第一話:故郷焼失 ①
燃え盛る炎。崩れ落ちる瓦礫。
それを見て彼が思い出すのは数年前のあの日の記憶。額からは汗が吹き出し、喉の奥では震えが止まらない。目頭の熱は暴走を続け、それが遂に臨界点を迎えた瞬間――。
彼のうめき声が、辺りに木霊した。
赫燭大戦記 焼失編 第一話:故郷焼失
エスの心の奥底。更にその根底に眠るのはあの日の記憶。九年前の、彼の故郷を襲われ全てを失った日の記憶。
はっきりと覚えている訳では無い。まるで視界全体に霧が掛かったかの様に、夢の中の出来事の様に曖昧で、不確かで、混然としたあの日の記憶――悲鳴を上げ、何かから逃げ惑う人々。彼らが目の前で容赦無く切り刻まれていく。飛び出さん程に大きく開かれた両目に、深く皺よったその顔面。そこに浮かぶ彼らの表情はまるで絶望以外の色が抜け落ちた様である。
しかしそれ以外の事はとんと思い出せない。故郷はどこにあった?分からない。自分はどの様に逃げ出した?覚えていない。無理に思い出そうとすると、決まって脳を切り裂く頭痛が彼に襲い掛かるからだ。そんな彼でも思い出せる事がある。
家族がいた。両親と、姉がいた。顔も、口調も、性格も、何も思いだす事は出来ないが、それでも彼らと住んでいた。それは確かだ。
もう一つ、最後にもう一つだけ覚えていることがある。
あの時、故郷が無くなった時に、彼がはっきりと抱いた感情。彼の死の間際に襲い掛かったあの感情。それを形容する名前。
それは――。
晴れ渡る空の下、木々は天に向かって背を伸ばす。赫色の太陽にその身を曝け出し、種を産み落として子孫を育てる。例え最初はたったの数本でも、例えその成長の途中で絶滅の危機に瀕そうとも子を残し、時間をかけて徐々に大きくなっていく。次第にそこには移動性の生き物が住みつき、そうして出来上がっていく生態系。そして、最終的に誕生したのは巨大な森・『ネスト』。
そんな森の南寄り、とある場所には開けた空間が存在している。その空間の真ん中には六十メートルにもなるであろう大きな木が一本と、その周りに行儀良く整列するのは数多の墓石。墓は皆こぢんまりとしており、その辺りに落ちていた丸い石に花冠を被せ、その手前に蝋を置いただけの簡易的な物だ。その空間の大きさは家を一棟建てられるか建てられないか程度であり、それ故村の子供達は好き好んで近寄る事は余り無い。
そんな空間にある墓の一つ、その手前に少年と少女がいる。彼らはその墓にしゃがみ込むと、手を合わせて目を瞑った。村に生まれ、そこで生を全うした者達を弔う為の墓参り。半年に一度のルーティーンを二人は行っているのだ。
しばらくすると二人は祈り終えたのだろうか、少年の『エス』が立ち上がり、大きく伸びをした。
「うん、早くやって早く帰ろう。エスは明日の準備したいもんね」
彼女の言葉を聞くとエスは不満そうに軽く口を尖らせ、
「別にしたいワケじゃないけど……」
彼らの住む村では年に一度村の全ての収穫物を刈り取り、皆に分け与え共に食事をする『収穫祭』が行われている。その際に毎年抽選で選ばれた見世物役が何らかの演技をする事が習わしとなっているのだが、今年はその見世物役にエスが選ばれたのだ。生まれつき人前に立つ事が苦手なエスは誰かに代理をしてもらうよう頼み込んだのだが却下されてしまい、嫌々何か演技をする事となったのだ。そんな収穫祭も明日に迫ってきている。
多くの墓を丁寧に並ばせている大樹。その幹には、大樹をぐるりと一周する藁製の紐により縛り付けられている祠が付いている。正面が観音開きになっているその祠は木製な為か年季を感じる程古く、特に底の部分は今にも崩れ落ちそうな程だ。
二人はその祠を墓参りのついでに点検するように、彼らの父に言われていたのである。
「何でこんなボロっちい祠を大切にすんのかな。さっさと作り替えれば良いのに」
「そうだよね~……中に何か入ってるって事でもないのに」
彼女の言葉の通り、エスが祠を開けてみると中には鳥の卵が一つだけ入りそうな程度の小さく、狭い空間があるだけだ。小さな仏像の一つすらもその中には入っていない。
エスはそんな当たり前の事を確認すると、そっと祠を元に戻した。
「まあ、大丈夫だろ。行こうぜ、メシア」
エスとメシアは肩を並べ、彼らの村に続く小道を歩く。二人が先程までいた墓場は村から歩いて五分程度だが、その道も相も変わらずネストの木々に囲まれている。時々そんな木々の陰から『彼ら』の視線を二人は感じてはいるが、もうそれを気にも掛けない程度には慣れてしまった様子だ。
「しっかし、エスが私達の村に来てからもう九年ですか~」
「そんなになるんだな……でももう覚えてないだろ?俺が来た時の事とか」
メシアはその口に僅かに笑みを浮かべると俯いた。
「……うん、そりゃそうだよ。どうやったらこんな所に流れ着くんでしょうね」
「そうだよな……どうやって『奴等』の巣食う森の中にある村に一人で来れたのかなんて、そんなの俺が知りてえよ」
エスは少し首を動かし見上げてみると、一面に青を称えた空が広がっている。雲一つなく、ほのぼのとした気候。最近になりやっと蝉の鳴き声を聞かなくなったばかりだが、既にかなり涼しくなってきている。今年の冬は寒くなるのかな、とエスはぼんやりと思った。
「……あ」
空を見上げ歩を進めるエスを横目に共に歩いていたメシアが、突如その足を止めた。エスが遅れて止まりメシアを見ると、彼女は口を開け、何か驚いた表情をしている。
「ごめん、いつもの所、行っても良い?」
メシアのそんな頼みを聞くと、エスは分かりやすく顔をしかめた。
「え~……別に良いけど……」
巨大な森・ネストには無数の化物が巣食う。
彼らは総称して『魔獣』と呼ばれており、『魔獣』は様々な形を成し、特性も異なる。彼らの強さも個体差があり、人間に害をなせない程に弱小な者もいれば、たった一体で一国を滅ぼす事が出来る魔獣もネストの奥底には存在する。
メシアはそんな魔獣達と時々遊んでいるのだ。
その日も、彼女は先程とは別の開けた空間で魔獣達と戯れていた。赤色の鱗がびっしりと生えた、体長が十メートル程の竜がスフィンクスの様な態勢で地面に横になると、その前足に腰を下ろしたメシア。そのまま近くにいた、全身からピンク色のもふもふの毛が生えた小さな魔獣に軽く触れてみると、一瞬でフグの様に大きく膨張した。その様子を見てメシアは肩を揺らして笑っている。
そんな彼女の様子を、エスは遠くから緊張した面持ちで見守っている。もし魔獣が突然牙を剥き、彼女に襲い掛かったら――。そんな思考が横切ってしまい安心する事が出来ないのだ。
「メシア!もう良いだろ!帰ろう!」
彼は遠くからそう叫んだ。メシアは頬を膨らませ不満そうな顔を見せたが、最終的には渋々その場を離れた。
再び帰路に就く二人。木々に囲まれた道を歩くのは同じだが、先程とは異なりエスの顔はムスッとした不満に満ちた表情だ。
「なあ、もう魔獣を操って遊ぶのは止めろ。アイツ等が如何に獰猛な奴等なのかメシアなら知ってるだろ?突然襲い掛かってきたらどうするんだよ」
「大丈夫だよ。どんなに強い魔獣だって私が触れちゃえば大人しく出来るんだもん。そんな事、エスなら分かり切ってるでしょ?」
手に触れた魔獣に命令を与えられる。それは少なくとも二人の村の中ではメシアにしか出来ない事である。実際、先程彼女と共にいた赤色の竜やピンクの魔獣も、過去にメシアに襲い掛かり、彼女に触れられてしまった者達だ。
彼女の言っている事は正しい。正しいが、それでも控えてほしい。
エスは再びメシアを説得しようとする。
「そうだけど……その力の理由が分からないから心配なんだよ。俺とか、他の人だと魔獣に触れても構わず襲い掛かってくるだけなのに何でメシアだけ――」
「そんな事より明日の収穫祭の心配をしてくださ~い」とメシアは茶化した口調でエスの言葉を遮った。
エスはよりしかめた顔でメシアに顔を向け口を開いたが、すぐに地面に向き直すと、
「……分かったよ。それは考えても仕方の無い事だもんな」
彼の言葉を聞き、メシアは顔に笑顔を浮かべて彼を見ると、
「明日、私がいなくても一人で出来る?手伝ってあげよっか」
「メシアはいつも通り、ネストから魔獣が来たらそいつを操ってくれ。力の正体は分からないけど……俺達はそれに頼るしかないからな」
その様な会話をしていると、遂に彼らの住む村が見えてきた。二人が先程までいた大樹のある空間は村に面する丘の上にある為、墓参りの後には彼らは必ず村を見下ろしている。
総人口約百人。小規模の、四方八方をネストの木々に囲まれた村。給水塔を村の中央に据え、それの周りに木造の家が建っている。更にその外側には農作物が育てられている耕作地。大きさは耕作地を含めたとしてもエスが立つ丘から一望出来る程度だ。
『ファランジュ』。それが、その村に与えられた名である。
「最近は魔獣による被害も増えて、皆あんまり元気が無いもんな。こんな時ぐらい笑っていてほしい」とエスはぼんやりとファランジュを眺めながら言った。
メシアは再びその顔に笑顔を浮かべると、
「うん……そうだね」
「昔々、人々は互いに手を取り、自然を尊重しながら平和に暮らしていました。ところがある日、神様が一部の人々に『魔法』の力を与えました。魔法を与えられたある人は手から炎を生み出し、又別の人は地面から氷を生やす事が出来たので、彼らは徐々に魔法を持っていない人々によって差別されていきました。次第に、魔法を持つ人々は『マーナの民』、魔法を持たない人々は『オルトの民』と呼ばれ、彼らは喧嘩を始めてしまいました。マーナの民は魔法、一部のマーナの民の『召喚士』が召喚出来る『召喚獣』を用いて、オルトの民は大きな森のネストに住む魔獣を基にして作られた、高度に発達した機械・『獣機』を用いて今でもその喧嘩を続けているのです」
ファランジュの中央にある給水塔。その足元で木箱に腰かけ、村の子供達に『世界の歴史』と言う絵本を読み聞かせている男がいた。彼はスラッとした高身長で、目が糸の様に細い。子供達は彼が読む絵本に夢中になっている様子で、口を半分開けながら絵を眺めている。
そんな彼らの元に近づいていく足音が二つ。
「あ、ブレイドさんじゃん。こんにちは」
エスとメシアだ。メシアはブレイドを認めや否や挨拶をしたがエスは様子が違った。彼を認識すると、すぐに舌打ちをしてそっぽを向く。
ブレイドは二人を見るとすぐにその顔に笑みを張り付けた。機械じみている、表情筋が無理矢理引きつっているかの様な笑顔。エスはブレイドのそんな笑みが気に食わないのだ。だが、それ以上に彼が気に入らない事があった。
「ああ、メシア君、こんにちは。申し訳ないね、勝手に子供達と遊んでしまって」
「いえいえ、寧ろありがとうございます。ブレイドさんが村に来てから子供達の世話が楽になりました」
メシアがそう言うと、今度はブレイドは「いえいえ」と両手を前で振り謙遜した。
メシアとブレイドがそんな会話していると、子供達が彼女の元に寄ってきて、
「メシアおねーちゃんも遊んで~」「またマジュウにのせて~」と彼らは口々に言った。
メシアは屈み込むと、彼らの頭をわしゃわしゃと掻き撫でる。
「うんうん、いいよいいよ~」
メシアはエスよりも数年早くこの村に流れ着いたらしいが、その頃から彼女は村の子供達の世話をしていたそうだ。その時はまだメシアも子供と言っても差し支えの無い年齢だっただろうに。彼女が子供達と戯れるその後ろで、エスは彼女に背中を向けて小さく、
「じゃあ俺は帰っとくから」
「ちょっと、エスも一緒に遊んであげてよ」とメシアは顔をエスの後姿に向けた。
「嫌だよ」
通り風が二人の間を通り抜け、木々を騒めかせる。
「だってブレイドはオルトの民だろ?」
「エス」
彼の背中を見たまま腰を上げたメシア。彼女の表情は先程まで子供達に注いでいた温かく朗らかな笑顔とは対照の位置にありそうな、冷たい物である。メシアは軽く溜め息をつき一瞬だけ目を伏せると、
「確かに……ブレイドさんはオルトの民だし、そのオルトの民はこの森の外で私達マーナの民ともう何百年も争っているらしいよ。でも……でも、そんなの関係ないでしょ?それは私達がブレイドさんを憎んで良い理由にはならないよ。オルトの民にも、マーナの民にも良い人も悪い人もいるんだよ?それに戦争の方だって、皆で話し合えば分かり合える。言葉はその為にあるんだから。殺し合う必要なんてない」
『話し合えば分かり合える』。『殺し合う必要なんてない』。
メシアのその様な歯の浮く言葉が、エスの中に眠るあの日の記憶と正面でぶつかった。
もし話し合い程度で分かり合えるなら、殺し合う必要が無いのなら、何故俺の故郷は燃やされ、多くの人々が死ななければならなかったのか。
エスは歯を食いしばり、胸の内から溢れそうになる物を何とか食い留めようとした。
「そうだよな……」
しかしその破片は彼の思惑を通り抜け、口から出てきてしまった。吐き捨てる様な、見えない何かに怒りをぶつける口調で彼は声を上げる。
「そりゃあ……オルトの奴らに故郷を滅茶苦茶にされた事ねえ奴には分からねえよな!」
エスの叫び声の後に訪れたのは、しんとした静寂だった。皆が口を閉じ、エスに視線を向けている。
「エス……」
メシアは小さく、そう呟いた。エスはすぐにハッとしてつい叫んでしまった事を悔いたが、既に手遅れな事にも気付いた。やり場の無い鬱憤をその足取りに見せながら彼は家へ真っすぐ向かったが、メシアは彼の後姿を見つめるのみで何もする事は無かった。
エスとメシアは彼らの父・『パブロ』と共に暮らしている。父と言っても血縁的な繋がりは無く、二人とも彼に保護してもらったのだ。
ファランジュの外側、耕作地のすぐ横に建てられている彼らの家。他の家と同じ様に木造建築で切妻屋根。屋根の瓦には苔が生している為少し緑がかっている。扉を開け中に入ると、左手に机と四人分の椅子、右手にキッチン。そこには口ひげを生やし、縁の細い丸眼鏡の奥には優しい瞳が控えさせているパブロ。丁度彼がキッチンで夕食の準備をしている様子である。
「ああ、お帰り」と彼はエスの方へ振り返った。
エスは家に向かっている間に少し頭を冷やしたのか、先程までよりかはかなり穏やかだ。
「……ただいま」




