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夜明け前のスキャット

「うつし世をもう一度、バラ色の日々に変えてやるんだ」

かつて、子どもたちの憧れのヒーローだった『少年探偵』が大人になったら…。

人生の最盛期を、十代半ばで迎えてしまった、あの元祖少年探偵『小林少年』のその後の物語を、原典へのオマージュを込めて書きました。


 朝から降り続いていた雨は、夜半過ぎになってようやく上がったようだ。所々に嚢胞のような水溜まりが出来たぬかるんだ道に、ネオンの灯が映っている。偽物の宝石、人工の花畑、道化師の化粧、売春婦のドレス。そんなものを連想させる色だった。

 まがいものに相応しい色彩が添えられたせいで、いっそうみすぼらしく見える道を、僕はよろめきながら走っていた。靴を汚したくはなかったが、暗い夜道にぽっかり口を開けている無数の蟻地獄を避けながら走るのは、十五歳の頃の俊敏な僕ならともかく、三十を過ぎた、しかも宵の口から飲み続けた酒が足に来ている今夜の僕には、とてもじゃないが出来ない芸当だった。

 路地に入ると、急に道が暗くなった。飲み屋は何軒かあるが、インチキカラーのネオンすら届かないこの道は、いつも息詰まるような独特の匂いがする。このすえたような匂いには未だに慣れない。

雨が上がった後、急に気温が下がったようで、夜風がきりきり冷たかった。僕はコートの襟を掻き寄せ、隣のビルに寄りかかって、かろうじて建っているようなひょろ長いアパートを見上げた。二階に一つだけ、オレンジ色の明りが灯っていた。それを見た途端、なぜか急に涙が出そうになった。もちろん泣きはしなかったが、それぐらい胸が痛かった。その明りの中にいる人は、今なにをしているのだろうと思うと、その痛みがいっそう疼いた。

「よっちゃんがあたしに会いに来る時は、なにか不幸せなことがあった時なのよね」

 二週間前、あの部屋で、裸の肩を同じく裸の僕の胸に押しつけながら、りえは言った。湿っぽい言い方ではなく、彼女特有のあっけらかんとした口ぶりだったが、それがかえって胸にこたえた。

 だが、(そんなことはない)ときっぱり否定もできなかった。不幸せなことがあった時、という言い方が適切かどうかは分からないが、確かに僕が彼女に会いに来る時は、たいてい気の滅入るような奴から依頼された、途方もなく不快な仕事を何とかやっつけた後だった。

「たまには、あたしのステージも観に来てよね。最近、評判いいのよ。りえちゃんのフランス語はパリジェンヌみたいだって」

 りえは大通りにあるキャバレー『ブリリアント・ワールド』専属のジャズ歌手だ。最近はシャンソンもレパートリーに入れているらしい。腐れ縁などというと、怒られそうだが、お互い少年と少女に毛が生えた頃からのつきあいで、くっついたり離れたりを繰り返してもう十年になるのだから、そうとしか言いようがない。荒れた生活にもかかわらず、少女のような、少年のような純粋さが未だに薄れないのは、元々お嬢さん育ちというだけではなく、堀口大学の詩集をこっそり持ち歩くような、文学少女めいたところがあるせいだろうか。

 だが、そんな世俗的な欲の薄い彼女の、ささやかな望みですら、僕は叶えてやれそうにないのだ。


 鉄の階段を上り、薄い板みたいなドアを開けると、上がり框にいたりえがはっとしたように振り返った。ちょうど帰って来たところだったらしく、黒いワンピースを着て、濃い化粧もそのままだ。

「あら、よっちゃん。今日は早いのね」

 赤い唇が割れ、毒々しい化粧にそぐわない白い歯がこぼれた。だが、つけ睫毛に縁どられた眼に一瞬走った影を、僕は見逃さなかった。見逃すわけがない。この僕が。かつての栄光の翼はとうに失ったとしても、彼女の右手がそれとなく動いて、ワンピースのポケットに何かを忍ばせたのに気づかない筈がないのだ。

 しかし、僕は気づかないふりをした。そのくらいの礼儀とそして矜持は、いくら悪酒に酔っていても持っているつもりだ。ほんの数分前まで、獣のように猛け狂っていた欲望のまま、部屋に入るなり彼女を押し倒すなんてこともしない。これまでも一度もしたことがない。今夜も、りえが「どうぞ、お入りください」と、どこか芝居めいた言い方で、招き入れてくれるのを待ってから、ソファに大人しく座った。自分でも笑ってしまうが、もはや何の役にも立たない優等生じみた振る舞いは、酒と紫煙に犯され切った僕の中にまだ幾らか残っているのだ。

「難事件をようやく解決、お疲れさま!……って感じじゃないわね」

 りえは水の入ったグラスを差し出すと、隣に身を寄せるようにして腰掛けた。

「でも、何かあったのは確かよね。例えば、昔の知り合いに会ったとか」

 彼女には、妙に勘の鋭いところがある。僕は水を一口飲んで、唇を湿らせてから口を開いた。

「なかなか、名探偵だな」

「じゃあ、あなたの助手にしてくれる?」

 と、首筋に柔らかな頬を寄せて来る。白粉と古風なヘリオトロープの匂いに混じって、彼女自身の、清々しい森の中でかぐような水と木に似た香りがした。その香りが今日も変わっていないことに安堵しながら深く吸い込み、細い身体を抱きしめる。そのまま、二人して床に転がり落ちた。りえは「痛い」と軽く抗議の声をあげながら笑った。僕も笑った。ワンピースを脱がしつつ、ポケットのものを気づかれないよう抜き取るのは容易いことだが、僕はしなかった。そんなことをしたら本当に『落ちぶれて』しまう。


「いやあ、お久しぶりです。もう十年?いや、違うな。僕が大学に入る前の年以来だから、もう十二年ですか」

 篠崎はそう言って、ブランデーのグラスを持ち上げたが、僕は軽く頷いただけだった。彼は少し戸惑ったような表情を浮かべた。数時間前、ちょうど一番、雨脚の強い時分だった。

「ちょっと、雰囲気変わりましたね」

「そうかな?」

「そりゃまあ、十二年も会ってないんだから、当たり前ですよね」

 そう言う篠崎の色白でふくよかな顔は、驚く程あの頃と変っていない。以前なかったものといえば、青い髭剃り跡ぐらいか。

「今も探偵の仕事をされてるんですね」

「探偵っていうか、まあ何でも屋だよ。トラブルシュレッダーみたいなもんさ」

「じゃあ、僕とあんまり変わらないですね」

 僕は苦笑した。

「まったく違うよ。勤め先、警視庁だろう?しかも捜査一課」

「ええ、まあ、そうなんですけど……」

 安いブランデーに赤い唇を光らせた篠崎が、困ったように言葉を濁す。東大卒のキャリア組、上層部に昇る道も開かれている。そんな彼の口から出て来た『探偵』という言葉は、塗料の剥げた玩具の名前のように聞こえた。

「しかし、相変わらず美男子ですね。そのスーツもよく似合ってる」

 顔は中学生のままのようだが、お世辞ぐらいは言えるようになったらしい。

僕は上着の内ポケットから出したシガレットを口に咥えた。篠崎がすかさずライターを差し出し、火を点けてくれた。そんな仕草にも、時の流れを感じた。

「まるで、若い頃の明智先生みたいだ。今の事務所はどちらなんですか」

「この上だよ」

 僕は親指で、天井を指さした。篠崎が妙な顔をした。

「この、上ですか?」

 僕たちがいるのは、カウンターだけの古くて小さい、犬小屋みたいなバーで、隣はストリップ小屋だ。新宿で偶然会って、少し飲もうとこの店に誘った時、一瞬怪訝な表情を浮かべたものの、

「団長の守備範囲って広いんですね。あの辺りは滅多に行かないけど、いい店あるんですね」

 などと笑った時のメッキが見事に剥がれ落ちている。僕はそんな彼の顔を痛ましい思いで見た。痛ましく思っているのは、もちろん彼の方なのだろうが。

篠崎は、〇コンマ1秒くらいの素早さで、僕を上から下まで盗み見した後、恥じ入ったように眼を伏せた。仕事は選ばないようにしているので、金には然程困ってはいない。それなりのスーツぐらい買える。だが、ろくに手入れをしていないことは一目で分かった筈だ。

篠崎が軽く咳払いをした。今更、こんなことぐらいで傷つきもしない。傷ついているのは、むしろ篠崎の方だ。こんな繊細な神経で、ある意味ここより魑魅魍魎とした、警視庁捜査一課の刑事が務まるのだろうかと心配になった。

 篠崎は女性のようなふっくらした白い指で、しばらくグラスの縁をいじっていたが、ふと思い出したように、

「この間、野呂君に会って、二人で明智先生のお墓参りに行って来たんです」

 と、言った。

「へえ、ノロちゃんに?彼は今なにをしてるの?」

「ええっと、確か……」

 彼は考えるふりをしてみせ、

「ああ、大学の研究室にいるんだったかな?」

 と、少しトーンを落した声で答えた後、遠慮がちに尋ねて来た。

「団長は明智先生のお墓には……」

「(団長)はやめてくれよ。周りの客が変に思う」

「え、あ、すみません。つい、昔のくせで……」

「お墓参りには一度も行ってない。僕が参っても、先生はきっとお喜びにならないからね」

「そんなこと、ある筈ありません」

 篠崎の頬にさっと赤みがさした。

「団長は有能です。いつまでも、助手の立場に甘んじている人じゃない。先生も、いずれは団長が自分の元から離れていくだろうと思っておられた筈です。ただ、先生が思っておられたより、時期早々だっただけで」

 などと、本当に少年のようにむきになって言い返す篠崎から眼を逸らし、シガレットを指に挟んだ手で、ズブロッカのグラスを掴んで一気に空けた。

「すみません。僕また、団長、団長って連呼しましたね」

「別にいいよ。それよりお墓には君たちが参ってあげるといい。その方が先生もきっと安心される」

 僕は席を立つと、影のように黙々と立ち働いているマスターに、二人分の飲み代を渡した。

「いや、そんな悪いです」

「僕のテリトリーまでわざわざ御足労頂いたんだ。気にするなよ」

 篠崎は、なにか言いたそうに口をもぐもぐさせた。その顔は、真面目だが鈍臭い、かつての優等生のままだった。


 胸に倒れ込み、荒い息をしている僕の髪を、りえが優しく撫でてくれている。人心地ついた後も、まだ撫でている。まるで何かのおまじないのような、厳かな手つきだった。おまじないという言葉を思い浮かべたことに、僕自身がちょっと驚いた。彼女は僕に、いったいどんなおまじないをかけるというのだろう。

 顔を上げると眼が合った。潤んだ黒眼が、はにかんだように細められた。眦に細かい皺が出来ている。思わず指を伸ばして触れてみる。りえの笑みが深くなり、そのまま眼が閉じられた。

 僕はりえから身体を離し、隣に横たわった。彼女がそっと寄り添って来る。その身体は暖かく柔らかい。眼を閉じる直前、僕を見返した眼差しも、限りなく優しく柔らかいものだった。だが、その底にかすかな澱みが沈んでいた。それは憐憫という、愛によく似た非なるものだ。長い優しい雨のように、ゆっくり愛を腐らせてしまう。愛が腐った後、そこに何が残る?失望?あるいは憎悪か?

 もう既に、彼女の笑顔に、声に、愛撫の仕草に、うっすらと失望の影がつきまとうようになっている。当然だろう。僕は彼女に、世間一般の若い女の子が望むものを与えることができない。そんな僕が、彼女の一番良い時をこれ以上貪るわけには行かない。

 もう、僕に構わなくていいんだよ。

 以前にも僕は、りえにそう言ったことがある。

 だが彼女は、

「なに言ってるの。毒を食らわば地獄までって言うでしょう。え、言わない?」

 と、朗らかに一蹴したばかりか、

「あのさ。あたしだって、探偵さんと暖かい家庭を持とうなんて思っちゃいないわよ。それって、お坊さんが豪華客船で旅行に行くとか、アラブの王様が京都に禅寺を建てるとかいうぐらい、そぐわないことでしょう」

 と笑い、あら、お坊さんもアラブの王様も案外やったりして、とおどけたような顔をした。

二人して吹き出してしまったせいで、それ以上真面目な話を続けるような雰囲気ではなくなってしまった。

 彼女の言う、「探偵さんと暖かい家庭を」云々は本音かもしれない。少なくとも、それを僕と築こうとは思っていない。おそらく、彼女が僕に望んでいるのは、「かつての僕」が再び還ってくることなのだろう。

 かつての僕。それは、「事件」に遭遇する度に、頬を火照らせ、胸を躍らせ、解けない謎を追ってひた走りに走っていた頃の僕だ。りえと会ったのはその数年後だから、当時の僕を彼女は知らない。

ある時、スクラップ帳を開き、そこに貼られた新聞の切り抜きを見せながら、

「あんたって、凄かったのね!」

と、眼を輝かせたことがあった。店に来るお客さんから、『これ、りえちゃんの彼氏のことだよ』と、古い新聞の束を貰ったのだと言う。酔狂な客もいるもんだと呆れたが、スクラップ帳を抱きしめんばかりにしている彼女を見ると、複雑な気持ちになった。

あの頃の、少年の日の僕が、再び戻って来るのを、りえは今でも待っている。自分が抱いている僕の中に、かつての僕が隠れていると信じて、今の僕を抱きしめる。

 だが、熱に浮かされるように「事件」を追いかけていた頃の僕など、今の僕の中に欠片すら残っていないのだ。あの銀色に輝くバッジのように、気がついたら、夜の街の雑踏の中に落してしまった。それをもう一度見つけに行くくらいなら、いっそ、世間並の幸せとやらを与えてやるほうが容易いかもしれない。

 与えてやる?何と、思い上がった言い方だ。

 こうして僕と関わることだけでも、彼女を危険に晒しているのに。

 それは奇跡がおこって、彼女が望む、かつての僕とやらを、僕の中に取り戻せたとしても同じことだ。この仕事を続ける限り、どんな僕も彼女にとっては災いになる。『探偵』という僕の仕事は、愛する人を幸せにしない。

彼女はどう転んでも自分を幸せにしない男のために、彼女の人生の一番いい時期と、そして未来までも犠牲にしているのだ。


 いつのまにか、眠ってしまったらしい。眼が覚めたのは、肌寒さを感じたからだ。隣にりえの体温がなかった。

 かすかな物音がした。薄いガウンを羽織った彼女が、昨夜着ていたワンピースをハンガーにかけていた。大らかなようで、几帳面なところのある彼女が、いったん起き上がって、散らかった衣服をきちんとハンガーにかけることはこれまでもよくあった。だが、皺を伸ばしてハンガーに掛けた後も、彼女は、ワンピースの前に立ち尽したままだった。やがてポケットに手を入れると、何かを掴みだした。それを見届け、僕はまた眼をつむり、寝たふりをした。

「よっちゃん」

 名前を呼ばれた。闇に色を灯すような声音だ。歌手なのだから声がいいのは当然なのだが、美しいだけではなく、なにか切実なものがそこにあった。僕はたった今、眼が覚めたというように薄眼を開けた。

 枕元に座ったりえが、思い詰めたような表情でこちらを見ていた。

 いよいよ、別れ話か。まるで、さっき寝入りばなに考えていたことを見透かされたみたいだ。以心伝心とはこのことだな。僕たちはどこかよく似ている。こんな人にはもう会えないだろうと思うと、焼けつくような未練が込みあげて来た。

 怯えたような顔をしていたに違いない僕に、りえが手を差し出して来た。白い紙を持っている。ポケットに隠したのはやはり手紙だったのだ。表には何も書かれていない。彼女はそれを読めと、眼で合図した。

 この手紙を、新しい男からだと決めつけたのは、早計だったのかもしれない。

 では、いったい誰からの手紙なのだ。

 りえの眼を見つめながら、黙って受けとる。やけに薄い手紙だった。せいぜい便箋一枚くらいの厚さしかない。反射的に、出会った頃、僕が彼女に送った膨大な手紙の量を思い出してしまった。あんなに言葉を尽くさなくても、真心は一言でも伝わるのかもしれない。そんなことを考えてしまうのは、まだこの手紙が、彼女の新しい恋人からもので、僕の未練を断ち切るために読まそうとしている、という考えを、完全に捨てきれなかったからだ。もしそうだとすると、りえの心を捉えた貴石のような一言を眼にすることになるが、それが彼女の望みなら読まないわけにはいかない。

 裏面にも、なにも書かれていないことを確認してから封を開けようとして、手が止まった。

「まだ読んでないのか?」

「あなた宛てだもの。読むわけないでしょ」

 りえの眼に急かされるように開封し、中から便箋を取り出した。タイプライターで打たれた短い文面を見た途端、身体が震えた。

「この手紙は、どうやって届いたんだ?」

「今日、来たお客さんから。身なりのいい、初老の紳士だったわ。ステージの後、楽屋まで来られて渡されたの。『小さな好敵手に渡してくれ』って。ねえ、その言い回しってもしかして……」

僕はりえに、便箋を見せた。小さく息を飲むのが分かった。

「本物?」

「分からない」

 僕は頭を振った。

「かれこれ、十年以上なんの音沙汰もなかったんだ」

 それが、なんで今頃になって、こんなものが送られて来るんだ?

しかも、あいつが狙っているのは、茶碗の最高峰といわれる「曜変天目」。場所は京都の博物館だ。なぜ、京都なんだろう。あいつのステージはいつも東京だった筈だ。

「今日会ったお友だちって、昔の仲間なんでしょう?相談してみたら?警察官なんだって?」

「よく知ってるね」

「この町のことで、私の耳に入らない情報はないのよ」

 と快活に笑う。それは、少女の頃の勝気さを彷彿させる笑顔だった。

「犯行予告日は5日後よ。時間がないわ」

 長い間、故障していたスイッチが突然入ったように、僕は起き上がった。手早く衣服を身に着け、髪を整え、持ち物を確認する。だんだん全身に力が漲ってくる。

「悪戯だって可能性も充分考えられるが、今ちょうど、大きな仕事も引き受けてないし、ちょっと調べてみるか」

 りえの顔がぱっと明るくなった。ウサギが跳ねるように立ち上がり、ハンガーに掛けてくれていた僕のスーツの上着を手にして戻って来た。受け取った上着を羽織り、内ポケットに手紙をしまった。そして、バーで貰った篠崎の名刺を取り出した。彼を通して、京都府警に連絡は取れるだろうし、探偵団の他の仲間を集めることも出来る。

  いや、待てよ。かつての仲間に会ったその同じ夜に、あいつから挑戦状が届くなんて、あまりにも出来過ぎていないか。

 果たして、あの篠崎は、本物の篠崎なのか、まずそれを確かめよう。

 どうやら、一人で頷いていたらしい。顔を上げると、りえがにやにやしながらこちらを見ていた。

「成る程ね。これが『少年探偵さん』の顔なんだ」

 僕は少し照れ臭くなった。

 玄関まで見送りに来たりえが、肩をポンと叩いた。

「じゃあ、気をつけてね。七つ道具は?バッジはちゃんと持った?」

 僕は苦笑しながら頷いた。バッジはまだ持っている。今でもポケットに一枚だけ入っている。どうしても捨てられなかったのだ。

 しかし、これでいいのだろうか。

 これが本当に、あいつからの挑戦状なら、僕はまた、あの蠱惑に満ちた、あやかしの世界に迷い込む。この部屋で僕を待つ、彼女のことを気にしながらも、僕はあいつが仕掛ける「美しい謎」を追いかけることに溺れてしまうだろう。

  僕は彼女を振り返った。僕を見つめる彼女の眼に、もう澱みはなかった。神々しいまでに美しく、神秘的だった。

  その時、ふと、不思議な既視感に襲われた。この美しい眼を、以前にどこかで見たような気がする。あるいは、この魅惑的な眼差しが、これから僕が向かおうとする世界と、どこかで通じ合っているとでもいうような……

「ほら、何してるの。早く行きなさいよ」

  彼女が僕の背中をドンと押した。

  ドアを開けると、夜に見るよりいっそうみすぼらしいこの町を、昇ったばかりの太陽が、物語の舞台を照らすスポットライトのようなバラ色の光で、鮮やかに染め上げていくところだった。



 狭い路地を、軽い足取りで駆けていく恋人の姿を、りえはカーテン越しに見ていた。

(十年か。なかなか長い年月よね)

 昨晩、彼と愛し合ったソファの隣にあるキャビネットの引き出しに、彼には見せていない一枚の写真があった。精悍な容貌の壮年の男に抱き上げられて笑っている、幼い頃のりえの写真だ。

(だって、準備に時間がかかったんだもの。教えを請いたくても、お父さんはもういないし)

 カーテンを閉めると、りえは大きく深呼吸した。そして、まるで舞台の上の役者のように、その台詞を口にした。

「時は熟した。今一度、このうつし世を、めくるめく夜の夢に変えてみようじゃないか。さあ、小林君。今度こそ私を捕まえてごらん」









今回の江戸川乱歩オマージュ小説は

「大人になった小林少年の話」です。


 大人になった小林が、明智の元を離れた後、どこで何をしているのだろうか。

  人生の早い時期に、世間の注目を浴びてしまった小林君は、その後が大変そう、まるで天才子役のようだなと思いながらも、神木君とか愛菜ちゃんとか、益々輝きを増して活躍されてる方も大勢いらっしゃるわけで、小林君も生来の清廉さや聡明さでもって、闇に飲み込まれることなく、生き抜いてくれることを期待して、この物語を締めくくりました。


  ちなみに、この物語を書くに当たって、あるロックスターと彼の創る音楽が頭にありました。(キャラクターモデルという意味ではなく)

  それが誰なのかは、敢えて明らかにしませんが、タイトルや文章中の幾つかのワードから、気づかれた方もいらっしゃるかもしれません。

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