第五話:目覚め
突如正体を現したタイタン。それは何か行動を起こす訳でもなく、ただ三人をじっと見ている。
エスとテレサがタイタンに気を取られている。すぐにその事に気付き行動を起こしたのはアーネール。彼女はエスの首を絞める力がすっかり弱くなっている事を見逃さなかった。すぐに中途半端に伸びた腕をバハムート目掛けてピンと伸ばすと、彼女の指先とその召喚獣の間にバチッと花火が散った。腹の底から力が湧いて出てき、続けざまにエスを乱暴に蹴飛ばすと、彼は受け身も取る事無く再び頭から地面に激突した。
「クソ……やられた……」
倒れたままの状態で顔を上げたエスの眼光は、未だにアーネールを捕えている。しかし、体は既に限界を迎えていた様だ。アーネールの姿が背景と同化していき、視界がぼやけていく。エスは上げていた頭をガクリと落とすとそのまま気を失った。
「後は連れ去るだけ……!」
アーネールは急いでエスの元に駆け寄った。そして彼の頭を胸元に抱えた時に、タイタンに意識を割かれていたテレサが動き出し始めた。アーネールの方へさっと頭を動かすと、手に持っていた銃口を彼女に向ける。そのまま引き金を――。
「……撃つの?撃たないの?」
テレサはただ天敵を前にした小動物の様な怯えた表情を浮かべる。
もし銃弾がエスに当たったら。もしアーネールを……うっかり殺してしまったら。そんな一抹の不安が引き金を固くしている。彼にはまだ、引き金を引く事は出来ない。
その時、ずっと見ているだけだったタイタンが遂に動き出した。大きく、ゆっくりと右腕を天高く上げたかと思うと、そのままアーネール達目掛けて振りかざす。
「バハムート!私達を守って!」
その命令を聞いた瞬間バハムートは翼を羽ばたかせ空へ飛び出し、自らを中心とする直径五メートル程の球状の結界を張り出した。腹の底がズンとなる大きな振動と共にその結界に直撃したタイタンの腕は動きを止めたが、その結界にはピキピキ、と鏡を落としたかの様なヒビが。
「次にタイタンが腕を振り下ろしたら、バハムートの結界はもたないな……」
そう思考するアーネールを他所に、タイタンはもう一度右腕を天高く上げた。それを視認したアーネールは、彼女の近くでずっと銃口を彼女に向けているテレサをふと見た。彼は未だに、怯えた表情のまま銃を撃つ決断出来ないでいる。そんな彼にアーネールは微笑みかけると、
「バイバイ、テレサ」
彼女がそう言った瞬間、アーネールとテレサの間にバハムートが落下してきた。脚が竦む程の大きな振動を打ち鳴らし、粉塵を巻き上げながら落下してきたバハムート。タイタンがもう一度腕を振り下ろしたのだ。立ち込める土埃がテレサの視界を奪い去り、アーネールの姿が見えなくなってしまった。
「バハムート!飛び立って!」
粉塵の中からその様なアーネールの声が聞こえてきたかと思うと、アーネールとエスを背中に乗せたバハムートが上空へ飛び立つのが見えた。
次第に周囲の粉塵が収まると、先程までの出来事が全て嘘なのではないのかと錯覚してしまう程の静寂が突如として訪れた。全身の力が抜け、その場にぺたりとしゃがみ込んだテレサ。
『君には勇気と自信が無いからね』
アーネールの、そんな言葉が耳の中で反射した。
「僕は……何も出来なかった」
「召喚士が召喚獣を出した状態で死亡すると、その召喚獣は死ぬまで魔獣の様に暴れまわる。正に今のコイツみたいにな。だからここで倒すしかねえ……腹、括れよ!」
怒り狂うイフリートと会敵したフユ、リリィ、モミザ。彼らは頭の片隅にて召喚士が死んだという事実を認めながらも、深い集中の中へと落ちていく。フユが固唾を飲み込んだ時、冷ややかな風がその場を遮った。
三対一。数字だけを見るならば圧倒的に有利ではあるが――。
イフリートは自らに纏う炎をそのまま攻撃に使う事は少ない。彼自身、人間が炎に炙られた程度で即死する事はないと言う事を理解しているからだ。その代わりイフリートはその炎を爆破に使う。ではそれを敵に当てるのか?違う。自らの後方にて爆破を起こし、その勢いで自らを前方へ押し出すのだ。爆破により生み出される推進力は、イフリートを亜音速の世界へと導く。それ故、初見にて彼の攻撃を躱せる人物は殆ど存在しない。
イフリートが獣の様な低く重たい叫び声をあげると、自らの後方にて爆破を起こした。ドン、と世界が唸る音を響かせ、亜音速にて三人の元へと落下しようとする。しかし彼が地面へと落下する寸前には、三人ともその左右へと回避を完了していた。そのまま着地をしたイフリートに向かって、彼らは攻撃の準備を開始した。
『初見にてイフリートの攻撃を躱せる人物は殆ど存在しない』。それは飽くまでその知識が無ければの話であり、既に訓練兵時代にその知識を蓄えていたマーナ兵達には、その限りでは無かったのだ。
「大丈夫!勝てる!」
その時に彼らの心の中で生まれた僅かな慢心。その様な勝利への確信が張りぼてだと気付いたのは、イフリートの背中で燃え盛る炎の勢いが増し、後ろに回り込んでいたミモザがその炎に巻き込まれた後だった。油に火を投げつけたかの様にして、急激に勢いを得たイフリートの獄炎。その炎は容易に消える事は無く――。
次第に勢いが弱まり、その中から出てきた彼女は、人の形を保ってはいなかった。『人』と言うよりかは真っ黒な煤の塊で、かろうじて目と鼻の窪みと思われる物が端の方に残っていた。
フユとリリィは目の前にいるイフリートの存在など忘れ、時間が止まったかの様にしてミモザだった物を眺めている。しばらくして状況を理解したリリィは、恐怖に表情を歪ませ、野鳥の様な甲高く、細い叫び声を上げた。その様な声すらもリリィがイフリートの獄炎に飲み込まれ、身を蝕まれるにつれ次第に小さくなっていった。そしてミモザ同様に真っ黒な煤の塊に成り果てたリリィ。
「え……?後は……私だけ……?」
その場にいる者はフユとイフリート、二つの黒い塊。
立ちすくみ、目の前が真っ暗になる。イフリートが近づいてくると肺が焼ける様に熱い。心臓が乱れ動く音と、自分が荒く呼吸する音。顔から湧き出る汗が彼女の頬を伝い、顎の先から地面にぽたりと落ちた。イフリートの手の平がフユの目の前に向けられても尚、彼女はその身一つ動かす事が出来ない。そしてそのままイフリートの手の平から炎が出てきて――。
「私……ここで……死――」
突如、ドンと鳴り響く轟音。まるで、大量の火薬が一斉に爆破したかの様な、耳を塞ぎたくなる程の音圧。そしてそれと同時に――フユに向けられていたイフリートの腕が吹き飛んだ。それはそのまま、地面に落ちたかと思うと水蒸気の様な湯気を出し、空中へと朽ちていく。
何が起こったのか、突如とした出来事にイフリートすら理解が追い付かず、後ろ脚を蹴り上げて後ろに下がり、フユから距離を取った。ただひたすらに困惑するフユの前に、イフリートと彼女を割って入る様にして颯爽と現れたのは――。
「ごめん、遅れた!」
グレアだった。フユは激しく安堵すると同時に、自らの元へと駆けつけてくれた彼女の右手人差し指に、何か黒色の物体が嵌められているのを認めた。
「怖いよね。後は全部……お姉ちゃんに任せときな」
遥か上空、バハムートの上。アーネールは未だ気を失っているエスの髪をそっと撫でた。
そして思い出すのは、昔の記憶。
貧しくはあった。不自由を感じる日も多かった。窮屈さと息苦しさを感じる日々。それでも、彼の存在はそんな鬱憤を消し飛ばしてくれた。彼がああなってしまったのは自分のせいでもある。だから再会した後は細心の注意を払った。大丈夫。今の私なら出来るはずなんだ。
だから、もう一度――。
ふと、彼女の耳に聞きなれない音が飛び込んできた。ドスン、ドスンと。交互に、規則的に鳴り響く音。まるで何か重たい物が連続して高くから落下している様な。ドスン、ドスンと。どうやら、その音は後ろの方からこちらに近づいてきている様だ――足音?
ふと、彼女の中に一つの可能性が思い浮かんだ。いや、そのはずはない。もしその足音の正体が『それ』だとしたら――。
意を決し、振り返る。そして目に飛び込んできた物は――。
「……最悪」
タイタンだ。背筋を伸ばしながら体を前のめりにして、こちらに走ってきている。それが地鳴りの正体であった様だ。バハムートが飛行する速度よりも遥かに速く迫ってくるタイタン。その射程圏内にバハムートが入ったかと思うと、走ったまま右腕を振り上げた。
「バハム――」
そのままバハムートを殴りつけた。一度目の大きな衝撃を受け、バハムートから振り落とされたアーネール。なす術無く地面に激突し、二度目の衝撃。とても人の体から鳴る様な音ではない音が鳴り響くと同時に左腕と肋骨、更には左足に激痛を覚えた。落下の反動でもう一度空へ打ち上げられ、再び地面へと。三度目の衝撃。そのまま地面を何度も転がり、木に衝突して四度目の衝撃。
朦朧とするアーネールの意識。頭から流れ出る血液は彼女の目に赤いヴェールを張り、視界を真っ赤に染めている。倒れた状態のまま頭を上げて見ると――タイタンがすぐ近くにしゃがみ込んで、彼女の事をじっと見つめている。その目付きはまるで、公園で地面を這う虫を観察する子供の様だ。
「バハムート……私達を守って……」
彼女は掠れた声でそう言った。だが何も起こらない。しんと静まり返ったその空間に、紫の竜は現れそうにない。周りを見渡してみると――エスがすぐ横に倒れている。彼は相も変わらず意識を失っており、更にその少し奥にはバハムートもいる。しかし片方の翼が捥がれ、鱗と鱗の間からは赫色の血が流れ出た状態で地面に倒れている。動き出しそうな気配は微塵も無い。
何とか立ち上がろうとしてみるが、左足に激痛を覚え出来ない。そちらに首を回してみると――左足の脹脛が、まるで二つ目の膝が出来たかの様にして不自然な方向に九十度、ぐにゃりと曲がっている。歩行する事すら不可能になった。
破壊されたバハムート。未だに目を覚ます事は無いエス。戦う事が不可能になったアーネール。彼らの前に佇むは、未だ健在のタイタン。
その様な状況でも勝機はある。勝機はあるが、それは――。
「本当は……やりたくなかったんだけどな……」
アーネールはそう呟くと、眠っているエスの額と自らの額を合わせた。
すると――。
「……?ここは……」
エスは見慣れない場所で目が覚めた。木々が生い茂る森の中。その奥側は白い靄が掛かっており、その先を見る事は出来ない。そんな場所に四方を囲まれながら、横たわる木の上に腰かけている。彼の後ろには体長五十メートル程になるであろう、他の木々と比べても群を抜いて高い大樹が一本。周りを見渡してみると、すぐ横には――。
「おはよう」
アーネールが隣に座っている。その瞬間エスは血色を変え、彼女から距離を離した。だが腰に手を回すと、彼は剣を持っていない事に気が付いた。体術だけで彼女に勝てるだろうか?エスはそんな事を思いながら、アーネールの動きを待つ。しかし彼女は、動き出しそうな気配は無い。ただ木の上に座り、エスを見つめ返している。
「ああ……この場所で私を殺しても意味が無いと思うよ」
彼女は当然だろう、と言った口調でそう言った。
ここはどこだ?こいつは何故襲ってこない?そもそも、こいつは本当にアーネールか?
様々な疑問と困惑が彼の身に襲い掛かるが、それを上回って彼を支配した物は――。
「お前が……村の皆を殺したんだろ……?」
怒り。三年前、彼の住処を奪ったバハムートの継承者。それがアーネールだ。拳を握り締め、彼女に勝つシミュレーションをする。
「言っとくけど、あなたの村を焼き払ったのは私じゃないよ」
「……え?」
彼女の言葉に、エスは彼の足元が崩れていく様な感触を覚え始めた。
いや、嘘だ。嘘に決まっている。だってアーネールは――。その様に思考する彼に、アーネールは再び言葉を投げかけた。
「良いから座って。全部話すから」




