第十一話:繋り ①
それは三日前の、テレサからアトリーの話を聞く直前の出来事であった。
マーナ兵がネストの外から中に入り込むには召喚士の存在が必要な為エスは幾度とない森の往来で忙しく、グレアもグレアで様々な事務作業が多くあった為多忙であったが、その日は珍しく予定が少なかったので二人はアーネールの元を訪れた。
勿論、彼女から情報を吐き出させる為だ。
「やあ、久しぶりだね、アーネール」
「ああ、お久しぶりですね、グレアさん。私をここから出すつもりにでもなりましたか?」
相も変わらず彼女は牢獄の一番奥、錆び切った鉄格子に阻まれた空間のベッドに腰掛けていた。ある程度の換気がなされたのか、思わず顔をしかめてしまう程だったカビの匂いはだいぶマシになっている。薄暗い闇に彼女は包まれている為正確に分かる訳ではないが、彼女の表情や声も幾分か良くなっている様子だ。
「君に聞きたい事があってね」グレアはわざとらしく間を置き、「エスの過去についてだ」
僅かに表情を硬くするアーネール。グレアは彼女からエスに目線を変えて、
「エス、君はもうオーディンを通して自らの過去を見たかい?」
エスは僅かに頭痛を覚え、自らの左手へ目を動かす。
「いえ……まだです。いつ、どこで、誰から、どうやってオーディンを継承したのか全く分からないです」
エスの言葉を聞いてもグレアは表情一つ変えなかった。答えなんて分かり切っていた、と言う事なのだろう。
「まあ、そうだろうね」エスからアーネールに顔を動かし、「アーネール、君は知っているんでしょ?教えてくれないかな」
「はい、それ自体は構いません。でも……一つだけ約束してください」
アーネールの両目は、はっきりとグレアを捉えている。
「バハムートをエスに継承させてください」
階段から忍び込んできた風が床に積もりに積もった埃を空中へと解き放った。天井から吊るされたランプの光に当たると、その埃が何だか神聖な物に見えてくる。
アーネールの言葉を受け、グレアは分かりやすく困惑した声音を聞かせる。
「それは……どうしてかな?」
「エスは昔、オーディンを継承した時に……その力に耐える事が出来なかったんです」
彼女がそう喋るにつれその口が徐々に震え始め、それに合わせて歯切れが悪くなっていく。
「あの日……彼は暴走……して……私の元からも離れて……」大きく溜め息をつき、「……だからギャザリアでエスと再会して、彼が記憶を失っていると知った時は、なるべく彼の記憶が戻らないように細心の注意を払いました。それは全部、エスを低く見ていたからです。彼の記憶が戻ったら、再びあの時の様になると思っていたからです」
アーネールが僅かに目を細めて回顧するのは、エスがタイタンを一人で倒したあの時。あの瞬間の、彼の後ろ姿。
「でも、エスは強い。今の彼ならきっと、乗り越えられる」
「成程、つまり君はエスに過去の記憶を見せてあげたいワケか。でもそれだけならエスに直接教えてあげる事も出来るし……何なら彼はオーディンを継承しているんだから、その内彼と親しかった人物、とやらの記憶を見る事が出来るでしょ?バハムートを通して彼に記憶を見せる必要も無いんじゃない?」
電流の様なピリッとした小さな頭痛がエスの脳を襲った。彼は頭を押さえながら、
「直接言うのは……やめて欲しいです。アーネールは要塞攻略中に、あの良く分からない森の中で俺に過去の話をしようとしましたが……何て言うか、俺の中にある『何か』がそれを拒んだ気がしたんです。俺は俺自身の過去について知りたいし、アーネールの言葉を借りると俺にはそれに耐えられるだけの力があるらしいんですが、『それ』が何なのか分からない以上、言葉では無理だと思います」
「オーディンを介して過去の記憶を垣間見る方に関しても、意味が無いと思います。あの人が……オーディンの一つ前の継承者が私達の面倒を見てくれていた時期は、私達の家族が離れ離れになるよりも前なので」とアーネールがエスに同調した。
「バハムートをエスに継承させるのを断ると言えば?」
グレアのこの言葉を聞いた瞬間、アーネールの彼女に対する目付きが沈んだ物から睨め付ける物に早変わりした。口調も今までの比較的穏やかな物から、自らの覚悟を示す様なはっきりとした言葉遣いに変化させ、
「最大限抵抗します。私のバハムートはタイタンに破壊されたので召喚は出来ませんが、バハムート固有の光線を放つ事は出来ます。私が死ぬよりも前に何人かを道連れにする事も出来るでしょうね」
グレアは分かりやすく口の端を歪めて不満そうな顔を見せた。
「え~……そうか……まあ、分かったよ。取り敢えずこの話は持ち越しかな。ここで即断は出来ないし」エスに視線を移し、「エス、一旦戻ろう」
グレアがそう言って牢獄を去ろうとしていたその傍ら、エスは微動だにせずベッドに腰掛けるアーネールに目線を固定していた。何か物思いに耽っているのだろうか、何とも物悲しい表情で彼女を見つめている。
「ねえ、いい加減、私があなたの姉って事、認めてくれた?昔みたいに『お姉ちゃん』って言ってくれない?」
アーネールがそう言ってやっとエスは表情を真顔に戻した。口を開いて何かを言おうとするがその直前、思い直して口を閉じる。
数秒して再び口を開き出てきた言葉は、最初に言おうとしていた物とは異なっていた。
「……どうだろうな、アーネール」
深い暗闇と朦朧とする意識。その隙間から入ってきたのは、前方から無作法な程に打ち付けてくる風と空を切る音。
ガンガンと頭を打ち付けてくる様な頭痛に叩き起こされたアーネールが目を開くと、やっと気が付いた――自分はネストの上空を飛んでいる事に。勿論自らの力で飛行している訳では無い。何か、氷の様な物で作られた腕が彼女の腰回りをがっしりと掴んでいる。アーネールは今、『へ』の字になってその腕にぶら下がっていると言う訳だ。
一体何が起こったのだろうか?自分はつい先程まで牢獄の中にいて、地震の様な物が起こった所までは覚えているが――。
そう言えばこの腕の主は誰なのだろうか。そう思い、アーネールは目線を上に動かすと、待ち受けていたのは筋骨隆々の鬼。嘴が異常に発達しており、背中の翼で飛行をしているようだ。腕と同様にその鬼の体も海の様な透き通った青色をしている。
「なんダ?目覚めたカ?まあ、ソコで大人しくしてナ」
糸の様に細い目をアーネールに向けた氷鬼は、キンキンとした機械的な声でそう言った。
成程、これはシヴァの力だろう。そして先程から左腕を動かそうとすると激痛が走っている。どうやら自分の左腕は折れてしまっている様だ。恐らく地下牢が崩壊した時に瓦礫に挟んでしまったのだろう。右脚と左腕が使い物にならなくなってしまった自分に何か出来る事はあるだろうか――。
そう考えながらアーネールは下を見てみる。
現在、目測で地上から三十メートル程だろうか。残りの右腕でバハムートの光線を氷鬼に放ち倒す事が出来たとしても、この高さだ。地面に激突して息絶えるのが目に見えている。
ふと、彼女の瞳に良く見知った者の顔が映り込んできた。
「くそ……どうやったらアイツを引き釣り下せる……?」
エスだ。彼が木々の間を駆け抜け追いかけてきている。しかしこの状況を切り抜けられる何か良い術を持っている様には見えない。
やはり死を覚悟してバハムートの光線を放つしか――。
同時刻の東側にて、テレサも氷鬼に連れ去られているアーネールを眺めていた。彼の手元にはスナイパーライフルの様に銃身が長く、上部にはスコープが搭載されている銃型魔具・トロメルが。金属の冷たさがテレサの手汗を吸い取り、彼の首から下がった金のペンダントは静かに彼の事を見守っている。
「僕が何とかしないと……」
深く、大きく息を吐くとテレサは銃口を遥か遠くの氷鬼に向け、スコープを覗き込んだ。
ライフルの長い銃身は自らの腕の延長に感じられ、微細な動きすら許さない。呼吸すらも煩わしく感じてしまい、鋭く細められた目はただひたすらに一つの点を狙っている――仲間を攫わんとする氷鬼、その一点に。
そんなテレサの心に忍び込んできた、要塞攻略時にかけられた彼女の言葉。
『君には出来ないね。だって君には――』
「散れ!煩悩よ!」
雑念を消し去り、引き金を引く――そしてその瞬間、銃頭から飛び出してきたのはたった一つの火の玉。最初は小さく、今すぐにも消えてしまいそうな物であったが、風に乗って脈打ち、輪郭を描き直すにつれ徐々に大きく膨張していった。そしてその火の玉を太陽と見間違えるほどに大きく、輝きを放ったと思うと少しずつ形が崩れ始めた。風に従い細長くなっていったかと思うと――形を成したのは、炎の龍。規則正しく並んだ鱗に鋭い目元。長い二本の口髭の根元では大きく開かれた口が一点目掛けて直進している。炎の龍の周囲は蜃気楼に歪み、今にも溶けだしてしまいそうな程の熱を発している。
「早エ!避けられな――」
そして氷鬼を呑み込む――はずだった。テレサの狙撃の腕は確かだった。銃に関して九三期生の中で首位の座を欲しいままにし、その時も一寸の狂いすらも無かった。
炎龍が氷鬼を呑み込む直前に吹いた突風さえなければ。
アーネールを抱えた氷鬼の僅か上を掠めた炎の龍は、そのまま空へ向かい直進して淡い光へと消え去ってしまった。
「外してしまった……!」
「アッブネエ!アイツは魔物の気持ちを考えた事ねえのカ!?」
突如ネストの中から放たれた炎の龍がすぐ近くを掠めたかと思うと、氷鬼がより耳に悪いキンキンした声で叫んだ。
今のはテレサの魔法だろうか?だとしたら氷鬼を自らの魔法で狙撃しようとして外してしまったのだろう。しかし、そのお陰で自分達の高度が低くなった。地上から十メートル程度。恐らく氷鬼はその翼を焼かれたのだろう。今なら氷鬼を倒してももしかしたら生き残るかもしれない。
もう一度地面に目線を落としてエスを見てみると、彼はやはり必死の形相で自分の事を追いかけてきている――『バハムートの継承者』を回収する為ではなく、『仲間』を守る為に。
「……ン?」
氷鬼が下方から異様な光を感じたのと、その氷鬼に向けられたアーネールの手の平から、光線が放たれたのは同時であった。
首から上が喪失し、地面へと落下する氷鬼。力の抜けたその氷鬼の腕から見放され、森の中へと吸い込まれていったアーネールをエスは見逃さなかった。
「アーネール!」
鉛の様に重たい体を無理矢理に動かし、彼女の元へ急ぐエス。
しかし――。
そんな彼に突然、頭を強く殴られたかの様な衝撃が走った。ぐわんと視界が揺れ、平衡感覚がどこかへ行ってしまう。足元にある物が雲であるか地面であるかも分からなくなってしまい、何とか近くの木にしがみ付いたが、酔いが収まる気配は一切無い。
そしてその瞬間、彼の脳内に突如として溢れ出すは、見た事も無い誰か、どこかの記憶――赤毛の少女。目付きの悪い少年。その横にいるのは何故か見覚えのある、別の少年。石造りの家。薄汚れた教会。その上に浮かぶ積乱雲。
過去の継承者の記憶。それがエスの頭の中で膨張し始めたのだ。
「何だ……これ……」
「シヴァの魔法はね、氷鬼一体に対するコストが余りにも高すぎるんだ。でも使い方を変えれば……こんなのも生み出せちゃう」
立ち込める土煙、彼らを淡く照らす夕焼け。タイタンの核はいつの間にかどこかに消え去っており、その場に残されているのは衝撃と疑念。
そんな中でレイと数年ぶりの邂逅を果たしたのはフブキ。彼はそんな事を言うと、右腕を正面に伸ばした。そしてその右手からぼとりと落とされたのは、胎児の形を成した氷鬼。相も変わらず二本の手足に真ん丸な頭部。丸められたその腕の中、不気味に波打つは奇怪な顔面。そしてその水色の赤ん坊がレイをその目に入れた瞬間、顔だけでなく体全体が奇声を上げて波打ち始めた。それと同時に徐々に肥大化していく全身。筋骨隆々の手足に、全長五メートル程の体。しかし今回の氷鬼は今までのそれとは少し異なっていた。体の巨大化と同時にその爪も伸びていき、全身からは野生動物の様な毛がびっしりと。奇声も徐々にその音域を低くしていき、最終的に形を成したのは、鋭い目付きと巨大な体を併せ持った黄土色の熊。その氷鬼の皮膚は体毛で完全に隠されており、口の中には暗くても分かる程の太い犬歯が二本。夕焼けのせいでその熊の体全体に黒く落とされた影は、本能的な恐怖を駆り立ててくる。
フブキはその光景を見ると目を閉じ、思い出すは幾年昔の記憶。
「兄さん、覚えてる?もう十年以上前になるのかな、僕とフユが母さんと兄さんに内緒で家の外に出た時の事。あの日、僕達は丁度こんな感じの熊に襲われてしまって、僕もフユも足がすくんでしまったんだ。もう死んだと思ったその時に兄さんが駆け付けてきてくれて、その熊を一瞬で倒しちゃった。あの時の兄さんは特にかっこよかったよ。でもその時、何かが僕の心に突っかかっちゃってね。それが何だったのか最近分かったんだ。僕、実は――」
彼の話はサビに入り、目を開けたフブキ。しかしその瞬間彼の言葉はその喉の手前でつっかえてしまった。『予想していなかった光景』が知らず知らずの内に起こっていたからだ。
全身から透明な液体を垂れ流し地面に倒れている熊型氷鬼。その上に佇むは、その両の手に氷棒を携えたレイ。その氷鬼はピクリとすら動く気配が無く、たった一瞬の内に倒されてしまった事は理解するのに易くない。
「フブキ!どういう事だ!何故オルトに付き従っている!」
険しい顔を浮かべながらそう叫んだレイ。だがフブキは彼の剣幕を気にかける事すらなくポカンと口を開いている。流石にフブキもあの氷鬼が即座に倒される事には驚いた様子だ。大きく目を見開き、
「やっぱり兄さんは凄いなぁ!」
「答えろ!」
レイがそう叫ぶとやっとフブキはその表情を変えた。口の両端を下に向け、すっと細められた彼の目。顔も僅かに地面へと動かしその状態でレイを瞳に捕らえると、
「母さんに会ったんだ。兄さんも会いたいでしょ?」
「何言ってやがる……」
「出来れば兄さんも連れていきたかったけど、残念。今の氷鬼で魔力が無くなっちゃったんだよね。兄弟喧嘩はまた別の機会に、かな」
彼らを取り囲む土埃は未だに晴れる気配すら無く、周りの状況を確かめる事すら出来ない。
フブキはその顔に再び笑顔を取り戻すとそう口にした。その瞬間、土煙の中からスッと姿を現したのは飛行型の氷鬼。レイが何かする時間すら与える事無く、その氷鬼はフブキをその腕に抱えると、翼をばさりと羽ばたかせ空へと逃げてしまった。
「なっ!?」
レイからの攻撃を受けないようにする為なのだろう、その氷鬼は辺りを漂う土煙にも先程上空を通過した炎の龍にも目をくれる事無く一目散に空の果てへと飛び去って行く。
地上には、その氷鬼が飛び立った際に発生させた風圧のみが残されていた。
「じゃあね、兄さん」




