第六話:向日葵 ①
「三年前にあなたが住んでいた村を焼き払ったバハムートの召喚士は私達の母・シェールなの。私も詳しい事は知らないけど……これだけは言える。母さんは自らの意思でそんな事したワケじゃない。オルトの人達に脅されていた」
アーネールは横たわる木の幹に腰掛けたまま話を始めた。エスは彼女の隣に座り話を聞いているが、彼女が突然暴れださないかに意識を割かれ集中しては聞けてはいない。だがアーネールは背中を丸め、両手を握った状態で喋っており本当に攻撃の意図はなさそうだ。
「私がバハムートを継承したのはその直後の事。誰か分からないけど、男の人が私と母さんを助けたの。でも母さんは私と一緒に逃げる途中で……オルトの人達に殺された。だからその時に私は母さんからバハムートを受け継いで、森の中を走って逃げた。無我夢中で走り回って、気付いた時には森を抜けていて、近くにあった街に入って……そこであなたと出会った。見た瞬間、すぐにあなただって事は分かったの」顔を上げ、エスの顔を覗き込むと、「あなたのその、蒼色の瞳で」
アーネールの説明を聞き、エスは無意識に自らの目を触れていた。
確かに自分の記憶が鮮明な時期からずっと、自分の瞳の色は他人のそれとは異なる事を気にはしていた。もっともメシアの瞳も珍しい色である為真剣に悩んだりはしてこなかったが。
アーネールは顔を再び下に向けると、
「でも、あなたは私を見ても誰だか分かっていない様子だった。だからその場では何も言わずに去ったんだけど、やっぱり気になっちゃって……あなたとメシアの後をつけていたの。それで二人がマーナ基地に入ったから、マーナ兵になりたがっている事を知った。マーナ兵の選抜試験が始まる前に伝える事も考えたけど、絶対に信じてもらえないと思った。だから私も志願して、長い時間を掛けてエスと関係を築いてから逃げ出す事にしたの」
三年前の夜、エスがアーネールに稽古を頼んだ時に彼女が困惑していたのは、もしかしたらエスが二人の関係について触れてくれる事をアーネールが期待していたのかもしれない。
「でもあの軍事基地、凄いセキュリティーが固くって。そうやってモタモタしている内に三年も過ぎちゃった。私もエスも、時間なんてないのに……そうやって焦っていたある日、グレアさんから要塞攻略について聞いたから、これはチャンスだって思った。それで要塞攻略中に騒ぎを起こしてその最中にエスと一緒に逃げる計画を思いついて、実行に移したのに……タイタンが現れた。まさか本当に召喚してくるとは思わなかったな……」少し間が空き、「今、アレを対処できるのはエスだけなの」
アーネールの話を聞くにつれ、徐々に彼女に対する警戒心が無くなっていたエス。彼は眉をひそめると、
「俺が……?どうやって?」
アーネールは当然彼の反応を予想していたはずだが、それでも『その事』に触れるのは緊張している様子だ。彼女はしばらくの間目を伏せ、開いた口は僅かに震えている。
「やっぱり……気づいてないよね……」小さく息を吐くと、「エスは、オーディンの継承者なの」
ただでさえ混沌としたエスの脳内に投下された更なる暗闇。エスは何とか真実を嗅ぎ分けようと口を開いた。
「オーディンって確か……前にグレアさんが言っていたよな。行方が分からなくなった召喚獣、みたいな」
「そう、世間的にはオーディンは行方不明の召喚獣とされている。でもそれは、十二年前に起こったある事件のせいなの。エスはそれが起こる直前にオーディンを継承して、それで……」アーネールは少しの間目を閉じ、再び開くと、「……何でもない。兎に角、あなたがオーディンの力を覚醒させてタイタンを倒す。それしかこの状況を切り抜ける方法は無いと思う」
一体彼女は何を言っているのだろうか。そして一体彼女の話のどこまでが本当なのだろうか。エスは暫く無言で考えてみたが、やはり全ては分かりそうにない。それならば――。
「……今のお前の話がどこまで信じられるのかすぐには分からねえ……オーディンの話も、お前がさっき言ったバハムートの話も、お前が……お前が俺の姉だって話も。だからお前に幾つか質問させてくれ。それでどれだけ信じられるか決めたい」
「うん、そのつもり。何でも聞いて」
エスは顎に手を置き、
「えっと……お前はさっきもう戦えないって言ってたけど、それは何でだ?バハムートを召喚すれば俺と一緒に戦えるし、お前は良く分からない光線を手の平から出せるだろ?」
「私自身は……見れば分かると思うけど、右脚がもう駄目になった。それにバハムートはタイタンに破壊されてしまったの。召喚士は一度、召喚獣を破壊されてしまうとその召喚獣を二度と召喚出来なくなるから……私はもう二度とバハムートを召喚出来ない。例えその状態でも自らの死と引き換えに他のマーナの民に召喚獣を継承させたら、そのマーナの民は再び召喚獣を使用出来るけど」両手を握るその力が僅かに強くなり、「それと召喚士は自らの固有魔法を永遠に使用不可となる代わりに、受け継いだ召喚獣の力の一部を使用可能になる。それは召喚獣が破壊されたとしても同じ。だから私はまだバハムートの光線を私の体から放つ事は出来るけど……そんなのじゃタイタンを倒す事は出来ないでしょうね」
「それはオーディンも同じなのか?」
「うん。オーディンの場合は確か、数種類の武器の生成だったと思う。それはエスがオーディンを召喚した後に使えるようになる。でもこう言った召喚獣の力はかなり魔力の消費が激しくなるから、召喚士は普通、魔力切れすると自らの従える召喚獣に触れる。そうすると、その召喚獣の魔力を分けてもらえるし、上手く言えないけど……力が湧いてくるんだ」
エスが思い出すのは先程までのアーネールとの戦闘。エスの剣は彼女の体に当たったにも関わらず、砕けたのはその剣の方だった。
「そうか……だからあの時、俺の剣がお前の体に負けたのか」
右手を口に置きそう内省するエス。そんな彼の横顔を不思議そうに見つめているのはアーネール。眉を上げ、目を大きく開き口を尖らせたその顔は、納得がいかない、と言いたげな表情をしている。エスはそんな彼女に我慢が出来ずに顔をしかめ、
「……何?」
「いや……どうしてエスは、過去の話をしないの?」
「……え?」
突然アーネールから提示された自らの過去。僅かに頭痛を覚えたエスを気にする事無く、彼女は口を開く。
「私はあなたがずっと知りたがっていたあなたの過去を知っているのよ?どうして、召喚獣の話しか聞いてこないの?」
「それは……さっきも言っただろ?お前が信用出来ないからだって……」
「その割には私の口から出た召喚獣の話は信じているよね。ねえ、エス、あなたは私達の過去について……どこまで知っているの?」
彼女の話を聞き、深く、長い息を吐いたエス。彼は決心をすると、うっかり薄氷を踏みぬかないように気を付けながら、地平線の向こう側に置いてきた昔を呼び起こそうとする。その度に彼の頭痛は目に見えない爆弾の波の様に引いては押し、押しては引いている。
「……俺はどこかの町で、両親と姉と暮していて……それで……ある日、オルトの奴等が攻めてきて……俺は必死に逃げて……ファランジュに迷い込んだ……のか……?」
今にも起爆しそうな『それ』に耐えながら何とか言葉に出したエスの過去は、アーネールにとって満足の行く物では無かったのだろう。彼女は半ばガッカリと言った表情で、
「本当に……何も覚えてないんだね。うん、良いよ、言ってあげる。『あなた』の過去を。エスも……知りたいでしょ?」
遂に明かされそうになる『彼』の過去。しかしその瞬間、エスの中に響き始めたのは全く知らない、誰かの声だった。
――ダメだ。
「私も一体どこから話せばいいのか分からない□だけど……」
――違う。
「えっと、あ□たが生まれたのは□□トのヘ□□と言う街な□」
――彼女の話を信じるな。
「私達はそ□□暮らして□たんだけど、□□日、あなたがオー□□ンを継承□た」
――全部嘘だ。
「そ□せいで……□なたは□走して……□を……□□た」
――違う。
「オル□□□攻めて□□のは本当。でも□れは□の向こうにいたオ□トの兵士達□□□□の起こした騒ぎ□来た□□」
――こいつに耳を貸すな。
「……ね□、ど□□□あな□□エスと名□っているの?」
――違う……!
「□な□□□当の名□は……□□□なのに」
――違う!!
ぐわんとエスの頭が揺れ、視界が反転する。突如として頭痛が今までにない程に大きくなり、それに耐えきれずに地面に倒れてしまったのだ。
「大丈夫!?」
地に伏したまままるで邪気が入ってきたかの様にして体をのたうち回らせるエス。彼の頭痛はあまりの大きさに形を成し、彼の額にはミミズ程の血管が幾つも浮き出ている。土を引っ掻き回すその指は、爪が剝がれ始めたのか徐々に赤に染まっていき、彼の眼球は文字通り今にも飛び出してしまいそうな程に大きく開かれている。
「違う……俺は……俺は……!」
喉が絞まって上手く言葉が出てこないのだろう、何とか出したそんな声も殆ど聞こえず、まるで空気の抜けたタイヤの様な音になってしまっている。両目から川を成し流れ出る涙に、喉の奥から何度も溢れ出てくる吐瀉物。
そんな地獄の様な様相の彼を見ているアーネールも思わず吐き気を覚えたが、それでも何の躊躇いも無くエスを抑え込む様にして抱き着くと、半ば泣きだしそうになりながら、
「ごめん……この話は止めるね。やっぱりあなたは……」
アーネールの抱擁とそんな言葉。それらが功を奏したのだろうか、エスの中に潜む『それ』は急激に勢いを無くしていき、次第に落ち着いていった。エスはただ自らの荒い呼吸音を聞きながらアーネールの体温を感じ、涙も徐々に跡を絶ち始める。
「ありがとう……アーネール……」
「良いのよ。だって私はあなたのお姉ちゃ――」
彼女の言葉を遮る様にして突然轟き響いたのは、大地を打ち鳴らす地響き。まるで霧に塗れたこの世界そのものが吠えているかの様な低く、重たい音。それと共鳴するかの様にして発生したのは、この世を上下に揺らす巨大な地鳴り。
「……?何だ!?」エスはハッとして、「そう言えば……ここはどこなんだ?俺らはさっきまで要塞の近くにいたのに、ここは森の中……だよな?」
「私もちゃんとは知らないけど、この空間が召喚士にしか来る事の出来ない場所らしい。歴代の召喚獣の継承者がよく分からない森に気が付いたらいたとの報告は多くの書物に書かれているの。そしてそこを彷徨う内に――」
そして地平線の向こうから遂に姿を現したのは、深い地の底まで誘わんとする深淵の地割れ。霞の向こうで蛇の様に地を這いながらも、その存在感は例え目を瞑っていても分かる。そんな地割れが四方八方から。
「ヒビに飲み込まれて、目が覚める」
圧倒的な速度で二人の足元へ伸びてくるヒビ。エスが何か反応を行うよりも圧倒的に早く、二人を囲い込んでしまった。そして、深い地面の底の底に誘われたエスとアーネール。
「もう時間切れみたいだね!兎に角、現実に戻ったらオーディンを召喚するんだよ!」
そんな彼女の声が暗闇の中から聞こえてきたかと思うと、その瞬間にエスの意識は途絶えてしまった。
深い暗闇から一転、目を覚ますと、雲の隙間から優しい光がエスの事を照らしている。彼の目の前で同時に目を覚ましたアーネールと目が合った。ぼんやりとした目付きで、頭から血を流しているが、まだ耐える事が出来そうだ。顔を動かし、こちらに向かって腕を伸ばしているタイタンを認めると、エスは立ち上がった。そして、左腕を天に上げ――。
「来いよ……オーディン!」




