第七話:スパイ ④
その翌日、要塞の清掃が完了した。その為、要塞の監視とマーナ国の治安維持の為に駐屯した者を除いた殆ど全てのマーナ兵が廃村・ミランダに招集された。後片づけが終わっても尚、瓦礫と炭だらけの要塞では被害状況の確認は不可能であった。
そこから更に数日が経過したある日、エス、テレサ、アトリー、フユはミランダ中央にある建物の二階、病室にいた。
その部屋には六つの病床が壁沿いに向かい合ってずらりと。壁も、床も、病室も、全てが真っ白に染め上げられたその部屋。その中の一番奥の右側、カーテンの手前側のベッドで伏した『彼女』を取り囲む様にして四人は椅子に座っている。
「本当にお前が無事で良かったよ」エスは安堵した様な口調で、「メシア」
「……うん」
メシアはぼんやりとした口調のままそう言った。彼女の喉元には顎下から肩甲骨周辺にかけて包帯が何重にも巻かれており、窓の外から差し込むくすんだ光が彼女の体を照らしている。
「その傷、もう殆ど治ってるんだって。その……シニンに刺されたんだよな?」
エスがそう言うと、メシアはゆっくりと首を縦に振った。『シニン』と言う名前を出して良かったのかエスは一瞬迷ったが、皆の反応を見るに他の者達も彼がスパイであった事は既に告げられていた様子だ。ホッと安心したエスの気を知らず、テレサは彼の方に目を向け、
「メシアもそうだけど、エスとも随分久しぶりに会った気がするな。ずっと何してたの?」
「ああ、マーナ兵を連れてアトラス要塞やマーナ国とミランダを行ったり来たりしていたんだ。ほら、ネストの中を普通に渡ろうとすると魔獣に襲われちまうだろ?でも召喚士が近くにいると殆どの魔獣は姿を現さなくなるんだ。それでもたまに襲ってくる奴はいるけどな」
エスがそう言うと、アトリーの脳内で思い出されたのはエスがアーネールと戦っていた時の記憶。エスが彼女に敗れかけていたその時に、テレサがその場に到着した事。
「……そうだ、テレサ、何であの時エスの元に駆け付けに行ったの?」
「ああ、あの時は偶然、森の中に降りて行くバハムートが見えたから、そっちの方向に走っていっただけだよ。結局、僕は何もする事が出来なかったし……」
その次に要塞攻略の一場面を思い出したのはテレサだった。思い出したのは、森の中へと消えていくバハムートを追う為に持ち場を離れた際に、アトリーも同時に走り去った記憶。
「……あ、そう言えばアトリーも僕と同時に持ち場を離れちゃってたよね……あの時、要塞に走って行ってたみたいだけど、その後何してたの?」
アトリーは目を伏せたままいつもの様な気怠そうな口調で、
「……特に何も。アンタと同じだよ。結局、何も出来なかった」
「……そっか」
ドン、とその瞬間大きな音が木霊したのはその部屋の入り口からだった。皆がそちらの方に目を向けると、開かれた扉とその奥から伸びる脚が。どうやら誰かがその部屋の扉を足で開けたらしい。その脚が扉の奥に消えると、そこからゆっくりと姿を現したのは――レイだった。
彼は常日頃からそんな扉の開け方をしているのだろうか?
そう考えたエスの思考を知る事無く、レイは病室を見渡し彼を見つけると、
「おい、エス、外でグレアが呼んでいる。さっさと行け」
「は……はい、分かりました」
エスは椅子を引くとすぐに駆け足でその部屋を出ていった。レイはそれを見届けると今度は残りの者達に視線を移し、
「それとお前等もだ。病人は安静にさせておけと言われなかったのか?」
そう言って睨みつけた先にはフユ。彼女は凍てつく視線を感じると、ひゅっと息を詰まらせすぐに身を固めた。
「ごめんなさい!レイ兄さん!」
彼女は半ば叫びながらそう言うとすぐにその病室から飛び出した。そのままテレサとアトリーも出ていくと、その場に残ったのはレイとメシアのみとなった。
レイはその事を確かめると適当にメシアの近くにあった椅子に座り、
「おい、お前」
「……はい、何でしょう」
まっすぐメシアを見つめるレイ。メシアは彼の視線を避ける様にして自分の足元に目線を落としている。だが、彼女のそんな姿勢もレイの次の質問で壊れてしまった。
「お前……何者だ?」
思わずたじろいだメシア。
『何者』と言うのは何の事を言っているのだろうか?出生地?魔獣の力?それとも――。
「……私はメシアと言って、ギャザリアから――」
「ああ、いや、違う、そうじゃない。言葉が足りなかったな」レイは少し黙った後、「お前は、人間か?」
「……え?」
メシアは彼の質問の意味がますます分からなくなってしまった。
いや、違う。彼の質問の意味とそれに対する答えなんて物は分かっている。あの時に『彼女』から聞いたからだ。本当に分からないのは、なぜ彼がそれについて知っているのかだ。
メシアの表情に出たその迷いをレイは好都合に受け取ってくれたのだろうか。彼は溜め息を付くと、
「そうか……俺の勘違いか、お前がまだ気付いていないだけなのか……俺には分からない。だが、もし俺が合っているなら……そうだな、これだけは言っておく」レイの瞳にメシアが反射し、「そのまま人間の『振り』を続けろ。もしお前がそれを止めるなら、俺の氷がお前の胸を貫くだろうな」
レイはずっとメシアを見つめていたはずだが、その時ほんの一瞬だけ、彼女を通してその中に蠢く『それ』を見通した気がした。
レイは言いたい事を言い終えられたのだろう。そのまま席を立つと、メシアに後ろ姿を見せて病室を去ってしまった。メシアは彼の後ろ姿を見送り、その部屋の他の者達が眠りについている事を確認すると――。
三日月を横に倒した様な異様な程吊り上がった目と口を顔中に携え、妖しく嗤った。思わず込み上げてきそうになった笑い声を抑えつける為に毛布に顔を押し付けたが、それでも毛布と喉の奥からどうしようもない程に声が漏れ出てしまう。
「やっぱり……そうなのかな」
エスが部屋から出ると、そこには左右に続く廊下が。病室の反対側には胸元から頭より少し高い程度の大きさの窓が定期的に並んでおり、その下には木製の手すりが窓と仲良く付き従っている。そんな窓際にもたれ掛かりながら待っていたのはグレア。彼女はエスを見かけるといつもの様に笑顔を浮かべ、
「あ、エス、ちょっといいかい?スパイの事で進展があったから君に共有しておきたい」
エスが僅かに顔を固めて頷くと、彼の後ろから突然走ってきたのはフユ。彼女はエスとグレアに目もくれずにどこかに走り去ってしまった。大方レイに何か言われたのだろう。更に彼女に続いて病室から出てきたのはテレサとアトリー。何かについて話しており、アトリーも表情には出ていないが割と楽しそうだ。彼女も案外話せる物なのか、とエスがぼんやりと思っていると、アトリーの視界にグレアが映った。彼女はグレアに向かって、
「すみません、少し話したい事があります。二人になれませんか」
グレアは僅かに顔をしかめるとテレサと目配せをした。何故そんな事をしたのだろうかと疑問を持ったエスを知らずに、グレアは再びその顔に笑みを浮かべると、
「ああ、勿論良いよ。ただエスの後になるから三階の階段辺りで少しだけ待っていてね」
振り返れば、ここまで長い道のりだった。だがそれもあと少しで終わる。いや、私が終わらせるんだ。今日、ここで。
アトリーは二階に下る階段を見下ろしながらそう考えている。両手はポケットに入れ、背中を壁に預けた状態。夕日が窓越しに外から漏れ出ており、床に光が落とされて出来上がったのは長方形のシルエット。人通りはやけに少ないが、そのお陰で彼女は静寂に浸りながら思考に耽る事が出来ている。
残り僅かな寿命を削り、数少ない仲間を失い、達成出来た使命は与えられた物の内半分のみ。それでも彼は私の事を赦してくれるはずだ。いくら彼が周囲から理由無く畏怖されていても、彼の瞳に宿る厚志の情はそれを否定している。もう……後はもう、私の事だけを考えれば良いんだ。それが終われば、私はどうなろうと構わないから。
そんな事を考えているとコッコッコッ、と反響音が下の階から聞こえてきた。誰かの足音。徐々に大きくなり、誰かが三階に上ってきているのは明らかだ。
「やあ、待たせたね」
そのまま姿を現したのはグレア。いつもの様にその顔面には笑顔が張り付けられており、どうしようも無い程に気味が悪い。
「いえ、問題ありません。早く行きましょう」
アトリーはなるべく表情を変化させないように気を付けながらそう言った。グレアはうんと頷くと三階の廊下を歩き始めた。アトリーは彼女の後ろをピッタリと付いていっており、左側の窓から漏れる橙の夕日は徐々にその角度を落としつつある。目指す場所は誰もいない空き部屋。これから伝える話は誰にも聞かれてはならない内容。
そのはずなのだが。
アトリーは右を見てみると、そこには一定の間隔に似た様な形の扉が敷かれている。その扉は丁度見やすい場所がガラスで出来ている為、そこから部屋の内部を軽く見る事が出来るのだが、先程から通り過ぎているどの部屋も使われていない様に見える。ここは病室のはずだが、何故誰もいないのだろうか?まあ、私にとっては好都合な事だから理由なんてどうでも良いが。
喉の奥にチクリと引っ掛かる物を感じているアトリーに、先程からポケットに入れられたままの彼女の両手。その左手を通して脳に伝わるのは固くてヒンヤリとした物体。余り物は喋らず冷たくはあるが、どんな時でも冷静でいてくれる。何だか最近無くしたものに似ているな、なんて事をぼんやりと思っていると、前を歩いていたグレアがその足を止めた。そのままドアノブに手をかけると、キイっと音を立てて扉が開いた。グレアはそのまま部屋の中に吸い込まれ、アトリーも廊下を最後にもう一度見渡すと中に入った。
あと、もう少しだ。
「あれ、テレサ、何だよその銃みたいなやつ」
ハリスの内部、地下牢に続く階段に腰掛けながら話しているのはエスとテレサ。万が一と言う事もある為、そこで待機するようにとグレアに命じられたのだ。
牢に続くその階段は下に進むにつれて暗闇の濃度が強くなっていっており、アーネールが眠る奥底は完全に闇に呑み込まれている。苔とカビに半分以上が呑み込まれたその階段は石造りのせいかヒンヤリとしており、座っているだけでもその臀部に冷たさが伝わってくる。
「ああ、これ?」
テレサがそう言って視線を向けた先にあったのは、非常に長い頭身とスコープを兼ね備えた狙撃銃に似た物。それ全体が黒色でマットな仕上がりとなっており、スコープの覗き込む部分はその胴体よりも太く、青色のガラスが填められている。テレサはその銃の様な物体を膝元に持ってくると、
「これはスナイパーライフル型の魔具・『トロメル』だよ。ほら、僕は僕自身の魔法を制御できないからさ、グレアさんに相談したんだよね。そしたらこれを作ってくれたんだ。トロメルを通して僕の魔法を放てば、魔法の操作性が上がるらしい」
エスは目と口を丸めた驚いた顔になると、
「凄いな、それ!俺も魔具を使えば魔法を使えるようになるかな」
テレサはクスリと笑って右手で軽く口を隠すと、
「エスは武器を出す事が出来るんだからこんなのいらないでしょ?」
だがその陽気な声音とは裏腹に、彼の右手が常に細かく震えている事にエスは気が付いた。自分で自分の臓物に孕ませた、巨大な不安と懐疑を目に見えない場所に追いやろうとしているのだろう。エスはそんな彼に同調するかの様な口調で、
「……何も起こらないと良いな」
エスのそんな言葉の意味は労せずテレサに伝わった。彼の手の震えは止まりはしなかったが、それでもエスのそれに似た口調で、
「……うん、そうだね」
そう言って見上げた天井は、今自分が座っている階段以上にカビに侵食されていた。
「さて、この部屋なら誰も私達の声を聞けないはずだよ。言いたい事って何?」
ハリスの三階、誰もいない空き部屋の中。アトリーがパタリと扉を閉めるとグレアはそう言った。アトリーは彼女の質問に答えるよりも先に、その部屋を見渡した。
扉から入って両隣の壁に本棚。その中は半分程度が使われており、その本棚に挟まれる様にして部屋の真ん中にあるのは縦長の机二つ。それら二つをくっつけて机の縦長感を消しており、その周りには合計八つの椅子が。その机を挟んだ向こう側に窓が置かれているが、夕日は向きの関係上そこからは入ってきていない。そしてグレアの話の通りその部屋には誰もいなかった。まあそもそもこの階にいる人影も殆どなかった為、それは当然だが。
ここなら大丈夫だろう。
「……?どうしたの?君が話したい事があるとか言ったからわざわざ――」
そう言いながらグレアが椅子に腰かけようとした瞬間、アトリーは動き始めた。
彼女は一気にグレアの後ろまで回り込むと彼女の首の根を掴み、頭部をダンと机に叩き付けた。そのまま左のポケットにずっと隠し持っていた銃を出すと、グレアが何かする前に彼女の後頭部に向かって力いっぱい押し付けた。
この一連の流れには三秒も掛からなかっただろう。それ程までに一切の無駄が省かれたその動き。それから僅かな静寂が流れ、グレアが座ろうとしていた椅子がカラン、と侘しい音を立てて倒れた時になってやっと、グレアは自分の置かれた状況を理解出来た。
「叫ぶな。怪しい素振りを一瞬でも見せたら打ち殺す」
微塵の同情や動揺が省かれたその抑揚の無い声。それはグレアの理解が勘違いである可能性をこれ以上ない程まで完璧に否定している。
グレアの首を掴んだまま彼女に銃を突きつけるアトリー。机に上半身を突っ伏したまま、自らの後頭部に銃を突きつけられているグレア。床に倒れ、静かにその状況を見守っている椅子。太陽から放たれたその夕日は、窓と入り口の扉のガラスを通り抜け、グレアの横顔と彼女に突き付けられている銃口を真っ赤に燃やしている。
「ああ、そうか……成程ね。つまり君が――」グレアは僅かに声を震わし、「オルトのスパイなんだね」
彼女の名前はアトリー。『復讐』を果たす為に、マーナに来た。




