第39話 だからちがうってば!!
「だからちがうってば!!」
「違う! 断じて違うのよ! 私のアイデンティティは、炊飯器の精霊でもなければ、おにぎり屋の看板娘でもないはずなのよぉぉぉ!!」
王都冒険者ギルドの片隅、雑巾を片手にしたノアは、脳内にこびりついた「洗米」や「炊飯」という忌々しい文字を振り払うように叫んだ。
先日のステータス確認は、まさに悪夢だった。
社畜時代、Excelの数値を1セル打ち間違えただけでプロジェクトが炎上したあの絶望感に近い。
サキュバスとして、魔性の女として、世界を跪かせるための修行(という名の不審者活動)を重ねてきたはずが、蓋を開けてみれば「米職人」としてのキャリアアップが着々と進んでいる。
ちょっと気を抜けば、周囲の認識も、世界のシステム、そして作者も、私を「お米」の方へと全力で誘導してくるのだ。
このままでは、魔王軍に帰還した際、私の二つ名が「米将軍」になってしまう。
そんなの、ライスプディングの刑よりも屈辱的だ。
「なんとかしないと……。このまま『生活感の塊』として定着する前に、サキュバスとしての権威を取り戻すのよ!」
ノアは、鼻を突くお米の匂い(※先程まで厨房にいたせい)を振り切り、思考を整理し始めた。
そもそも、なぜヴォイド・ボア相手の特訓が「不審者情報」止まりで、スキルの熟練度に繋がらなかったのか。
答えは明白だ。
サキュバス、魔物と言えど、その本質的な見た目は人。
つまり、魅了という「精神的アプローチ」が必要なスキルは、同じ構造の心を持つ人型相手に繰り出さなければ意味がないのだ。
たとえ前世で「仕様書の穴を突く天才」と呼ばれた私でも、種族の壁という根本的な仕様を完全に見落としていた。
「要するに、対人戦よ。ターゲットを人間に絞り、日常の中で『偶然』を装ってスキルを連発する。それこそが、熟練度をカンストさせるための最短ルート(ロードマップ)!」
現在、ギルドから公式に認可されている「ノア専用・スキル使用認可リスト」を思い浮かべる。
・投げキッス
・ウインク
・萌え袖
・上目遣い
・チラリズム・オブ・ザ・チェスト(※当社比)
どれも強力(※主観)だが、あまりにも「必殺技」感が強すぎる。
真っ昼間の酒場で、ビールを運んでいる最中にいきなり「チラリズム・オブ・ザ・チェスト」を発動すれば、即座にギルドマスターの鉄拳が飛び、説教部屋へと直行だ。
それに、認可リストにある技は、すでに出力が安定しすぎている。
熟練度を爆上げするには、もっとこう、さりげなく、日常の動作に紛れ込ませるような、洗練された「小技」が必要なのだ。
たとえばそう、王都の大きな本屋。
目当ての魔導書(という名のお菓子レシピ集)を手に取ろうとした瞬間、隣のイケメン冒険者と同じ本に手が伸びてしまう。
(あ、すみません……)
そこで「ふわり」と手が触れ、数秒の沈黙の後に、恥ずかしそうに手を引っ込める。
指先が触れ合うという、物理的なようでいて極めて精神的な接触。
あるいは、曲がり角で「おっとっと」とぶつかり、相手の胸板に顔を埋める。
その瞬間に立ち上る、計算し尽くされた愛嬌の香り!
「……待てよ。これらは必殺技ではないのでは……」
ノアの脳内に、新たな理論の回路がつながった。
必殺技として「宣言」するから、認可が必要になるのだ。
だが、本屋で手が触れることや、偶然肩がぶつかることに、ギルドの許可が必要だろうか? 否だ。
それは現象であり、不可抗力であり、日常の一部。
「つまり……これらは『パッシブスキル(常時発動型)』、あるいは『隠しパラメータ』に直結する挙動。認可の枠をすり抜けて、熟練度だけを稼げるフリーパスじゃない!」
見えた。勝機が。
リストに載っていない「日常的なあざとさ」を連発し、気づかぬうちに「魅了」のレベルを極限まで引き上げる。
リリィさんに目を光らせられようが、マスターの治安維持が光ろうが、ただの「うっかり」であれば、彼らは私を裁けない。
「ふふ……ふふふふ。そうと決まれば、まずはリサーチよ。ギルドの中で最も『手が触れそう』な位置、および『ぶつかった際に最もドラマチックな衝撃が走る』角の角度を計算しなくては……」
ノアは雑巾を放り出し、社畜時代に培った「動線分析」を開始した。
昼時の酒場、冒険者たちが最も空腹で理性が緩む時間帯。
そこが私の戦場になる。
「あるっちにも協力してもらおうかしら。彼なら、私が本屋で手を重ねても『ああ、君もこの図鑑に興味があったんだね。半分こしようか』なんて、聖者のような顔で受け入れてくれそうだし。それはそれで、私の熟練度が別の方向に吸い取られそうだけど」
ふと、自分の手を見る。
そこには、朝の洗米作業でしっとりと潤った、非常にコンディションの良い肌があった。
「……よし。コンディションは完璧。お米の力(保湿)を借りて、私の魔性を全開にしてやるわ!」
結局お米の恩恵を受けていることに無自覚なまま、ノアは不敵な笑みを浮かべた。
狙うは「うっかり」の王座。
認可リストという法を掻いくぐり、日常という名の戦場で、彼女のサキュバスとしての真の覚醒が今、始まろうとしていた。
「サキュバス、ノア。いざ、出陣よ!」




