第七話:スパイ ③
今日のネストは非常に穏やかだ。鳥のさえずりがそこら中から鳴り響き、遥か頭上では太陽が燦燦と降り注いでいる。エスにとってはそう言った天気が何だか嵐の前の静けさ、とやらに感じられた。
何か大きな事が起きるのはないか。
その様な漠然とした不安と期待が胸の内から湧き上がっているのを感じながら、ミランダ中心の巨大な建物・ハリスの地下牢にやってきた。その地下牢はそこまで大きな訳では無く、階段を下りてすぐ左右に三つずつの牢が合計六つあるのみだ。長年放置され淀んだ空気が溜まっているのだろうか、そこは何だか黴臭く空気もぬめりとしていて気色が悪い。鉄格子も所々が錆びており、その牢の内側には黒くくすんだベッドと簡易的な和式便所があるのみだ。アーネールを収容したのはそんな地下牢の中でも階段から見て一番奥の右側の牢。エスが彼女をベッドの上に寝かせるのを見届けるとグレアは、
「うん、こんなもんかな。ありがとうね、エス。助かった」それから何かを思い出した様な口調で、「そうそう、君がオーディンを継承したと言う事を確かめたいからさ、一回上に行ってくれないかな。多分何人かが私達の後からミランダにやってきてね、その内の一人のフェルトに会ってくれ」
そんなグレアの言葉が聞こえたのか聞こえていないのか、良く分からない表情でアーネールを見つめているエス。彼は僅かに目を細めると口をすぼめ、俯いた。
「……やっぱりアーネールを殺すのは止めにしませんか?」
しばらく静寂の時間が流れた後に発したエスの言葉は、グレアにとっては意味を成さない物だったのだろう。彼女は若干皮肉を含んだ口どりで、
「エスがそんな事言うなんて意外だね。バハムートの継承者を最も殺したがっていたのは君だったと思うけど?」
グレアの言葉を聞くとエスは歯を強く噛み締めた。吐き出したい様々な言葉を喉の奥に纏めて呑み込み、臓腑の内の感情を抑え込む。
「……ごめんなさい、やっぱり何でもないです」
魂の籠っていない口調でそう言うと、エスはグレアと目を合わせる事すら無くその場から去ってしまった。
グレアはそんな様子の彼を見届けると、半ばよろけながらアーネールと同じベッドに腰掛けた。そしてずっと目を瞑ったままのアーネールの顔を見てフッと息を吐くと、
「だってさ。君、中々に愛されてんじゃん。どうせ今もずっと聞いてるんでしょ?」
グレアがそう言った時には既にアーネールの目は開かれていた。ゆっくりと体を起こすと両腕を上にググッと伸ばしながら、大きく欠伸をした。その後だるそうに後頭部を掻いた彼女の姿は、本当に寝起きの様にも見えてしまう。だが彼女はグレアの横に体を動かすと、
「やっぱりバレてましたか」はぁと溜め息を付き、「寝た振りをするだけでも意外と疲れる物なんですね」
グレアはそんなアーネールの様子に驚いた表情一つ見せる事無く彼女の隣に座り続けている。両手で顔面を覆ってしまうとアーネールと同じ位大きく溜め息を付き、
「ホンッとに馬鹿な事をしでかしてくれたね。でもね、理由は分からなくも無いんだよ?だって君、時間がないもんね」
「ええ……そうですね。固有魔法が使えなくなったり、過去の継承者の記憶が否応なく流れ込んでくると言った数ある召喚士の欠点の中でも、最も大きな物。それは――」僅かに間が空き、「継承後、九年で必ず死んでしまう事です」
そう断言したアーネールの語調は、分かりやすく震えていた。
天井から伸びたランプは周囲を鈍く照らし、その周囲を小さな虫が数匹飛んでいる。虫が一匹近づきすぎたのか、ジッと耳障りの悪い焼き切れた音がそのランプからした。
彼女は背中を丸めて両手をぐっと握ると、
「私の寿命は後六年あります。でも……彼がオーディンを継承したのは九年前。つまりいつ死んでもおかしくありません」
グレアは同調する様に頷き、
「そりゃ、焦るよ。これは座学の中でも言わなかったし、今更彼に言う事も……中々勇気がいるよね」はきはきとした口調に変え、「話が逸れてしまったね。今から君には色々な事に答えてもらう。手始めに……どうして要塞攻略中にバハムートを召喚したの?」
「騒ぎを起こす為です。そして人々の目が要塞に向いた瞬間にエスを誘拐して、どこかで残りの人生を過ごすつもりでした」
「マーナ軍事基地中枢に忍び込んだ理由は?」
「マーナ軍内部にスパイがいる事を伝えたかったのと、私とエスの要塞攻略中の居場所を知りたかったからです。召喚士は召喚獣の気配に敏感になる為、誰かは分からずともどこかすぐ近くに私とエス以外にもう一人召喚士がいる事は最初から知っていました。それが誰かは今も分かりませんが……もしスパイがいると言う前提で要塞攻略の作戦を練ってもらわないと、あなた方があっさりと全滅してしまうかもしれない。それでは私の計画も元も子も無いので」嘲笑う様な笑みをその口に称えると、「後者の理由については私の杞憂に終わりました。恐らく怪しい者同士をくっつけて実力者がすぐ近くから監視する方向に舵を切ってくれたのでしょうが、そのお陰ですぐに行動に移す事が出来ました」
当時スパイの疑惑があったエス、メシア、アーネールの三人を疑われない程度になるべく近くに配置して監視する、と言うのは要塞攻略を強行する際にグレアが提案した作戦だった。それが返って悪手になった事に対して人知れず気を病んでいたのだが、どうやらアーネールには見透かされていた様子だ。グレアはなるべく無表情にトーンを落として、
「……質問のベクトルを変えようか。エスの話によるとバハムートの一つ前の継承者は君の母親なんだよね。君はオーディンの過去の継承者について知っているかい?」
その質問を聞くとアーネールの顔が曇り始めた。薄く閉じられた瞼に、俯く彼女の横顔を覆う癖っぽい長髪。彼女は長く、細い息を吐くと、
「……彼は私達の保護者の様な人でした。私達の家庭環境は……」言葉を選ぶ間が空き、「……余り良いものではなかったので。彼が代わりに私達の面倒を見てくれていたんです。彼が死に、エスがオーディンを継承した場面を私は見た訳ではありませんが、状況から考えるとあの人がエスの一つ前の継承者である事は確実だと思います」
グレアは顎に手を当てると口を『へ』の字にして、
「……成程ね。真偽についてはこちらで調べるけど、君が言った事は筋が通っている様に聞こえる。色々と答えてくれてありがとう。君の方から聞きたい事はある?答えられる範囲の事なら答えるよ」
「……そうですね、要塞攻略の作戦を最初から教えてくれませんか?」
アーネールのその質問はグレアの言う答えられる範囲とそうでない範囲の丁度境界線上にあったのだろう、グレアは暫くの間不服そうな顔付きを見せたが、頭の中で話しても大丈夫だと言う結論に至った様子だ。彼女はんん、と唸ると、
「……まあ別に良いよ。そもそもこの戦いの真の目的は要塞の攻略ではなく、オルトから来たスパイを炙り出す事だったんだ。当時の私達からするとスパイはバハムートを継承している。だがまさか要塞に向かって光線を放つワケが無い。そうなると、アトラス要塞に要塞攻略の事を伝える為に、そのスパイは直々に私達の後を追う様にして要塞に入ってくる筈だ。なら簡単だ。囮を使いスパイを誘き寄せ、捕える。メインの目標はそれなんだけど、そのついでとして要塞も落としてバハムートも継承出来たら一石三鳥だろう?」
「……成程」
低い声でそう言ったアーネールの頭にもう一つ聞きたい事が浮かんできた。しかし明らかに境界線の向こう側にあるその質問を口にしても良いのだろうか、と彼女は暫くの間口を噤いでいたが、遂に決心が付いた様だ。恐る恐ると言った口調で、
「……これは質問ではなくお願いなんですが……エスはもう間もなく、寿命で死にます。せめてそれまでの間、どうか彼の残りの寿命の限りは、彼を殺さないでもらえませんか?」
グレアは僅かに俯いたまま無表情に、
「……それはどういう意味?」
「あなた達はエスがオーディンを継承している事を知ってしまった。私がそれをずっとひた隠しにしていた理由は……」丸められた両手の力がぐっと増し、「もしこの事をあなた達が知ってしまったら、エスを殺害してより召喚獣の扱いに勝る者にオーディンを譲渡させるのではないかと思っていたからです。違いますか?」
はっきり口調でそう言い切ったアーネール。彼女の言葉を聞いても尚、グレアは顔色一つ変える事は無かった。相も変わらず無表情に、アーネールに目を合わせる事無く黙ったままだ。しかしその様な姿勢と沈黙はアーネールにとって大きな意味を孕んでいた。彼女は断定的な物言いで、
「私のバハムートは破壊されました。でもまだバハムートの固有能力である光線を放つ事は出来ます。そうですね、この距離なら瞬きよりも早くあなたを殺せるでしょう」
「それよりも早く私は君を殺せるよ。だから私はこの距離にいるんだ」
「……試してみますか?」
グレアの言葉に挑発されたアーネール。彼女は手の平を丸めるのを止め、その視界にグレアを完璧に捉えると僅かに腰を浮かした。そして脳内でシミュレートするは命の終わらせ方――大丈夫だ。グレアがどの様な手を使ったとしても間に合うだろう。肝心の彼女は未だに俯いたまま不敵な笑みを浮かべている。
明滅する照明とその周りを飛ぶ虫。敵の一挙手一投足を見過ごさんとするアーネールに、それとは対照的に何の行動も起こしそうにないグレア。またもう一匹虫がランプにジッと音を立てて焼かれ、呼吸を忘れてしまう程その場の緊張が最高潮に達した瞬間――。
「冗談だよ!ただ君の本気度合いを試したかっただけ!エスを殺すつもりもない!」
グレアはそう叫んで両手を上げた。しかし彼女に伸ばした腕を固定させたままのアーネールの表情は、未だに崩れておらず真剣なままだ。その姿には油断の欠片も感じ取れない。そんな彼女に対してグレアは両手を上げたまま、
「君、ブーモを容易く殺したもんね。超絶手練れの彼が死んだ時点で、君はマーナ兵の誰よりも対人間の戦闘に強い事が証明されたよ」苦い顔付きを見せ、「それに君は知らないかもしれないけど、召喚獣を継承して九年程が経つと眩暈や吐血、嘔吐、最後には徐々に体が言う事を聞かなくなって死ぬんだ。でもエスにはまだそう言った症状が一切現れてないからね。もう少しの間、彼は生きる事が出来るはずだ」
そんな説明を聞いたとしても、アーネールの表情は崩れる事を知らない。信じる訳が無いだろう、と言う目付きのまま、
「嘘じゃないと言う証拠は?」
「無い。けど君は信じるしかないよ。それに次の召喚士を選定するのには手間も時間もいるんだ。申し訳ないけど今の私にはそんな事をチンタラやっている時間がないからね。何も時間が欲しいのは君達だけじゃないんだよ」
グレアがそう言って初めて、アーネールはその腕をゆっくりと下ろした。未だに彼女に対する懐疑心はあるのだろうが、戦う意思はもう感じ取れない。そんなアーネールを見るとグレアは安堵交じりの溜め息を大きく付いた。そしてベッドから身を離すと、
「じゃあ私はそろそろ行くけど、逃げ出そうとか妙な事考えないでね」
アーネールはそんな言葉を聞くと、複雑そうな表情で自分の右脚をさすった。何重にも包帯が巻かれ、もう今後一生動かす希望すらない右脚を。脹脛の辺りから骨は折れ、治る見込みは一切として無い。
「……出来ませんよ。こんな脚では」
本当に……本当にそうなのだろうか?とても信じることが出来ない。
地上への階段を登るエス。彼が一歩一歩進む毎に足音が周辺に反響し、胃の中からは若干の吐き気が。階段の出口から溢れ出る光から察するに、地上には晴れ渡る空が広がっているのだろう。
マーナの為、復讐の為ならこの身など幾らでも捧げて良いと思っていた。しかし、『こんなの』は余りにも非情が過ぎるのではないのだろうか――。
「何だ?お前がエスか?思ったより冴えない顔をしているんだな」
悶々とそう思っていたエスは遂に階段を登り切った。そこに待っていたのは白い髪をオールバックにした、女性にしては背の高めな人物。誰ですか、と言いたげなエスの気持ちを汲んだのだろう、彼女は右手を前に出し、
「私の名前はフェルト、よろしくな」
エスも右手を前に出し握手すると、
「……よろしくお願いします。あなたがグレアさんの言っていた後からやってきた人ですか?」
「ああ、そうだ。お前にオーディンについて教えるようアイツに頼まれてな。早速だがここで――」
その瞬間エスの背後で轟いたのは一筋の稲妻。それと同時に視界は真っ白となり、ゴロゴロゴロ、と天空で巨大な太鼓が叩かれた。そしてその光が収まったときには、彼の背後に佇む馬とそれに跨る甲冑が。両者とも白を基調とした防具に身を包んでいるが、その首当てや背後に侍らせたマントはマットな紫が支配している。全長は十メートル程で、その手には甲冑と似た様な色をした刃渡りの長い槍が。
フェルトはその召喚獣に目を奪われたまま、
「成程……こいつがオーディンか……」それから思い出した様にして、「こいつは見ての通り手に持っている槍で戦う召喚獣だ。そしてその召喚士はありとあらゆる物体を切断する事が出来る片手銃、剣、手斧と言った九種類の武器を生成可能だ……実際にタイタンとの戦闘時にお前は剣を使ったんだろ?」
エスが回顧するはタイタンとの戦い。あの時は何も分からず無意識に行っていたが、片手剣を生成していたのだろう。
「同時に存在できるオーディンの武器の種類は一つだけで、それを変更するにはお前がその武器に触れてなければならない事は注意しておけ」あ、とフェルトは言うと、「それと、オーディンの武器は遠距離からも操る事が出来る。例えば戦闘中に武器を落としたとしても向こうから手の平に戻ってくる、みたいな使い方が出来るって事だな」
「成程……分からない所もあるけど、取り敢えずよろしくな、オーディン」
エスがそう言って振り返った先で、オーディンの白馬がぶるりと息を吐いた。その槍が陽の光を反射してキラリと輝き、甲冑がカチャリと音を立て互いにぶつかった。




