第七話:スパイ ②
「その後の事は余り覚えていないんだ。あの男が俺の体を弄っていた事は断片的に覚えているんだが、それ以外の事はもう……」
「……そっか」
そう話しているのはレイとフユ。アトラス要塞に僅かに残った城壁の上に座り、オルト国に続くアレキサンダー街道を見つめながら話している。彼らの真上に浮かぶ太陽は二人を燦燦と照らし、今の所その道の地平線は敵影の一人も映していない。ただ視界の遠くで両肩に木々のデコレーションを侍らせているのみだ。
「フブキ兄さんを探しているって言ってたよね。でも……ごめんなさい、私もフブキ兄さんがどこにいるかは分からないの。レイ兄さんが去って、その後すぐに兄さんを追って家を出ていったんだけど、私はそれに付いていかなかったから」
「……そうか。フブキに会う事が出来たら、俺はあいつにも謝らなければならないな」
「良いの……あの時、レイ兄さんが私達を置いていった事を私もフブキ兄さんも恨んでないよ。私達をかばってくれたんだもんね……」
「違う……そうじゃないんだ」
レイは僅かにかすれた声でそう言うと、思い出すはあの日の事。あの男に腕を掴まれ更に抵抗をしようかと思い巡らせていた時に映り込んだフユとフブキ。二人共その場で身を凍らせてはいたが、それでもその瞳には恐怖の片鱗が一つとしてなかった。寧ろ、そこからは殺気を感じ取れる程であった。それはつまり――。
「あの時、俺がもっと抵抗していればお前達も合わせて戦ってくれてたんだろ?お前達がそれを待っていた事に、俺は気付いていたんだ。気付いていた上で俺は抵抗しなかった。お前達に傷ついて欲しくなかったから……いや、違うか」レイは目を伏せ、「俺は、お前達を信用出来なかったんだ。お前達の強さも、信念も、そもそも本当に俺に合わせて抵抗してくれたのかすらも分からなかった……だから……本当にすまない」
レイのそんな話を聞いたとしてもフユの表情は変わらなかった。僅かに笑みを含んだその口からは、赦しの情が窺える。
「……それも含めて『良い』の。だってそれが兄さんの優しさであり、不器用さだもん」フユはあ、と言うと、「そう言えばフブキ兄さん、レイ兄さんに嫌われてないか凄い心配してたよ。だから今度フブキ兄さんにあった時、ちゃんと兄さんが安心できるような言葉を言ってあげてね」
「ああ……分かった」
気付いた時には太陽が彼らの左側にずれ始めていた。相変わらず代わり映えのしない地平線に、すっかり紅葉し切った木々。カエデが夏の終わりを口ずさんでいる。暫く無言の時間が続いたが、今の季節にぴったりな冷たい風が吹いた時になってフユが口を開いた。
「ねえ、あの時兄さんを連れて行った白衣の人の名前、覚えてる?」
「……忘れる訳がないだろ。アイツの名前は――」
「アリスト。オルト国技術部門最高司令官だ」
廃村・ミランダへの移動中の森の中、アーネールを背負ったエスとグレアは世界の状況についての話をしている。枝葉の隙間から漏れ出る日の光は二人の体を局所的に照らし、エスの首元にはアーネールの寝息が掛かってくすぐったい。周辺から魔獣の気配はしているが、エスとアーネールの中に眠る『化物達』の気配を察知しているのか、襲い掛かる気は無いらしい。
「確か、前に獣機の話はしたよね?本当は私達も獣機の生成をしたいんだけど……出来ないんだよね。その理由は簡単。その獣機の制作方法が分からないからだ。その、アリストって奴が一人でその制作をしているらしい。既存の機械に魔獣を無理くりくっ付けて……本当に、作り方をアリストにご教授してもらいたいよ。彼の顔を知らないのが悔やまれるね」
グレアは自分のポケットをガサゴソと漁ると、そこから少し透明がかった黒色の、指輪に似たリング状の道具を出した。彼女がイフリートと相対した際に使用した道具だ。
「私達は獣機を作ろうとしていた時期があってね、結局それを作る事は出来なかったんだけど、その副産物の機械は沢山出来たんだ。それらを総称した呼び名が『魔具』。これはその内の一つ、魔具・バースト。指に填めて使用し、強力な魔法の塊を放出できる。まあ、その代わりに燃費がとても悪くって……私の場合は二、三発撃っただけで魔力切れしてしまうんだ」
「そうだったんですね……俺はてっきり、マーナの民は魔法だけを、オルトの民は機械だけを使って争っているとばかり思っていました」
「まあ確かに、マーナは魔法に、オルトは機械に自らのアイデンティティーを感じているんだろう。でも戦争はそんなに単純な物では無い。まあ要するに、使える物は何だって使う……って事さ」
グレアはそう言うと大きく溜め息をついた。そしてぐっと口元を固めると、
「それともう一つ、伝えておくべき事がある。イフリートの召喚士に関する事だ。彼が……今回の要塞攻略にて死んだ。いや、殺された。『とある人物』によって」
「え……誰ですか?」
「シニンだ。彼はどうやらオルトのスパイだった様だ。詳細は後々に話すけど、イフリートの召喚士を殺した……勿論、その後私がすぐに彼を抹殺したがね」
エスとシニンは訓練時代には別班であったが合同訓練が何度もあった為、顔は覚えていた。堅物の、面白みに欠けるが生真面目な人間であるという印象であった。
彼が――。
「問題なのはここからだ……先程も言った通り通常召喚士が死ぬとその人の手元に召喚士の結晶が生成される訳だが、無かったんだ。イフリートの召喚士の傍に、イフリートの結晶が」
「……!それってつまり!」
グレアはなんとか、鉛の様に重たい口を開く。
「オルトのスパイがいる。シニン以外に、どこかに。私達が死体から目を離している内に、そいつがイフリートの結晶を奪い去り……回収したのだろう」
「一体……誰が……」とエスは俯き、思考を巡らせる。
「容疑者はあの要塞にいた全員だ。だが、勿論崩れ落ちる瓦礫に潰されてしまった……なんて事も考えられる。オルトの民や無機物が召喚獣の結晶を破壊するとその召喚獣はこの世から消え去ってしまうらしいからね。その場合はシニン以外のオルトのスパイ、と言うのも私の杞憂になる。まあ、詳しい事は皆がミランダに到着した後に考えよう」
エスはグレアの言った事を頭の中で整頓していると、とある疑問が湧いて出てきた様だ。僅かに眉をひそめると、
「あれ……?何か、おかしくないですか?そのスパイはマーナの民なんですよね。どうしてマーナの民がオルトの民に与してるんですか?」
「エス、それは講義の中で繰り返し言ったと思うんだけど……もしかして何も聞いてなかったの?」
グレアが半ば呆れながらそう言った視線の先で、エスは恥ずかしそうに顔を赤らめた。事実、彼は訓練兵期間中に碌に講義を聞いていなかった。夜はアーネールと稽古をしていた為、その睡眠時間を講義中に充てていたのだ。
「……すみません」
誰に対する何の謝罪なのか少し分からなくなりながらもそう言うと、グレアは赦してくれたのだろう。彼女はニッと笑うと、
「まあ、良いよ。さっきも言ったど、近年ではマーナの民とオルトの民、魔法と機械の境界線は曖昧になってきているんだ。特にオルト国内ではね。例えば『ヘイム』と言う街の一部ではオルトの民とマーナの民は共に暮らしているし、『ヒペリオン』の地下街の住人の殆どはマーナの民で構成されている。意外かもしれないけど、マーナの民がオルト国に住んでいると言う事は往々にしてよくあるんだ。恐らくシニンやその仲間もそう言った人達なんだと思う」
そんな話をしている内に、延々と続く木々の景色が終わりを告げた。エスとメシアの元の住処を思わせる様な、周囲を木に囲まれた村。規模もファランジュと同程度で木造建築ではあるが、グレアの言った通り倒壊してしまった建造物も多く、人の気配は無い。一際目を引くものはその廃村の真ん中にある、屋根が軽い弧を描いた建物・『ハリス』。周りにある建物と比べるとかなり大きく、高さは三階程度であろうか。
「ようこそ、廃村・ミランダへ」
「本当にファランジュ以外に……ネスト内の建造物があったなんて……」とエスは思わず呟いていた。
「あそこの大きな建物には地下牢がある。そこにアーネールを入れよう。彼女から話を聞いた後は、エス、君の中に眠るオーディンについて検証しないとね」
地の底から巻き上がる炎と、死体が焼き切れて形を留めなくなるまで燃やされる匂い。マーナ軍の侵攻を妨げる難攻不落の城塞として繁栄の限りを極めたアトラス要塞は、そんな不愉快の極致に至りし物々と共に消え去った。たった竜の一息で、たった一日限りの輝きとなって。
そんな要塞の上で現在、マーナ兵達は要塞攻略の後始末を行っている。
バハムートの光線に生き残ったオルト兵達は獣機を用いてマーナ兵に対して最大限の抵抗を行ったが、それも虚しくエスがアーネールと共に帰還するよりも遥かに早く鎮圧されていた。その後は召喚獣・イフリートの結晶の捜索の続行、使用可能な獣機の選定、マーナ兵達の弔いが長時間行われている。
アトリーもまたそんなマーナ兵に混じっており、見つめるはとある死体。炎に包まれ衣服も肉体も真っ黒な煤に変わり果て、頭部は瓦礫に圧し潰されている為パッと見ただけではそれが誰か分かる者はいないだろう――アトリーを除いて。彼女はただその死体の前で立ち尽くし、爪が手の平を貫通しそうな程に力強く手を握り締めている。
「……ごめんなさい」
アトリーがあらゆる感情を押し殺してそう呟いた時に、その死体の潰れた頭部と瓦礫の隙間から血が滲み出してきた。短時間その場にいるだけでは流れ出ているとは気付かない程にゆっくりと、しかし確実にその血液は円形状に領地を広げていき、留まりそうな気配はない。
しばらくしてアトリーの足先にまで伸びてきた時に、初めて彼女はそれ程までに時間が経過した事に気が付いた。ゆっくりと、確実に。まるで呪いの様に。
「あ、アトリー、こんな所にいたんだね。探していたよ」
テレサがそう言って近づいていた時には彼女の踵まで赤色の領地は伸ばされていた。彼女の気を知らずテレサはいつも通りの様な口調で、
「ねえ、聞いた?エスが召喚獣・タイタンと戦った時に――」
その時、テレサが感じた『違和感』。彼女に近づいた瞬間僅かに抱いたそれは、テレサがほんの少し前にどこかで感じた何かであった気がした。具体的にそれが何かは分からない、しかしテレサの脳内にあったどこかの警報機が鳴り始めた気がした。
「エスが……何?」
アトリーがそう言って自分の方を見てきた時、テレサは自分の口が知らず知らずの内に止まっていた事に気付いた。その時のテレサは何故か分からないが、自らの違和感に従いそれ以上何も言う事は無かった。




