影が二人を分け隔てているように思えた。
「エスはしんどい事があると、そうやって一人で泣く癖があるからね」
ぽつんと暗闇の中に彼女の声が置かれた。それでも、エスは起き上がる事もせずに口を半開きにして彼女を見上げたままだ。彼女は軽く溜め息を付き、
「取り敢えず、中に入れてよ。話したい事があるからさ」
パチ、と電気を付けると照らし出されるエスの部屋。
左には手前から洗面台、クローゼット、タンス。タンスの上には赤色の花弁が何層にも重なり、紙細工の様な波状の模様を見せつけている花――ヘリクリサムが入った花瓶が置かれている。鮮やかな黄色の花が密集した絵が淡い水墨画で描かれているその花瓶は、随分前にメシアがエスにあげた物だ。右には手前から靴入れ、ベッド、机と椅子。机に置かれたノートは両開きのままになっており、そのページに何かが描いてある様に見えるが、如何せん入り口からでは何が書いてあるのかは到底見えそうにない。
エスとメシアが隣り合わせにベッドに腰掛けると、木が軋む音が細々と聞こえてきた。
「それで?何だよ、話したい事って」
エスがそう言ってからしばらくの間、メシアは何かを言おうと口を開け、何も言わず閉じる事を繰り返した。彼女がそうする度に二人の間で気まずい沈黙が起こった。
そうして彼女が遂に発した言葉は、エスにとっては要点を得ない物であった。
「……エスは『森』から出たら何がしたい?」
エスは何を言っているのか分からない、と言った口調で、
「森……?何で今更そんな話をするんだ?俺達は……とっくに森の外にいるんだぞ?」
メシアはふるりと首を横に振ると、
「ううん……私達はまだ、『森』の中にいる」
「なあ、メシア、お前本当に何言ってるんだ?」
「どうして嘘を付くの?どうして忘れた振りをしているの?……どうして『エス』と名乗っているの?」
「だから何の話をしてんだよ!?」
エスがそう怒鳴った時、ようやくメシアが閉口した。その場に突如静寂が訪れたのはその瞬間だった。しんと静まりかえったその部屋は、つい先程までの二人の言い合いが存在していた事実を否定するかの様であった。二人とも徐々に落ち着きを取り戻していき、このまま話し合いが終わるかのように思われたが――メシアの中ではとっくに『何か』が消えてしまっていたか、又はそれがどうしようもない程に膨れ上がっていたのだろう。
彼女は俯いて溜め息を付くと、肩を震わせながら、
「……本当にそう思ってるのなら、答えてよ」
メシアは顔を上げ、エスの顔を覗き込んだ。
「曖昧に搔き消されたあの言葉の続きを」
困惑するエスの元に、頭痛が襲い掛かる。
「あの時、笑った理由を。あの日――」
赫の瞳に反射する、『彼』の姿。
「私を、殺した理由を」
ドクン、とエスの心臓が重たい音を立てて鼓動し、頭痛が脈打ちながらエスの頭に触手を伸ばしていく。その触手はエスの血管の中で暴れ回り、遥か彼方に忘却されていたはずの記憶を深い暗闇の中から引っ張り出してくる。そして彼の頭の中に溢れ出す、『あの日』の片鱗。エスは両手で頭を抱え、それが脳内に滲み出てこないようにしたが――全て、無意味であった。
「違う……」
全ては、とある子供の無邪気な悪戯だった。エスとは無関係だった彼の、無邪気な。
なのに。
アイツが僕の首を絞めてきて――恐ろしい形相で殺そうとしてきた――だから――聞こえてきた声に従って――ア□ツを――いや――□を――□□□――。
「違う……!『あれ』は俺じゃなくて――」
気付いた時には、エスの口がそう叫んでいた。
しかしメシアは止めようとはしない。何故なら彼女もまた――。
「私の知らないあなたは誰?」
「やめろ!!」
パリン、とその瞬間に空を切って割れたのはタンスの上に置いてあった花瓶。それがいつの間にか落下し、今では床に無数の破片を残しているのみだ。その破片と破片の隙間から透明の液体が漏れ出し、床に波紋状に広がっていっている。
メシアがその花瓶の残骸に目を固定させていると、その部屋は再び静けさで満ちてしまったようだ。その静寂を切り裂く様に、エスが啜り泣く音だけが響いている。
「本当に覚えてないんだ……でも……」
「……ごめん」
しばらくして、メシアは徐に懐に手を入れて『それ』を取り出した。そして取り出した物に軽く口付けをすると、
「……これ、あげる」
そう言って泣きじゃくるエスに渡したのは、赤色のトパーズが埋め込まれた指輪。天井の照明に指輪を当てると、そのトパーズが眩い光を放った。
「何だこれ、指輪?」
「それ、どんな時も肌身離さず持っていてね」僅かに目を伏せ、「迷っているのはあなただけじゃないって事だよ」




