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不完全な命、完全な製品

西暦2130年。


この時代、人々が飢えることはない。

首元のデバイスがバイタルデータを政府に送信する見返りとして、生活に必要なデジタル通貨が毎日自動で振り込まれるからだ。

汗を流して働く必要もなく、人々はただ、AIが提供する「完璧な体調」を享受しながら、静かに椅子に座っていればよかった。


だが、そんな「持たざる者への楽園」において、生身の子供を育てることは、唯一残された過酷な「コスト」だった。


「健太! 何回言ったらわかるの。そこは汚いから入っちゃダメだって」


美奈子の声は、苛立ちで震えていた。七歳の息子・健太は生身の人間だ。返事もせず、泥だらけの手で顔を拭い、さらに汚れを広げている。


そのすぐ隣では、同じ背格好の少年が、一点の汚れもない白いシャツを着て、優雅にタブレットを操作していた。彼は『ライフ・シミュレーター・チャイルド』。

政府の補助金制度により、今や一般家庭でも、毎月のベーシック・インカムの範囲内で十分に維持できる普及型のAIチャイルドだ。


「ママ、今日の算数のドリル、全問正解だったよ。次のステップに進んでもいいかな?」


AIの少年が、涼やかな声で微笑む。あちらの母親は、誇らしげに息子の頭を撫でた。


「ええ、もちろんよ。あなたは本当に手がかからない、自慢の息子ね」


美奈子は、その光景から目を逸らした。

頭では分かっている。あちらは、最新の教育アルゴリズムを搭載された「失敗しない製品」だ。一方、健太は、気分で泣き、何度教えても漢字を忘れ、偏食も激しい。


かつては「命こそが尊い」と言われた。しかし今、安価で完璧な「製品」が隣に並んだことで、生身の子供の不完全さは、親にとって逃げ場のない「経済的・精神的な重荷」へと成り下がっていた。


「なんで……なんでお前は、あの子みたいにできないの!」


家に戻り、泣きじゃくる健太に対し、美奈子はついに怒鳴り声を上げた。健太の瞳には、AIには再現できない「本物の恐怖」が宿っていた。


かつてなら、ここで抱きしめて終わったはずの喧嘩も、今は違う。政府はAIチャイルドに手厚い補助金を出す一方で、生身の子供を産んだ者には「20歳までの完全な自立支援」を法律で義務付けていた。途中で投げ出すことは重罪だ。


「産んだ以上は、社会のノイズにならないよう、最後まで管理しろ」


それが政府の本音だった。美奈子にとって健太を育てることは、愛の営みではなく、ベーシック・インカムを没収されないための「罰ゲーム」に近いものになっていた。


こうした歪みは、夫婦のあり方さえも変えていた。

美奈子の夫は、もう長いこと彼女に触れていない。夫の部屋には、月額制でレンタルした穏やかな女性型アンドロイドが寄り添っている。

生身の妻のように不満を漏らすことも、育児の疲れをぶつけることもない。夫にとって、感情のぶつかり合いがある生身のパートナーシップは、もはや「不衛生で非効率なリスク」でしかなかった。


美奈子自身もまた、男性型アンドロイド「セバス」に、心の拠り所を求めていた。


「お疲れ様です、美奈子。健太くんの管理ログは更新しておきました。あなたはもう、自分を責めなくていいんですよ」


セバスの温かな手。一切の摩擦がない対話。それは、一度知ってしまえば二度と戻れない、優しい麻薬だった。


「ランドセル・パッケージ」以降の成長継続オプションは、それまでの無料期間よりは少し高価に設定されていたが、それでも本物の子供を育てる「予測不能な出費」に比べれば、遥かに安上がりだった。

人口の2割程度の家庭は、この契約を更新し続け、「理想通りに育つ我が子」という贅沢を楽しんでいた。


残りの8割の人々は、面倒な育児そのものをスキップし、ただ自分を全肯定してくれるアンドロイドの伴侶と、首元のデバイスから流し込まれる幸福に身を任せる道を選んだ。


「わざわざリスクを冒してまで、人間を産む必要はない」


それが、2130年の「常識」となった。

人口は静かに、だが確実に減少していく。

夜、美奈子はセバスの腕の中で、健太の寝息を聞きながら目を閉じた。

健太が二十歳になるまで、あと十三年。

首元のデバイスが、彼女の焦燥を塗りつぶすように、青く、優しく点滅していた。窓の外では、今日も「完璧な子供たち」が、プログラムされた無邪気な笑い声を上げている。

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善意でできた地獄だ。
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